2011年 01月 10日
生者のためのレクイエム |
去年のクリスマスに夫から貰った(ことになっている。実は自己申告&自己調達の)プレゼントが「ルネサンス時代の宗教音楽集第1集~タリス・スコラーズ録音集1980-1989」というCD4枚組です。
この中にヴィクトリアの「レクイエム」が入っています。
Thomás Luis de Victoria(1548-1611)は、Wikipediaによれば「黄金世紀スペインの生んだルネサンス音楽最大の作曲家の一人。16世紀スペインの作曲家では最も有名であり、多くの人からパレストリーナに次ぐポリフォニックな教会音楽の大家と見なされている」だそうです。このレクイエム、モーツァルトやフォーレのそれと比べてしまうと確かに知名度の面ではマイナーですが、知る人ぞ知る名曲なのです。
聴くのはこれが初めてではありません。でも前回は心が急いている時だったのだと思います。きれいな音楽だとは思ったものの、それ以上心に入ってきませんでした。
それが数ヶ月ぶりに聴いてみると、今回は染みる。本当にじわじわ入ってきます。
この快感を例えるならば、そう
マッサージ。
一日中パソコンの画面の前に座って作業し続け、肩も目もごりごりに疲れた会社の帰り道、ふっと思い立ってマッサージしてもらいにいったら、目の前がすーっと晴れるように気持ち良くなった、とか
自分では肩が凝っているとは気がついていなかったのに、美容師さんが指圧を始めたらびっくりするくらい気持ち良くって顔面弛緩、頭空っぽ、全身脱力状態になってしまった、とか
そんな感じ。身体と頭って繋がっているんですね。頭(聴覚)で気持ちいい音楽だと認識すると、リラックス指令が全身に流れるのです。後頭部から首筋、肩、背中、両腕に至るまで一気に力が抜けました。あぁこのところずっと緊張状態だったんだ(年末からお客続きだったからね)、そんなふうに自覚しました。
専門家ではないのでこういう乱暴な言い方しかできませんが、例えばモーツアルトやフォーレのレクイエムには物語があると思うのです。曲自体に方向性があって、今どんな部分にいるか、これからどんな展開をしていくか、動くべき先が見えてくる。おさえた部分があるかと思えば盛り上がりがある。それは痛快で魅力的だけれど、本当に疲れていて音楽の流れに乗れない時には聴くのが辛くなります。
一方ヴィクトリアの場合は、レクイエムというタイトルを意識することなく、純粋に音の遊びとして気持ちがいい。ひとつひとつの和声が美しく、各声部が少しずつ動くことで響きが変わっていくのが面白い。曲の流れをまったく考えることなく、その瞬間の調和したハーモニーにひたれるのです。これはものすごい快感です。
フランスに来てから、もちろんバッハ以降の音楽も聴き続けているのですけれど、それ以前の音楽に強い興味を覚えるようになりました。西洋社会がルネサンスから市民革命や産業革命を経て現在に至るように、音楽の世界でも教会音楽が発達してポリフォニーが生まれ、それがバッハに繋がり、現代に繋がる。ルネサンスやそれ以前の中世は、現在の世界を生み出した揺籃みたいに思われます。キーワードは16世紀以前。もっともっといろいろなことを知りたい。
音楽のおかげですっきりした頭が、すかさず欲深く指向するのです。
この中にヴィクトリアの「レクイエム」が入っています。
Thomás Luis de Victoria(1548-1611)は、Wikipediaによれば「黄金世紀スペインの生んだルネサンス音楽最大の作曲家の一人。16世紀スペインの作曲家では最も有名であり、多くの人からパレストリーナに次ぐポリフォニックな教会音楽の大家と見なされている」だそうです。このレクイエム、モーツァルトやフォーレのそれと比べてしまうと確かに知名度の面ではマイナーですが、知る人ぞ知る名曲なのです。
聴くのはこれが初めてではありません。でも前回は心が急いている時だったのだと思います。きれいな音楽だとは思ったものの、それ以上心に入ってきませんでした。
それが数ヶ月ぶりに聴いてみると、今回は染みる。本当にじわじわ入ってきます。
この快感を例えるならば、そう
マッサージ。
一日中パソコンの画面の前に座って作業し続け、肩も目もごりごりに疲れた会社の帰り道、ふっと思い立ってマッサージしてもらいにいったら、目の前がすーっと晴れるように気持ち良くなった、とか
自分では肩が凝っているとは気がついていなかったのに、美容師さんが指圧を始めたらびっくりするくらい気持ち良くって顔面弛緩、頭空っぽ、全身脱力状態になってしまった、とか
そんな感じ。身体と頭って繋がっているんですね。頭(聴覚)で気持ちいい音楽だと認識すると、リラックス指令が全身に流れるのです。後頭部から首筋、肩、背中、両腕に至るまで一気に力が抜けました。あぁこのところずっと緊張状態だったんだ(年末からお客続きだったからね)、そんなふうに自覚しました。
専門家ではないのでこういう乱暴な言い方しかできませんが、例えばモーツアルトやフォーレのレクイエムには物語があると思うのです。曲自体に方向性があって、今どんな部分にいるか、これからどんな展開をしていくか、動くべき先が見えてくる。おさえた部分があるかと思えば盛り上がりがある。それは痛快で魅力的だけれど、本当に疲れていて音楽の流れに乗れない時には聴くのが辛くなります。
一方ヴィクトリアの場合は、レクイエムというタイトルを意識することなく、純粋に音の遊びとして気持ちがいい。ひとつひとつの和声が美しく、各声部が少しずつ動くことで響きが変わっていくのが面白い。曲の流れをまったく考えることなく、その瞬間の調和したハーモニーにひたれるのです。これはものすごい快感です。
フランスに来てから、もちろんバッハ以降の音楽も聴き続けているのですけれど、それ以前の音楽に強い興味を覚えるようになりました。西洋社会がルネサンスから市民革命や産業革命を経て現在に至るように、音楽の世界でも教会音楽が発達してポリフォニーが生まれ、それがバッハに繋がり、現代に繋がる。ルネサンスやそれ以前の中世は、現在の世界を生み出した揺籃みたいに思われます。キーワードは16世紀以前。もっともっといろいろなことを知りたい。
音楽のおかげですっきりした頭が、すかさず欲深く指向するのです。
by poirier_AAA
| 2011-01-10 20:22
| 聴く
|
Comments(2)
Commented
at 2011-01-10 20:48
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
at 2011-01-11 15:06
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。