2019年 06月 20日
子どもから大人へ |
フランス人の本読み友達とおしゃべりしていて、
中学生の頃どんな読書をしていたか、という話になった。
その友人は、中学時代(それも早い時期)に、
子どもの本から大人の本へ移るきっかけになる本と出会ったという。
子ども向けの本というのは要するに生きる希望を与える本。
大人だけでなく子どももちろん不条理と向き合って日々を生きている。
それでも生きることは素晴らしいことだと教えてくれるのが子どもの本。
大人の本が目指すところはすこし違う。
不条理を見せ、それを抱えた人間の生き様を見せる。
答えは小説の中にはない。
読んだ人ひとりひとりが考え、自分の答えをみつけるしかない。
言われてみると、わたしも中学生でそういう本と出会っている。
なぜだ?なぜこう生きる?と考えるようになったのはそれからだ。
友人とわたしの場合はよく似ていて、12歳頃に出会いがあった。
でも、この出会いのタイミングは子どもによって大きく違う。
早熟な女の子なら小学生のうちに出会うかもしれないし、
ゆっくり大人になって行く男の子は、高校とか大学になってからかも。
いずれにしても本人の準備が整い、かつ出会うべき本が近くにあるという
両方の条件がそろわなければ実現しない。
「人生を変えた本」だとか「無人島に持っていきたい本」といった
大事な1冊を教えてもらうための質問があるけれども、
10代で出会うこの特別な本は、
いってみれば「子どもから大人へと舵をきった1冊」か。
友達の場合もわたしの場合も、出会った本は家にたまたまあった本だった。
拾い読みしてみたら意外に面白くてつい最後まで行ってしまった、という感じ。
ならばうちの子どもたちも、わたしの本棚からその1冊を選ぶかもしれない。
さて、何を選んでくるか(というより、何を偶然手に取るか?)
出会いはきっとごく内的にひっそり、でも劇的に起こるはず。
そういう未来を抱えた存在が身近にいるかと思うとわくわくする。
中学生と同じような劇的な邂逅は果たせないにせよ、
それでも読んでよかったと心から思える本はたくさんあるよね、と
親の世代は親の世代でこの夏の出会いに想いを馳せながら
ヴァカンス前の読書談義に花を咲かせたのだった。
by poirier_AAA
| 2019-06-20 22:47
| フランス語を読む
|
Comments(6)
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Mtonosama at 2019-06-21 06:38
私は中学1年の時に初めてお泊りした友人の家にあった芥川龍之介全集が大きな出会いです。以来百有余年、大学に入り、その後、何度も何度も引越を繰り返すたびに一緒に移動しました。そして、どうしたご縁か、いま住む土地は芥川が避暑に訪れた地であるK沼海岸。彼がブヨブヨと透き通る歯車を見た松林はもうないし、逗留した旅館も石碑が残るだけですが、彼に引っ張られてここまで来たな、という思いです。
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germanmed at 2019-06-22 02:32
↑私も芥川全集は大きな出会いでした。
中学の頃はいじめとかあって、本だけが楽しみの生活だったので、家にあるもの、学校の図書館にあるもの、片端から読んでいました。漱石やソルジェニーツィンが好きになったのはもう少し後で高校・大学くらいなのですが、芥川はとっつきやすかった。あと、ガルシンに出会ったのが脳天ガツンの衝撃でした。当時はロシアとも知らずに読んだのですが。
中学の頃はいじめとかあって、本だけが楽しみの生活だったので、家にあるもの、学校の図書館にあるもの、片端から読んでいました。漱石やソルジェニーツィンが好きになったのはもう少し後で高校・大学くらいなのですが、芥川はとっつきやすかった。あと、ガルシンに出会ったのが脳天ガツンの衝撃でした。当時はロシアとも知らずに読んだのですが。
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poirier_AAA at 2019-06-22 03:45
> Mtonosamaさん、こんにちは。
そうでした、とのさんは芥川がお好きでしたよね。
子どもの頃に出会った作家が成長しても常にそばにいてくれるって、すごいことだと思います。まさに得難い出会い、中学生で生涯の友に出会ったのですね。
その体験、とても羨ましいです。
そうでした、とのさんは芥川がお好きでしたよね。
子どもの頃に出会った作家が成長しても常にそばにいてくれるって、すごいことだと思います。まさに得難い出会い、中学生で生涯の友に出会ったのですね。
その体験、とても羨ましいです。
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poirier_AAA at 2019-06-22 04:00
> germanmedさん、こんにちは。
中学の時の担任が大学を出たばかりの若い国語の先生で、その先生の影響もあって詩(高村光太郎とか)をけっこう読みました。小説もとても感情的な読み方をしていた時代だったと思います。その頃に漱石の「こころ」とも出会って、これはかなりガツンときましたね。うんうん唸りながら、それでもこれは絶対にアウトプットしておかなければと思って必死で感想文を書き上げた記憶があります。
う〜ん、こうして人の読書体験を聞くと、自分の記憶も蘇って来ますね。自分が若い頃どんな本を読んでいたのか、もう一度きちんと思い出してみたくなりました。
中学の時の担任が大学を出たばかりの若い国語の先生で、その先生の影響もあって詩(高村光太郎とか)をけっこう読みました。小説もとても感情的な読み方をしていた時代だったと思います。その頃に漱石の「こころ」とも出会って、これはかなりガツンときましたね。うんうん唸りながら、それでもこれは絶対にアウトプットしておかなければと思って必死で感想文を書き上げた記憶があります。
う〜ん、こうして人の読書体験を聞くと、自分の記憶も蘇って来ますね。自分が若い頃どんな本を読んでいたのか、もう一度きちんと思い出してみたくなりました。
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germanmed at 2019-06-22 20:46
詩と言えば・・・
中学直前くらいで藤村詩集を読んで、「涙も凍る冬の日の・・・」という一節が、子ども心にふーんと言う感じで感心したのを覚えています。啄木詩集は、「何をぐじぐじ言うとるんや!」と背中をどやしたくなった記憶が。わはは。
「こころ」は私も衝撃でした。大人になってからは他の作品の方が好きになりましたが。
中学直前くらいで藤村詩集を読んで、「涙も凍る冬の日の・・・」という一節が、子ども心にふーんと言う感じで感心したのを覚えています。啄木詩集は、「何をぐじぐじ言うとるんや!」と背中をどやしたくなった記憶が。わはは。
「こころ」は私も衝撃でした。大人になってからは他の作品の方が好きになりましたが。
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poirier_AAA at 2019-06-23 15:58
> germanmedさん、こんにちは。
うふふ、啄木はたしかに「何をぐじぐじ言うとるんや!」ですね。わたしも思いました。
今になると、この「詩」との出会いも大きな転換点だったのかな、と思います。小学生の頃もたくさん本を読みましたけれど、あれはたぶん物語の筋を追うのがおもしろいだけの読書で。言葉そのものに敏感になって、そこからイマジネーションを膨らませることができるようになったのは、詩とか俳句といったもののおかげだな、と思うんですよ。
うふふ、啄木はたしかに「何をぐじぐじ言うとるんや!」ですね。わたしも思いました。
今になると、この「詩」との出会いも大きな転換点だったのかな、と思います。小学生の頃もたくさん本を読みましたけれど、あれはたぶん物語の筋を追うのがおもしろいだけの読書で。言葉そのものに敏感になって、そこからイマジネーションを膨らませることができるようになったのは、詩とか俳句といったもののおかげだな、と思うんですよ。