2011年 05月 11日
集落と自治 |
フランス国内をドライヴしていると緑の多さに驚きます。日本の風景を見慣れていると、緑が多いところイコール山間部で、人が住んだり耕作をしたりするには不便な場所だからこれだけ自然も残っているのだ、などと考えてしまうわけですが、フランスはそうではありません。広い平野部分、あるいは穏やかな起伏の丘陵部分でもうっそうと木が茂っている場所が沢山あるのです。これを見て、今更ながら日本という国の狭い国土を最大限に利用して人が生活していることの特殊性を感じます。
緑の多い場所にぽつんと隠れるようにして建っているお屋敷を見たりすると、自然に囲まれて穏やかに生活を楽しむ暮らしを夢想してしまうのですが、実際に住むとなったら怖いだろうなぁと思います。隣人の目を気にすることなく静かにマイペースで生きられる反面、何か問題がおきても誰にも助けてもらえない厳しい孤立を覚悟することになるでしょう。
誰にも煩わされない暮らしは憧れるけれど、リスクも大きい。だから集落が必要なのです。何かあった時に助け合えるように、ゆるい共同体を形成するのです。大きな街に住んでいるとあまり意識することはありませんが、こんなふうに自然のなかに点在する村の様子を見ていると、集落の基本的な存在意義は互助だと実感します。
そんなことを考えていたときに日本のニュースに接して、あらためて集落(地域の共同体)の力のようなものを感じました。日本では3.11以降政府の対応の遅さや責任感のなさに批判が高まっていますけれど、そもそも「国」をあてにするのではなく、自分たちで出来るだけのことをしようと考えて動いている土地があるのです。もうご存知の方もたくさんいらっしゃると思います、それは郡山市であり、吉里吉里であり、栄村なのです。ちょっと大袈裟ですが、日本の底力はここにあるのだという感じを持ちました。
子どもへの放射線限度量を年間20mSvとした政府に対して、いち早く自治体として対策を打ち出したのが郡山市でした。また、校庭の土を入れ替えたり学校を掃除したりといった保護者の自主的な動きがあることも、リンクしている「ふくしま「I-e」ごはん。」で教えてもらいました。
吉里吉里のことは、つい数日前のルモンド紙に載ったフィリップ・ポンス氏の記事で初めて知りました。日本の新聞にも同じような内容で取り上げられていたので、参考までに転載します。4月14日の毎日新聞の記事です。
【東日本大震災:支え合う「吉里吉里人」 独立精神で復旧】
東日本大震災で被害を受けた岩手県大槌町の中心部から東約3キロの地に、太平洋に面した約780世帯の集落がある。東北地方の寒村が政府から分離独立する姿を描いた故・井上ひさしさんの小説「吉里吉里(きりきり)人」を機に町おこしをして注目された吉里吉里地区。今回の震災でも住民の手で道路を復旧させたり、自衛隊のヘリコプターを誘導して患者を搬送するなど「独立精神」で避難生活を支え合っている。
8日午後4時半、約130人が避難していた町立吉里吉里小の教室で、震災翌日から続く災害対策本部の定例会議が始まった。住民の中から選ばれた食料、医療など各班の班長ら10人が集まり、現状報告や救援物資の分配方法を話し合った。「行政を待っていたら、いつまでたっても復旧しない」。本部長の東谷寛一さん(67)が声を上げ参加者は深くうなずいた。
震災で吉里吉里地区は約90人が死亡・行方不明になり、町中心部への国道はがれきで寸断された。元消防団長の東谷さんら住民たちは「このままでは孤立してしまう」と不明者を捜しながら重機で国道や町道のがれきを数日で撤去。コンビニエンスストア店主の協力で、在庫のパンや飲料水を救援物資として住民に配布した。
患者やけが人への対応も早かった。地区で防災のため準備した発電機を使い医療用の電源を確保。さらに重傷者や透析患者を運び出すため、地元の特別養護老人ホーム「らふたぁヒルズ」施設長の芳賀潤さん(46)が、吉里吉里中学校の校庭にライン引きでヘリポートを示す「H」の文字を大きく書き、それを見た自衛隊のヘリコプターが着陸。患者を順次搬送してもらった。
住民によると、震災5日後に地区に入った自衛隊員たちは「ここまで自力で復旧させるとは」と片付けたがれきの様子に驚嘆したという。町職員たちも「あそこは住民の結束力が強く、まさに独立国」とたたえる。東谷さんは「昔からのつながりがあるからこそ、住民主体で復旧できた。住民が希望が持てるような施策を早く打ち出してほしい」と話している。【山川淳平、高木香奈】
栄村のことは、あまり知られていないかもしれません。長野県北部の新潟県境の山間の村で、3月12日に震度6強という強い地震があり被害が出ています。が、とにかく東日本でおこっていることが(原発も含め)生半可な大きさでなかったこと、対してこちらには派手な被害が出なかったことで、当初は東北太平洋側の被害の影に隠れて「忘れられた震災」などとも呼ばれたそうです。吉里吉里とはタイプが違うかもしれませんが、豪雪地帯であり、長野県側から見ても新潟県側から見ても山間の、結束し自治していかなければやっていかれない土地なのです。ここで支援活動を行っている復興支援機構「結い」の活動や代表者の話など折に触れて追っておりますが、土地の生活の在り方によく通じていて、地域密着型の支援の仕方だと感心します。
栄村については、リンク先も含めこちらが参考になると思います。
栄村復興支援機構「結い」
http://kaigo.nsyakyo.or.jp/sakae/
栄村ネットワーク
http://sakaemura-net.jugem.jp/
海とともに生活する村も、山間で雪とともに生活する村も、それぞれがそれぞれのやり方で自分たちの生活を賄って来たはずです。そしてそれは郡山市のような大きな街での暮らしともまた違います。なにをどうしたら住民が安心して暮らせるのか、なにをどうしたら「これでよし」となるのか、そのへんの匙加減ができるのはそこで暮らす人たちだけです。
わたしが生まれ育った地方の中途半端な大きさの街も、成人してから長く暮らした東京という大都会も、そういった生活共同体という意識を持つのはなかなか難しい土地でした。共同体の求心力が弱くて、だから自分たちがその共同体から恩恵を被っているという意識もほとんどありません。人が接近して住んでいるから、隣人や他人を意識し始めたらストレスばかり増えます。それでも、今回のような災害時、地域の共同体の大切さや存在意義をあらためて感じるわけです。
これはわたし個人の傾向なのか、それとも家族の考え方の傾向なのか、はたまたこの年代の人間の特徴なのか、自分でもよくわかりません。ただ、若い頃はデメリットのことしか考えなかった共同体、束縛から逃れることばかりを考えて来た共同体、それには家族や血縁、国といった概念まで含まれたわけですが、それに帰属することが必ずしも「長いものに巻かれる」ことにはならないのだと、この歳になって、異国に住んで、ようやくわかって来たような気がするのです。
国にしかできないこともありますが、まずは手っ取り早い自治の範囲で、自分たちの土地の特性や構成員、ライフスタイルの分析や公共の利益の在り方、ライフラインの確認、災害対策の徹底など、できることはいろいろありそうな気がします。いざというときに頼りになるのは、遠くの国より近くの自治体ではないでしょうか?そう考えると、地域の自治体の仕事ってとても大事だと思うのです。
緑の多い場所にぽつんと隠れるようにして建っているお屋敷を見たりすると、自然に囲まれて穏やかに生活を楽しむ暮らしを夢想してしまうのですが、実際に住むとなったら怖いだろうなぁと思います。隣人の目を気にすることなく静かにマイペースで生きられる反面、何か問題がおきても誰にも助けてもらえない厳しい孤立を覚悟することになるでしょう。
誰にも煩わされない暮らしは憧れるけれど、リスクも大きい。だから集落が必要なのです。何かあった時に助け合えるように、ゆるい共同体を形成するのです。大きな街に住んでいるとあまり意識することはありませんが、こんなふうに自然のなかに点在する村の様子を見ていると、集落の基本的な存在意義は互助だと実感します。
そんなことを考えていたときに日本のニュースに接して、あらためて集落(地域の共同体)の力のようなものを感じました。日本では3.11以降政府の対応の遅さや責任感のなさに批判が高まっていますけれど、そもそも「国」をあてにするのではなく、自分たちで出来るだけのことをしようと考えて動いている土地があるのです。もうご存知の方もたくさんいらっしゃると思います、それは郡山市であり、吉里吉里であり、栄村なのです。ちょっと大袈裟ですが、日本の底力はここにあるのだという感じを持ちました。
子どもへの放射線限度量を年間20mSvとした政府に対して、いち早く自治体として対策を打ち出したのが郡山市でした。また、校庭の土を入れ替えたり学校を掃除したりといった保護者の自主的な動きがあることも、リンクしている「ふくしま「I-e」ごはん。」で教えてもらいました。
吉里吉里のことは、つい数日前のルモンド紙に載ったフィリップ・ポンス氏の記事で初めて知りました。日本の新聞にも同じような内容で取り上げられていたので、参考までに転載します。4月14日の毎日新聞の記事です。
【東日本大震災:支え合う「吉里吉里人」 独立精神で復旧】
東日本大震災で被害を受けた岩手県大槌町の中心部から東約3キロの地に、太平洋に面した約780世帯の集落がある。東北地方の寒村が政府から分離独立する姿を描いた故・井上ひさしさんの小説「吉里吉里(きりきり)人」を機に町おこしをして注目された吉里吉里地区。今回の震災でも住民の手で道路を復旧させたり、自衛隊のヘリコプターを誘導して患者を搬送するなど「独立精神」で避難生活を支え合っている。
8日午後4時半、約130人が避難していた町立吉里吉里小の教室で、震災翌日から続く災害対策本部の定例会議が始まった。住民の中から選ばれた食料、医療など各班の班長ら10人が集まり、現状報告や救援物資の分配方法を話し合った。「行政を待っていたら、いつまでたっても復旧しない」。本部長の東谷寛一さん(67)が声を上げ参加者は深くうなずいた。
震災で吉里吉里地区は約90人が死亡・行方不明になり、町中心部への国道はがれきで寸断された。元消防団長の東谷さんら住民たちは「このままでは孤立してしまう」と不明者を捜しながら重機で国道や町道のがれきを数日で撤去。コンビニエンスストア店主の協力で、在庫のパンや飲料水を救援物資として住民に配布した。
患者やけが人への対応も早かった。地区で防災のため準備した発電機を使い医療用の電源を確保。さらに重傷者や透析患者を運び出すため、地元の特別養護老人ホーム「らふたぁヒルズ」施設長の芳賀潤さん(46)が、吉里吉里中学校の校庭にライン引きでヘリポートを示す「H」の文字を大きく書き、それを見た自衛隊のヘリコプターが着陸。患者を順次搬送してもらった。
住民によると、震災5日後に地区に入った自衛隊員たちは「ここまで自力で復旧させるとは」と片付けたがれきの様子に驚嘆したという。町職員たちも「あそこは住民の結束力が強く、まさに独立国」とたたえる。東谷さんは「昔からのつながりがあるからこそ、住民主体で復旧できた。住民が希望が持てるような施策を早く打ち出してほしい」と話している。【山川淳平、高木香奈】
栄村のことは、あまり知られていないかもしれません。長野県北部の新潟県境の山間の村で、3月12日に震度6強という強い地震があり被害が出ています。が、とにかく東日本でおこっていることが(原発も含め)生半可な大きさでなかったこと、対してこちらには派手な被害が出なかったことで、当初は東北太平洋側の被害の影に隠れて「忘れられた震災」などとも呼ばれたそうです。吉里吉里とはタイプが違うかもしれませんが、豪雪地帯であり、長野県側から見ても新潟県側から見ても山間の、結束し自治していかなければやっていかれない土地なのです。ここで支援活動を行っている復興支援機構「結い」の活動や代表者の話など折に触れて追っておりますが、土地の生活の在り方によく通じていて、地域密着型の支援の仕方だと感心します。
栄村については、リンク先も含めこちらが参考になると思います。
栄村復興支援機構「結い」
http://kaigo.nsyakyo.or.jp/sakae/
栄村ネットワーク
http://sakaemura-net.jugem.jp/
海とともに生活する村も、山間で雪とともに生活する村も、それぞれがそれぞれのやり方で自分たちの生活を賄って来たはずです。そしてそれは郡山市のような大きな街での暮らしともまた違います。なにをどうしたら住民が安心して暮らせるのか、なにをどうしたら「これでよし」となるのか、そのへんの匙加減ができるのはそこで暮らす人たちだけです。
わたしが生まれ育った地方の中途半端な大きさの街も、成人してから長く暮らした東京という大都会も、そういった生活共同体という意識を持つのはなかなか難しい土地でした。共同体の求心力が弱くて、だから自分たちがその共同体から恩恵を被っているという意識もほとんどありません。人が接近して住んでいるから、隣人や他人を意識し始めたらストレスばかり増えます。それでも、今回のような災害時、地域の共同体の大切さや存在意義をあらためて感じるわけです。
これはわたし個人の傾向なのか、それとも家族の考え方の傾向なのか、はたまたこの年代の人間の特徴なのか、自分でもよくわかりません。ただ、若い頃はデメリットのことしか考えなかった共同体、束縛から逃れることばかりを考えて来た共同体、それには家族や血縁、国といった概念まで含まれたわけですが、それに帰属することが必ずしも「長いものに巻かれる」ことにはならないのだと、この歳になって、異国に住んで、ようやくわかって来たような気がするのです。
国にしかできないこともありますが、まずは手っ取り早い自治の範囲で、自分たちの土地の特性や構成員、ライフスタイルの分析や公共の利益の在り方、ライフラインの確認、災害対策の徹底など、できることはいろいろありそうな気がします。いざというときに頼りになるのは、遠くの国より近くの自治体ではないでしょうか?そう考えると、地域の自治体の仕事ってとても大事だと思うのです。
by poirier_AAA
| 2011-05-11 21:46
| 世情を考える
|
Comments(2)
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by
mikttymama at 2011-05-13 12:11
朗報です。福島県二本松市という小さな自治体がリーダーシップをとりいち早く子どもの為に動き出しました。
そして幼稚園・保育園児に対するフォローも、民間企業と県のユニセフ協会がしてくださることになりました。まだまだ底力がありそうですよ、この福島!
そして幼稚園・保育園児に対するフォローも、民間企業と県のユニセフ協会がしてくださることになりました。まだまだ底力がありそうですよ、この福島!
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poirier_AAA at 2011-05-13 16:24
>mikttymamaさん、こんにちは。
つい先ほど、mikttymamaさんのところにお邪魔して読んで来たところでした。本当に頼もしく、有難いことですね。
もうあれから2ヶ月経ちました。怒りも不安も心配も心の痛みも、ここまで続くと飽和状態を通り越して体が受け付けなくなるような気がします。海外にいる自分ですらこんな調子なのだから、日常生活の中で常に「放射線」という目に見えないものを意識しなければならないmikttymamaさんや福島の方達のお疲れはいかばかりかと想像します。そんな状態にも拘らず、子どもや生活を守ろうと更に努力をなさっている皆様に、心から敬意を表します。
情けない政治家や企業人たちに、心ある生活者の姿と力を見せてやって下さい!
つい先ほど、mikttymamaさんのところにお邪魔して読んで来たところでした。本当に頼もしく、有難いことですね。
もうあれから2ヶ月経ちました。怒りも不安も心配も心の痛みも、ここまで続くと飽和状態を通り越して体が受け付けなくなるような気がします。海外にいる自分ですらこんな調子なのだから、日常生活の中で常に「放射線」という目に見えないものを意識しなければならないmikttymamaさんや福島の方達のお疲れはいかばかりかと想像します。そんな状態にも拘らず、子どもや生活を守ろうと更に努力をなさっている皆様に、心から敬意を表します。
情けない政治家や企業人たちに、心ある生活者の姿と力を見せてやって下さい!