2013年 06月 17日
手紙は難しい |
知り合いのフランス人から手紙の翻訳を頼まれた。
フランス語から日本語に訳して欲しい、とのこと。
どんな手紙を訳すことになるのかはわからなかったけれど、
とりあえず、相手が目上の人かどうか、
どんな態度で接している、どういう関係の人かを聞いておいた。
自分よりだいぶ年上で、フランス語だったらVousを使う気持ちだ、という。
日本語でも「です」とか「ます」で話しているとのこと。
で、オリジナルのテキストが届いたので目を通してみた。
内容自体は込み入った話ではないのだけれど、
訳し始めてたら想像以上に難しいと感じた。
日本語って、相手との距離感が重要な言語だとつくづく思う。
年上で敬意を持っている人だから丁寧な手紙にして欲しいと言う。
丁寧な手紙ということなら、わたしもそれなりに形式にこだわる。
でも、実際内容を読んでみると、かなりつっこんだ個人的な感情まで書いてある。
かなり砕けた雰囲気で遊びに行ったこともありそうだ。
ということは心情的にはかなり身近な人だ、ということだ。
ならば、書き方を少し和らげないと印象が冷たくなりすぎる。
そこの柔らかさ加減がまず難しい。
それから、相手とこれまでどんな言葉で話していたのかがわからない。
できることなら、2人の語彙に添った言葉遣いをしたい。
そのむかし渋谷に恋文横町と言う場所があって、
そこでは手紙の代筆をする人がいたという。
手紙を代筆するって、難しい仕事だ。
口述筆記ならばいざしらず、
依頼人の意を汲み取って手紙らしく書き上げるというのは、
実はものすごい情報収集力と想像力を要するような気がする。
たくさんの名作手紙も生まれれば、
ひょっとしたら???というような手紙も少しはあったかもしれない。
代筆のプロに勘所を教えてもらいたい気持ちになった。
どうやったら黒子になりきれますか?
結局、かなり丁寧な誰に宛てても問題なしというバージョンと、
丁寧だけれど親しさを前面に出した直訳に近いバージョンと、
2つ揃えて送った。
あとは依頼人が自分の感覚に近い方を選んで手を入れれば良い。
依頼人から来た返事には、なんてポエティックなんだ!とあった。
(季節にふさわしい言葉をいれたからだろうか?)
自分では絶対に書けない手紙だから、今度詳しく教えて欲しいとまで言われた。
そういうのも良し悪しだよねぇと思う。
手紙はあくまでも依頼人のものであって、翻訳者の手紙であってはならないから。
わたしにはまだ黒子になりきるだけの力量がない。
便箋に1枚少し程度のほんの短い手紙ではあったけれど、
仏文和訳がフランス語ではなく日本語の勉強であることがよくわかった。
ものすごくたくさん勉強させてもらったと思う。
こんな機会を与えてくれた知人に感謝。
フランス語から日本語に訳して欲しい、とのこと。
どんな手紙を訳すことになるのかはわからなかったけれど、
とりあえず、相手が目上の人かどうか、
どんな態度で接している、どういう関係の人かを聞いておいた。
自分よりだいぶ年上で、フランス語だったらVousを使う気持ちだ、という。
日本語でも「です」とか「ます」で話しているとのこと。
で、オリジナルのテキストが届いたので目を通してみた。
内容自体は込み入った話ではないのだけれど、
訳し始めてたら想像以上に難しいと感じた。
日本語って、相手との距離感が重要な言語だとつくづく思う。
年上で敬意を持っている人だから丁寧な手紙にして欲しいと言う。
丁寧な手紙ということなら、わたしもそれなりに形式にこだわる。
でも、実際内容を読んでみると、かなりつっこんだ個人的な感情まで書いてある。
かなり砕けた雰囲気で遊びに行ったこともありそうだ。
ということは心情的にはかなり身近な人だ、ということだ。
ならば、書き方を少し和らげないと印象が冷たくなりすぎる。
そこの柔らかさ加減がまず難しい。
それから、相手とこれまでどんな言葉で話していたのかがわからない。
できることなら、2人の語彙に添った言葉遣いをしたい。
そのむかし渋谷に恋文横町と言う場所があって、
そこでは手紙の代筆をする人がいたという。
手紙を代筆するって、難しい仕事だ。
口述筆記ならばいざしらず、
依頼人の意を汲み取って手紙らしく書き上げるというのは、
実はものすごい情報収集力と想像力を要するような気がする。
たくさんの名作手紙も生まれれば、
ひょっとしたら???というような手紙も少しはあったかもしれない。
代筆のプロに勘所を教えてもらいたい気持ちになった。
どうやったら黒子になりきれますか?
結局、かなり丁寧な誰に宛てても問題なしというバージョンと、
丁寧だけれど親しさを前面に出した直訳に近いバージョンと、
2つ揃えて送った。
あとは依頼人が自分の感覚に近い方を選んで手を入れれば良い。
依頼人から来た返事には、なんてポエティックなんだ!とあった。
(季節にふさわしい言葉をいれたからだろうか?)
自分では絶対に書けない手紙だから、今度詳しく教えて欲しいとまで言われた。
そういうのも良し悪しだよねぇと思う。
手紙はあくまでも依頼人のものであって、翻訳者の手紙であってはならないから。
わたしにはまだ黒子になりきるだけの力量がない。
便箋に1枚少し程度のほんの短い手紙ではあったけれど、
仏文和訳がフランス語ではなく日本語の勉強であることがよくわかった。
ものすごくたくさん勉強させてもらったと思う。
こんな機会を与えてくれた知人に感謝。
by poirier_AAA
| 2013-06-17 19:35
| 言葉を学ぶ
|
Comments(8)
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Mtonosama at 2013-06-17 20:27
恋文横丁!
今も渋谷の路地に名前だけは残してあったような。
その昔、日本に駐留した米兵と日本人女性の間の恋文を訳してくれる露店みたいなものがあったとかいう話を聞いたことがあります。
今も渋谷の路地に名前だけは残してあったような。
その昔、日本に駐留した米兵と日本人女性の間の恋文を訳してくれる露店みたいなものがあったとかいう話を聞いたことがあります。
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saheizi-inokori at 2013-06-17 21:03
私たちが読んでいる翻訳物は半分は翻訳者の創作なんだと思って尊敬しています。
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poirier_AAA at 2013-06-18 17:17
>mtonosamaさん、こんにちは。
わたしも、たしか一度だけその界隈を歩いたことがあるのです。今はもう、あっちもこっちも全部明るくきれいになってしまって、そういう昔の記憶をとどめている場所を見つけるのが難しくなってしまいましたよね。
場所が無くなると、記憶もなくなってしまうものかもしれません。きっと今渋谷を歩いている若者たちはきっとそんなこと、想像もできないでしょうね。
わたしも、たしか一度だけその界隈を歩いたことがあるのです。今はもう、あっちもこっちも全部明るくきれいになってしまって、そういう昔の記憶をとどめている場所を見つけるのが難しくなってしまいましたよね。
場所が無くなると、記憶もなくなってしまうものかもしれません。きっと今渋谷を歩いている若者たちはきっとそんなこと、想像もできないでしょうね。
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poirier_AAA at 2013-06-18 17:23
>saheiziさん、こんにちは。
自分でやってみると、ほんとにそう思います。
自分の持っている知識とか語彙とか想像力とかを総動員してもようやく形になるかどうか、という有り様で、時間もかかればエネルギーも使う、そのくせ立場としては裏方としてしか扱われないのですから、好きで情熱がなければできない仕事だと思いました。
自分でやってみると、ほんとにそう思います。
自分の持っている知識とか語彙とか想像力とかを総動員してもようやく形になるかどうか、という有り様で、時間もかかればエネルギーも使う、そのくせ立場としては裏方としてしか扱われないのですから、好きで情熱がなければできない仕事だと思いました。
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stanislowski at 2013-06-19 14:44
梨の木さんと同じ頃に同じようなことがありました。
私も必要があってドイツ語を日本語に訳していました。
日常語の口語訳でしたから、あまり難しい言葉を使うものではなかったのですが、私がドイツ語表現で「苛立つ」としたところを、やり取りしていた日本側では「歯痒い」として返してきました。
あら。わたし直接的過ぎたのかな。かなりスパッと言い切った書き方になりつつあります。日本語に関わっていないとそんな表現も忘れてしまうんですね。
私も必要があってドイツ語を日本語に訳していました。
日常語の口語訳でしたから、あまり難しい言葉を使うものではなかったのですが、私がドイツ語表現で「苛立つ」としたところを、やり取りしていた日本側では「歯痒い」として返してきました。
あら。わたし直接的過ぎたのかな。かなりスパッと言い切った書き方になりつつあります。日本語に関わっていないとそんな表現も忘れてしまうんですね。
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poirier_AAA at 2013-06-19 17:53
>stanislowskiさん、こんにちは。
日本語は、状況によって言葉を細かく使い分けないといけないところがすごく難しいですね。それも言葉を選ぶことよりも、はっきりと口に出されることのない状況(関係・真意)を読み取るのが難しいと思いました。そこまで含めて通訳&翻訳者ですからね〜、大変な仕事だと思いましたよ。
日本語って日本の社会そのものだと思います。日本社会から離れてみて初めてその特殊さに気がつきました。スパッと言い切れるのは、良くも悪くもstanislowskiさんが日本社会と距離が出来たからじゃないでしょうか。日本に居場所を求めるしかなかったら、ひょっとしたそこまで言い切ることは(したくとも)できないかもしれない。それが直接的に言えるのは海外組の利点ですよね。でも、たぶんその言葉は日本に住む人からしたら“部外者からの言葉”と聞こえるのです。日本語(日本社会)というのは、そういうもののような気がします。
日本語は、状況によって言葉を細かく使い分けないといけないところがすごく難しいですね。それも言葉を選ぶことよりも、はっきりと口に出されることのない状況(関係・真意)を読み取るのが難しいと思いました。そこまで含めて通訳&翻訳者ですからね〜、大変な仕事だと思いましたよ。
日本語って日本の社会そのものだと思います。日本社会から離れてみて初めてその特殊さに気がつきました。スパッと言い切れるのは、良くも悪くもstanislowskiさんが日本社会と距離が出来たからじゃないでしょうか。日本に居場所を求めるしかなかったら、ひょっとしたそこまで言い切ることは(したくとも)できないかもしれない。それが直接的に言えるのは海外組の利点ですよね。でも、たぶんその言葉は日本に住む人からしたら“部外者からの言葉”と聞こえるのです。日本語(日本社会)というのは、そういうもののような気がします。
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kanafr at 2013-06-20 07:47
私も時々簡単なフランス語の挨拶文を日本語文を添えて送りたいっていう同僚や友人に頼まれることがあるんですけど、超訳しないと日本語らしくなくなっちゃんですよね。
仕事でもそうで、“XX日に日本に行きますので、ぜひお目にかかりたい”っていう文も「もしXX様のご都合さえよろしければ、是非お目にかかりたいのですが、ご都合はいかがでしょうか」としないと丸く収まらないっていうのもあります。
これって逆の場合もあって、日本人同士だと納得できる文章もいざ仏語に直すと「一体どうしたいの?」っていう事も起きます。
なかなかこういう違いも面白いって言えば面白いんですけどね。
仕事でもそうで、“XX日に日本に行きますので、ぜひお目にかかりたい”っていう文も「もしXX様のご都合さえよろしければ、是非お目にかかりたいのですが、ご都合はいかがでしょうか」としないと丸く収まらないっていうのもあります。
これって逆の場合もあって、日本人同士だと納得できる文章もいざ仏語に直すと「一体どうしたいの?」っていう事も起きます。
なかなかこういう違いも面白いって言えば面白いんですけどね。
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poirier_AAA at 2013-06-20 16:45
>kanafrさん、
そうそう、超訳しないとならないんですよね。日本語らしくしようと思うとどこかで絶対にそれが必要になるんだなぁと、今回よくわかりました。
反対に日本語の文をフランス語に訳すときには、はっきりと書かれていない本心を汲み取って(それがむずかしい〜)、ぴたっと来る言葉を選ばないとフランス語にならないんですよね。それに日本人同士の会話だと特に、まったく意味のないやりとり(潤滑剤的なもの)もありますし、妙に感覚的な言葉ばっかりになってしまうこともありますし、日仏間の差は大きいぜと思います。
面白いですけど、、、、仕事の場合は全然笑えませんよね。
そうそう、超訳しないとならないんですよね。日本語らしくしようと思うとどこかで絶対にそれが必要になるんだなぁと、今回よくわかりました。
反対に日本語の文をフランス語に訳すときには、はっきりと書かれていない本心を汲み取って(それがむずかしい〜)、ぴたっと来る言葉を選ばないとフランス語にならないんですよね。それに日本人同士の会話だと特に、まったく意味のないやりとり(潤滑剤的なもの)もありますし、妙に感覚的な言葉ばっかりになってしまうこともありますし、日仏間の差は大きいぜと思います。
面白いですけど、、、、仕事の場合は全然笑えませんよね。