2013年 12月 03日
故郷とはなんぞや |
カンボジアの話ですっかり沈み込んでしまった心を、
なんとか明るい方に向けることはできないか。
そんな気持ちで次なる読み物を探していて、ふっと手に取った。
水上勉「故郷」。
裏表紙の紹介文を読む限り、明るい話ではなかろうと思った。
それが、始めの50ページほどを読んでいるうちに、
心に抱えていた恐ろしさと悲しさがすうっと鎮まって来たので驚いた。
決して劇的な話ではないのである。
アメリカから若狭に、はるばる親を訪ねて来た若い娘がいる。
同じアメリカから、老後の安住の地を探そうと戻って来た壮年の夫婦がいる。
彼らそれぞれの故郷には、そこにずっと暮らす人々がいる。
彼らの親族には、故郷を離れて日本の各地で懸命に生きる者がいる。
そんな人々の渦の中心にあるのが、若狭という土地だ。
水上勉は、その若狭の風景を丁寧に丁寧に描いてみせる。
日本の海と山、狭い大地にへばりつくように点在する農村の姿が浮かんだ。
若狭ではないけれど、田舎のおじさんやおばさんの口調が耳に蘇って来た。
飾りもせず、卑下することもなく、そこにあったとおりの、
記憶に残る自分の田舎とそこに生きる人の姿が脳裏に蘇った。
そんな風光明媚な美しい土地に、原発がある。
あるどころの話ではない、若狭は原発銀座とまで呼ばれる場所だ。
貧しい土地で、これまで家を守って懸命に生きて来た家族が、
まさにその「家」という存在のために翻弄される。
守ろうとして来た「家」のせいで、離散してしまった家族もいる。
ここまでたくさん建ってしまった原発も、
実はそんな家族や家の問題と決して無縁ではない。
日本の美しい原風景は、そんな人々の喘ぎの中で少しずつ削られて来た。
といって、この話、別に何かを誰かを糾弾しているのでもない。
ある意味、なるべくしてここまでになってしまった、
その現実と向き合いながら、
では、故郷とは何か、人の縁とは何かと問いかけて来るのである。
アメリカから帰国する者だけの話ではない。
故郷を離れて別な土地に生きる者にとって、
生まれた場所にずっと生きている者にとって、
その心に抱く「故郷」とは何ぞや。
原発のある村の話と読むことも出来るだろうし、
長い間海外に暮らした者が日本に戻ろうと考える話、とも読める。
失ってしまった懐かしい日本の田園風景を懐かしむこともできるし、
日本の「家」制度を考えることもできる。
家族のそれぞれが必死になって生きている話でもある。
そういうもの一切合切ひっくるめての「故郷」の話。
こういう言い方ってとても傲慢だと思うけれど、
久しぶりに「きちんとした」物語を読ませてもらったと思った。
きちんとした日本語、でもあった。
物語と言葉遣いの両方で、噴き出していた血を止めてもらった。
いずれにせよ、日本であろうがカンボジアであろうが、
さまざまな過去の傷痕や生々しい傷を抱えて生活は続いて行く。
わたしたちは、何があっても目の前の1日を懸命に生きる、それだけだ。
一所懸命生きて、何が大事かと真剣に考える、
なにもかもそこからしか始まらない。
登場人物の言葉が柔らかかったのが印象的だった。
あぁ確かに、少し前までは人はこんな風に言葉を使っていた。
いつの間に日本語はこんなに素っ気ない言葉になってしまったんだろう。
発せられた言葉のあたたかさ、重さに、
ほろほろと心も解けた秋の夜。
なんとか明るい方に向けることはできないか。
そんな気持ちで次なる読み物を探していて、ふっと手に取った。
水上勉「故郷」。
裏表紙の紹介文を読む限り、明るい話ではなかろうと思った。
それが、始めの50ページほどを読んでいるうちに、
心に抱えていた恐ろしさと悲しさがすうっと鎮まって来たので驚いた。
決して劇的な話ではないのである。
アメリカから若狭に、はるばる親を訪ねて来た若い娘がいる。
同じアメリカから、老後の安住の地を探そうと戻って来た壮年の夫婦がいる。
彼らそれぞれの故郷には、そこにずっと暮らす人々がいる。
彼らの親族には、故郷を離れて日本の各地で懸命に生きる者がいる。
そんな人々の渦の中心にあるのが、若狭という土地だ。
水上勉は、その若狭の風景を丁寧に丁寧に描いてみせる。
日本の海と山、狭い大地にへばりつくように点在する農村の姿が浮かんだ。
若狭ではないけれど、田舎のおじさんやおばさんの口調が耳に蘇って来た。
飾りもせず、卑下することもなく、そこにあったとおりの、
記憶に残る自分の田舎とそこに生きる人の姿が脳裏に蘇った。
そんな風光明媚な美しい土地に、原発がある。
あるどころの話ではない、若狭は原発銀座とまで呼ばれる場所だ。
貧しい土地で、これまで家を守って懸命に生きて来た家族が、
まさにその「家」という存在のために翻弄される。
守ろうとして来た「家」のせいで、離散してしまった家族もいる。
ここまでたくさん建ってしまった原発も、
実はそんな家族や家の問題と決して無縁ではない。
日本の美しい原風景は、そんな人々の喘ぎの中で少しずつ削られて来た。
といって、この話、別に何かを誰かを糾弾しているのでもない。
ある意味、なるべくしてここまでになってしまった、
その現実と向き合いながら、
では、故郷とは何か、人の縁とは何かと問いかけて来るのである。
アメリカから帰国する者だけの話ではない。
故郷を離れて別な土地に生きる者にとって、
生まれた場所にずっと生きている者にとって、
その心に抱く「故郷」とは何ぞや。
原発のある村の話と読むことも出来るだろうし、
長い間海外に暮らした者が日本に戻ろうと考える話、とも読める。
失ってしまった懐かしい日本の田園風景を懐かしむこともできるし、
日本の「家」制度を考えることもできる。
家族のそれぞれが必死になって生きている話でもある。
そういうもの一切合切ひっくるめての「故郷」の話。
こういう言い方ってとても傲慢だと思うけれど、
久しぶりに「きちんとした」物語を読ませてもらったと思った。
きちんとした日本語、でもあった。
物語と言葉遣いの両方で、噴き出していた血を止めてもらった。
いずれにせよ、日本であろうがカンボジアであろうが、
さまざまな過去の傷痕や生々しい傷を抱えて生活は続いて行く。
わたしたちは、何があっても目の前の1日を懸命に生きる、それだけだ。
一所懸命生きて、何が大事かと真剣に考える、
なにもかもそこからしか始まらない。
登場人物の言葉が柔らかかったのが印象的だった。
あぁ確かに、少し前までは人はこんな風に言葉を使っていた。
いつの間に日本語はこんなに素っ気ない言葉になってしまったんだろう。
発せられた言葉のあたたかさ、重さに、
ほろほろと心も解けた秋の夜。
by poirier_AAA
| 2013-12-03 20:20
| 日本語を読む
|
Comments(8)
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saheizi-inokori at 2013-12-03 22:08
若狭に行ってすぐ読んだのかな。
トポス、故郷かもしれないですね。
ロスとハイマー、それが現代の病根かもしれない。
トポス、故郷かもしれないですね。
ロスとハイマー、それが現代の病根かもしれない。
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yumiyane at 2013-12-03 23:53
20年くらい前に、鼻の手術で入院していた藤が丘の昭和医大病院の隣のベッドに、カンボジアから避難してきた女性がいました。
夫と息子と娘の4人で命からがら隣国に亡命して、その逃亡時の話を聞いて泣けました。その方も逃げる時の何かが原因で、そのとき放射線治療を受けていました。退院してから一度お宅を訪ねて行ったことがありましたが、元気でいらっしゃるかな。
故郷はいいです。歳を取ってからでしたが帰れた私は贅沢だと思っていますよ。姉妹もみんな帰ってくればいいのに、と思ってしまいます。いろいろ指さし確認状態です。だんだん方言も戻ってきているし。
夫と息子と娘の4人で命からがら隣国に亡命して、その逃亡時の話を聞いて泣けました。その方も逃げる時の何かが原因で、そのとき放射線治療を受けていました。退院してから一度お宅を訪ねて行ったことがありましたが、元気でいらっしゃるかな。
故郷はいいです。歳を取ってからでしたが帰れた私は贅沢だと思っていますよ。姉妹もみんな帰ってくればいいのに、と思ってしまいます。いろいろ指さし確認状態です。だんだん方言も戻ってきているし。
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fusk
at 2013-12-05 09:22
x
人生の半分以上を外地に住んでしまうと
言葉だけが「故郷」になってしまう気がします。
日本に帰っても何も欲しい物も食べたい物も無く。以前は山河だけが心休まるように思えましたが。それも住めば都になってきて。
これで友人達がいなくなったらもっと風化してしまうのかなあ。。。。と思ったりしています。
言葉だけが「故郷」になってしまう気がします。
日本に帰っても何も欲しい物も食べたい物も無く。以前は山河だけが心休まるように思えましたが。それも住めば都になってきて。
これで友人達がいなくなったらもっと風化してしまうのかなあ。。。。と思ったりしています。
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polepole-yururin at 2013-12-05 09:46
初めまして。
「故郷」私大飯原発稼働前に読みました。
私が子どもの時に行った海は福井でした。
福井に原発・・・知らない子どもが大人になり、故郷を思い私の思いで場所を訪ねました。
「故郷」について私も以前ブログに書きました。
水上勉さんの描写が、原発のある村の心情を伝えています。
今も底辺で、原発稼働に向けてうごいていますね、原発は・・・。秘密法後法案でどんどん見えなくなる社会がここにあります。故郷が無くなりませんようにと願うばかりです。
「故郷」私大飯原発稼働前に読みました。
私が子どもの時に行った海は福井でした。
福井に原発・・・知らない子どもが大人になり、故郷を思い私の思いで場所を訪ねました。
「故郷」について私も以前ブログに書きました。
水上勉さんの描写が、原発のある村の心情を伝えています。
今も底辺で、原発稼働に向けてうごいていますね、原発は・・・。秘密法後法案でどんどん見えなくなる社会がここにあります。故郷が無くなりませんようにと願うばかりです。
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poirier_AAA at 2013-12-05 17:10
>saheiziさん、こんにちは。
この本、確か佐平治さんから教えていただいた本です。若狭の鄙びた風情のある景色をいくつも見せていただいて、若狭という土地のことをもっと知りたくなったのです。期待に違わぬ、いい本でした。
わたしも遠くにいて故郷を思う者の一人として、終の住処を探そうとする夫婦に自分を重ねて読みました。でも、理想の故郷なんてあるわけもない。故郷は心に持つものなのかもしれないと思いました。
この本、確か佐平治さんから教えていただいた本です。若狭の鄙びた風情のある景色をいくつも見せていただいて、若狭という土地のことをもっと知りたくなったのです。期待に違わぬ、いい本でした。
わたしも遠くにいて故郷を思う者の一人として、終の住処を探そうとする夫婦に自分を重ねて読みました。でも、理想の故郷なんてあるわけもない。故郷は心に持つものなのかもしれないと思いました。
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poirier_AAA at 2013-12-05 17:32
>yumiyaneさん、こんにちは。
そのカンボジアの方たち、逃げられて良かった。本当に良かったですね。今も日本のどこかで元気に暮らしていらっしゃることを祈ります。
yumiyaneさんの出雲便りを拝見するたびに、いいところだなぁ、いつか行ってみたいなぁという気持ちが募ります。鉄道で行こうとすると少し面倒な場所で、わたしなどはそのせいで足が向かなかったのですが、下手に新幹線がびゅんびゅん行き交わなかったおかげでこの景色が残せているのかな、という気もしますね。
ところでお蕎麦の話ですが、是非打ってみて下さい。わたしはできませんが、弟は巧いです。手打ちの蕎麦は感動的に美味しいです。
そのカンボジアの方たち、逃げられて良かった。本当に良かったですね。今も日本のどこかで元気に暮らしていらっしゃることを祈ります。
yumiyaneさんの出雲便りを拝見するたびに、いいところだなぁ、いつか行ってみたいなぁという気持ちが募ります。鉄道で行こうとすると少し面倒な場所で、わたしなどはそのせいで足が向かなかったのですが、下手に新幹線がびゅんびゅん行き交わなかったおかげでこの景色が残せているのかな、という気もしますね。
ところでお蕎麦の話ですが、是非打ってみて下さい。わたしはできませんが、弟は巧いです。手打ちの蕎麦は感動的に美味しいです。
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poirier_AAA at 2013-12-05 17:42
>fuskさん、こんにちは。
故郷は遠きにありて思うもの、と言いますよね。
わたしは祖母が死んだ時に、自分の故郷の大部分が失われたような気がしました。今は血縁者が健在ですからまだ「帰る場所」がありますが、帰れる場所=故郷かというと、どうもそういうわけでもなさそうです。
まだ7年なので未熟なのかもしれませんが、わたしなんぞはまだまだ「日本の景色」に心が揺れますねぇ。フランスの景色もいい、でも日本のあのこぢんまりさ加減がときどき無性に懐かしくなります。
故郷は遠きにありて思うもの、と言いますよね。
わたしは祖母が死んだ時に、自分の故郷の大部分が失われたような気がしました。今は血縁者が健在ですからまだ「帰る場所」がありますが、帰れる場所=故郷かというと、どうもそういうわけでもなさそうです。
まだ7年なので未熟なのかもしれませんが、わたしなんぞはまだまだ「日本の景色」に心が揺れますねぇ。フランスの景色もいい、でも日本のあのこぢんまりさ加減がときどき無性に懐かしくなります。
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poirier_AAA at 2013-12-05 18:17
>polepole-yururinさん、はじめまして。
小さい頃は福井の海で泳がれたのですね。
わたしも場所は違いますが、海水浴と言うと日本海でした。
この本、確かに原発のことも書いているのですが、それも「故郷」が抱える病の1つ、というような書き方ですよね。積極的に糾弾もしないし容認もしない。わたしは、その距離を置いた扱い方に少しほっとする思いがしました。
原発は人の手におえない存在なので別格のように扱われますが、結局他のどの工場を呼んで来たとしても、何かしら古き善き故郷は損なわれて行くのだと思います。それでも呼ばざるを得ない地方の村の現状、中央(大企業)の驕り(今はそれが世界規模で行われています)を見直さないといけないのでしょうね。
とにかく一人一人が小さなことからきちんと考えて選んで行くしかないのでしょうが、、、ぎょっとするような話を簡単に持ち出す政治家たちに、これでは間にあわぬかもという恐怖を覚えます。
小さい頃は福井の海で泳がれたのですね。
わたしも場所は違いますが、海水浴と言うと日本海でした。
この本、確かに原発のことも書いているのですが、それも「故郷」が抱える病の1つ、というような書き方ですよね。積極的に糾弾もしないし容認もしない。わたしは、その距離を置いた扱い方に少しほっとする思いがしました。
原発は人の手におえない存在なので別格のように扱われますが、結局他のどの工場を呼んで来たとしても、何かしら古き善き故郷は損なわれて行くのだと思います。それでも呼ばざるを得ない地方の村の現状、中央(大企業)の驕り(今はそれが世界規模で行われています)を見直さないといけないのでしょうね。
とにかく一人一人が小さなことからきちんと考えて選んで行くしかないのでしょうが、、、ぎょっとするような話を簡単に持ち出す政治家たちに、これでは間にあわぬかもという恐怖を覚えます。