2012年 06月 04日
「Barberousse(赤ひげ)」 |
週末DVDで鑑賞。これまで見た黒澤作品の中では一番好きかもしれない。
一緒に観ていた夫には、こんな名作をこれまで知らなかったなんて、日本人として恥ずかしくないの〜とまで言われた。
黒澤&三船の組み合わせとしては、最後の作品なのだそうだ。
タイトルロールの赤ひげを演じる三船敏郎は、しかしここでは脇役であり、主役は赤ひげのもとで研修することになる(当時なら修行というところか)若い医者の卵、加山雄三。若いインターンの目を通して、赤ひげという一人の医者と当時の貧しい人達の暮らしぶりが描かれている。
といって、それではインターンが常にメインであるかというと、それも違う。
死の床にある患者が、その家族が、思い思いに人生を語る。
飢え、貧困、病気、地震、狂気、肉親の愛憎、語られることは苦しいことばかり。けれど、ところどころにホロッと笑えるところがあり、また人の情の深さや品の良さも手伝って、カタルシスにも似た爽快感がある。
黒澤監督も三船敏郎も強烈な個性だと思うけれど、出演している役者たち全員が役を超えた個性を放っている気がする。逆に、そういう人達だから黒澤監督に選ばれたのかもしれない。ほんの50年くらい前なのに、現代と比べるとずっと人間臭い感じがする。日本人もちょっと前まではいい顔していたじゃないか、と思った。
「赤ひげ」
監督:黒澤明(1965)
by poirier_AAA
| 2012-06-04 18:31
| 観る・鑑賞する
|
Comments(2)
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Mtonosama at 2012-06-05 05:59
子どもの頃、街のど真ん中に住んでいました。
毎週末には東映のチャンバラを観にいったり、昔弁士をしていた祖父が支配人を務める洋画封切館にいったり、幸せな子ども時代を過ごしました。
「赤ひげ」もやはり近くの映画館で観ました。
子どもだったんですけど、亡くなる寸前の患者さんが光に包まれるシーンにとても感動したのを今でもはっきり覚えています。
黒澤明というと神様みたいに言われますが、ゴダールが珈琲にマーブル状に拡がるミルクを下からライティングして撮影したという類の細かい職人芸を大切にした監督さんだと思います。
光の中で死にゆく患者さんの崇高な美しさを今でも折に触れ思い出します。
毎週末には東映のチャンバラを観にいったり、昔弁士をしていた祖父が支配人を務める洋画封切館にいったり、幸せな子ども時代を過ごしました。
「赤ひげ」もやはり近くの映画館で観ました。
子どもだったんですけど、亡くなる寸前の患者さんが光に包まれるシーンにとても感動したのを今でもはっきり覚えています。
黒澤明というと神様みたいに言われますが、ゴダールが珈琲にマーブル状に拡がるミルクを下からライティングして撮影したという類の細かい職人芸を大切にした監督さんだと思います。
光の中で死にゆく患者さんの崇高な美しさを今でも折に触れ思い出します。
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poirier_AAA at 2012-06-05 16:47
>mtonosamaさん、こんにちは。
赤ひげ、スクリーンで見たらすごい迫力だったでしょうね。
わたしも最初の臨終の場面で圧倒されました。赤ひげが研修医に向かって言うんですよね「人間の一生で臨終ほど荘厳なときはない。しっかり看取ってやれ」。もの言わない患者の横顔が光のなかに影になって浮かんでいました。あの患者役の役者さんは、台詞こそ無かったけれど物凄く難しい演技だったろうと思います。
児玉清がエッセイの中で黒澤監督のことに触れているんですが、黒澤監督は画面の端に映る端役の汚れ具合にも細かく注文をつけて撮影していたのだそうです。(児玉清は脛の裏側を塗り忘れて大層怒られたそうです)そういうこだわりが画面から伝わって来ますね。
赤ひげ、スクリーンで見たらすごい迫力だったでしょうね。
わたしも最初の臨終の場面で圧倒されました。赤ひげが研修医に向かって言うんですよね「人間の一生で臨終ほど荘厳なときはない。しっかり看取ってやれ」。もの言わない患者の横顔が光のなかに影になって浮かんでいました。あの患者役の役者さんは、台詞こそ無かったけれど物凄く難しい演技だったろうと思います。
児玉清がエッセイの中で黒澤監督のことに触れているんですが、黒澤監督は画面の端に映る端役の汚れ具合にも細かく注文をつけて撮影していたのだそうです。(児玉清は脛の裏側を塗り忘れて大層怒られたそうです)そういうこだわりが画面から伝わって来ますね。