2015年 03月 16日
本に関するあれこれ |
毎年3月も後半にはいると、
わたしはそわそわしてなんとなく落ち着かない。
パリの書籍見本市(サロン・デュ・リーブル)があるからだ。
今年のサロンも今週の金曜日から始まる。
本を探しにいくのも楽しみだし、
作家の姿を垣間見られるのもすごく嬉しい。
運が良ければ(時間があえば)本にサインしてもらうこともできる。
一昨年のサロンでは、敬愛する作家にサインを貰っただけでなく、
人が少ないのをいいことに結構長くお喋りすることも出来て、
天国に昇ったような気分で帰って来た。
去年はまた別な作家にあいたかったのだけど、時間が合わず断念。
今年は、あの人と、あの人と、あの人が来るかなぁ?
そんな期待を込めて、サイトをせっせと眺めている。
でも、運良く会えて話す機会があったとして、さて何から言おう。
そんなことも考えてしまう。
長いこと片思いして来た人に、一体どう話を切り出したら良いものか。
こちらの気持ちばっかり風船みたいに膨らんでしまっていて、
反対に相手はこちらのことは何も知らない。
そんなアンバランスさの中で、言葉なんて簡単に出るものじゃない。
おまけに相手は「あなたの書く本が好きで、、、」なんて言葉は、
もう梅雨時のお風呂のカビみたいに普通過ぎて、聞き飽きているだろうし。
あぁ、なんて切り出したらいいかしら?
そんなどーしよーもないことをついつい考えてしまう。
でも、そんなことを考える一方で、
本当に会いたい作家は別にいる、とも思っている。
どれほど会いたくても、もう会うことの叶わない作家たちだ。
フロベール、モーパッサン、プルースト、ヴォルテールにスタンダール。
招待国ロシアということで、ドストエフスキーにトルストイとか。
新しい本も読むし、子どもの本も読むのだけれど、
どうやら最近の嗜好はぐっと昔を向いている。
スタンダールの「パルムの僧院」は道半ばで浮気したままだから
これをなんとか読み終えたいと思っているし、
「アンナ・カレーニナ」も読みたいと思って本だけ買ってある。
今年は長編小説をひたすら読む年にしようかなぁ。
ある程度年齢を重ねてから読む古典って、
若い頃に読むのとはまたひと味違った味があると思うのだ。
いまは無性に長い物語が読みたい。
わたしもようやく「お年頃」に達したかな。
わたしはそわそわしてなんとなく落ち着かない。
パリの書籍見本市(サロン・デュ・リーブル)があるからだ。
今年のサロンも今週の金曜日から始まる。
本を探しにいくのも楽しみだし、
作家の姿を垣間見られるのもすごく嬉しい。
運が良ければ(時間があえば)本にサインしてもらうこともできる。
一昨年のサロンでは、敬愛する作家にサインを貰っただけでなく、
人が少ないのをいいことに結構長くお喋りすることも出来て、
天国に昇ったような気分で帰って来た。
去年はまた別な作家にあいたかったのだけど、時間が合わず断念。
今年は、あの人と、あの人と、あの人が来るかなぁ?
そんな期待を込めて、サイトをせっせと眺めている。
でも、運良く会えて話す機会があったとして、さて何から言おう。
そんなことも考えてしまう。
長いこと片思いして来た人に、一体どう話を切り出したら良いものか。
こちらの気持ちばっかり風船みたいに膨らんでしまっていて、
反対に相手はこちらのことは何も知らない。
そんなアンバランスさの中で、言葉なんて簡単に出るものじゃない。
おまけに相手は「あなたの書く本が好きで、、、」なんて言葉は、
もう梅雨時のお風呂のカビみたいに普通過ぎて、聞き飽きているだろうし。
あぁ、なんて切り出したらいいかしら?
そんなどーしよーもないことをついつい考えてしまう。
でも、そんなことを考える一方で、
本当に会いたい作家は別にいる、とも思っている。
どれほど会いたくても、もう会うことの叶わない作家たちだ。
フロベール、モーパッサン、プルースト、ヴォルテールにスタンダール。
招待国ロシアということで、ドストエフスキーにトルストイとか。
新しい本も読むし、子どもの本も読むのだけれど、
どうやら最近の嗜好はぐっと昔を向いている。
スタンダールの「パルムの僧院」は道半ばで浮気したままだから
これをなんとか読み終えたいと思っているし、
「アンナ・カレーニナ」も読みたいと思って本だけ買ってある。
今年は長編小説をひたすら読む年にしようかなぁ。
ある程度年齢を重ねてから読む古典って、
若い頃に読むのとはまたひと味違った味があると思うのだ。
いまは無性に長い物語が読みたい。
わたしもようやく「お年頃」に達したかな。
by poirier_AAA
| 2015-03-16 23:41
| 日々の断片
|
Comments(8)
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saheizi-inokori at 2015-03-17 08:39
私はいまごろになってやっと古典の再読をしようかという気持ちになりました、、なっただけ、、次から次へと新しい本が現出するのが困る。
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Mtonosama at 2015-03-17 09:10
書籍見本市にはル・クレジオも来ますか?
会いたいなどとは畏れおおくていえませんが、せめて見てみたい。
私は子どもの頃から芥川龍之介が好きで、
なんと引越し先は彼が逗留した東屋旅館のすぐ近く。
芥川に呼ばれて越してきた、と勝手に思いこんでいます。
会いたいなどとは畏れおおくていえませんが、せめて見てみたい。
私は子どもの頃から芥川龍之介が好きで、
なんと引越し先は彼が逗留した東屋旅館のすぐ近く。
芥川に呼ばれて越してきた、と勝手に思いこんでいます。
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kotoko_s at 2015-03-17 10:45
今年もその季節がやってきたのですね。
片思いのような感覚、というのはよくわかります^^
私はいつ頃からか、新しい作家にほとんど手が伸びなくなってしまいました。
それではまずいと思うのですが、古典と言われるような本を背伸びして早くに読んでしまい、私の頭ではまったくわかりもせず、残りもせず。
子どもの頃に出会いたい本があり、また、ある程度人生を生きてきて初めて入ってくる本があるのだと思います。何より、読むのが恐ろしく遅いので(手遊びばっかりしてますし)、もう古いものだけで今生はおしまいでしょう^^
ドストエフスキーは大好きです。会ってみたかった作家のひとりですね。
片思いのような感覚、というのはよくわかります^^
私はいつ頃からか、新しい作家にほとんど手が伸びなくなってしまいました。
それではまずいと思うのですが、古典と言われるような本を背伸びして早くに読んでしまい、私の頭ではまったくわかりもせず、残りもせず。
子どもの頃に出会いたい本があり、また、ある程度人生を生きてきて初めて入ってくる本があるのだと思います。何より、読むのが恐ろしく遅いので(手遊びばっかりしてますし)、もう古いものだけで今生はおしまいでしょう^^
ドストエフスキーは大好きです。会ってみたかった作家のひとりですね。
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およう
at 2015-03-17 17:37
x
今日も楽しく拝読・・・トルストイやドストエフスキーまで登場でカップのコーヒーがこぼれ落ちそうでした^^
繊細なBくんの言葉 "ママン、気をつけた方がいいと思うよ"が又頭を霞めました!(^^)!
繊細なBくんの言葉 "ママン、気をつけた方がいいと思うよ"が又頭を霞めました!(^^)!
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poirier_AAA at 2015-03-17 20:59
>saheiziさん、こんにちは。
日本にいるととにかく出版される本が多いし、ありとあらゆる種類の本があちこちで紹介されるしで、敢えて古典に手を出さなくても済んでしまいそうですよね。
わたしは毎日相手にしている人(子ども)が若くて日々難しい質問を投げかけて来るので、なんだか無性に古典を読みたい気持ちなのです。
日本にいるととにかく出版される本が多いし、ありとあらゆる種類の本があちこちで紹介されるしで、敢えて古典に手を出さなくても済んでしまいそうですよね。
わたしは毎日相手にしている人(子ども)が若くて日々難しい質問を投げかけて来るので、なんだか無性に古典を読みたい気持ちなのです。
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poirier_AAA at 2015-03-17 21:04
>Mtonosamaさん、こんにちは。
あぁ、ル・クレジオが来たら凄いですねぇ。他にも重鎮はたくさんいるけれど、ル・クレジオはなかなか会えないという点で、緊張の度合いが一桁違うだろうと思います。いやぁ、ル・クレジオご本人を見られたら、わたしもすごく嬉しいなぁ。。。。
とのさんは、芥川に深い縁を感じていらっしゃるのですね。
わたしは誰かなぁ。。。。
そこまで心酔する作家がいるって、素敵なことですね。
あぁ、ル・クレジオが来たら凄いですねぇ。他にも重鎮はたくさんいるけれど、ル・クレジオはなかなか会えないという点で、緊張の度合いが一桁違うだろうと思います。いやぁ、ル・クレジオご本人を見られたら、わたしもすごく嬉しいなぁ。。。。
とのさんは、芥川に深い縁を感じていらっしゃるのですね。
わたしは誰かなぁ。。。。
そこまで心酔する作家がいるって、素敵なことですね。
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poirier_AAA at 2015-03-17 21:21
>kotokoさん、こんにちは。
わたしは雑食性なので何でも読むのですが、やっぱり現代の作家が書いた本と古典と言われる本とでは描かれていることの密度が全然違うような気がしています。で、それは単なる出来事の量や質の問題に限らず、人間の密度の違い、人間観察の密度の違いではないかと思うんですね。今は、、、これは特に日本の若い人(旅行できている人たちですけど)を見ていて感じるのですが、目の前にいる人を見ずに何かの画面を覗き込み続けている、その生身の人に対する無関心さと同じ種類のスカスカ感ではないかと思っているのです。
良くも悪くも、生きるって綺麗ごとでは済みませんよね。そう思って腹を据えて、みっともない自分も全部抱え込んで生きていく、古典の中にはそう言う人たちがきちんといると思います。だからどんなに古い時代の本でも、読むと心を揺さぶられるし勇気ももらえる。ドストエフスキーなんて凄いですよね。わたしも会ってみたかったです。
わたしは雑食性なので何でも読むのですが、やっぱり現代の作家が書いた本と古典と言われる本とでは描かれていることの密度が全然違うような気がしています。で、それは単なる出来事の量や質の問題に限らず、人間の密度の違い、人間観察の密度の違いではないかと思うんですね。今は、、、これは特に日本の若い人(旅行できている人たちですけど)を見ていて感じるのですが、目の前にいる人を見ずに何かの画面を覗き込み続けている、その生身の人に対する無関心さと同じ種類のスカスカ感ではないかと思っているのです。
良くも悪くも、生きるって綺麗ごとでは済みませんよね。そう思って腹を据えて、みっともない自分も全部抱え込んで生きていく、古典の中にはそう言う人たちがきちんといると思います。だからどんなに古い時代の本でも、読むと心を揺さぶられるし勇気ももらえる。ドストエフスキーなんて凄いですよね。わたしも会ってみたかったです。
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poirier_AAA at 2015-03-17 21:27
>おようさん、こんにちは。
100年200年と時間が経った後でも愛されているものって(小説でも音楽でも)、やっぱりそれなりに理由があるんだと思います。自分の祖父母の世代だけでなく、それをはるかに越えた先人たちの声をきくことができるのですから、考えてみたらものすごく貴重なことですよね。
こんなふうに生活の外に気持ちが飛んでいってしまう母親は、子どもから見ると「なんだか心配だなぁ〜」と見えるかもしれませんね(笑)
100年200年と時間が経った後でも愛されているものって(小説でも音楽でも)、やっぱりそれなりに理由があるんだと思います。自分の祖父母の世代だけでなく、それをはるかに越えた先人たちの声をきくことができるのですから、考えてみたらものすごく貴重なことですよね。
こんなふうに生活の外に気持ちが飛んでいってしまう母親は、子どもから見ると「なんだか心配だなぁ〜」と見えるかもしれませんね(笑)