2011年 08月 25日
敗者たちよ |
昨日の歴史話を書きながら思っていたのは、
一般的な歴史というのは、あくまでも勝者の理屈なんだなぁ。
ということでした。
そんなこと当然でしょと思われるかもしれませんが、例えば、フランス王フィリップ2世に兵糧攻めされた挙げ句に攻め落とされたガイヤール城の歴史などを実際の城跡に立って読んでみると、その「当然でしょ」が全然当然とは思えなくなるのです。世間一般では名君と評されようと、フィリップ2世はこの城にとっては憎たらしい敵であり、無念の思いがこみ上げて来るのであります。(判官びいきでしょうかね?)
しかも、フィリップ2世はアルビジョア十字軍を利用して王家の増力を図った張本人です。いかに土地欲しさ故とはいえ、異端征伐という名目があったとはいえ、無差別殺戮もすれば、当時の教会資料などもことごとく焼き尽くしたのがアルビジョア派征伐です。随分思い切ったことをしたもんだと思わないではいられません。
フランス王家という、いわば中央の権力を増すために、地方文化圏であるノルマンディーや南仏が屈服させられる。屈服させられたのは時の領主ばかりでなく、その土地ならではの文化や習慣、伝統もあったでしょう。そういうことは一切考慮せず、教科書的にはこう記述されるのです。
フィリップ2世は、イングランド王家でフランス南部に広大な領地を有するプランタジネット家との抗争に勝利し、その大陸領土の大部分をフランス王領に併合した他、アルビジョア十字軍を利用して、王権をトゥールーズ、オーヴェルニュ、プロヴァンスといったフランス南東部から神聖ローマ帝国領にまで及ぼした。この結果、フランス王権は大いに強まり、フランスはヨーロッパ一の強国となった。(wikipediaより引用)
しかし、これはあくまでもフランスという現在ある国家の歴史なのです。ひとたび目を転じて、例えばガイヤール城のあるレ・ザンドリという街に注目するなら、
それまではセーヌ川で魚を釣り、畑を耕して平和に暮らしていたっていうのに、12世紀も終わろうっていう時に突然ノルマンディー公が崖の上にでっかい城塞なんか建てちゃってさ、そうこうしているうちに今度はこの城を落とそうってんでフランス王がやって来て陣を張り始めるわ、兵糧攻めだとかいって城への道は閉ざされるから商いはできなくなるわ、そのうち戦いはおっぱじまるわで、13世紀初めは騒々しいことこの上なかったんだ。
という感じになるでしょう。城が出来るまでの暮らしぶり、城が出来てから落ちるまで、フランス王の支配になってからの暮らしぶり、そのあたりのことを知っているのは土地の人だけです。権力地図が書き変わるたびに、街の重要性も変われば、それにあわせて庶民の生活の様子や文化程度なども変わったのではないかと想像します。そういう地方の歴史、中央に組み込まれることで影に隠れてしまった地方色や、あるいは中央に弓引く者として退けられ排された者たちの歴史などに、とても興味を引かれる今日この頃です。
なぜこんなに、排され押しつぶされた側に興味がいくのかなぁと考えてみるに、それは多分、しばらく前に読んだ小説の影響だろうと思い至りました。
以前にもご紹介したことがあります。飯嶋和一の「神無き月十番目の夜」という小説です。
決して楽しい話ではないし、勇気や慰めを貰えるというのでもない、はっきりと言えば気が滅入る部類の小説だと思います。それでも、わたしはこの作品を傑作だと思っているのです。小説としての出来も素晴らしいし、その中に織り込まれている筆者の史実への目の向け方が素晴らしい。わたしはこの作品で歴史の見方、面白さを教えてもらったと思います。
小説の面白さを損ないたくないので詳細な説明はしません。ただ、この小説の舞台となるのが、戦国時代にその位置から独特な役割を担うことになったある村なのです。独特な役割を担っていたために、領主の配下にありながらもほぼ完全な自治が認められていた村。それが、戦国時代から関ヶ原を経て徳川の支配に移り変わる中で、これまでのような“特別”枠からはずされることになります。ちっぽけな山間の村もそこに生きる人々も、世の趨勢とは無関係ではいられません。変わりたがらない村人や、中央のやり方に疑問を抱く人々は、ことごとく「お上に逆らうもの」と看做されます。
わたしはこれを読んだ時、あぁこういうことだったのか、と初めて目が開いた気がしました。
時代をさかのぼれば、蝦夷だの熊襲だの、大和朝廷に弓引く者として征伐の対象になった人たちがいました。征伐だなんて、蝦夷や熊襲にしたらいい迷惑です。南仏の人たちだって、なぜ自分たちが異端と呼ばれて逐われ焼き殺されるのか、まったくもって理解できなかったでしょう。
中央に弓引くもの=悪=とるに足らない者=滅びる運命だったもの
はっきりと意識されてはいないけれど、淡々と史実を追って行く学校の歴史の教え方は、そんなふうに敗者に対してはまったく注意を払わないという中央の権力者の視点を「あたりまえ」にしていたかもしれません。でも、歴史は勝者だけのものではないし、敗者には敗者の理屈があったはず。
それにようやく気がついた時、突如として歴史がいきいきと見え始めました。そして「郷土史って大切だ」とも思ったのです。
例え表向きには勝者敗者があれど、人間の歴史という観点で見ると、その場所で生きた人すべてが歴史なのです。敗者とか逐われた者を丹念に掘り起こして見たら、あるいは特定の街の歴史を丹念に調べてみたら、まったく別な色の歴史が見えてきそうな気がします。考えただけでもワクワクします。
一般的な歴史というのは、あくまでも勝者の理屈なんだなぁ。
ということでした。
そんなこと当然でしょと思われるかもしれませんが、例えば、フランス王フィリップ2世に兵糧攻めされた挙げ句に攻め落とされたガイヤール城の歴史などを実際の城跡に立って読んでみると、その「当然でしょ」が全然当然とは思えなくなるのです。世間一般では名君と評されようと、フィリップ2世はこの城にとっては憎たらしい敵であり、無念の思いがこみ上げて来るのであります。(判官びいきでしょうかね?)
しかも、フィリップ2世はアルビジョア十字軍を利用して王家の増力を図った張本人です。いかに土地欲しさ故とはいえ、異端征伐という名目があったとはいえ、無差別殺戮もすれば、当時の教会資料などもことごとく焼き尽くしたのがアルビジョア派征伐です。随分思い切ったことをしたもんだと思わないではいられません。
フランス王家という、いわば中央の権力を増すために、地方文化圏であるノルマンディーや南仏が屈服させられる。屈服させられたのは時の領主ばかりでなく、その土地ならではの文化や習慣、伝統もあったでしょう。そういうことは一切考慮せず、教科書的にはこう記述されるのです。
フィリップ2世は、イングランド王家でフランス南部に広大な領地を有するプランタジネット家との抗争に勝利し、その大陸領土の大部分をフランス王領に併合した他、アルビジョア十字軍を利用して、王権をトゥールーズ、オーヴェルニュ、プロヴァンスといったフランス南東部から神聖ローマ帝国領にまで及ぼした。この結果、フランス王権は大いに強まり、フランスはヨーロッパ一の強国となった。(wikipediaより引用)
しかし、これはあくまでもフランスという現在ある国家の歴史なのです。ひとたび目を転じて、例えばガイヤール城のあるレ・ザンドリという街に注目するなら、
それまではセーヌ川で魚を釣り、畑を耕して平和に暮らしていたっていうのに、12世紀も終わろうっていう時に突然ノルマンディー公が崖の上にでっかい城塞なんか建てちゃってさ、そうこうしているうちに今度はこの城を落とそうってんでフランス王がやって来て陣を張り始めるわ、兵糧攻めだとかいって城への道は閉ざされるから商いはできなくなるわ、そのうち戦いはおっぱじまるわで、13世紀初めは騒々しいことこの上なかったんだ。
という感じになるでしょう。城が出来るまでの暮らしぶり、城が出来てから落ちるまで、フランス王の支配になってからの暮らしぶり、そのあたりのことを知っているのは土地の人だけです。権力地図が書き変わるたびに、街の重要性も変われば、それにあわせて庶民の生活の様子や文化程度なども変わったのではないかと想像します。そういう地方の歴史、中央に組み込まれることで影に隠れてしまった地方色や、あるいは中央に弓引く者として退けられ排された者たちの歴史などに、とても興味を引かれる今日この頃です。
なぜこんなに、排され押しつぶされた側に興味がいくのかなぁと考えてみるに、それは多分、しばらく前に読んだ小説の影響だろうと思い至りました。
以前にもご紹介したことがあります。飯嶋和一の「神無き月十番目の夜」という小説です。
決して楽しい話ではないし、勇気や慰めを貰えるというのでもない、はっきりと言えば気が滅入る部類の小説だと思います。それでも、わたしはこの作品を傑作だと思っているのです。小説としての出来も素晴らしいし、その中に織り込まれている筆者の史実への目の向け方が素晴らしい。わたしはこの作品で歴史の見方、面白さを教えてもらったと思います。
小説の面白さを損ないたくないので詳細な説明はしません。ただ、この小説の舞台となるのが、戦国時代にその位置から独特な役割を担うことになったある村なのです。独特な役割を担っていたために、領主の配下にありながらもほぼ完全な自治が認められていた村。それが、戦国時代から関ヶ原を経て徳川の支配に移り変わる中で、これまでのような“特別”枠からはずされることになります。ちっぽけな山間の村もそこに生きる人々も、世の趨勢とは無関係ではいられません。変わりたがらない村人や、中央のやり方に疑問を抱く人々は、ことごとく「お上に逆らうもの」と看做されます。
わたしはこれを読んだ時、あぁこういうことだったのか、と初めて目が開いた気がしました。
時代をさかのぼれば、蝦夷だの熊襲だの、大和朝廷に弓引く者として征伐の対象になった人たちがいました。征伐だなんて、蝦夷や熊襲にしたらいい迷惑です。南仏の人たちだって、なぜ自分たちが異端と呼ばれて逐われ焼き殺されるのか、まったくもって理解できなかったでしょう。
中央に弓引くもの=悪=とるに足らない者=滅びる運命だったもの
はっきりと意識されてはいないけれど、淡々と史実を追って行く学校の歴史の教え方は、そんなふうに敗者に対してはまったく注意を払わないという中央の権力者の視点を「あたりまえ」にしていたかもしれません。でも、歴史は勝者だけのものではないし、敗者には敗者の理屈があったはず。
それにようやく気がついた時、突如として歴史がいきいきと見え始めました。そして「郷土史って大切だ」とも思ったのです。
例え表向きには勝者敗者があれど、人間の歴史という観点で見ると、その場所で生きた人すべてが歴史なのです。敗者とか逐われた者を丹念に掘り起こして見たら、あるいは特定の街の歴史を丹念に調べてみたら、まったく別な色の歴史が見えてきそうな気がします。考えただけでもワクワクします。
by poirier_AAA
| 2011-08-25 22:13
| 歴史と文化を学ぶ
|
Comments(2)
Commented
by
saheizi-inokori at 2011-08-26 09:57
「神無き月、、」読みましたよ。
面白かったということだけ覚えています。
昨夜テレビを見ていたら小沢一郎が側近の平野に「日本で大震災があった後の政治について調べてくれ」と言われて判る限りのことを調べたそうです。
関東大震災の後と、安政の大震災ではずいぶん違っていて、後者はその後の日本を創るのに大きな貢献をした由。
龍馬の考え方も影響を受けたそうです。
先日書いた受験の歴史ですが、ある大学の日本史は当時としては独特の問題を出していました。
「日本の衣服の歴史」とか「食べ物の歴史」など、暗記も必要ですが暗記した事柄を頭の中で編集できる能力も少しは
試したのでしょう。
歴史というのは複眼で見るべきだし、いろんな視点をもつから見えなかったものが見えてきますね。
面白かったということだけ覚えています。
昨夜テレビを見ていたら小沢一郎が側近の平野に「日本で大震災があった後の政治について調べてくれ」と言われて判る限りのことを調べたそうです。
関東大震災の後と、安政の大震災ではずいぶん違っていて、後者はその後の日本を創るのに大きな貢献をした由。
龍馬の考え方も影響を受けたそうです。
先日書いた受験の歴史ですが、ある大学の日本史は当時としては独特の問題を出していました。
「日本の衣服の歴史」とか「食べ物の歴史」など、暗記も必要ですが暗記した事柄を頭の中で編集できる能力も少しは
試したのでしょう。
歴史というのは複眼で見るべきだし、いろんな視点をもつから見えなかったものが見えてきますね。
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poirier_AAA at 2011-08-26 16:30
>saheiziさん、こんにちは。
日本の政治家には「歴史」意識がまったくなさそうだと思っていたんですが、中には考えている人もいたんですね。
災害や事故は転換点になりうるんですよね。今回のこと、良い方向に転換するキッカケになればいいんですが。
大学入試、わたしも同じです。なんとか入れた大学の世界史は小論文だったんですよ(感謝)。普通の試験だった学校は全滅でした〜。
日本の政治家には「歴史」意識がまったくなさそうだと思っていたんですが、中には考えている人もいたんですね。
災害や事故は転換点になりうるんですよね。今回のこと、良い方向に転換するキッカケになればいいんですが。
大学入試、わたしも同じです。なんとか入れた大学の世界史は小論文だったんですよ(感謝)。普通の試験だった学校は全滅でした〜。