2011年 04月 20日
いのち |
昨夜の夕食のテーブルにて。今回は駄目になっちゃったけどまた日本に行こうねぇという話をしていたら、ふっと息子が言い出した。
ぼく、大きいおばあちゃんのところに遊びに行きたい。
うーん、大きいおばあちゃんはもう死んじゃったから会えないんだよ。
死んじゃうともう会えないの?どこに行っちゃうの?
どこに行くんだろうねぇ。ママンも経験がないからわからない。でも死んだ後は天国に行くっていう人もいるよ。
どうやったらそこに行かれるの?
ママンも知らないの。多分その時が来たら自然にわかるんだと思うよ。
でも、ぼくわかんないよ。1人で行くのは怖いよ。ママンと一緒が良い。
ママンの方が年上だから、ママンが先に行くんだよ。だからキミの番が来たらちゃんと迎えに行って上げる。それで大丈夫かな?
どうしてママンの方が先に行くの?ママンも死んじゃうの?
そうだよ。生きているものはみないつかは死んじゃうねぇ。
ママンも年をとるの?どうやって年をとるの?
毎年1歳ずつ、5分経ったら5分のぶんだけみんな少しずつ年をとっていくの。
じゃあ○○も、××も、みんな年をとって死んじゃうの?
ボクも死んじゃうの?
そうだね。お野菜だって時間が経てば腐って行くし、お花も散って行くよね。それと同じで人間も動物も少しずつ年をとって死ぬんだよ。
誰がそんなふうにしたの?
誰が決めたわけじゃないけれど、そういうふうに世界が出来ているんだよ。
ぼく、年をとりたくない。おじいちゃんになんてなりたくないよ。
ママンがおばあちゃんになるのもイヤだよぉ。
ママン、おばあちゃんにならないって約束して。
ぼく、ママンが大好きだからずっとママンと一緒にいるよぉ。
死んじゃイヤだよぉ。
年をとらないでいるなんて、これまでどんな人にも出来たことはないんだよと言いたいところだけれど、そこまで言ったら息子が悪夢にうなされそうだったので、とりあえずあと10年くらいはなるべく若々しくいる努力をしようと考えながら、わたしは息子と指切りげんまんした。
こういう話、これまでも少ししたことはあったけれど、昨日ほど長く話したことはなかった(ここに書いたのは一部分だけ。生まれることについても話した)。現実に目の前にあること以外にも考えが及ぶようになって来たということか。
死ぬのは怖いよねぇ。自分が慣れ親しんだ世界から切り離され、まったく無になるのか別な世界に行くのか、何ひとつわからないから余計に怖い。でも、この道は生きとし生けるものすべてが通って行くのだ。嘘はつけない。
小さい子どもが、自分の命の先に何か良くわからないものが待ち受けていることに気がつく。こんなに小さくて、まだまだ夢も希望もたくさん持てるこの子たちですら、生まれたら死ぬという法則からは逃れられない。わたしは吉野弘の「初めての児に」という詩を思い出す。子どもが生まれた家に生命保険の勧誘員がやってくる。詩人はこう続ける。
顔の貌さえさだまらぬ
柔らかなお前の身体の
どこに
私は小さな死を
わけあたえたのだろう。
でも、そういう逃れられない命を生きている者として、大人も子どもも、ご先祖様もこれからうまれてくる子どもたちも、動物も植物もみな等しいのだ。自分の命を慈しむように、他の命も慈しみたい。人間さえ助かればいいじゃないかと考えるのは、同じように尊い他者の命を尊ばないという点で傲慢の一言に尽きる。大地の恵みとともに生きる人間にとっては、野菜だって家畜だって魚だって、それらを恵んでくれる大地や海とともに大切な、対等な命だ。生きるっていうけど、ほんとは生かしてもらっているんだよ。それをわすれちゃいけない。
幼い子は何も知らないけれど、生きているということでは大人と何も変わらない。子どもの問いは大人が見て見ぬ振りをし続けていることをずばりとついてくる。命って何だと聞いてくる。福島の子どもたちが発する問いに、原発関係者は恥じることなく答えられるか?子どもたちは“不完全な大人”でもなければ“無視してもいいちっぽけな存在”でもないよ。あなたたちと何も変わらない尊い命の持ち主だ。その命が問うているのだ。ぼくたちはどうなるの?
ノルマンディー(Trouville)の夕暮れ
ぼく、大きいおばあちゃんのところに遊びに行きたい。
うーん、大きいおばあちゃんはもう死んじゃったから会えないんだよ。
死んじゃうともう会えないの?どこに行っちゃうの?
どこに行くんだろうねぇ。ママンも経験がないからわからない。でも死んだ後は天国に行くっていう人もいるよ。
どうやったらそこに行かれるの?
ママンも知らないの。多分その時が来たら自然にわかるんだと思うよ。
でも、ぼくわかんないよ。1人で行くのは怖いよ。ママンと一緒が良い。
ママンの方が年上だから、ママンが先に行くんだよ。だからキミの番が来たらちゃんと迎えに行って上げる。それで大丈夫かな?
どうしてママンの方が先に行くの?ママンも死んじゃうの?
そうだよ。生きているものはみないつかは死んじゃうねぇ。
ママンも年をとるの?どうやって年をとるの?
毎年1歳ずつ、5分経ったら5分のぶんだけみんな少しずつ年をとっていくの。
じゃあ○○も、××も、みんな年をとって死んじゃうの?
ボクも死んじゃうの?
そうだね。お野菜だって時間が経てば腐って行くし、お花も散って行くよね。それと同じで人間も動物も少しずつ年をとって死ぬんだよ。
誰がそんなふうにしたの?
誰が決めたわけじゃないけれど、そういうふうに世界が出来ているんだよ。
ぼく、年をとりたくない。おじいちゃんになんてなりたくないよ。
ママンがおばあちゃんになるのもイヤだよぉ。
ママン、おばあちゃんにならないって約束して。
ぼく、ママンが大好きだからずっとママンと一緒にいるよぉ。
死んじゃイヤだよぉ。
年をとらないでいるなんて、これまでどんな人にも出来たことはないんだよと言いたいところだけれど、そこまで言ったら息子が悪夢にうなされそうだったので、とりあえずあと10年くらいはなるべく若々しくいる努力をしようと考えながら、わたしは息子と指切りげんまんした。
こういう話、これまでも少ししたことはあったけれど、昨日ほど長く話したことはなかった(ここに書いたのは一部分だけ。生まれることについても話した)。現実に目の前にあること以外にも考えが及ぶようになって来たということか。
死ぬのは怖いよねぇ。自分が慣れ親しんだ世界から切り離され、まったく無になるのか別な世界に行くのか、何ひとつわからないから余計に怖い。でも、この道は生きとし生けるものすべてが通って行くのだ。嘘はつけない。
小さい子どもが、自分の命の先に何か良くわからないものが待ち受けていることに気がつく。こんなに小さくて、まだまだ夢も希望もたくさん持てるこの子たちですら、生まれたら死ぬという法則からは逃れられない。わたしは吉野弘の「初めての児に」という詩を思い出す。子どもが生まれた家に生命保険の勧誘員がやってくる。詩人はこう続ける。
顔の貌さえさだまらぬ
柔らかなお前の身体の
どこに
私は小さな死を
わけあたえたのだろう。
でも、そういう逃れられない命を生きている者として、大人も子どもも、ご先祖様もこれからうまれてくる子どもたちも、動物も植物もみな等しいのだ。自分の命を慈しむように、他の命も慈しみたい。人間さえ助かればいいじゃないかと考えるのは、同じように尊い他者の命を尊ばないという点で傲慢の一言に尽きる。大地の恵みとともに生きる人間にとっては、野菜だって家畜だって魚だって、それらを恵んでくれる大地や海とともに大切な、対等な命だ。生きるっていうけど、ほんとは生かしてもらっているんだよ。それをわすれちゃいけない。
幼い子は何も知らないけれど、生きているということでは大人と何も変わらない。子どもの問いは大人が見て見ぬ振りをし続けていることをずばりとついてくる。命って何だと聞いてくる。福島の子どもたちが発する問いに、原発関係者は恥じることなく答えられるか?子どもたちは“不完全な大人”でもなければ“無視してもいいちっぽけな存在”でもないよ。あなたたちと何も変わらない尊い命の持ち主だ。その命が問うているのだ。ぼくたちはどうなるの?
by poirier_AAA
| 2011-04-20 18:39
| 子どもと暮らす
|
Comments(4)
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coco
at 2011-04-20 23:44
x
私は、口に出すのも怖くて怖くてたまらないことがあります。
それは両親の死です。想像しただけで涙が出て悲しくてたまらなくなる。2人とも今でも元気で健在ですけれど帰省するたびに
歳を感じたりしてこの先どうなるのかしら・・と。
私もまだ子供のままみたいですね、どうやら。
子供の感性は豊かで素晴らしいですよ。大人になれば"死"は
"死"でしかないって当たり前の様に決めて言っちゃいますけれど
それは恐怖ですよ、本当に。子供の言葉は好きです!当たり前
の事を言ってくれるから。。
それは両親の死です。想像しただけで涙が出て悲しくてたまらなくなる。2人とも今でも元気で健在ですけれど帰省するたびに
歳を感じたりしてこの先どうなるのかしら・・と。
私もまだ子供のままみたいですね、どうやら。
子供の感性は豊かで素晴らしいですよ。大人になれば"死"は
"死"でしかないって当たり前の様に決めて言っちゃいますけれど
それは恐怖ですよ、本当に。子供の言葉は好きです!当たり前
の事を言ってくれるから。。
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poirier_AAA at 2011-04-21 01:32
>cocoさん、こんにちは。
わたしもそうですよ〜。
今回は腹を据えて話しましたけれど、たとえば夫といつか別れることになるかと考えると本当に切なくなります。わたしはおばあちゃん子だったので、小さいときは祖母はいつか死ぬと考えることが一番怖くて悲しいことでした。その祖母が「大きいおばあちゃん」です。最近になってようやく「大きいおばあちゃんは死んじゃったんだよ」と言葉に出せるようになったんですよ。1年前はまだ言葉に出すと涙が出てうまく言えませんでした。
わたしもそうですよ〜。
今回は腹を据えて話しましたけれど、たとえば夫といつか別れることになるかと考えると本当に切なくなります。わたしはおばあちゃん子だったので、小さいときは祖母はいつか死ぬと考えることが一番怖くて悲しいことでした。その祖母が「大きいおばあちゃん」です。最近になってようやく「大きいおばあちゃんは死んじゃったんだよ」と言葉に出せるようになったんですよ。1年前はまだ言葉に出すと涙が出てうまく言えませんでした。
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kanafr at 2011-04-22 07:51
いいお話をされましたね。
私は小学1年の時、この事で悩んで1週間泣き続けました。母は私が何で泣いているのかまったく知りませんでした。言わずに一人で解決しようと思ったからです。
それで、結局凄い高熱が出てしまい、夢の中で一度死を経験しましたので、そこである意味納得したんです。
親が子供に教えてあげられる最後の事は、親の死だと思います。
私は小学1年の時、この事で悩んで1週間泣き続けました。母は私が何で泣いているのかまったく知りませんでした。言わずに一人で解決しようと思ったからです。
それで、結局凄い高熱が出てしまい、夢の中で一度死を経験しましたので、そこである意味納得したんです。
親が子供に教えてあげられる最後の事は、親の死だと思います。
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poirier_AAA at 2011-04-22 16:29
>kanafrさん、こんにちは。
わたしも1人で泣きました。誰にも話せませんでした。高熱も出せなかったので成人した後もずっと抱え続け、しばらく前に世話になった祖父母を順に亡くして、ようやく折り合いがつけられるようになりました。そう、身近な死から学ぶんだと思います。
自分は死ぬ、それも1人で死ぬ、と考えるのは子どもにとって恐怖だと思います。それが初めて自分と言う個を劇的に認識する出来事かもしれません。子どもはこれを自力で乗り越えるしかないのですよね。でも、こういう話題、親子間である程度話せるような関係でありたいなとは思っているんですが。
わたしも1人で泣きました。誰にも話せませんでした。高熱も出せなかったので成人した後もずっと抱え続け、しばらく前に世話になった祖父母を順に亡くして、ようやく折り合いがつけられるようになりました。そう、身近な死から学ぶんだと思います。
自分は死ぬ、それも1人で死ぬ、と考えるのは子どもにとって恐怖だと思います。それが初めて自分と言う個を劇的に認識する出来事かもしれません。子どもはこれを自力で乗り越えるしかないのですよね。でも、こういう話題、親子間である程度話せるような関係でありたいなとは思っているんですが。