2013年 06月 26日
子ども向き |
息子たちはジブリの作品をたくさん観ている。
「未来少年コナン」も知っているし、
先日は「ルパン三世・カリオストロの城」も借りて観た。
これらを父親と一緒に観ていると、
ときどき父親が眉をぎゅうっと眉を吊り上げる。
人を殺すシーンとか、誰かが悪意を持って人を脅すシーンとか、
あんまり子どもには見せたくないような場面が出てくるから。
天空の城ラピュタしかり、ナウシカしかり。
そういえば、フランスの子ども向けのDVDには、
ほとんどこういうシーンは出て来ない。
先の「カリオストロの城」だって、10歳以上向けとなっていた。
公開される映画も、すべて対象年齢がきちんと示されている。
暴力シーンとか恐怖心を煽るようなシーンが出て来る映画は、
だいたい10歳前後からとなっているような気がする。
座頭市なんて完全に大人向けで、
更に本編の前にわざわざ注意書きが出てくる。
残酷な場面が出て来るので、そういうものに弱い人は見ないで下さい。
夫がまだ小さい頃、日本のアニメがフランスに入り始めた。
「グレンダイザー(仏題:Goldorak)」を懐かしく思い出す成人男性も多い。
でも、日本のアニメにはあまりにも暴力や戦闘シーンが多すぎると、
当時のフランスではかなり問題視されたと聞いている。
確かに日本のヒーローものには戦闘シーンが欠かせない。
そんなシーンこそフランスの親たちが子に見せたくないものの筆頭なのだ。
一方わたしはといえば、小さい頃から祖父の膝に座って、
斬られた人がざばーっと血を吹いて倒れる場面とか、
無実の人が石を抱かされたり、割れ竹で叩かれて血まみれになったり、
青白い首が枝からぶら下がっていたり、今思うと結構すごいものを見て育った。
気持ちよくはなかったけれど、でも普通に見ていた。
どっちがいいんだろうねぇ、と思う。
自分と夫をサンプルとして考えれば、
暴力シーンを見て育っても暴力をふるうようになるとは限らないと言える。
一方で、子どもは周囲から暴力を習う、とも言われる。
人の悪意が理解できない年齢の子どもたちに人間の汚い部分を見せるのは、
親になってみると正直言ってあんまり気が進まない。
できることならいつまでも暴力も悪意もない世界に留まって欲しい。
でも、実際のところ暴力は日常生活のすぐ隣にある。
我が家の散歩スポットのひとつであるエッフェル塔の下には、
常に実弾入りの銃を抱えた警備の人達がうろついている。
そんな現実が目の前にあるのに
一旦事が起きたら暴力で(銃で)事を収めるしかないのだと示しておきながら
子どもにはきれいな部分しか見せないというのは、
大人の都合のいい欺瞞のようにも感じるし。
かといって、銃のおもちゃをもって走り回っている子どもを見ると、
ぞっと背筋が寒くなるのも確かで。
「子ども向き」って何なのだろうね、と思う。
子どもは成長の過程できちんと現実社会を眺めてこれと向き合うようになる。
その現実社会は、しかし、かなり苛酷なのだ。
もともと苛酷な現実の中に生まれる子もいる。
豊かな社会に生まれる子は、苛酷な部分を上手く隠された中で育ち、
やがて事実を知ってギャップに絶望するかもしれない。
子ども向きって、なんだろうね、本当に。
「未来少年コナン」も知っているし、
先日は「ルパン三世・カリオストロの城」も借りて観た。
これらを父親と一緒に観ていると、
ときどき父親が眉をぎゅうっと眉を吊り上げる。
人を殺すシーンとか、誰かが悪意を持って人を脅すシーンとか、
あんまり子どもには見せたくないような場面が出てくるから。
天空の城ラピュタしかり、ナウシカしかり。
そういえば、フランスの子ども向けのDVDには、
ほとんどこういうシーンは出て来ない。
先の「カリオストロの城」だって、10歳以上向けとなっていた。
公開される映画も、すべて対象年齢がきちんと示されている。
暴力シーンとか恐怖心を煽るようなシーンが出て来る映画は、
だいたい10歳前後からとなっているような気がする。
座頭市なんて完全に大人向けで、
更に本編の前にわざわざ注意書きが出てくる。
残酷な場面が出て来るので、そういうものに弱い人は見ないで下さい。
夫がまだ小さい頃、日本のアニメがフランスに入り始めた。
「グレンダイザー(仏題:Goldorak)」を懐かしく思い出す成人男性も多い。
でも、日本のアニメにはあまりにも暴力や戦闘シーンが多すぎると、
当時のフランスではかなり問題視されたと聞いている。
確かに日本のヒーローものには戦闘シーンが欠かせない。
そんなシーンこそフランスの親たちが子に見せたくないものの筆頭なのだ。
一方わたしはといえば、小さい頃から祖父の膝に座って、
斬られた人がざばーっと血を吹いて倒れる場面とか、
無実の人が石を抱かされたり、割れ竹で叩かれて血まみれになったり、
青白い首が枝からぶら下がっていたり、今思うと結構すごいものを見て育った。
気持ちよくはなかったけれど、でも普通に見ていた。
どっちがいいんだろうねぇ、と思う。
自分と夫をサンプルとして考えれば、
暴力シーンを見て育っても暴力をふるうようになるとは限らないと言える。
一方で、子どもは周囲から暴力を習う、とも言われる。
人の悪意が理解できない年齢の子どもたちに人間の汚い部分を見せるのは、
親になってみると正直言ってあんまり気が進まない。
できることならいつまでも暴力も悪意もない世界に留まって欲しい。
でも、実際のところ暴力は日常生活のすぐ隣にある。
我が家の散歩スポットのひとつであるエッフェル塔の下には、
常に実弾入りの銃を抱えた警備の人達がうろついている。
そんな現実が目の前にあるのに
一旦事が起きたら暴力で(銃で)事を収めるしかないのだと示しておきながら
子どもにはきれいな部分しか見せないというのは、
大人の都合のいい欺瞞のようにも感じるし。
かといって、銃のおもちゃをもって走り回っている子どもを見ると、
ぞっと背筋が寒くなるのも確かで。
「子ども向き」って何なのだろうね、と思う。
子どもは成長の過程できちんと現実社会を眺めてこれと向き合うようになる。
その現実社会は、しかし、かなり苛酷なのだ。
もともと苛酷な現実の中に生まれる子もいる。
豊かな社会に生まれる子は、苛酷な部分を上手く隠された中で育ち、
やがて事実を知ってギャップに絶望するかもしれない。
子ども向きって、なんだろうね、本当に。
by poirier_AAA
| 2013-06-26 19:46
| 子どもと暮らす
|
Comments(8)
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saheizi-inokori at 2013-06-26 22:48
チャンバラと西部劇ごっこに明け暮れた私は今でも殺伐とした映画が好きですが、リアルでは臆病者です。
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Kaolulu
at 2013-06-27 09:22
x
私は初めて「ラ・マルセイエイズ」の歌詞の内容を訳してみた時、本当に口が開いたままになるくらい驚きました。こんな残酷な歌が大好きなフランスの国歌なの?と。
日本の映像美術は、言われてみると確かに暴力シーンが多く出て来るかも。一方、フランスの映像美術は、エロティックな場面が多いとかありませんか?フランス人はよく「性で人は殺せない」って言うから子どももOKなのかしら。
ホントに、子ども向きってなんでしょうね。
日本の映像美術は、言われてみると確かに暴力シーンが多く出て来るかも。一方、フランスの映像美術は、エロティックな場面が多いとかありませんか?フランス人はよく「性で人は殺せない」って言うから子どももOKなのかしら。
ホントに、子ども向きってなんでしょうね。
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poirier_AAA at 2013-06-27 15:53
>saheiziさん、こんにちは。
わたしは昔はチャンバラも銃撃戦もへっちゃらだったんですけど、妊娠したときに劇的に変わりました。今は殺し合いの場面を見ると嫌悪感で一杯になるし、他人をいたぶって喜んでいる人がでてくると吐き気がします。理性云々じゃなくて、脳の一番原始的な部分が言葉や思考を飛び越えて反応しているみたい‥‥自分ではもうどうにもならないんです。すごく不思議なんですけど。
わたしは昔はチャンバラも銃撃戦もへっちゃらだったんですけど、妊娠したときに劇的に変わりました。今は殺し合いの場面を見ると嫌悪感で一杯になるし、他人をいたぶって喜んでいる人がでてくると吐き気がします。理性云々じゃなくて、脳の一番原始的な部分が言葉や思考を飛び越えて反応しているみたい‥‥自分ではもうどうにもならないんです。すごく不思議なんですけど。
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poirier_AAA at 2013-06-27 16:11
>kaoluluさん、こんにちは。
そうなんですよね。国歌って往々にしてすごく好戦的です。まぁフランスの歴史を眺めれば、確かに戦って奪い取って出来上がって来た国なわけですから当然かなぁとも思いますけど。
エロティックなシーンと言えば、広告もそうですよね。日本だったら絶対に使わないような肌も露な女性の写真がバス停の横に貼られていたり。下着姿の女性の写真だってふつ〜うにありますよね。で、そういう社会に生きる子どもたちは、中学生でも高校生でも男女をあんまり気にせずに仲良く友達付き合いしていたり。日本の子どもたちの方がごく小さい頃から男女を意識しているような印象があります。
考えてみれば暴力も性も人間の本性なわけで、それを一所懸命つくろって子どもの目から隠そうとしている大人の方が、実は不自然なことをしているのかもと、ちょっと思います。だからといって積極的に教える気にもなれないんですけれど。やっぱり難しい。。。
そうなんですよね。国歌って往々にしてすごく好戦的です。まぁフランスの歴史を眺めれば、確かに戦って奪い取って出来上がって来た国なわけですから当然かなぁとも思いますけど。
エロティックなシーンと言えば、広告もそうですよね。日本だったら絶対に使わないような肌も露な女性の写真がバス停の横に貼られていたり。下着姿の女性の写真だってふつ〜うにありますよね。で、そういう社会に生きる子どもたちは、中学生でも高校生でも男女をあんまり気にせずに仲良く友達付き合いしていたり。日本の子どもたちの方がごく小さい頃から男女を意識しているような印象があります。
考えてみれば暴力も性も人間の本性なわけで、それを一所懸命つくろって子どもの目から隠そうとしている大人の方が、実は不自然なことをしているのかもと、ちょっと思います。だからといって積極的に教える気にもなれないんですけれど。やっぱり難しい。。。
梨の木さん、こんばんは(^^)
先日、長崎っ子は目をそむけたくなる原爆資料館にも子供の頃から連れて行かれる話をのせましたが・・・私もそれ以外では小心者の臆病者です。戦争映画なんて絶対観ませんし、子供にもとんでもないです。
特撮なんかも苦手だし、警察密着みたいな番組もすぐにチャンネル替えてしまいます。人を苛めて喜ぶバラエティなんて具合悪くなります。
でも・・・見たくないものに蓋をする。日本における沖縄みたいなことにも共通するのかな?広い意味で・・・
ちょっと考えてしまいます。
先日、長崎っ子は目をそむけたくなる原爆資料館にも子供の頃から連れて行かれる話をのせましたが・・・私もそれ以外では小心者の臆病者です。戦争映画なんて絶対観ませんし、子供にもとんでもないです。
特撮なんかも苦手だし、警察密着みたいな番組もすぐにチャンネル替えてしまいます。人を苛めて喜ぶバラエティなんて具合悪くなります。
でも・・・見たくないものに蓋をする。日本における沖縄みたいなことにも共通するのかな?広い意味で・・・
ちょっと考えてしまいます。
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うさぎ二匹
at 2013-06-27 22:32
x
さっきのコメント、沖縄問題とはちょっと飛躍的過ぎたようです。
「子供向き」とは違う次元のことですよね。
「子供向き」からいつ脱出するかの問題でしょうか?
ちなみに、うちの息子「裸足のゲン」がテレビドラマ化された時どうしようか・・・?と主人と話しながら結局見せることにしました。小学校3年生の時でしたが、親の想像以上に衝撃が強すぎて・・・なんと腰を抜かして立てなくなってしまいました。泣きじゃくるのも激しくて二人で別部屋へ抱えて運びました。
年齢的に未だだったのでしょうかねぇ~
見せるときの見極めって結構難しいですね。
「子供向き」とは違う次元のことですよね。
「子供向き」からいつ脱出するかの問題でしょうか?
ちなみに、うちの息子「裸足のゲン」がテレビドラマ化された時どうしようか・・・?と主人と話しながら結局見せることにしました。小学校3年生の時でしたが、親の想像以上に衝撃が強すぎて・・・なんと腰を抜かして立てなくなってしまいました。泣きじゃくるのも激しくて二人で別部屋へ抱えて運びました。
年齢的に未だだったのでしょうかねぇ~
見せるときの見極めって結構難しいですね。
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poirier_AAA at 2013-06-28 16:51
>うさぎ二匹さん、こんにちは。
コメントをありがとうございます。実はうさぎ二匹さんの記事に触発されて書きました。でも、原爆のことは自分でもまだうまく判断できない部分があったので、日頃感じている「暴力」の扱い方に話題をそらしてしまったんですよ。
小学生時代、たぶん学校で原爆の教育を受けたことはなかったと思います。じっくり扱うようになったのは確か中学生のときです。学校行事(お祭りみたいな)のテーマとして、生徒が主体になってずいぶん勉強しました。
それとは別に母親の方針で、小学校の頃から「ガラスのウサギ」とか「にあんちゃん」とかを読まされました。本当に可哀想な話だと思いましたけれど、こういう可哀想な子がいた事を知らなきゃいけないから読みなさい、と強制されたのがすごくイヤだったことを思いだします。
今になると、いやでも教えられたから原爆とか戦争がいやになったのだろうか?それともそんなことを小さい頃から教えられなくても同じような気持ちに至っただろうかと考えてしまうんですよ。小学生のときには、やっぱりすごく荷の重い事実でしたから。
(続きます)
コメントをありがとうございます。実はうさぎ二匹さんの記事に触発されて書きました。でも、原爆のことは自分でもまだうまく判断できない部分があったので、日頃感じている「暴力」の扱い方に話題をそらしてしまったんですよ。
小学生時代、たぶん学校で原爆の教育を受けたことはなかったと思います。じっくり扱うようになったのは確か中学生のときです。学校行事(お祭りみたいな)のテーマとして、生徒が主体になってずいぶん勉強しました。
それとは別に母親の方針で、小学校の頃から「ガラスのウサギ」とか「にあんちゃん」とかを読まされました。本当に可哀想な話だと思いましたけれど、こういう可哀想な子がいた事を知らなきゃいけないから読みなさい、と強制されたのがすごくイヤだったことを思いだします。
今になると、いやでも教えられたから原爆とか戦争がいやになったのだろうか?それともそんなことを小さい頃から教えられなくても同じような気持ちに至っただろうかと考えてしまうんですよ。小学生のときには、やっぱりすごく荷の重い事実でしたから。
(続きます)
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poirier_AAA at 2013-06-28 16:58
>うさぎ二匹さん、続きです。
「子ども向き」が難しいのは、どういう問題をどの程度「子ども向き」にしなければならないかを決めるのがまず難しいこと、それからうさぎ二匹さんのおっしゃるように、いつ「子ども向き」から脱して行くかというタイミングを測るのが難しいこと、の2つがあるからです。
子どもの育つ環境にもよるでしょうし(広島や長崎、沖縄に生まれた子はやっぱり小さい頃から耳に入ってくる内容が違うでしょう)、子ども一人一人の精神年齢とか感受性によっても差が出てくると思うんですよ。
うちでもときどき軽く戦争の話をしたりしますけれど、ものすごく怖がります。怖がって、もうその話はしないでと耳を塞いでしまうので、原爆資料館はまだまだ連れて行かれないなと思いました。
‥‥なんだか支離滅裂な返事になってしまってすみません。
「子ども向き」が難しいのは、どういう問題をどの程度「子ども向き」にしなければならないかを決めるのがまず難しいこと、それからうさぎ二匹さんのおっしゃるように、いつ「子ども向き」から脱して行くかというタイミングを測るのが難しいこと、の2つがあるからです。
子どもの育つ環境にもよるでしょうし(広島や長崎、沖縄に生まれた子はやっぱり小さい頃から耳に入ってくる内容が違うでしょう)、子ども一人一人の精神年齢とか感受性によっても差が出てくると思うんですよ。
うちでもときどき軽く戦争の話をしたりしますけれど、ものすごく怖がります。怖がって、もうその話はしないでと耳を塞いでしまうので、原爆資料館はまだまだ連れて行かれないなと思いました。
‥‥なんだか支離滅裂な返事になってしまってすみません。