2011年 02月 19日
ミルヴァとピアソラ |
頑張らないことによる心地良さ、「とりあえず」が生み出した気のおけなさや新鮮な発想などもいいものですが、ときどき無性に「存在のすべてを賭けてぶつかってくるもの」が欲しくなります。
描く、書く、語る、演じる、演奏する、歌う、踊る、作る、芸術活動や創作活動はすべてそういうものだと思います。自分の限界に挑戦し続けるスポーツ選手も然り。今この瞬間に自分のすべてを賭けようとする一所懸命の姿、あるいはそれによって生み出された物は、全く関係のない第三者の目も釘付けにするだけの力があります。
あるブログでアルゼンチンタンゴの話を読み、久しぶりにピアソラのことを思い出しました。ピアソラのCD は何枚か持っているけれど、一番気に入っているのはパリのヴッフ・デュ・ノールでのピアソラとミルヴァのライヴ録音(1984年)です。
中でも2曲が、強く印象に残っています。
1つ目はRINASCERO(PRELUDIO PARA EL ANO 3001)。
renascero(リナチェロ)というのは、フランス語のrenaître(ルネートル)やrenaissance(ルネサンス)と同じ語源の言葉で、つまり再生、生まれ変わる、蘇るという意味。副題として「3001年へのプレリュード」とあります。
これの何が印象的と言って、ミルヴァの歌の凄さです。彼女の声は決して美声の範疇には入らない。それが、他の美声を誇る歌手では到底太刀打ちできない力強さでドラマを歌い上げるのです。語り叫び歌う声は、あるときは楽器として、あるときは語り部として、あるときは女優として、ピアソラの個性と拮抗しています。個性がぶつかりあって、1+1が3になる面白さがある。
2つ目がOBLIVION(J'oublie、忘却)。
バンドネオンだけでなくオーボエやチェロなど様々な楽器で演奏されている、哀愁漂う曲です。ここではもちろんミルヴァの声。ここでも彼女のかすれた低い声、独り言をつぶやくような歌い方が他とは一線を画す魅力を生んでいます。彼女の歌にはドラマがある。恋の終わりの倦怠、諦め、去り難い甘さと去るしかないことを知っている者の絶望感、そんなものを感じます。
これを買った頃は日本にいて、ミルヴァは重すぎて苦手かもと思っていましたが、年をとったせいか、はたまたフランスに住むようになって脂っ気が増したのか、久しぶりに聞いてみると妙に気持ちにしっくり来ます。女臭すぎると感じたのが、今ではすごい女っぷりだとその魅力に酔ってしまいます。こんなふうに堂々と「女」であれるって、とても格好良いです。
タンゴという曲の形態が、そもそもダンサーを追いつめるテンションを持ち、ピアソラにはその伝統的なタンゴに自分の存在を賭けて挑戦している者の緊迫感があり、それを歌うミルヴァにもまた歌い手として自分を賭けている者の気迫がある。容赦のないエネルギーの発散が心地良いです。
探してみたらYouTubeにも映像がありましたので、よろしければアドレスをどうぞ。
Milva & Piazzolla - Rinasceró (Preludio para el año 3001)
http://www.youtube.com/watch?v=_3nKxjBc0Xs
ここではオリジナルの歌詞とその英訳が見られます。
Milva & Piazzolla - Oblivion ... J'oublie
http://www.youtube.com/watch?v=lzC1kKZGxBg&feature=related
フランス語の歌詞が出ています。
それにしても、マリア・カラスと言いミルヴァと言い、どちらかといえばしゃがれ声に近いのにそれが逆に彼女たちの魅力になっているんですよね。美声の歌手には真似のできない人生の機微を感じさせる声で、すごい表現力なんです。そんなことを考えていたら、またしてもカラスを聴きたくなってしまいました。
これまた女の中の女?「カルメン」から
ハバネラ(恋は天の邪鬼、飼い馴らせない小鳥よ)
http://www.youtube.com/watch?v=gSDG8hhyEes&feature=fvwrel
セギディーリャ(カルメン、ドン・ホセを誘惑中)
http://www.youtube.com/watch?v=LgRyKawibF8
ジプシーの歌
http://www.youtube.com/watch?v=BPHKI5HiDJE&feature=related
パリは今日は雨です。植物が手を伸ばして全身で雨を受けているような気がする。
描く、書く、語る、演じる、演奏する、歌う、踊る、作る、芸術活動や創作活動はすべてそういうものだと思います。自分の限界に挑戦し続けるスポーツ選手も然り。今この瞬間に自分のすべてを賭けようとする一所懸命の姿、あるいはそれによって生み出された物は、全く関係のない第三者の目も釘付けにするだけの力があります。
あるブログでアルゼンチンタンゴの話を読み、久しぶりにピアソラのことを思い出しました。ピアソラのCD は何枚か持っているけれど、一番気に入っているのはパリのヴッフ・デュ・ノールでのピアソラとミルヴァのライヴ録音(1984年)です。
中でも2曲が、強く印象に残っています。
1つ目はRINASCERO(PRELUDIO PARA EL ANO 3001)。
renascero(リナチェロ)というのは、フランス語のrenaître(ルネートル)やrenaissance(ルネサンス)と同じ語源の言葉で、つまり再生、生まれ変わる、蘇るという意味。副題として「3001年へのプレリュード」とあります。
これの何が印象的と言って、ミルヴァの歌の凄さです。彼女の声は決して美声の範疇には入らない。それが、他の美声を誇る歌手では到底太刀打ちできない力強さでドラマを歌い上げるのです。語り叫び歌う声は、あるときは楽器として、あるときは語り部として、あるときは女優として、ピアソラの個性と拮抗しています。個性がぶつかりあって、1+1が3になる面白さがある。
2つ目がOBLIVION(J'oublie、忘却)。
バンドネオンだけでなくオーボエやチェロなど様々な楽器で演奏されている、哀愁漂う曲です。ここではもちろんミルヴァの声。ここでも彼女のかすれた低い声、独り言をつぶやくような歌い方が他とは一線を画す魅力を生んでいます。彼女の歌にはドラマがある。恋の終わりの倦怠、諦め、去り難い甘さと去るしかないことを知っている者の絶望感、そんなものを感じます。
これを買った頃は日本にいて、ミルヴァは重すぎて苦手かもと思っていましたが、年をとったせいか、はたまたフランスに住むようになって脂っ気が増したのか、久しぶりに聞いてみると妙に気持ちにしっくり来ます。女臭すぎると感じたのが、今ではすごい女っぷりだとその魅力に酔ってしまいます。こんなふうに堂々と「女」であれるって、とても格好良いです。
タンゴという曲の形態が、そもそもダンサーを追いつめるテンションを持ち、ピアソラにはその伝統的なタンゴに自分の存在を賭けて挑戦している者の緊迫感があり、それを歌うミルヴァにもまた歌い手として自分を賭けている者の気迫がある。容赦のないエネルギーの発散が心地良いです。
探してみたらYouTubeにも映像がありましたので、よろしければアドレスをどうぞ。
Milva & Piazzolla - Rinasceró (Preludio para el año 3001)
http://www.youtube.com/watch?v=_3nKxjBc0Xs
ここではオリジナルの歌詞とその英訳が見られます。
Milva & Piazzolla - Oblivion ... J'oublie
http://www.youtube.com/watch?v=lzC1kKZGxBg&feature=related
フランス語の歌詞が出ています。
それにしても、マリア・カラスと言いミルヴァと言い、どちらかといえばしゃがれ声に近いのにそれが逆に彼女たちの魅力になっているんですよね。美声の歌手には真似のできない人生の機微を感じさせる声で、すごい表現力なんです。そんなことを考えていたら、またしてもカラスを聴きたくなってしまいました。
これまた女の中の女?「カルメン」から
ハバネラ(恋は天の邪鬼、飼い馴らせない小鳥よ)
http://www.youtube.com/watch?v=gSDG8hhyEes&feature=fvwrel
セギディーリャ(カルメン、ドン・ホセを誘惑中)
http://www.youtube.com/watch?v=LgRyKawibF8
ジプシーの歌
http://www.youtube.com/watch?v=BPHKI5HiDJE&feature=related
パリは今日は雨です。植物が手を伸ばして全身で雨を受けているような気がする。
by poirier_AAA
| 2011-02-19 23:06
| 聴く
|
Comments(1)
Commented
at 2011-02-21 08:13
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。