2012年 01月 11日
フラ・アンジェリコ展 |
ジャックマール・アンドレ美術館で開催中のフラ・アンジェリコ展がもうじき閉会する。これを見逃してはならぬと、子どもの学校が始まるやさっそく出かけてきた。
会期終了が近いためか、それともフラ・アンジェリコだからか、会場内はこれまでパリの美術館では経験したことがないほど混んでいた。ちびのわたしは人ごみにもまれて、なかなか見たい絵の前に辿り着けない。やっと辿り着いたかと思うと、体格のいい人に押されたりして落ち着かない。といって、頑張って居場所を主張するのも気持ちが悪い。絵を見るよりも人ごみを乗り切ることに一所懸命になってしまうから、フラストレーションが募る。
絵は、やっぱり1対1でゆっくり向かい合うのがいい。
自分の目で、自分のペースで見て、心と頭で感じないと。
どんなにいい絵を見ても、記憶に残らないのじゃ悲しすぎる。
人ごみに揉まれながら必死に見た中で印象に残ったこと。
1、Thébaïdeというタイトルの作品
2、背景などに使われた金色
3、描かれた人物の表情
Thébaïde(テバイデ)は、古代エジプトのテーベ地方のことで、初期キリスト教の隠者たちが住んだとされている場所。フラ・アンジェリコの描いたこの絵には、修道士たちの様々な活動の様子が描かれている。動物たちも出てくる。どこでなにが行われているのか、ひとつひとつ観察するのが楽しい絵であった。
そして多くの絵に使われている黄金色が、これまた素晴らしかった。
ヴェネツィアでも感じたことだけれど、金箔が光りを溜めたり反射したりする微妙な具合は他のどんな色にも真似の出来ない味があると思う。素晴らしい!と思って記念に絵はがきや図版を買い求めても、もうその中には心を揺さぶるような黄金色は見つからない。本物の絵でしか見られない色と光なのだと思うから、余計に後ろ髪を引かれる思い。
最後に人物の表情。フラ・アンジェリコは構図をとても大事にしている。だから人や天使の立ち位置によっては後ろ姿しか見えないこともある。あの時代の絵で、宗教画で、顔が見えない人が出てくるとハッとしてしまう。斬新で衝撃的だ。そして、顔が見える位置にいる人でも、横を向いたり、あちらを向いたり、思い切ってこちらを向いたり、思い思いの方向を向いている。視点の中心に描かれた聖なる人、それを取り囲む顔は1人1人が物語を語り出しそうに生き生きと個性的だ。
天使のような、という名前を貰ったほどの人物で、キリストの受難の絵を描くときは必ず涙しながら描いたと言われる人だ。浮き世から切り離され、言葉は悪いけれど宗教世界のみに生きる抹香臭い坊さん的なイメージがないわけではない。リッピのような人生謳歌型の画家ではないのだ。それが、これだけの生き生きとした人間らしい表情を描いていることが、わたしには新鮮に感じられた。
黄金色がきれいでなかったので、カタログの類いは買わずに帰って来た。
でも、もう一度余韻を味わいたい絵もある。美術館のHPをいろいろと探していたらipadやアンドロイド用のアプリがあるのを発見し、買ってみることにした。
展示品のすべてが見られるわけではないのが残念だけれど、色はカタログより鮮やかに出ているし、ズームで見ることもできるし、作品名はもちろん簡単な説明、それから音声ガイドもついていてお得感あり。何より軽くて場所塞ぎでないのがいい。
フラ・アンジェリコとその時代の画家たちを、もっと良く知りたいと思った。
会期終了が近いためか、それともフラ・アンジェリコだからか、会場内はこれまでパリの美術館では経験したことがないほど混んでいた。ちびのわたしは人ごみにもまれて、なかなか見たい絵の前に辿り着けない。やっと辿り着いたかと思うと、体格のいい人に押されたりして落ち着かない。といって、頑張って居場所を主張するのも気持ちが悪い。絵を見るよりも人ごみを乗り切ることに一所懸命になってしまうから、フラストレーションが募る。
絵は、やっぱり1対1でゆっくり向かい合うのがいい。
自分の目で、自分のペースで見て、心と頭で感じないと。
どんなにいい絵を見ても、記憶に残らないのじゃ悲しすぎる。
人ごみに揉まれながら必死に見た中で印象に残ったこと。
1、Thébaïdeというタイトルの作品
2、背景などに使われた金色
3、描かれた人物の表情
Thébaïde(テバイデ)は、古代エジプトのテーベ地方のことで、初期キリスト教の隠者たちが住んだとされている場所。フラ・アンジェリコの描いたこの絵には、修道士たちの様々な活動の様子が描かれている。動物たちも出てくる。どこでなにが行われているのか、ひとつひとつ観察するのが楽しい絵であった。
そして多くの絵に使われている黄金色が、これまた素晴らしかった。
ヴェネツィアでも感じたことだけれど、金箔が光りを溜めたり反射したりする微妙な具合は他のどんな色にも真似の出来ない味があると思う。素晴らしい!と思って記念に絵はがきや図版を買い求めても、もうその中には心を揺さぶるような黄金色は見つからない。本物の絵でしか見られない色と光なのだと思うから、余計に後ろ髪を引かれる思い。
最後に人物の表情。フラ・アンジェリコは構図をとても大事にしている。だから人や天使の立ち位置によっては後ろ姿しか見えないこともある。あの時代の絵で、宗教画で、顔が見えない人が出てくるとハッとしてしまう。斬新で衝撃的だ。そして、顔が見える位置にいる人でも、横を向いたり、あちらを向いたり、思い切ってこちらを向いたり、思い思いの方向を向いている。視点の中心に描かれた聖なる人、それを取り囲む顔は1人1人が物語を語り出しそうに生き生きと個性的だ。
天使のような、という名前を貰ったほどの人物で、キリストの受難の絵を描くときは必ず涙しながら描いたと言われる人だ。浮き世から切り離され、言葉は悪いけれど宗教世界のみに生きる抹香臭い坊さん的なイメージがないわけではない。リッピのような人生謳歌型の画家ではないのだ。それが、これだけの生き生きとした人間らしい表情を描いていることが、わたしには新鮮に感じられた。
黄金色がきれいでなかったので、カタログの類いは買わずに帰って来た。
でも、もう一度余韻を味わいたい絵もある。美術館のHPをいろいろと探していたらipadやアンドロイド用のアプリがあるのを発見し、買ってみることにした。
展示品のすべてが見られるわけではないのが残念だけれど、色はカタログより鮮やかに出ているし、ズームで見ることもできるし、作品名はもちろん簡単な説明、それから音声ガイドもついていてお得感あり。何より軽くて場所塞ぎでないのがいい。
フラ・アンジェリコとその時代の画家たちを、もっと良く知りたいと思った。
by poirier_AAA
| 2012-01-11 07:18
| 観る・鑑賞する
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