2020年 05月 26日
自宅学習で思うことなど |
中学生の息子たちは、ひきつづき自宅学習が続いている。
昨日は社会科の先生から提出課題についてのコメントが来ていた。一方はブラボーと褒められて、もう一方は「これは違うんじゃない?これこれしかじか(長い説明)でしょう。もしこれでわからないときは、個人的に電話で説明してもいいから。あと、双子の片割れとも話してみて」なんてかなり熱い返事をもらっていた。
そんな社会の直近の課題、テーマは「justice(裁き/裁判)」。
17世紀に書かれたラ・フォンテーヌの寓話「狼と子羊」のテクストが示される。狼は強者、子羊は弱者。喉がかわいた子羊が川で水を飲んでいると、狼がやってきてここは自分の水場だと言う。お前は俺様の水場を汚したのだ、狼はいちゃもんをつける。いいえ旦那様、あなた様の水場からきちんと距離をおいております。決してそんなつもりはございません。お怒りにならないでください。子羊は震え上がって言い募るが、虫の居所の悪い狼は初めから話を聞く気はない。哀れ子羊はあっさりと狼の餌食になってしまう。この寓話とは別に、現代の法の抜粋が示される。
これを読んで次の問いに答える。
・この寓話が書かれたのはどの時代か、どんな政治体制だったか。
・狼と仔羊の態度の違いを示せ。彼らは権利を尊重しているか。
・フォンテーヌの書く「強者の理屈」とはどのようなものか。
・今同じ問題が起きたら、どう解決するだろうか?
・社会に法が存在しなかったら何が起こるか、例をいくつか挙げて説明せよ。
・法は社会の随所に存在する。学校では?日常生活では?例を挙げよ。
・あなたの考える「権利」を定義せよ。それは何の役に立つだろうか?
などなど。
夫はこれをみて少し哲学に踏み込んでいるよねと言う。公民の授業だけれど、確かに哲学要素もある。国語(フランス語)でもある。少しだけ歴史でもある。読んで、分析して、自分の言葉で再構築して、それが自分をとりまく社会とどのように関係があるか身にひきよせて考えてみる。「社会」の授業としてみれば結構意欲的な総合学習とも思われるけれど、考えてみれば現実の生活でぶつかる問題はみな似たようなものなのかもしれない。はい、これは数学の問題ですよ、はい、これは歴史の問題ですよ、なんてきれいに分類されることばかりじゃないもの。
こういう様子を見ていると、極論に聞こえるかもしれないけれど、結局のところ学校で学ばなければならないことというのは「読み書きそろばん、あと継続」に尽きるのじゃなかろうか、なんて思ってしまう。示された文章や資料、映像や音声を解析して必要な情報を得ることができ、それを自分の言葉で発信することができ(正確に話したり書いたりでき)、生活するために必要な計算ができ、示された数字を分析することができ、そして必要な努力を継続して行う習慣がつけられさえすれば、ほとんどの知的作業の土台ができあがる。そこさえしっかりしていれば、あとは自力でどうにでもできる。そういうことなんじゃないかな?と。いや、本当に極論なのだけれど。
カリキュラムが終わらなかったらどうするんだろう?などと心配に思うこともあれば、いやいや、土台さえできていれば後でいくらでも上に積み上げられるんだから慌てることないでしょ、と思うこともある。入学したばかりの子、あるいは最終学年で試験を控えている子をもつ家庭は、きっともっと落ち着かないだろう。どんどん夏に近づいていくし、さてさて、学校はどうなるんでしょうね?
by poirier_AAA
| 2020-05-26 23:49
| 子どもと暮らす
|
Comments(6)
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きゃすぴえ
at 2020-05-27 01:46
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教育ってその国の文化を反映しますね。
ケベックではフランス語系と英語系の学校があるのですが、フランス語系のカレッジを出た友人は、必修科目に哲学があったと言うのですが、英語系ではhumanitiesというのがあって、これは必ずしも哲学ではなく、二つの言語体系は2通りの世界観というか、世界をどうやってオーガナイズして学ぶか、という部分で違いがあるのだなあと思いました。でも英語圏もフランス語圏も、ヨーロッパ系の文化圏では思考の訓練が重視されていますよね。critical thinking とかディベートとか、こういうのは一人で机に向かってというより、誰かと語り合うことでより発達していく能力だと思うので、梨の木さんの息子さん達は兄弟で話し合えるから素晴らしいと思います。
ケベックではフランス語系と英語系の学校があるのですが、フランス語系のカレッジを出た友人は、必修科目に哲学があったと言うのですが、英語系ではhumanitiesというのがあって、これは必ずしも哲学ではなく、二つの言語体系は2通りの世界観というか、世界をどうやってオーガナイズして学ぶか、という部分で違いがあるのだなあと思いました。でも英語圏もフランス語圏も、ヨーロッパ系の文化圏では思考の訓練が重視されていますよね。critical thinking とかディベートとか、こういうのは一人で机に向かってというより、誰かと語り合うことでより発達していく能力だと思うので、梨の木さんの息子さん達は兄弟で話し合えるから素晴らしいと思います。
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ひかり
at 2020-05-27 08:02
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梨の木さんの考えに同感です。
私は私立の自由な校風の高校に行ったのですが、
偏差値としては低い評価でしたが、
何せ、沢山沢山、文章を書く機会が多かったです。
通知表が無い代わりに、「自己評価」というのを文章で
各教科で綴り、それに対してのコメント、国語でも
自分の考えをまとめ、社会でも然り、数学でも、英語でも、
何でも。
受験対策は無いので、浪人しましたが、国語と、やたらに
長文ばかり読まされた英語の偏差値が、ものすごく高くなって
いました。数学は…ちと苦手でしたが、でも、
数学も世界を表す言葉なんだ!と授業で感じ、あこがれめいた
ものがあります。
双子君たち、もう今からそういう内容を考えさせられるって
もうそこから違うんだなー、日本と、と思います。
物の見方、考え方を鍛えて、日常の計算、分析まで出来るくらい
数学力があれば言うことなし、という感じです。
私は私立の自由な校風の高校に行ったのですが、
偏差値としては低い評価でしたが、
何せ、沢山沢山、文章を書く機会が多かったです。
通知表が無い代わりに、「自己評価」というのを文章で
各教科で綴り、それに対してのコメント、国語でも
自分の考えをまとめ、社会でも然り、数学でも、英語でも、
何でも。
受験対策は無いので、浪人しましたが、国語と、やたらに
長文ばかり読まされた英語の偏差値が、ものすごく高くなって
いました。数学は…ちと苦手でしたが、でも、
数学も世界を表す言葉なんだ!と授業で感じ、あこがれめいた
ものがあります。
双子君たち、もう今からそういう内容を考えさせられるって
もうそこから違うんだなー、日本と、と思います。
物の見方、考え方を鍛えて、日常の計算、分析まで出来るくらい
数学力があれば言うことなし、という感じです。
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poirier_AAA at 2020-05-27 23:44
> きゃすぴえさん、こんにちは。
わたし自身は経験がないので子どもたちを側からみて想像するだけですけれど、そうですね、自宅学習をしていてもまったく不安に陥る様子がないのは、やっぱり同じことを同じように勉強している仲間がすぐ近くにいるからだろうと思うのです。親には聞かせずに、しょっちゅう2人で頭を寄せ合って話していますよ。といって、それがディベートの役に立つような話かと言うと、それはちょっと疑わしくて。議論し合うというよりは、感情的にぶつかり合っていることも多いです。成長とともに変わっていってくれるといいんですけど。。。
思考の訓練は大事だと思います。そして思考は言葉なんですよね。言葉が自由に使えるようになればなるほど、ものを見て考えることも自分を省みることも容易にできるようになる。子どもっぽい社会というのは、人が言葉をうまく使えないまま大人になってしまった結果なのではないかとすら思います。
わたし自身は経験がないので子どもたちを側からみて想像するだけですけれど、そうですね、自宅学習をしていてもまったく不安に陥る様子がないのは、やっぱり同じことを同じように勉強している仲間がすぐ近くにいるからだろうと思うのです。親には聞かせずに、しょっちゅう2人で頭を寄せ合って話していますよ。といって、それがディベートの役に立つような話かと言うと、それはちょっと疑わしくて。議論し合うというよりは、感情的にぶつかり合っていることも多いです。成長とともに変わっていってくれるといいんですけど。。。
思考の訓練は大事だと思います。そして思考は言葉なんですよね。言葉が自由に使えるようになればなるほど、ものを見て考えることも自分を省みることも容易にできるようになる。子どもっぽい社会というのは、人が言葉をうまく使えないまま大人になってしまった結果なのではないかとすら思います。
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poirier_AAA at 2020-05-28 00:12
> ひかりさん、こんにちは。
わたしもその高校に行きたかった!絶対に肌にあったと思います〜。わたしが通った高校は歴史のある学校でしたが、当時はもう大学入試を全面目標にしている感じで、唯一楽しかった国語をぬかせば、あとはひたすら覚えたり練習問題を解いたりするばかりでつまらなかったです。つまらなかったから勉強も熱が入らなくて、成績も伸びなくて、大学も落ちまくって、唯一拾ってもらえたのが国語と英語と世界史で長文を書かせるタイプの試験をしてくれた学校でした。書くことが好きだったからなんとか受かった、としか思えません。
あの頃、今の息子たちみたいな勉強ができたとしたら、もっとおもしろかっただろうなぁと思うんですよ。社会とか英語とかで、もっと読んだり書いたりしたかったなぁ、なんて。だから息子たちがうらやましいのです。そんなことを言うと、子どもには嫌な顔で睨まれちゃうんですけどね(笑)
わたしもその高校に行きたかった!絶対に肌にあったと思います〜。わたしが通った高校は歴史のある学校でしたが、当時はもう大学入試を全面目標にしている感じで、唯一楽しかった国語をぬかせば、あとはひたすら覚えたり練習問題を解いたりするばかりでつまらなかったです。つまらなかったから勉強も熱が入らなくて、成績も伸びなくて、大学も落ちまくって、唯一拾ってもらえたのが国語と英語と世界史で長文を書かせるタイプの試験をしてくれた学校でした。書くことが好きだったからなんとか受かった、としか思えません。
あの頃、今の息子たちみたいな勉強ができたとしたら、もっとおもしろかっただろうなぁと思うんですよ。社会とか英語とかで、もっと読んだり書いたりしたかったなぁ、なんて。だから息子たちがうらやましいのです。そんなことを言うと、子どもには嫌な顔で睨まれちゃうんですけどね(笑)
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ラベンダー
at 2020-06-13 20:55
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梨の木さん、私も学校で行う主な学びは土台作りであると思います。たまに語学レッスンをすることがあるのですが、何かを教えるというよりは、1人でできることをサポートしている感覚でいます。自分を安心させるためにあれこれ口を出したり、間を埋めたりしたくなるのですが、あくまでサポートだから必要以上に言葉を並べたり、作り込みすぎるのも何か違う気がしています。“これはあなた一人でできる事なんだよ”ということが伝えられたらと思うのですが、それが学校の目的とするところの「土台作り」なのかなと、こちらの記事を拝見し自分の思いが確認できました。ありがとうございました。
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poirier_AAA at 2020-06-14 02:18
> ラベンダーさん、こんにちは。
同じようなことを考えている人がいるとわかって、嬉しいです。
そばに子どもがいるので教育関係の話にはどうしても敏感になってしまい、そのせいで焦ったりすることもあったのですが、今回の自宅学習は枝葉ではなくて幹はなにかというのを見るためのいい経験になったと思いました。フランスの教育が何を考えて行われているかも見えてきた感じがします。ちょっと大袈裟かもしれませんけど。
同じようなことを考えている人がいるとわかって、嬉しいです。
そばに子どもがいるので教育関係の話にはどうしても敏感になってしまい、そのせいで焦ったりすることもあったのですが、今回の自宅学習は枝葉ではなくて幹はなにかというのを見るためのいい経験になったと思いました。フランスの教育が何を考えて行われているかも見えてきた感じがします。ちょっと大袈裟かもしれませんけど。