2011年 01月 26日
アリエッティに見る親子関係 |
そういえば、フランスでも少し前から「借りぐらしのアリエッティ」の上映が始まりました。大画面で日本語の映画を見られる滅多にない機会ですからね、公開初日に子どもを引き連れて観てきました。
水曜日でしたしアニメーション映画ですし、映画館は親子連れて溢れかえっているのではないかと予想していましたが、実際は子ども連れは2組だけでした。
見終わっての子どもの感想は「ふつうに面白かった」というところでしょうか。小さい人が大きい人の家に入り込んで工夫を凝らして移動する様子は確かにとても面白かったらしい。でも、それ以外に子どもたちの好奇心を刺激して止まないような部分はなかった・・・と言えるかもしれません。この映画、小さい子どもよりも少し大きい子ども、親から少しずつ離れ始めた年齢の子どもが見た方が共感できるところがあるかと思いました。
むかし子どもだったわたしが感動したのは、アリエッティのお父さんとお母さんの在り方でした。
お父さんはしっかり者です。自分と同じ種族はもういないかもしれない、そんな孤独な環境下で家族を守ります。必要なものは自分で作り出し、工夫を凝らし、用心深く家族の安全に気を配りながら生きている。お母さんはお父さんと比べると少し頼りないです。家の中の仕事を一手に引き受けてほとんど外に出ることがないので、家の外が怖い。外に出て行った夫や娘に何かあったらどうしようと常に気を揉んでいます。そして自分たちの置かれた状況に対して、どうしても弱音を吐いたり繰り言を口に出したりしてしまいます。
娘のアリエッティは14歳くらいだったでしょうか。そろそろ自分の足で歩きたくなる年齢です。親に禁止されているとわかっていても、好奇心を抑えられない。自分の目で確かめてみないと納得できないのです。
人間に見られてはいけない、そう常に言われているにもかかわらず、アリエッティは人間の少年に見られてしまいます。そして少年のことが気になってたまりません。それがわかったお父さんはこう言います。
お前のその行動が家族を危険にさらすことになる。わかるか?
怒るでも命令するでもなく、ただ予想される事態を伝えて熟考せよと促します。お父さんの言葉にハッとするアリエッティですが、しかしどうしても自分の気持ちは曲げられません。彼女の行動によって家族はそれまでの安住の地を捨てて新しい場所に移らなければならなくなります。お父さんとお母さんは娘がいない時に2人で話し合います。
もうここにはいられない。新しい家を捜そう。
あぁ、ここは本当に暮らしやすくて良い場所だったのに。これ、みんな置いていかなきゃいけないんですか。もう、こんなに良い家には住めないんでしょうね。(嘆息)
しかし、彼ら2人の口からは一度として娘を責める言葉は出ませんでした。あの子がこんなことをしたから、あの子さえ大人しくしていたら、あの子が馬鹿だったからこんなことになった、そんなふうな言葉は、本当に一切でないのです。娘がそうせずにはいられなかったことが良くわかっているんだろうと思いました。
これって、生半可なことじゃないだろうとわたしは思ったんです。親だって人の子。自分が可愛いです。自分の希望すること大事にしていることが他人のせいで損なわれたら、それが自分の子どもであってもやっぱり腹が立ちます。ここで一言も責めたり文句を言ったりしない彼らは大人の中の大人だね、そう思いました。わたしにはとても真似できない。
こういう親に育てられたアリエッティは、自分を信頼してくれた親が如何に度量が大きかったかをやがて悟り、心から親を尊敬するようになると思うんですよ。
一方、「おまえのせいだ」と責める親だったらどうか。度量が大きいとは思われないだろうけれど、子どもは親だってやっぱり自分と同じように完璧ではない弱い人間なんだと考えるようになるでしょうね。一個人としての親を認めると思うんです。
どんな親でも子どもは必ずそこから何かを得ていく、そう思います。親の理想像なんて幻想にすぎず、むしろありのままの自分の姿をさらけ出した方が本当の意味で子どものためになるのかもしれない。というより、親なんて毎日顔を突き合わせているわけだから自分を飾り続けることなんてできないんです。ありのままの自分を見せるしかない。
アリエッティの両親のようになりたいと思うわたしが子どもに見せているのは、実際にはお話にもならないくらいかけ離れた親の姿です。情けない親が、それでもこうありたいというイメージを思い描いて悪あがきしているみっともない姿、それを朝な夕な眺めて「ふむ、我が親はこういう人間であったのか」といつか息子たちが考えるようになる、現実はそんなところだろうと思います。スーパーママンの仮面が剥がれた後でも、自分は息子たちにとって魅力的な人間であれるだろうか?
自分と親の関係、自分と子どもの関係、そんなものについてつらつらと考えていたもので、映画を観てもついそちらに引きずられてしまったことでした。
水曜日でしたしアニメーション映画ですし、映画館は親子連れて溢れかえっているのではないかと予想していましたが、実際は子ども連れは2組だけでした。
見終わっての子どもの感想は「ふつうに面白かった」というところでしょうか。小さい人が大きい人の家に入り込んで工夫を凝らして移動する様子は確かにとても面白かったらしい。でも、それ以外に子どもたちの好奇心を刺激して止まないような部分はなかった・・・と言えるかもしれません。この映画、小さい子どもよりも少し大きい子ども、親から少しずつ離れ始めた年齢の子どもが見た方が共感できるところがあるかと思いました。
むかし子どもだったわたしが感動したのは、アリエッティのお父さんとお母さんの在り方でした。
お父さんはしっかり者です。自分と同じ種族はもういないかもしれない、そんな孤独な環境下で家族を守ります。必要なものは自分で作り出し、工夫を凝らし、用心深く家族の安全に気を配りながら生きている。お母さんはお父さんと比べると少し頼りないです。家の中の仕事を一手に引き受けてほとんど外に出ることがないので、家の外が怖い。外に出て行った夫や娘に何かあったらどうしようと常に気を揉んでいます。そして自分たちの置かれた状況に対して、どうしても弱音を吐いたり繰り言を口に出したりしてしまいます。
娘のアリエッティは14歳くらいだったでしょうか。そろそろ自分の足で歩きたくなる年齢です。親に禁止されているとわかっていても、好奇心を抑えられない。自分の目で確かめてみないと納得できないのです。
人間に見られてはいけない、そう常に言われているにもかかわらず、アリエッティは人間の少年に見られてしまいます。そして少年のことが気になってたまりません。それがわかったお父さんはこう言います。
お前のその行動が家族を危険にさらすことになる。わかるか?
怒るでも命令するでもなく、ただ予想される事態を伝えて熟考せよと促します。お父さんの言葉にハッとするアリエッティですが、しかしどうしても自分の気持ちは曲げられません。彼女の行動によって家族はそれまでの安住の地を捨てて新しい場所に移らなければならなくなります。お父さんとお母さんは娘がいない時に2人で話し合います。
もうここにはいられない。新しい家を捜そう。
あぁ、ここは本当に暮らしやすくて良い場所だったのに。これ、みんな置いていかなきゃいけないんですか。もう、こんなに良い家には住めないんでしょうね。(嘆息)
しかし、彼ら2人の口からは一度として娘を責める言葉は出ませんでした。あの子がこんなことをしたから、あの子さえ大人しくしていたら、あの子が馬鹿だったからこんなことになった、そんなふうな言葉は、本当に一切でないのです。娘がそうせずにはいられなかったことが良くわかっているんだろうと思いました。
これって、生半可なことじゃないだろうとわたしは思ったんです。親だって人の子。自分が可愛いです。自分の希望すること大事にしていることが他人のせいで損なわれたら、それが自分の子どもであってもやっぱり腹が立ちます。ここで一言も責めたり文句を言ったりしない彼らは大人の中の大人だね、そう思いました。わたしにはとても真似できない。
こういう親に育てられたアリエッティは、自分を信頼してくれた親が如何に度量が大きかったかをやがて悟り、心から親を尊敬するようになると思うんですよ。
一方、「おまえのせいだ」と責める親だったらどうか。度量が大きいとは思われないだろうけれど、子どもは親だってやっぱり自分と同じように完璧ではない弱い人間なんだと考えるようになるでしょうね。一個人としての親を認めると思うんです。
どんな親でも子どもは必ずそこから何かを得ていく、そう思います。親の理想像なんて幻想にすぎず、むしろありのままの自分の姿をさらけ出した方が本当の意味で子どものためになるのかもしれない。というより、親なんて毎日顔を突き合わせているわけだから自分を飾り続けることなんてできないんです。ありのままの自分を見せるしかない。
アリエッティの両親のようになりたいと思うわたしが子どもに見せているのは、実際にはお話にもならないくらいかけ離れた親の姿です。情けない親が、それでもこうありたいというイメージを思い描いて悪あがきしているみっともない姿、それを朝な夕な眺めて「ふむ、我が親はこういう人間であったのか」といつか息子たちが考えるようになる、現実はそんなところだろうと思います。スーパーママンの仮面が剥がれた後でも、自分は息子たちにとって魅力的な人間であれるだろうか?
自分と親の関係、自分と子どもの関係、そんなものについてつらつらと考えていたもので、映画を観てもついそちらに引きずられてしまったことでした。
by poirier_AAA
| 2011-01-26 20:30
| 観る・鑑賞する
|
Comments(0)