2013年 04月 23日
最近観た映画 |
このところ、どうもイライラが多くていけません。
口を開いてもタイプしても、出て来る言葉がついキツくなる。
何かテーマを決めて書き始めると、
そのキツさに拍車がかかってしまいそうなので、
今日は少しでもそれを和らげるべく、最近観た映画の話でも。
(といいながら辛口批評になるかも。。。。)
「紅いコーリャン」(監督:チャン・イーモウ、1987年)
チャン・イーモウ監督と女優コン・リーの初コンビ作品。
これがヨーロッパの映画祭で上演されたときの衝撃は、
さぞや凄かっただろうと思った。
ただの太陽、ただのコーリャン畑、ただの若い女性の映像なのに、
その絵がすごい。強烈な映像美。
荒削りながらも生命力がほとばしる画面から、もう一時も目が離せない。
昨年ノーベル賞を受賞した莫言氏の作品が原作だけれど、
この映画では話の筋自体にはさほど重さはない、と思う。
とにかく映像の凄みのある美しさ、その一言に尽きる。
それからコン・リーの若い原石の美しさも。
「カルテット!人生はオペラハウス」(監督:ダスティン・ホフマン、2012年)
ダスティン・ホフマンの初監督作品。
引退した音楽家たちのための老人ホーム、ビーチャム・ハウス。
素晴らしい内装と庭園を持ち、
そこに暮らす人達は、日々音楽とともにある。
ビーチャム・ハウスの財政難を救うためのコンサートが企画され、
それに向けての練習が始まる。。。。
なんといっても驚いたのはギネス・ジョーンズが出演していたこと。
ギネス・ジョーンズは、わたしが初めて聴いたイゾルデだった。
いろいろ知った今はベストのイゾルデとは思わないのだけれど、
初めて聴いたときの、あの小柄な体を振り絞るようにして歌う姿、
全身全霊をかけて感情をほとばしらせる姿からは目を離せなかった。
そのくらい説得力があったのだ。
その彼女が、すっかりおばあちゃんになって画面にいた。
そして、最後には本当に歌声を聴かせてくれるのである。
ここで会えるとは思わなかったので、うるっと感動した。
のっけから椿姫の明るい曲が流れるし、
全編を通して気持ちの良い音楽が演奏されるし、
主役の4人ともが芸達者だし、
おもいがけない出会いもあったし、
老人ホームとは思えない優雅で明るい雰囲気だし、
ハッピーエンドで終わるから、とにかく幸せな映画なのだ。
映画館をにこにこと気持ちよく後にしたものの、
だんだん悲しくなってきてしまった。
あれはほんとにほんとの夢物語だよね、と思われたので。
映画は夢を見せてくれる。
でも、夢はすぎたらいけない。
ダスティン・ホフマンの見せてくれた夢は、わたしには素敵すぎた。
「La Religieuse」(監督:Guillaume Nicloux、2013年)
母親の不義の子であったがゆえに、
母親の魂を救うためと称して修道院に入れられてしまった娘の話。
この娘が、徹底して修道院を嫌ってそこから出ようとする。
対して修道院側は彼女に同化を求める。
そのせめぎ合いに終始する作品。
この作品はたまたまカトリック教会が舞台だったけれど、
世の中には「かくあるべし」という同化を求める意識が常にある。
それに従順であるうちは平和なのだ。
けれど、ひとたびそれに疑問をはさむと、激しい反発をくらう。
その集団から抜けるのは並み大抵の覚悟ではできない。
原作はカトリック教会内部の腐敗を描いた作品ということで、
こんな人もいるのね、あんな人もいるのね、という
まさに人間社会の縮図を見せられる思い。
そこから主人公が救い出されたところで話は終わる。
映像はとても綺麗で、特に衣類の質感や色が美しくて楽しめた。
主人公の女の子の、絶対に何があっても流されない強さも頼もしかった。
けれど物語としては、だからなに?と思ってしまったのだった。
「この子を残して」(監督:木下順二、1983年)
長崎の放射線医学者、永井隆の物語。
戦前から放射線医療にたずさわり、自らも白血病を発症しながら、
原爆投下後は被曝した体で可能な限り患者に関わり、
また体の自由が利かなくなってからは執筆活動を続けた医師。
医師としての真面目な姿勢、
幼い子ども2人を残して死なねばならない親の哀しみ、
(彼の妻は原爆で骨だけになってしまった)
最後は涙ながらに観た。
ここで原作が読める。
敬虔なキリスト者としての永井隆の言葉だ。
わたしはクリスチャンではないけれど、彼の多くの言葉に共感した。
だからこそ、こう問わないではいられない、
神の存在を信じなければ、人間は善くあれないのか、と。
本編は主人公の永井隆が命を落とすところで終わる。
そこまでは、永井隆の姿を追い、言葉を追った映画だった。
それが直後にがらりと様子が変わってしまう。
原爆投下直後の焼けただれた大地、うめきのたうつ被爆者たちの姿が映り、
それにかぶさる「父を返せ 母を返せ 年寄りを返せ 子どもを返せ」
という激しい叫びのような歌声。
それまで画面に流れていた永井のキリスト者としての穏やかさが、
最後の最後に恨みの声で終わる違和感。
わたしはこの最後が余分だと思った。
これがない方が、むしろメッセージとして人の心に届くと思った。
「歩いても歩いても」(監督:是枝裕和、2008年)
良かった。
何が良かったかといって、食べ物が美味しそうなのだ。
昭和の、ちょっと薄暗く、ちょっと脂染みた黒っぽい台所で、
祖母と娘が料理する。
孫たちはつまみ食いする。
台所の水の音。
天婦羅を揚げる油の音。
夏の、まとわりつくような湿気の中を、
ときおりすうっと吹き抜ける風。
暑い空気をかき回す扇風機の風。
思い出の中の昭和が、いっきに蘇った気がした。
息子帰る、の物語でもあるのだけれど、
樹木希林がとにかく光っていて、これは彼女の映画だと思った。
嫁役の夏川結衣も良かった。
是枝監督、前に観た「誰も知らない」も目が離せなかった。
この作品も地味ながら目を離せなかった。
相性がいいのかな? 他の作品も観てみたい。
口を開いてもタイプしても、出て来る言葉がついキツくなる。
何かテーマを決めて書き始めると、
そのキツさに拍車がかかってしまいそうなので、
今日は少しでもそれを和らげるべく、最近観た映画の話でも。
(といいながら辛口批評になるかも。。。。)
「紅いコーリャン」(監督:チャン・イーモウ、1987年)
チャン・イーモウ監督と女優コン・リーの初コンビ作品。
これがヨーロッパの映画祭で上演されたときの衝撃は、
さぞや凄かっただろうと思った。
ただの太陽、ただのコーリャン畑、ただの若い女性の映像なのに、
その絵がすごい。強烈な映像美。
荒削りながらも生命力がほとばしる画面から、もう一時も目が離せない。
昨年ノーベル賞を受賞した莫言氏の作品が原作だけれど、
この映画では話の筋自体にはさほど重さはない、と思う。
とにかく映像の凄みのある美しさ、その一言に尽きる。
それからコン・リーの若い原石の美しさも。
「カルテット!人生はオペラハウス」(監督:ダスティン・ホフマン、2012年)
ダスティン・ホフマンの初監督作品。
引退した音楽家たちのための老人ホーム、ビーチャム・ハウス。
素晴らしい内装と庭園を持ち、
そこに暮らす人達は、日々音楽とともにある。
ビーチャム・ハウスの財政難を救うためのコンサートが企画され、
それに向けての練習が始まる。。。。
なんといっても驚いたのはギネス・ジョーンズが出演していたこと。
ギネス・ジョーンズは、わたしが初めて聴いたイゾルデだった。
いろいろ知った今はベストのイゾルデとは思わないのだけれど、
初めて聴いたときの、あの小柄な体を振り絞るようにして歌う姿、
全身全霊をかけて感情をほとばしらせる姿からは目を離せなかった。
そのくらい説得力があったのだ。
その彼女が、すっかりおばあちゃんになって画面にいた。
そして、最後には本当に歌声を聴かせてくれるのである。
ここで会えるとは思わなかったので、うるっと感動した。
のっけから椿姫の明るい曲が流れるし、
全編を通して気持ちの良い音楽が演奏されるし、
主役の4人ともが芸達者だし、
おもいがけない出会いもあったし、
老人ホームとは思えない優雅で明るい雰囲気だし、
ハッピーエンドで終わるから、とにかく幸せな映画なのだ。
映画館をにこにこと気持ちよく後にしたものの、
だんだん悲しくなってきてしまった。
あれはほんとにほんとの夢物語だよね、と思われたので。
映画は夢を見せてくれる。
でも、夢はすぎたらいけない。
ダスティン・ホフマンの見せてくれた夢は、わたしには素敵すぎた。
「La Religieuse」(監督:Guillaume Nicloux、2013年)
母親の不義の子であったがゆえに、
母親の魂を救うためと称して修道院に入れられてしまった娘の話。
この娘が、徹底して修道院を嫌ってそこから出ようとする。
対して修道院側は彼女に同化を求める。
そのせめぎ合いに終始する作品。
この作品はたまたまカトリック教会が舞台だったけれど、
世の中には「かくあるべし」という同化を求める意識が常にある。
それに従順であるうちは平和なのだ。
けれど、ひとたびそれに疑問をはさむと、激しい反発をくらう。
その集団から抜けるのは並み大抵の覚悟ではできない。
原作はカトリック教会内部の腐敗を描いた作品ということで、
こんな人もいるのね、あんな人もいるのね、という
まさに人間社会の縮図を見せられる思い。
そこから主人公が救い出されたところで話は終わる。
映像はとても綺麗で、特に衣類の質感や色が美しくて楽しめた。
主人公の女の子の、絶対に何があっても流されない強さも頼もしかった。
けれど物語としては、だからなに?と思ってしまったのだった。
「この子を残して」(監督:木下順二、1983年)
長崎の放射線医学者、永井隆の物語。
戦前から放射線医療にたずさわり、自らも白血病を発症しながら、
原爆投下後は被曝した体で可能な限り患者に関わり、
また体の自由が利かなくなってからは執筆活動を続けた医師。
医師としての真面目な姿勢、
幼い子ども2人を残して死なねばならない親の哀しみ、
(彼の妻は原爆で骨だけになってしまった)
最後は涙ながらに観た。
ここで原作が読める。
敬虔なキリスト者としての永井隆の言葉だ。
わたしはクリスチャンではないけれど、彼の多くの言葉に共感した。
だからこそ、こう問わないではいられない、
神の存在を信じなければ、人間は善くあれないのか、と。
本編は主人公の永井隆が命を落とすところで終わる。
そこまでは、永井隆の姿を追い、言葉を追った映画だった。
それが直後にがらりと様子が変わってしまう。
原爆投下直後の焼けただれた大地、うめきのたうつ被爆者たちの姿が映り、
それにかぶさる「父を返せ 母を返せ 年寄りを返せ 子どもを返せ」
という激しい叫びのような歌声。
それまで画面に流れていた永井のキリスト者としての穏やかさが、
最後の最後に恨みの声で終わる違和感。
わたしはこの最後が余分だと思った。
これがない方が、むしろメッセージとして人の心に届くと思った。
「歩いても歩いても」(監督:是枝裕和、2008年)
良かった。
何が良かったかといって、食べ物が美味しそうなのだ。
昭和の、ちょっと薄暗く、ちょっと脂染みた黒っぽい台所で、
祖母と娘が料理する。
孫たちはつまみ食いする。
台所の水の音。
天婦羅を揚げる油の音。
夏の、まとわりつくような湿気の中を、
ときおりすうっと吹き抜ける風。
暑い空気をかき回す扇風機の風。
思い出の中の昭和が、いっきに蘇った気がした。
息子帰る、の物語でもあるのだけれど、
樹木希林がとにかく光っていて、これは彼女の映画だと思った。
嫁役の夏川結衣も良かった。
是枝監督、前に観た「誰も知らない」も目が離せなかった。
この作品も地味ながら目を離せなかった。
相性がいいのかな? 他の作品も観てみたい。
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by poirier_AAA
| 2013-04-23 18:34
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Comments(8)