2013年 08月 22日
退屈しのぎ |
先頃3歳になった親戚の男の子は、
愚図った途端にスマートフォンのアプリで機嫌をとって貰って来た経験から、
今では簡単な動画やゲームは一人で操作して遊べるらしい。
えー、こんな小さい子にそういう遊び方を教えちゃうの?
驚愕し反撥していた夫とわたしだけれど、
この夏のヴァカンス中に、
あれひょっとしたら、これが最近の「普通の」子育てなのかも、
と感じるに至った。
ヴァカンスの目的地に向かって走っているのであろう車の中で、
後部座席の子どもたちがタブレットを抱え込んで何かを見ている。
なるほど、長いドライブの退屈しのぎだね。
ショッピングセンターの飲食コーナーに親子連れが来る。
それぞれ好きなものを買ってテーブルにつくと、
父親はノートパソコンでなにやら作業を始め、
母親はスマートフォンで友達とおしゃべりを始め、
男の子は1人でタブレットを前に遊び始めた。
なるほど、こうやって子どもが煩くないようにするのか。
大人数が集まる食事会や宴会で、
子どもたちは自分の食事が終わると時間を持て余してしまう。
これまでは走り回ったり、絵を描いたり、大人に話しかけたり、
ワインのコルクや小さい人形などで子ども同士で遊んでいたのが、
いつの間にやらタブレットを使う子どもが出現。
親が自分のスマートフォンで遊ばせていることもあるし、
小さいiPadを自分用に持っている子もいた。
もう脇目もふらずに1人で熱中している。
これ、5歳から10歳までの子どもの話。
親として正直なことを言えば、子どもって確かにすごく煩いのだ。
退屈するとやいのやいの言ってくるし、
眠くなると機嫌が悪くなるし、
こちらが他の人と話をしたいと思っていても、
一所懸命自分の方を向いてもらえるように邪魔しにかかるし。
だから、子どもが一発で熱中してしまうタブレットは、
親にとっては自分の自由を確保するための願ってもない助っ人なんだと思う。
でも、
わたしはやっぱり釈然としないんだなぁ。
まわりに生きて話して動いているものがいるのに、それを見ないんだ。
退屈して親にまとわりついて怒られる、それも1つの経験だよね。
なんとか知恵を絞って退屈を紛らわせてみる、そうやって何か考え出す。
まわりのものを観察したり知恵を絞ったりせずに過ごしてしまう子ども時代なんて、
なんだかものすごくもったいない気がする。
子ども時代の感性は、成人してしまってからの感性とは全然違うと思うから。
それに、
自分の退屈くらい自分でどうにかできなくてどうするよ!
なんてことも思うのだ。
なんてことはない、大人のわたしだって退屈で死んじゃいそうと思うことがある。
言葉がわからないのだもの。
自分から言いたいことが言えないのだもの。
でも、だからといって参加を拒否すればいいとか人を無視していればいいとか
そんな簡単なことじゃあないんだろうねと思うようになった。
言葉は役に立たなくとも、
いまここで、見るべきものを見、感ずるべきものを感じなければ、
このときはニ度と戻らないのだから、などと思う。
いや、そんな優等生的な考えだけじゃないかな。
退屈だから、いろんなことを(下世話なことまで含めて)考えて時間をつぶす。
じいっといろんな人を観察して、どんな人かなぁと考えてみる。
今日はこの店、お客が少ないけど大丈夫なんだろうか?とか。
カップルの雰囲気が変わっているようだけれど、何かあったのかしら?とか。
ポルトガルはこの先どうなるんだろう?とか。
考えるって、すごくいい退屈しのぎ&時間つぶしになる。
巧く言えないけれど、
退屈こそ思いがけない発想を生み出す原動力なのかもしれない。
退屈したくないばっかりに、人はいろんなことを考え出す。
退屈を知らなかったら、うわ〜これは!という発想は出て来ないかも。
未来を担う諸君、
タブレットを捨てて退屈で死にそうになってみようよ、
‥‥‥と、これは時代遅れ人の独り言。
愚図った途端にスマートフォンのアプリで機嫌をとって貰って来た経験から、
今では簡単な動画やゲームは一人で操作して遊べるらしい。
えー、こんな小さい子にそういう遊び方を教えちゃうの?
驚愕し反撥していた夫とわたしだけれど、
この夏のヴァカンス中に、
あれひょっとしたら、これが最近の「普通の」子育てなのかも、
と感じるに至った。
ヴァカンスの目的地に向かって走っているのであろう車の中で、
後部座席の子どもたちがタブレットを抱え込んで何かを見ている。
なるほど、長いドライブの退屈しのぎだね。
ショッピングセンターの飲食コーナーに親子連れが来る。
それぞれ好きなものを買ってテーブルにつくと、
父親はノートパソコンでなにやら作業を始め、
母親はスマートフォンで友達とおしゃべりを始め、
男の子は1人でタブレットを前に遊び始めた。
なるほど、こうやって子どもが煩くないようにするのか。
大人数が集まる食事会や宴会で、
子どもたちは自分の食事が終わると時間を持て余してしまう。
これまでは走り回ったり、絵を描いたり、大人に話しかけたり、
ワインのコルクや小さい人形などで子ども同士で遊んでいたのが、
いつの間にやらタブレットを使う子どもが出現。
親が自分のスマートフォンで遊ばせていることもあるし、
小さいiPadを自分用に持っている子もいた。
もう脇目もふらずに1人で熱中している。
これ、5歳から10歳までの子どもの話。
親として正直なことを言えば、子どもって確かにすごく煩いのだ。
退屈するとやいのやいの言ってくるし、
眠くなると機嫌が悪くなるし、
こちらが他の人と話をしたいと思っていても、
一所懸命自分の方を向いてもらえるように邪魔しにかかるし。
だから、子どもが一発で熱中してしまうタブレットは、
親にとっては自分の自由を確保するための願ってもない助っ人なんだと思う。
でも、
わたしはやっぱり釈然としないんだなぁ。
まわりに生きて話して動いているものがいるのに、それを見ないんだ。
退屈して親にまとわりついて怒られる、それも1つの経験だよね。
なんとか知恵を絞って退屈を紛らわせてみる、そうやって何か考え出す。
まわりのものを観察したり知恵を絞ったりせずに過ごしてしまう子ども時代なんて、
なんだかものすごくもったいない気がする。
子ども時代の感性は、成人してしまってからの感性とは全然違うと思うから。
それに、
自分の退屈くらい自分でどうにかできなくてどうするよ!
なんてことも思うのだ。
なんてことはない、大人のわたしだって退屈で死んじゃいそうと思うことがある。
言葉がわからないのだもの。
自分から言いたいことが言えないのだもの。
でも、だからといって参加を拒否すればいいとか人を無視していればいいとか
そんな簡単なことじゃあないんだろうねと思うようになった。
言葉は役に立たなくとも、
いまここで、見るべきものを見、感ずるべきものを感じなければ、
このときはニ度と戻らないのだから、などと思う。
いや、そんな優等生的な考えだけじゃないかな。
退屈だから、いろんなことを(下世話なことまで含めて)考えて時間をつぶす。
じいっといろんな人を観察して、どんな人かなぁと考えてみる。
今日はこの店、お客が少ないけど大丈夫なんだろうか?とか。
カップルの雰囲気が変わっているようだけれど、何かあったのかしら?とか。
ポルトガルはこの先どうなるんだろう?とか。
考えるって、すごくいい退屈しのぎ&時間つぶしになる。
巧く言えないけれど、
退屈こそ思いがけない発想を生み出す原動力なのかもしれない。
退屈したくないばっかりに、人はいろんなことを考え出す。
退屈を知らなかったら、うわ〜これは!という発想は出て来ないかも。
未来を担う諸君、
タブレットを捨てて退屈で死にそうになってみようよ、
‥‥‥と、これは時代遅れ人の独り言。
■
[PR]
by poirier_AAA
| 2013-08-22 17:48
| 日々の断片
|
Trackback
|
Comments(8)
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。
ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

同感。。。です。
雲や野原や(蚤も?笑)見るものってあるのですね。たっぷりと。
同じような向日葵畑だって、時によっては違うのに。
子供だけでなくて、大人も年寄りも。。。
どうもそう言う事を忘れがちのような。。。。勿体ない気がいつもします。
昔々のことでしたが
キャフェで隣のテーブルの人は、何の職業だろうかと?
親子で想像し合って話していて。
まさか尋ねて確かめはしませんでしたが。それなりに楽しい遊びでした。
雲や野原や(蚤も?笑)見るものってあるのですね。たっぷりと。
同じような向日葵畑だって、時によっては違うのに。
子供だけでなくて、大人も年寄りも。。。
どうもそう言う事を忘れがちのような。。。。勿体ない気がいつもします。
昔々のことでしたが
キャフェで隣のテーブルの人は、何の職業だろうかと?
親子で想像し合って話していて。
まさか尋ねて確かめはしませんでしたが。それなりに楽しい遊びでした。
今から20年前、日本に帰国した時、病院の待合室の中には何人もの子供がいましたが、全員点滴を打ちながら会話もなくゲームをする姿にゾッとしました。
それは新幹線の中でも同じで親子の会話は一切なし、子供にゲーム機を渡しておけば静かにしているからなんだなって思いました。
子供が静かにしていれば確かに大人にとっては楽でしょうね。
でも大人から叱られて覚えていく事だってあります。
子供と会話しないから子供の夢も今どんな事を考えているのか分からない。
今は梨の木さんがも目撃されたように家族がいても会話はなくそれぞれがネットの社会に溺れてる。
これは普通じゃなく異常な事だって私は思うんですよ。
子供は好奇心一杯だからいろんな事に興味を持って質問をする訳でしょ。静かにしなければ叱ればいいんですよ。
小さい時からゲームなんぞ渡されて静かにしているから怒られた経験もない。
“親からも怒られた事ないのに、なんで他人の貴女から言われなきゃいけないんですか?”これって仕事をする態度がなっていないから注意した私が27歳の新人さんから言われたセリフです。
それは新幹線の中でも同じで親子の会話は一切なし、子供にゲーム機を渡しておけば静かにしているからなんだなって思いました。
子供が静かにしていれば確かに大人にとっては楽でしょうね。
でも大人から叱られて覚えていく事だってあります。
子供と会話しないから子供の夢も今どんな事を考えているのか分からない。
今は梨の木さんがも目撃されたように家族がいても会話はなくそれぞれがネットの社会に溺れてる。
これは普通じゃなく異常な事だって私は思うんですよ。
子供は好奇心一杯だからいろんな事に興味を持って質問をする訳でしょ。静かにしなければ叱ればいいんですよ。
小さい時からゲームなんぞ渡されて静かにしているから怒られた経験もない。
“親からも怒られた事ないのに、なんで他人の貴女から言われなきゃいけないんですか?”これって仕事をする態度がなっていないから注意した私が27歳の新人さんから言われたセリフです。
その昔、書を捨てて街に出よう、なんてメッセージがあったことを
梨の木さんの文章を読んでて思い出しました。
お守り代わりのタブレットですが、私も電車の中で見ましたよ。
乳母車の中でぐずる子どもにおかあさんがタブレットを渡すと、
その子、お気に入りの鳥の場面を何度も何度もスルスルして
大人しくなりました。
へぇ~!って思いました。
梨の木さんの文章を読んでて思い出しました。
お守り代わりのタブレットですが、私も電車の中で見ましたよ。
乳母車の中でぐずる子どもにおかあさんがタブレットを渡すと、
その子、お気に入りの鳥の場面を何度も何度もスルスルして
大人しくなりました。
へぇ~!って思いました。
>鍵コメさん、こんにちは。
そうか、そうですね。確かに子どものころは退屈だなぁなんてことすら考えなかったですね。ぼんやりしている時間ですら畳の目をじいっと眺めたり、天井の木目を目で辿ったり、窓から山の色がかわっていくのを眺めたり。そういう時間がまた楽しかったですねぇ。
退屈って、だから大人の発想なんですね。
子どもが退屈しているだろうからと考えるのは大人だけで、子どもはいつだって何かしら見つけ出しているんだと思います。でも、その見つけ出したことや考えたことの話をされるのが鬱陶しくて、大人は自分との関わりを断ってくれるおもちゃを渡してしまうんでしょうね。
大人も子どもも、ぼんやりしている時間がないのは寂しいことです。夏休みにこれでもかというほどボンヤリと時間をすごしてきたわたしは、すっかり頭も空っぽになってリフレッシュしました(笑)。この空っぽ感が「さて頑張るか〜」の原動力です。
そうか、そうですね。確かに子どものころは退屈だなぁなんてことすら考えなかったですね。ぼんやりしている時間ですら畳の目をじいっと眺めたり、天井の木目を目で辿ったり、窓から山の色がかわっていくのを眺めたり。そういう時間がまた楽しかったですねぇ。
退屈って、だから大人の発想なんですね。
子どもが退屈しているだろうからと考えるのは大人だけで、子どもはいつだって何かしら見つけ出しているんだと思います。でも、その見つけ出したことや考えたことの話をされるのが鬱陶しくて、大人は自分との関わりを断ってくれるおもちゃを渡してしまうんでしょうね。
大人も子どもも、ぼんやりしている時間がないのは寂しいことです。夏休みにこれでもかというほどボンヤリと時間をすごしてきたわたしは、すっかり頭も空っぽになってリフレッシュしました(笑)。この空っぽ感が「さて頑張るか〜」の原動力です。
>fuskさん、こんにちは。
蚤は駄目です、蚤は(笑)。
もうあと数ヶ月の間は、小さくて黒っぽいものだけはご免ですよ。
日本人って、カフェにすわっても手元に何かないと手持ち無沙汰で居心地悪そうな顔をしていますよね。そこにいくと平気で一人でのんびり過ごしているフランス人は、ボンヤリ時間を過ごすのが上手いのかなぁと思ってしまいます。スマートフォンが出現してからというもの、そんな様子もずいぶん様変わりしましたけれど。
蚤は駄目です、蚤は(笑)。
もうあと数ヶ月の間は、小さくて黒っぽいものだけはご免ですよ。
日本人って、カフェにすわっても手元に何かないと手持ち無沙汰で居心地悪そうな顔をしていますよね。そこにいくと平気で一人でのんびり過ごしているフランス人は、ボンヤリ時間を過ごすのが上手いのかなぁと思ってしまいます。スマートフォンが出現してからというもの、そんな様子もずいぶん様変わりしましたけれど。
>kanafrさん、
いやぁ、最近はすごい新人さんがいるんですねぇ。職場も大変ですね。
「親からも怒られた事ないのに」って、それは論理が逆ですよね。ほんとなら親こそが怒らなきゃいけなかった。で、親が(主に面倒臭さから)してくれなかったことをアカの他人が(善意で)してくれようというのだから、むしろありがたいことだと思わなきゃいけない。だいたい大人になると叱ってくれる人なんていなくなるんだからね。叱ってくれる人がいるという幸運を、キミは全然わかっとらんのね。
わたし、親の気持ちもわかるんです。ここはどうしても静かにしてもらわないと困るって場面は、特に日本で子育てしているとあちこちで遭遇すると思うんですよ(日本では子連れに対する視線が無茶苦茶厳しい)。そういうときに魔法の道具があったら、本当に助かります。
といって、それに常時頼っていたら親子のコミュニケーションはとれなくなってしまうんですよね。最近はフランスでもベビーカーを押しながらスマートフォンをみている母親がものすごく多くて、公園にいると気持ちが悪くなるくらいですよ。
いやぁ、最近はすごい新人さんがいるんですねぇ。職場も大変ですね。
「親からも怒られた事ないのに」って、それは論理が逆ですよね。ほんとなら親こそが怒らなきゃいけなかった。で、親が(主に面倒臭さから)してくれなかったことをアカの他人が(善意で)してくれようというのだから、むしろありがたいことだと思わなきゃいけない。だいたい大人になると叱ってくれる人なんていなくなるんだからね。叱ってくれる人がいるという幸運を、キミは全然わかっとらんのね。
わたし、親の気持ちもわかるんです。ここはどうしても静かにしてもらわないと困るって場面は、特に日本で子育てしているとあちこちで遭遇すると思うんですよ(日本では子連れに対する視線が無茶苦茶厳しい)。そういうときに魔法の道具があったら、本当に助かります。
といって、それに常時頼っていたら親子のコミュニケーションはとれなくなってしまうんですよね。最近はフランスでもベビーカーを押しながらスマートフォンをみている母親がものすごく多くて、公園にいると気持ちが悪くなるくらいですよ。
>mtonosamaさん、こんにちは。
日本って、赤ちゃん(幼児)連れに対してかなり厳しいですよね。子どもなんて愚図るのが普通なのに、静かにさせろだの、公共の乗り物に乗せる悪いだの、すぐに怒鳴ってくる人がいる。そういう場面だったら、便利なお守りもありかなぁという気がするんです。
最近は、かなり小さい子でも指でサッとタッチして操作することを知っているので、こういう風にして育った子たちが大きくなったら、ものの考え方も当然変わって来るのだろうなぁと思いました。人とすぐに連絡がとれることが当然の世界では、手紙などという風雅な方法はなくなってしまうんでしょうね。
日本って、赤ちゃん(幼児)連れに対してかなり厳しいですよね。子どもなんて愚図るのが普通なのに、静かにさせろだの、公共の乗り物に乗せる悪いだの、すぐに怒鳴ってくる人がいる。そういう場面だったら、便利なお守りもありかなぁという気がするんです。
最近は、かなり小さい子でも指でサッとタッチして操作することを知っているので、こういう風にして育った子たちが大きくなったら、ものの考え方も当然変わって来るのだろうなぁと思いました。人とすぐに連絡がとれることが当然の世界では、手紙などという風雅な方法はなくなってしまうんでしょうね。