2012年 05月 13日
日本語の一人称 |
思い起こせば、小学校だったか幼稚園だったかで、「自分のことは、女の子ならわたし、男の子ならボクと言おうね」と先生に言われたような記憶があります。そして、クラスの中でひとりだけ、自分のことを「ミホちゃん」と言っていた子がいて、まわりの子から「赤ちゃんみたい〜」とからかわれていた記憶もあります。
しかし、気がついてみれば我が子も、6歳になった今でもまだ自分のことを名前で呼んで憚らないのでありました。
フランス語で話す時は、普通に「Je(わたし)」という一人称を使って話すのです。それなのに、日本語になった途端「息子Bはにんじんが食べたい!」となるのです。「ボク」や「わたし」という単語を知らないわけじゃないのに、でも使いません。こういうのってどうしたらいいんだろうね、と思いながらも急がなくても良いかと思って放っておきました。
昨日、家族4人で用事があって車で出かけた時、車の右手に電車が通るのが見えました。
(わたし)あっ、あそこに電車が通ってる!
(息子A)どこどこ?息子Aは見えないよぉ。
(息子B)俺様は見えるよ!
突如現れた新しい一人称に、わたしはたまらなくなって吹き出してしまいました。
でも、他の3人はぽか〜ん。何がそんなに可笑しいのか全然わかっていません。
(夫)おれさま、ってどういう意味?
(息子A&B)どうして俺様っていうと可笑しいの?
日本でアンパンマン列車というものの存在を知った息子たち、ものすごく遅ればせながら(普通は2、3歳の子が喜ぶ)「アンパンマン」という新しい世界に目覚めたのでありました。で、昨日は「アンパンマン」の話をYouTubeでいくつか見せたところでした。アンパンマンの物語にはバイキンマンという愛嬌のある悪者が出て来て、それが自分のことを「俺様」と言うのです。
考えて見たら彼らの身近には日本語を話す成人男性も、ちょっと年上のおにいちゃんもいないのでした。いるのは年齢層を問わず女性ばかり。これじゃあ「ボク」が定着するわけがありません。そこに現れた「おれさま」がすごく格好よく耳に気持ちよく聞こえて、思わず使ってしまいたくなってしまったんでしょう。
日本語での一人称、呼び方によってイメージが変わるらしいぞと子どもたちがようやく気がついた、ちょっと面白い出来事でした。
しかし、気がついてみれば我が子も、6歳になった今でもまだ自分のことを名前で呼んで憚らないのでありました。
フランス語で話す時は、普通に「Je(わたし)」という一人称を使って話すのです。それなのに、日本語になった途端「息子Bはにんじんが食べたい!」となるのです。「ボク」や「わたし」という単語を知らないわけじゃないのに、でも使いません。こういうのってどうしたらいいんだろうね、と思いながらも急がなくても良いかと思って放っておきました。
昨日、家族4人で用事があって車で出かけた時、車の右手に電車が通るのが見えました。
(わたし)あっ、あそこに電車が通ってる!
(息子A)どこどこ?息子Aは見えないよぉ。
(息子B)俺様は見えるよ!
突如現れた新しい一人称に、わたしはたまらなくなって吹き出してしまいました。
でも、他の3人はぽか〜ん。何がそんなに可笑しいのか全然わかっていません。
(夫)おれさま、ってどういう意味?
(息子A&B)どうして俺様っていうと可笑しいの?
日本でアンパンマン列車というものの存在を知った息子たち、ものすごく遅ればせながら(普通は2、3歳の子が喜ぶ)「アンパンマン」という新しい世界に目覚めたのでありました。で、昨日は「アンパンマン」の話をYouTubeでいくつか見せたところでした。アンパンマンの物語にはバイキンマンという愛嬌のある悪者が出て来て、それが自分のことを「俺様」と言うのです。
考えて見たら彼らの身近には日本語を話す成人男性も、ちょっと年上のおにいちゃんもいないのでした。いるのは年齢層を問わず女性ばかり。これじゃあ「ボク」が定着するわけがありません。そこに現れた「おれさま」がすごく格好よく耳に気持ちよく聞こえて、思わず使ってしまいたくなってしまったんでしょう。
日本語での一人称、呼び方によってイメージが変わるらしいぞと子どもたちがようやく気がついた、ちょっと面白い出来事でした。
by poirier_AAA
| 2012-05-13 19:14
| 子どもと暮らす
|
Comments(2)
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by
saheizi-inokori at 2012-05-13 19:13
いったいいくつ一人称があることか。日本人のどういう民族性からくるのでしょうかね。
映画などを見ていると会社のボスなんか友人みたいですね。日本もだんだん私一本に近づくのかもしれないと拙も思うのです、いやアチキかな^^,
映画などを見ていると会社のボスなんか友人みたいですね。日本もだんだん私一本に近づくのかもしれないと拙も思うのです、いやアチキかな^^,
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poirier_AAA at 2012-05-13 19:41
>saheiziさん、
中国や韓国ほどでないにせよ、日本も自分と相手との立場を必ず考えながら話すのが習慣ですから、呼称も大事な判断材料になったんでしょうね。ボロボロの乞食のような外見でも「拙者」とくれば、あぁもとはお武家様だな、とか。
現代でも、たとえば「ぼく」が「おれ」に変わる瞬間とか、象徴的ではありませんか。女性の一人称はそこにいくと選択肢が少なくて残念ですが。
「私」は男女を問わず便利で、けれども何も表さない仮面のような呼称だと思います。あちきには味気のうて。
中国や韓国ほどでないにせよ、日本も自分と相手との立場を必ず考えながら話すのが習慣ですから、呼称も大事な判断材料になったんでしょうね。ボロボロの乞食のような外見でも「拙者」とくれば、あぁもとはお武家様だな、とか。
現代でも、たとえば「ぼく」が「おれ」に変わる瞬間とか、象徴的ではありませんか。女性の一人称はそこにいくと選択肢が少なくて残念ですが。
「私」は男女を問わず便利で、けれども何も表さない仮面のような呼称だと思います。あちきには味気のうて。