2011年 06月 09日
足跡 |
現在のルーヴル美術館は12世紀には城塞でした。フランス語で言えばシャトー・フォール(Château fort)です。それが軍事的な意味合いが薄れるにつれて、次第に王家の城館(Château)として改築され整えられた結果、現在の姿に至りました。
美術館としてのルーヴルに興味を持つ旅行者には人気がない場所ですが、ルーヴルの地下には12世紀当時の城塞の一部が残っています。
お城の基底部分にあたる部分に積み上げられた石を注意深く眺めると、石の表面にハート形が刻まれているのに気がつきます。旅行者の悪戯かな、酷いことするねと思っていたら、それは間違い。ルーヴルの学芸員の説明を聞いて初めて知りました。
この♡を刻んだのは12世紀の職人。でも愛の証ではありませんよ。石を切り出す職人の一人一人が自分の印を持っていてそれを石に刻むのです。そして賃金の計算をする時に、この印が何個あるか数えます。つまり、これは12世紀のある職人の「担当者印」というわけです。頑張っても1日に切り出せる石の個数はせいぜい3つだったといいますから、どの1つも大事な労働の証しなのですね。
この話を聞いてからというもの、古い建物の石の表面を確認する癖がつきました。
そうしてみると、結構みつかるものなのです。
これはヴェズレーのサント・マドレーヌ大聖堂の床。(MとP)
そして、これはモン・サン・ミシェル。教会前のテラスの石畳。(Aと8)
大聖堂では広い空間をカメラにおさめようと上に向ってカメラを構える人がほとんどなので、足下に向けて写真を撮っていると変な顔をされます。でも、見つけてしまうと無視できない。何百年も前に生きて、この建設現場に関わった“特定の”個人がいたのだと思うと、無性に心が騒ぎます。
考えたら、ルーヴルもヴェズレーもモン・サン・ミシェルもみな11世紀から12世紀にかけて造られた建物なのでした。このあたりの時代、好きなんですよね。
もし中世の建築物を訪ねることがあったら、ちょっと足下を見てみて下さい。
ひょっとしたらそこに、昔の人の労働の印が見つかるかもしれません。
美術館としてのルーヴルに興味を持つ旅行者には人気がない場所ですが、ルーヴルの地下には12世紀当時の城塞の一部が残っています。
お城の基底部分にあたる部分に積み上げられた石を注意深く眺めると、石の表面にハート形が刻まれているのに気がつきます。旅行者の悪戯かな、酷いことするねと思っていたら、それは間違い。ルーヴルの学芸員の説明を聞いて初めて知りました。
この♡を刻んだのは12世紀の職人。でも愛の証ではありませんよ。石を切り出す職人の一人一人が自分の印を持っていてそれを石に刻むのです。そして賃金の計算をする時に、この印が何個あるか数えます。つまり、これは12世紀のある職人の「担当者印」というわけです。頑張っても1日に切り出せる石の個数はせいぜい3つだったといいますから、どの1つも大事な労働の証しなのですね。
この話を聞いてからというもの、古い建物の石の表面を確認する癖がつきました。
そうしてみると、結構みつかるものなのです。
これはヴェズレーのサント・マドレーヌ大聖堂の床。(MとP)
そして、これはモン・サン・ミシェル。教会前のテラスの石畳。(Aと8)
大聖堂では広い空間をカメラにおさめようと上に向ってカメラを構える人がほとんどなので、足下に向けて写真を撮っていると変な顔をされます。でも、見つけてしまうと無視できない。何百年も前に生きて、この建設現場に関わった“特定の”個人がいたのだと思うと、無性に心が騒ぎます。
考えたら、ルーヴルもヴェズレーもモン・サン・ミシェルもみな11世紀から12世紀にかけて造られた建物なのでした。このあたりの時代、好きなんですよね。
もし中世の建築物を訪ねることがあったら、ちょっと足下を見てみて下さい。
ひょっとしたらそこに、昔の人の労働の印が見つかるかもしれません。
by poirier_AAA
| 2011-06-09 02:04
| 歴史と文化を学ぶ
|
Comments(4)
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kanafr at 2011-06-09 03:24
私もモン・サン・ミッシェルのテラスに敷き詰められた石畳みに刻まれたサインを見つけ写真に撮りました。
何だか思わず「ご苦労様」って言ってしまいましたよ。
こういう歴史ある建造物に刻まれたサインを見ると、それにかかわった名も知らぬ人達の息吹が感じられ何とも言えない気持ちになりますよね。
何だか思わず「ご苦労様」って言ってしまいましたよ。
こういう歴史ある建造物に刻まれたサインを見ると、それにかかわった名も知らぬ人達の息吹が感じられ何とも言えない気持ちになりますよね。
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saheizi-inokori at 2011-06-09 09:13
面白いですね。
日本の城郭などは歩合賃金というより無償労働だったのでしょう、印はない。
印がなくとも必ず中世の男たちの汗の刻印があるはず。
上を向いて歩くばかりじゃなくて下を向いて歩くのもいいですね^^。
日本の城郭などは歩合賃金というより無償労働だったのでしょう、印はない。
印がなくとも必ず中世の男たちの汗の刻印があるはず。
上を向いて歩くばかりじゃなくて下を向いて歩くのもいいですね^^。
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poirier_AAA at 2011-06-09 16:35
>kanafrさん、
Kanafrさんも気づかれたんですか。自分以外にもサインに気づいていた人がいたなんて、ちょっと嬉しいです。
こういうところから昔の人やその生活の様子に思いを馳せるのって楽しいですよね。
Kanafrさんも気づかれたんですか。自分以外にもサインに気づいていた人がいたなんて、ちょっと嬉しいです。
こういうところから昔の人やその生活の様子に思いを馳せるのって楽しいですよね。
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poirier_AAA at 2011-06-09 16:52
>saheiziさん、こんにちは。
面白いでしょう。
昔の大きな建造物って無償労働のものが多いと思います。そびえ立った建物を眺めながら、一体どれだけの名もなき人々が働いたんだろうといつも考えてしまいます。
そう、たまに違うところに目を向けると思わぬ発見があったりしますよね。下を向いて歩くのも楽しいです。
ただし、パリを歩く場合には(下を向いて歩くのは)楽しみよりも必須の生活習慣なのであります。
面白いでしょう。
昔の大きな建造物って無償労働のものが多いと思います。そびえ立った建物を眺めながら、一体どれだけの名もなき人々が働いたんだろうといつも考えてしまいます。
そう、たまに違うところに目を向けると思わぬ発見があったりしますよね。下を向いて歩くのも楽しいです。
ただし、パリを歩く場合には(下を向いて歩くのは)楽しみよりも必須の生活習慣なのであります。