2014年 04月 30日
親というもの |
ここのところ良く「親とはなんだ」と考える。
親子の在り方といっても親子の数だけパターンがあるわけで
「これが正しい親子の在り方です」なんて型などない。
よしんばそんなものが存在したとしても、
じゃあこのとおりにして下さい、と言われたところで困るだけだ。
人の数だけ、その環境の数だけ、いろんな親子の形がある。
自分で子どもを育てるようになって、
親というものはどうあれば良いのだろう、などと考えるようになり、
自分が子どもだったときの親のことを思い返すようになった。
そうして初めて、
この年になって初めて意識した。
そうか、わたしの両親は生みの親だ。
彼らは育ての親ではなかった。
大したことではないながらもいろいろ事情があって、
実際にわたしを育ててくれたのは祖父母だった。
息子たちは何かあればわたしにしがみついて来る。
大好きだよ、と甘えて来ることもあるし、
怖くてたまらない時に不安を鎮めるために抱きついて来ることもある。
甘えて、ふざけて、怒らせて、笑わせて、泣かせて、話して、
そうして親に全力でぶつかってくる。
思い返してみると、自分が親にそんなふうにぶつかった記憶がないのだ。
わたしがしがみつくことのできた相手は祖母だった。
祖父が死んで、
しばらくして祖母も死んで、
あのとき自分の中のものすごく大事だったものが消えた。
とはいえ、それを言い立てて親を軽んじるつもりは全然ない。
ことを荒立てても何も生まれないし何もかわらない。
ただ、そんな心のどこかに、
偽らない自分をさらけ出すことができたら、とか
いま息子たちがしているようにどっぷり甘えることはできないだろうか、
などと夢見る「小さなときのままの自分」が確かにいるような気がする。
そんな幼い娘のままの自分を意識する一方で、
年を経るにつれ、ますますゆとりも想像力もなくなっていく親がいる。
冷静な大人としては思う。
もう求めては駄目なのだ、相手を受け入れ、受け止める立場になったのだ。
問題は、腹の底では決してそれに納得できていないということだ。
結局のところ、頭ではわかっているつもりでも、
「こんな親、こんな親子関係であってほしかった」から抜け出せないのである。
相手の無自覚を許せないような気持ちになってしまうのである。
これにはほとほと参った。
穏やかな人と家庭を持って、
人の親となって、
ようやく人の心を思うゆとりを持って生きて行かれそうな気がして来たのに、
両親がそこに入り込んで来ると途端に気持ちがかき乱される。
なんのことはない、自分の一番根っこの部分が酷く捩れたままだ。
これが間違いなく自分の一番見たくなかった部分だな。
親というものは、あるいは家族というものは
そうやって人の上に簡単には解けない問いを投げかけるためにあるか。
一生かかって咀嚼していくしかないモノを与えるためにあるか。
考えてみれば当然だ。
これが人にとっては一番基本の人間関係なのだから。
泣き言や文句でごまかしていたら、たぶん一生大人になれない。
無視して逃げたらきっと後悔する。
腹を据えて受け止めて、目を反らさないで向きあうしかないんだろう。
自分の未熟さに今更ながら気がついて、苦笑いするばかりの春。
こんなこと聞かされたってねぇ、、、、と言われるのは重々承知。
ちょっと自分の気持ちを整理したくて書きました。
コメント欄は閉めないけれど、さらっと無視して下さい。
親子の在り方といっても親子の数だけパターンがあるわけで
「これが正しい親子の在り方です」なんて型などない。
よしんばそんなものが存在したとしても、
じゃあこのとおりにして下さい、と言われたところで困るだけだ。
人の数だけ、その環境の数だけ、いろんな親子の形がある。
自分で子どもを育てるようになって、
親というものはどうあれば良いのだろう、などと考えるようになり、
自分が子どもだったときの親のことを思い返すようになった。
そうして初めて、
この年になって初めて意識した。
そうか、わたしの両親は生みの親だ。
彼らは育ての親ではなかった。
大したことではないながらもいろいろ事情があって、
実際にわたしを育ててくれたのは祖父母だった。
息子たちは何かあればわたしにしがみついて来る。
大好きだよ、と甘えて来ることもあるし、
怖くてたまらない時に不安を鎮めるために抱きついて来ることもある。
甘えて、ふざけて、怒らせて、笑わせて、泣かせて、話して、
そうして親に全力でぶつかってくる。
思い返してみると、自分が親にそんなふうにぶつかった記憶がないのだ。
わたしがしがみつくことのできた相手は祖母だった。
祖父が死んで、
しばらくして祖母も死んで、
あのとき自分の中のものすごく大事だったものが消えた。
とはいえ、それを言い立てて親を軽んじるつもりは全然ない。
ことを荒立てても何も生まれないし何もかわらない。
ただ、そんな心のどこかに、
偽らない自分をさらけ出すことができたら、とか
いま息子たちがしているようにどっぷり甘えることはできないだろうか、
などと夢見る「小さなときのままの自分」が確かにいるような気がする。
そんな幼い娘のままの自分を意識する一方で、
年を経るにつれ、ますますゆとりも想像力もなくなっていく親がいる。
冷静な大人としては思う。
もう求めては駄目なのだ、相手を受け入れ、受け止める立場になったのだ。
問題は、腹の底では決してそれに納得できていないということだ。
結局のところ、頭ではわかっているつもりでも、
「こんな親、こんな親子関係であってほしかった」から抜け出せないのである。
相手の無自覚を許せないような気持ちになってしまうのである。
これにはほとほと参った。
穏やかな人と家庭を持って、
人の親となって、
ようやく人の心を思うゆとりを持って生きて行かれそうな気がして来たのに、
両親がそこに入り込んで来ると途端に気持ちがかき乱される。
なんのことはない、自分の一番根っこの部分が酷く捩れたままだ。
これが間違いなく自分の一番見たくなかった部分だな。
親というものは、あるいは家族というものは
そうやって人の上に簡単には解けない問いを投げかけるためにあるか。
一生かかって咀嚼していくしかないモノを与えるためにあるか。
考えてみれば当然だ。
これが人にとっては一番基本の人間関係なのだから。
泣き言や文句でごまかしていたら、たぶん一生大人になれない。
無視して逃げたらきっと後悔する。
腹を据えて受け止めて、目を反らさないで向きあうしかないんだろう。
自分の未熟さに今更ながら気がついて、苦笑いするばかりの春。
こんなこと聞かされたってねぇ、、、、と言われるのは重々承知。
ちょっと自分の気持ちを整理したくて書きました。
コメント欄は閉めないけれど、さらっと無視して下さい。
by poirier_AAA
| 2014-04-30 18:19
| 思い出す
|
Comments(14)
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at 2014-05-01 00:10
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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at 2014-05-01 06:13
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
わたしも祖父母の多い家に育ち、親戚中で一番最初の子どもとあって、大人たちから珍しがられ可愛がられました。
特に母方の祖母になつき、長期の休みの度に滞在し、楽しい思いをしました。でも、これって母の身にとっては面白いことではなかったのかな、と・・・
大人になってようやくわかる母の気持です。
みんな死んでしまった今でも「父は、母は、なんであんなひどいことを言ったのだろう」と恨みに思ったり、話しかけたりしています。あの世に行っても家族なんですね。
特に母方の祖母になつき、長期の休みの度に滞在し、楽しい思いをしました。でも、これって母の身にとっては面白いことではなかったのかな、と・・・
大人になってようやくわかる母の気持です。
みんな死んでしまった今でも「父は、母は、なんであんなひどいことを言ったのだろう」と恨みに思ったり、話しかけたりしています。あの世に行っても家族なんですね。
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hellebow at 2014-05-01 09:48
同感です。わたしも親との関係で小さなわだかまりがあって、本当にそれはどうしようもない状況であったとわかっているのに、どうしてもそこから抜け出せない自分がいます。(というか、何かのきっかけでその部分が出てきてしまう)でも、きっとほとんどの人が親に対してそんなのを持っているんじゃないかなあ。どうやったらそこを消化できるんだろう。
だんなはずっと弟の方が母親に愛されていると思っていたけど、死に際に「お前が一番お気に入りの息子だったよ」といわれたそうです。50年以上それに苦しんでいたというのにね。
でも今でも弟に対しては文句が多いですけどね。笑
だんなはずっと弟の方が母親に愛されていると思っていたけど、死に際に「お前が一番お気に入りの息子だったよ」といわれたそうです。50年以上それに苦しんでいたというのにね。
でも今でも弟に対しては文句が多いですけどね。笑
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saheizi-inokori at 2014-05-01 11:09
まったく、親子ってやっかいなものです。
もっと恬淡としていられればいいのに、いなくなった後も引きづって生きています。
もっと恬淡としていられればいいのに、いなくなった後も引きづって生きています。
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poirier_AAA at 2014-05-01 16:56
>鍵コメKさん、こんにちは。
親との関係って難しいなぁとつくづく思います。わたしも、ようやくこうして言葉にできるようになりました。これまでは冷静に書くことすら出来ませんでしたもの。少しは自分も変わってきたということだろうかと(少し自分に都合が良すぎるかなと思いながらも)考えています。
こんなことを人様に向かって話すものじゃないですよね。でも、他人の目にさらすと思うからこそ頭を冷やして書けるということもあり、思い切って書いてみることにしたのです。鍵コメさんから真っ先にこうしてコメントを頂戴して、書かなければ良かったかなぁと迷っていた心が落ち着きました。どうもありがとうございました。
親との関係って難しいなぁとつくづく思います。わたしも、ようやくこうして言葉にできるようになりました。これまでは冷静に書くことすら出来ませんでしたもの。少しは自分も変わってきたということだろうかと(少し自分に都合が良すぎるかなと思いながらも)考えています。
こんなことを人様に向かって話すものじゃないですよね。でも、他人の目にさらすと思うからこそ頭を冷やして書けるということもあり、思い切って書いてみることにしたのです。鍵コメさんから真っ先にこうしてコメントを頂戴して、書かなければ良かったかなぁと迷っていた心が落ち着きました。どうもありがとうございました。
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poirier_AAA at 2014-05-01 17:20
>鍵コメAさん、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。
わたしも「小さい子」が育って追いついてくれれば良いなぁと思います。でも、実際問題そんなことってあり得るんでしょうか。自分一人で解決できることではないし、相手との関係も少しずつ変化して行くし、ひょっとしたら永久に追いかけっこなのかもしれませんよ。
年をとって夢と現実の境界があいまいになって来たら、ふとした言葉や思い出に反応して幼女返りしてしまうかもしれない(でもそのときは周りの人が日本語がわからなくて困っちゃうかも)なんてふっと思いました。
コメント、ありがとうございます。
わたしも「小さい子」が育って追いついてくれれば良いなぁと思います。でも、実際問題そんなことってあり得るんでしょうか。自分一人で解決できることではないし、相手との関係も少しずつ変化して行くし、ひょっとしたら永久に追いかけっこなのかもしれませんよ。
年をとって夢と現実の境界があいまいになって来たら、ふとした言葉や思い出に反応して幼女返りしてしまうかもしれない(でもそのときは周りの人が日本語がわからなくて困っちゃうかも)なんてふっと思いました。
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poirier_AAA at 2014-05-02 00:26
>とのさん、こんにちは。
ありますねぇ、わたしも。「どうしてあのとき、あの人はあんな台詞を口にしたのだろう?」。家族間に限ったことでなく、人と付き合っている限りは必ずどこかで出会うことなのかもしれませんね。
そんなことを考えていると、結局人ってものすごく社会的な生き物なんだなぁと思うのです。完全に隠者として世間を断って生きることなんてほぼ不可能で、「自分」という存在すら相対的にならざるを得ないと言うか。。。。
「子を持ってわかる親の心」は、いままさに体験しているところです。生意気で口が達者な娘でしたから、親も扱いにくかったんだろうなぁ、なんて^^。
ありますねぇ、わたしも。「どうしてあのとき、あの人はあんな台詞を口にしたのだろう?」。家族間に限ったことでなく、人と付き合っている限りは必ずどこかで出会うことなのかもしれませんね。
そんなことを考えていると、結局人ってものすごく社会的な生き物なんだなぁと思うのです。完全に隠者として世間を断って生きることなんてほぼ不可能で、「自分」という存在すら相対的にならざるを得ないと言うか。。。。
「子を持ってわかる親の心」は、いままさに体験しているところです。生意気で口が達者な娘でしたから、親も扱いにくかったんだろうなぁ、なんて^^。
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poirier_AAA at 2014-05-02 00:50
>hellebowさん、こんにちは。
本当に、消化できることなんてあるんだろうかとわたしも思います。
たぶん(想像の世界ですけれど)、どんな人にも「解消しがたい悩み」ってあるんですよね。人によって程度の差もあるし、親子間、兄弟姉妹間、友人間といった違いはあるでしょうが。ただ、子どものころのことって自分のいる場所が全世界ですから、受けるショックも大きいです。人には何でもないように見えることでも、どうしても割り切れなかったりして、、、、難しいなぁと思いますね。
うちは双子なのですが、ときどき片方から「ボクより○○の方が好きなんじゃないの?」と言われることがあって驚きます。同じように愛しているつもりでも、どこかで無意識に差が出ているんだろうか?と自問したりして。わたしもこころして子どもに対するようにしましょう。
本当に、消化できることなんてあるんだろうかとわたしも思います。
たぶん(想像の世界ですけれど)、どんな人にも「解消しがたい悩み」ってあるんですよね。人によって程度の差もあるし、親子間、兄弟姉妹間、友人間といった違いはあるでしょうが。ただ、子どものころのことって自分のいる場所が全世界ですから、受けるショックも大きいです。人には何でもないように見えることでも、どうしても割り切れなかったりして、、、、難しいなぁと思いますね。
うちは双子なのですが、ときどき片方から「ボクより○○の方が好きなんじゃないの?」と言われることがあって驚きます。同じように愛しているつもりでも、どこかで無意識に差が出ているんだろうか?と自問したりして。わたしもこころして子どもに対するようにしましょう。
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poirier_AAA at 2014-05-02 00:55
>saheiziさん、こんにちは。
やっかいだけれど、たぶんこれがなければ今の自分もないんでしょうね。
佐平次さんが昨日の本の紹介で「これが彼の通奏低音」と書いていらっしゃるのを読んで、ならば自分の通奏低音はこれかな、と思いながら書きました。
やっかいだけれど、たぶんこれがなければ今の自分もないんでしょうね。
佐平次さんが昨日の本の紹介で「これが彼の通奏低音」と書いていらっしゃるのを読んで、ならば自分の通奏低音はこれかな、と思いながら書きました。
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at 2014-05-06 16:23
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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poirier_AAA at 2014-05-06 18:36
>鍵コメtさん、はじめまして。
こういう極めて個人的な感情はできれば人前に出したくないし、そもそも出すものではない、というような気持ちがありました。それを敢えて書いてみる気になったのは、ここに書いて人の目に曝すことでいくらか客観的な視点を持てるようになるかもしれないと思ったからなのですが、いくつかコメントを頂戴するうちに、お顔も存じ上げない人たちと根っこが繋がっているような気持ちになりました。
家族、親戚、ご近所、学校、職場、、、考えてみると個人の人間関係のほとんどは外からあてがわれたものですよね。その中でどうやって自分を幸せにするか、どうやってよりよい人間関係を築くか、生きるということは常に人との関係を探っていくことなんだなと思います。その一番の出発点が「親子」で。できることならその出発点を否定することなく、自分の中の「小さな女の子」を大事にしながら上手く共存していきたいですね。
思い切って書いた記事にあたたかいコメントを頂戴し、わたしも支えを頂いた気持ちです。ありがとうございました。
こういう極めて個人的な感情はできれば人前に出したくないし、そもそも出すものではない、というような気持ちがありました。それを敢えて書いてみる気になったのは、ここに書いて人の目に曝すことでいくらか客観的な視点を持てるようになるかもしれないと思ったからなのですが、いくつかコメントを頂戴するうちに、お顔も存じ上げない人たちと根っこが繋がっているような気持ちになりました。
家族、親戚、ご近所、学校、職場、、、考えてみると個人の人間関係のほとんどは外からあてがわれたものですよね。その中でどうやって自分を幸せにするか、どうやってよりよい人間関係を築くか、生きるということは常に人との関係を探っていくことなんだなと思います。その一番の出発点が「親子」で。できることならその出発点を否定することなく、自分の中の「小さな女の子」を大事にしながら上手く共存していきたいですね。
思い切って書いた記事にあたたかいコメントを頂戴し、わたしも支えを頂いた気持ちです。ありがとうございました。
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at 2014-05-07 11:38
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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by
poirier_AAA at 2014-05-07 16:56
>鍵コメtさん、こんにちは。
そうですね、「いろいろあったけれど、それでも良し」と思って締めくくれるような生き方をしたいと、わたしも思います。傲慢に聞こえるかもしれないですが、結局のところ自分を幸せにできるのは自分しかいない、という気持ちです。
鍵コメさんも、どうぞ風薫る5月を楽しくお過ごし下さいね。
そうですね、「いろいろあったけれど、それでも良し」と思って締めくくれるような生き方をしたいと、わたしも思います。傲慢に聞こえるかもしれないですが、結局のところ自分を幸せにできるのは自分しかいない、という気持ちです。
鍵コメさんも、どうぞ風薫る5月を楽しくお過ごし下さいね。