2011年 06月 06日
モン・サン=ミシェルへ |
学校が木曜日からお休みだった長い週末、我が家は思い立って日帰りモン・サン=ミシェル行きを決行しました。
モン・サン=ミシェルはパリから北西に360キロほど。順調に飛ばせば3時間少しの距離です。位置的にはノルマンディーとブルターニュのちょうど境あたりになります。ノルマンディーののどかな田園風景が、カンをすぎてしばらく行くと少しずつ変わってきます。それまではうっそうと茂った森や林があちこちに多く見られたのに、その木々がすこしずつまばらになって点在するようになります。のどかさはあるけれど、海が近づくにつれて木々の高さも低くなり、季節が今でなかったら荒々しささえ感じるかもしれないと思われる場所もあります。
そうこうしているうちに遠くの地平線に姿が見えてきます。遮るものがまわりにほとんどない平野部で、この姿は異様です。手前に草を食む牛や羊がいるから長閑と見えるだけで、それがなかったら本当にこの世の果ての山のよう。
いにしえの巡礼者たちはこの姿を目にして畏れに足がすくんだのではと思います。
やがて車は島の少し手前にある駐車場に入ります。ここまでくると島の偉容が細部までくっきりと見えるようになります。
サン=ミシェル(聖ミカエル)と大天使の名がついたこの山は、もともとは修道院から始まりました。しかし年を経るごとに麓に住む人も増え、やがて島を囲むように城壁が築かれ、修道院を頂く堅固な要塞となりました。ノルマンディーを舞台にした英仏間の長い争いの間にも決して陥落することがなかったという、難攻不落の存在です。
以前来た時には、この地を目指した修道僧や巡礼者たちが潮にのまれて命を落とすこともあったという話に甚く心を動かされたものでしたが、今回はむしろ宗教面より軍事面、要塞としての凄さを感じました。本当に良くできている。城壁に穿たれた穴、内部に入るための唯一の入り口となる跳ね橋(←)、山頂に続く細い路地。島の周囲の崖は切り立って容易に侵入者を近づけません。これぞまさに自然の要塞です。
修道院も、これまた面白い。図を見てみると良くわかるのですが、島の頂上部分の岩山を内部に取り込むようにして建っています。一番高いところにあるのが修道院付属の教会です。様々な建築様式が混じり合った内部ですが、目を惹いたのは身廊の天井でした。なんと板張り。教会脇の美しい列柱廊も、その隣の食堂もいずれも天井は板張りでした。おそらくは重量を軽くするためなのです。←は列柱廊
このてっぺんにある教会の下の階に降りてみると、一瞬、森の奥深くに迷い込んでしまったかと感じるような不思議な空間があります。それが太柱の礼拝堂と呼ばれるこちら(←)。なぜこんな風なのかと言えば、これは上階を支えるための土台なのです。この礼拝堂の上には教会の内陣があって、その重さをこの太く密集した柱で受けているというわけです。
建築的な見所満載の修道院で、説明し出したらきりがありません。ここはぐいっと視線を転じて、モン・サン=ミシェルらしい景色をいくつかどうぞ。
まずは山頂部分からの眺め。潮が引いた後の干潟が続く中を人が歩いています。 こちらは上から真下をのぞいた写真。階段が多かったわけです。こんなに高い。 こちらは修道院を出たところ。側面(裾部分)だけ見るとお城のようです。 道の途中にあった花々。紫陽花がこれから開くところでした。 そして最後はこれ。入場券売り場のところで見つけました。 ありがたい気持ちでいっぱいになりました。
モン・サン=ミシェルはパリから北西に360キロほど。順調に飛ばせば3時間少しの距離です。位置的にはノルマンディーとブルターニュのちょうど境あたりになります。ノルマンディーののどかな田園風景が、カンをすぎてしばらく行くと少しずつ変わってきます。それまではうっそうと茂った森や林があちこちに多く見られたのに、その木々がすこしずつまばらになって点在するようになります。のどかさはあるけれど、海が近づくにつれて木々の高さも低くなり、季節が今でなかったら荒々しささえ感じるかもしれないと思われる場所もあります。
そうこうしているうちに遠くの地平線に姿が見えてきます。遮るものがまわりにほとんどない平野部で、この姿は異様です。手前に草を食む牛や羊がいるから長閑と見えるだけで、それがなかったら本当にこの世の果ての山のよう。
いにしえの巡礼者たちはこの姿を目にして畏れに足がすくんだのではと思います。
やがて車は島の少し手前にある駐車場に入ります。ここまでくると島の偉容が細部までくっきりと見えるようになります。
サン=ミシェル(聖ミカエル)と大天使の名がついたこの山は、もともとは修道院から始まりました。しかし年を経るごとに麓に住む人も増え、やがて島を囲むように城壁が築かれ、修道院を頂く堅固な要塞となりました。ノルマンディーを舞台にした英仏間の長い争いの間にも決して陥落することがなかったという、難攻不落の存在です。
以前来た時には、この地を目指した修道僧や巡礼者たちが潮にのまれて命を落とすこともあったという話に甚く心を動かされたものでしたが、今回はむしろ宗教面より軍事面、要塞としての凄さを感じました。本当に良くできている。城壁に穿たれた穴、内部に入るための唯一の入り口となる跳ね橋(←)、山頂に続く細い路地。島の周囲の崖は切り立って容易に侵入者を近づけません。これぞまさに自然の要塞です。
修道院も、これまた面白い。図を見てみると良くわかるのですが、島の頂上部分の岩山を内部に取り込むようにして建っています。一番高いところにあるのが修道院付属の教会です。様々な建築様式が混じり合った内部ですが、目を惹いたのは身廊の天井でした。なんと板張り。教会脇の美しい列柱廊も、その隣の食堂もいずれも天井は板張りでした。おそらくは重量を軽くするためなのです。←は列柱廊
このてっぺんにある教会の下の階に降りてみると、一瞬、森の奥深くに迷い込んでしまったかと感じるような不思議な空間があります。それが太柱の礼拝堂と呼ばれるこちら(←)。なぜこんな風なのかと言えば、これは上階を支えるための土台なのです。この礼拝堂の上には教会の内陣があって、その重さをこの太く密集した柱で受けているというわけです。
建築的な見所満載の修道院で、説明し出したらきりがありません。ここはぐいっと視線を転じて、モン・サン=ミシェルらしい景色をいくつかどうぞ。
まずは山頂部分からの眺め。潮が引いた後の干潟が続く中を人が歩いています。
by poirier_AAA
| 2011-06-06 09:03
| フランスを歩く
|
Comments(4)
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saheizi-inokori at 2011-06-06 09:34
ずいぶんよく考えて作られた姫路城よりも軍事的な厳しい匂いを感じます。
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kanafr at 2011-06-06 09:45
私もモンサンミッシェルは、日本からの友人と2.3回、取材の仕事で泊りがけで1回行きました。
夜は、本当に満天の星になってその夜空にミカエルが燦然と輝いていたのを思い出します。
モンサンミッシェルは日本人観光客に大人気で、あそこで働いている方に取材したら何と全体の60%が日本人観光客だそうです。
だからって事はないでしょうけれど、ヴェルサイユでもそうですし、各観光場所で、こういう張り紙を見ると、本当に有り難くって、嬉しくなりますよね。
夜は、本当に満天の星になってその夜空にミカエルが燦然と輝いていたのを思い出します。
モンサンミッシェルは日本人観光客に大人気で、あそこで働いている方に取材したら何と全体の60%が日本人観光客だそうです。
だからって事はないでしょうけれど、ヴェルサイユでもそうですし、各観光場所で、こういう張り紙を見ると、本当に有り難くって、嬉しくなりますよね。
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poirier_AAA at 2011-06-06 16:47
>saheiziさん、
こういう島を目の前にしたら、攻める方は相当気が削がれるでしょうね。島自体の要塞としての作りも凄いですが、もっと凄いのは満潮時に陸から完全に離れて海の中に孤立してしまえることです。時間をかけてゆっくり攻める事もできませんしね。本当によくできていると思います。
こういう島を目の前にしたら、攻める方は相当気が削がれるでしょうね。島自体の要塞としての作りも凄いですが、もっと凄いのは満潮時に陸から完全に離れて海の中に孤立してしまえることです。時間をかけてゆっくり攻める事もできませんしね。本当によくできていると思います。
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poirier_AAA at 2011-06-06 16:59
>kanafrさん、
今回は子どもたちのエネルギー不足(要するにお昼ご飯が少なかったうえ、おやつがなかった)のため、思うようにゆっくりできませんでした。次回は是非泊まりでゆっくり見て回りたいと思っています。
遠い日本で起きた災害が、世界各地の観光業界にまで影響を与えているんですよね。本当に大変な思いをしている人たちがこの貼り紙を見る事はないでしょうけれど、それでもこうして気持ちを伝えようとしてくれるところが嬉しいです。こういうことを、わたしたちはちゃんと覚えていて恩返しをしなければいけませんよね。
今回は子どもたちのエネルギー不足(要するにお昼ご飯が少なかったうえ、おやつがなかった)のため、思うようにゆっくりできませんでした。次回は是非泊まりでゆっくり見て回りたいと思っています。
遠い日本で起きた災害が、世界各地の観光業界にまで影響を与えているんですよね。本当に大変な思いをしている人たちがこの貼り紙を見る事はないでしょうけれど、それでもこうして気持ちを伝えようとしてくれるところが嬉しいです。こういうことを、わたしたちはちゃんと覚えていて恩返しをしなければいけませんよね。