2011年 11月 07日
ものさしの違い |
フランスとドイツの首相が鉛筆なめなめ夜を徹して議論に議論を重ねて(これは比喩です、念のため)叩き出した支援策に対して、ギリシャが「うーん、じゃあ国民投票にかけてみようかなぁ」と反応したと聞いた時は、そのあまりの悠長な態度にびっくりしました。
先週、カンヌで行われたG20。各国首脳が集まって記念撮影というとき、中国代表が見つかりませんでした。いずれ劣らぬ忙しい方々が「どうしたんでしょうねぇ」と待つ中、胡主席はあわてるでもなく堂々と登場。彼の立ち位置は開催国大統領の右隣という前列ど真ん中の特等席でした。「お待ちしておりましたよ、胡主席」と迎える主催国大統領閣下の満面の笑顔が、果たして主席の目の端に入っていたのかどうか。胡主席、一言の詫びもなく自分の場所に歩を進めると、主催国大統領(左隣)ではなく反対側(右隣)にいたアルゼンチン大統領に手を差し出しました。握手が終わって位置に納まった後も、左側は一瞥だにせず。一般的男性心理としては魅力的な女性と握手する方がずっと楽しいのかもしれませんが、それを考慮したとしても、主催国大統領の面目は丸つぶれです。大統領閣下、笑顔の下で歯ぎしりしていただろうなぁ。
これってあんまりだよね、ということが続いたわけで、大統領だけでなく、その大統領に率いられる仏国に対しても心中お察し致します、という気持ちであります。
が、その一方で、面白いねぇと思っている自分がいます。
ギリシャという国、確かに日本から見ればヨーロッパの一部です。
でも、日本人が考えるほどヨーロッパって均質ではありません。確かに都市部の在り方は似ているかもしれない。けれど、農村部の人々(つまり、その国の基本部分)を見てみると、明らかに違います。南欧と北欧は、決して一括りには出来ないものがあると感じます。ギリシャだってそうです。どちらかとうと北にあるフランスやドイツとは、やっぱり国民性がちょっと違うんでしょう。その「ちょっと違う」部分が、こんなふうに前面に出てくることが面白いです。
そして中国なんて、もう地理的に決定的に遠い。同じ文化圏ですらありません。
全然違う歴史を持ち、宗教を持ち、価値観を持って併存する国家です。
こういうときはこうすべき、という西洋のマナーコードも、文化圏の異なる人には通用しません。これまでは西洋式にあわせて来てあげたけれど、別にそれってボクたちがやりたいことじゃないんだよね、とアジア人が云うことだって出来るわけです。中国というアジアの「中華」国家が、西洋の「中華」国家であるフランスと堂々とぶつかっているようで、これも面白いです。
考えて見れば、今わたしたちが考える世界って、欧州的キリスト教的価値観に基づく世界ですよね。歴史も学問も社会の捉え方も、欧州の基準に従って整然と分類され整理されています。わたしたちはそれが当然と思いこんでいるけれど、でも歴史を振り返ると、そんなのはせいぜいここ数世紀のことにすぎません。
欧州のキリスト教社会がここまで大きくなる前には、アラブ人の帝国がありました。彼らは彼らのやり方で暦を作り、数学や天文学を進め、医学も発達させていた。同じように、南米にも、アジアにも、その地に根付いた文化圏や文明があったわけです。
西洋的価値観の中で常に辺境的な扱いを受けて来た存在が、近年になって経済力をつけて、ゆらゆらとその姿をあらわした。あるいは身内から、ちょっと違うんだよねと足を引っ張るものが現れた、そんなふうにも見えます。
生産せよ消費せよ、そして金を生み出せ!という資本主義消費社会が産んだ歪みも、言ってみれば、ここ数世紀続いた西欧キリスト教社会が招いたことだと思います。中央の豊かさのために、辺境を搾取する、あるいは切り捨てる。なんと言葉を繕ったところで、現在の世界が相も変わらずこの方向性で動き続けていることは間違いありません。
もし世界が変わるとしたら、それは、この数世紀の西洋的価値観の呪縛から脱することができたときかもしれない。歴史の大きな流れの中で見れば、そういうことが起るのは全然不思議ではありませんし、むしろ、1つの価値観が永遠に続くことなど有り得ないのです。
だから、きっと世界は変わって行くはず。
でも、心配なのは、こんな恐ろしい副産物を生み出してしまった流れが他の流れに変わるときまで、人間が安全に存在し続けられるかどうか、ということです。
先週、カンヌで行われたG20。各国首脳が集まって記念撮影というとき、中国代表が見つかりませんでした。いずれ劣らぬ忙しい方々が「どうしたんでしょうねぇ」と待つ中、胡主席はあわてるでもなく堂々と登場。彼の立ち位置は開催国大統領の右隣という前列ど真ん中の特等席でした。「お待ちしておりましたよ、胡主席」と迎える主催国大統領閣下の満面の笑顔が、果たして主席の目の端に入っていたのかどうか。胡主席、一言の詫びもなく自分の場所に歩を進めると、主催国大統領(左隣)ではなく反対側(右隣)にいたアルゼンチン大統領に手を差し出しました。握手が終わって位置に納まった後も、左側は一瞥だにせず。一般的男性心理としては魅力的な女性と握手する方がずっと楽しいのかもしれませんが、それを考慮したとしても、主催国大統領の面目は丸つぶれです。大統領閣下、笑顔の下で歯ぎしりしていただろうなぁ。
これってあんまりだよね、ということが続いたわけで、大統領だけでなく、その大統領に率いられる仏国に対しても心中お察し致します、という気持ちであります。
が、その一方で、面白いねぇと思っている自分がいます。
ギリシャという国、確かに日本から見ればヨーロッパの一部です。
でも、日本人が考えるほどヨーロッパって均質ではありません。確かに都市部の在り方は似ているかもしれない。けれど、農村部の人々(つまり、その国の基本部分)を見てみると、明らかに違います。南欧と北欧は、決して一括りには出来ないものがあると感じます。ギリシャだってそうです。どちらかとうと北にあるフランスやドイツとは、やっぱり国民性がちょっと違うんでしょう。その「ちょっと違う」部分が、こんなふうに前面に出てくることが面白いです。
そして中国なんて、もう地理的に決定的に遠い。同じ文化圏ですらありません。
全然違う歴史を持ち、宗教を持ち、価値観を持って併存する国家です。
こういうときはこうすべき、という西洋のマナーコードも、文化圏の異なる人には通用しません。これまでは西洋式にあわせて来てあげたけれど、別にそれってボクたちがやりたいことじゃないんだよね、とアジア人が云うことだって出来るわけです。中国というアジアの「中華」国家が、西洋の「中華」国家であるフランスと堂々とぶつかっているようで、これも面白いです。
考えて見れば、今わたしたちが考える世界って、欧州的キリスト教的価値観に基づく世界ですよね。歴史も学問も社会の捉え方も、欧州の基準に従って整然と分類され整理されています。わたしたちはそれが当然と思いこんでいるけれど、でも歴史を振り返ると、そんなのはせいぜいここ数世紀のことにすぎません。
欧州のキリスト教社会がここまで大きくなる前には、アラブ人の帝国がありました。彼らは彼らのやり方で暦を作り、数学や天文学を進め、医学も発達させていた。同じように、南米にも、アジアにも、その地に根付いた文化圏や文明があったわけです。
西洋的価値観の中で常に辺境的な扱いを受けて来た存在が、近年になって経済力をつけて、ゆらゆらとその姿をあらわした。あるいは身内から、ちょっと違うんだよねと足を引っ張るものが現れた、そんなふうにも見えます。
生産せよ消費せよ、そして金を生み出せ!という資本主義消費社会が産んだ歪みも、言ってみれば、ここ数世紀続いた西欧キリスト教社会が招いたことだと思います。中央の豊かさのために、辺境を搾取する、あるいは切り捨てる。なんと言葉を繕ったところで、現在の世界が相も変わらずこの方向性で動き続けていることは間違いありません。
もし世界が変わるとしたら、それは、この数世紀の西洋的価値観の呪縛から脱することができたときかもしれない。歴史の大きな流れの中で見れば、そういうことが起るのは全然不思議ではありませんし、むしろ、1つの価値観が永遠に続くことなど有り得ないのです。
だから、きっと世界は変わって行くはず。
でも、心配なのは、こんな恐ろしい副産物を生み出してしまった流れが他の流れに変わるときまで、人間が安全に存在し続けられるかどうか、ということです。
by poirier_AAA
| 2011-11-07 19:14
| 世情を考える
|
Comments(4)
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saheizi-inokori at 2011-11-09 09:38
TPPをめぐって小さな島国のなかですらオオモメです。
グローバルなんてそう簡単に云って欲しくないと思う今日この頃。
グローバルなんてそう簡単に云って欲しくないと思う今日この頃。
0
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coco
at 2011-11-09 14:04
x
相変わらず面白い視点でニュース見てますねぇ。
思うところが居つくかあってまたも世界のTOPにのし上ろう
しているのは横暴で世の中を更に汚し続けようとする
国なんですよねぇ。またそれを全く気にしてる様子もなく
ポーズさえ影が薄いというか。まぁ、発展のさなかにある
国はどこもそんなものかもしれませんが。。
そしてもうひとつ思うのはヨーロッパがひとつになるのは
難しいという事。梨の木さんが書かれてる通りギリシャと
フランス気質なんて大違いだし、ドイツも全然違う国と
行った感じ。そこへ持ってきてフィンランドとかが
入ってくるともう一つの欧州と言葉ではくくれないと思う
んですよね。画期的な経済システムとは思いますけれど
それを操る人間達の技にかかってると思います。そうで
なければ単なる理想論だった。。という結果に。
あ、こうやって傍からえらそうな事は言えるんですけれど
ね(苦笑)
思うところが居つくかあってまたも世界のTOPにのし上ろう
しているのは横暴で世の中を更に汚し続けようとする
国なんですよねぇ。またそれを全く気にしてる様子もなく
ポーズさえ影が薄いというか。まぁ、発展のさなかにある
国はどこもそんなものかもしれませんが。。
そしてもうひとつ思うのはヨーロッパがひとつになるのは
難しいという事。梨の木さんが書かれてる通りギリシャと
フランス気質なんて大違いだし、ドイツも全然違う国と
行った感じ。そこへ持ってきてフィンランドとかが
入ってくるともう一つの欧州と言葉ではくくれないと思う
んですよね。画期的な経済システムとは思いますけれど
それを操る人間達の技にかかってると思います。そうで
なければ単なる理想論だった。。という結果に。
あ、こうやって傍からえらそうな事は言えるんですけれど
ね(苦笑)
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poirier_AAA at 2011-11-09 16:39
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poirier_AAA at 2011-11-09 17:07
>cocoさん、
日本にいたときはあまり意識しませんでしたけれど、こちらに住むようになって、世の中には弱者と強者がはっきりとある、と実感として感じるようになりました。
恐いのは、強者が横暴なだけでなく、弱者もまた少しでも立場を強めるために、自分も強者のように何かを踏みつけにしてのし上がるしかない(cocoさんの言葉で言うと、世の中を汚す、ですね)と考えていることです。
欧州は、自分たちは寄せ集めだって良くわかっていると思うんですよ。良くわかっているから、システムを守るために必死です。逆に日本は、全然自分が見えてないだろうなぁと感じてしまいます。近視眼的にしか物をみられくて、でも自分が近視だなんて夢にも思っていないような。ハラハラしますよね。
日本にいたときはあまり意識しませんでしたけれど、こちらに住むようになって、世の中には弱者と強者がはっきりとある、と実感として感じるようになりました。
恐いのは、強者が横暴なだけでなく、弱者もまた少しでも立場を強めるために、自分も強者のように何かを踏みつけにしてのし上がるしかない(cocoさんの言葉で言うと、世の中を汚す、ですね)と考えていることです。
欧州は、自分たちは寄せ集めだって良くわかっていると思うんですよ。良くわかっているから、システムを守るために必死です。逆に日本は、全然自分が見えてないだろうなぁと感じてしまいます。近視眼的にしか物をみられくて、でも自分が近視だなんて夢にも思っていないような。ハラハラしますよね。