2010年 08月 13日
祖母のことなど |
今日8月13日は祖母の命日です。亡くなってちょうど2年になります。
あの時もポルトガルに滞在中でした。ぬけるような青空を眺めながら、悲しくて悲しくてぼろぼろ泣いていたことを思い出します。
でも、祖母は大往生だったし、同じく大往生だった祖父と幼くして死んだ息子(私にとっては叔父さん)とふたたび一緒になれて、この世では叶わなかった家族団欒の時間をすごしているんじゃないかなぁ、などとも思います。
叔父は4歳で逝ったのだそうです。いま、うちの息子たちがちょうど4歳です。幼い部分をたくさん残しながらも、少年らしいたくましさも見えて来る、そんなかわいい盛りです。息子を亡くした時、祖母はどれだけ苦しい思いをしたことだろうと、母親になった今は胸が詰まる思いで考えます。
13日は、わたしの実家ではお墓までご先祖様を迎えにいきます。座敷にある仏壇をきれいに掃除して、果物や野菜などをお供えし、それから晩ご飯は天ぷらを食すのが恒例でした。毎年のように、祖母と一緒に「暑い時に天ぷらなんて、油の匂いだけでおなかいっぱいになっちゃうよね」などとブツブツ話しながら作業したものです。今思えば、あの天ぷらを揚げる作業も、お仏壇を丁寧に丁寧に掃除する過程も、祖母にとっては叔父への供養だったんだなぁと思います。
死後の世界があるとか、この世での行いを裁かれるとか、ほとんどまったく信じていないわたしではありますが、なぜかご先祖様のことになると、死んでから三途の川を渡ってあの世に行き、お盆には迎え火に誘われて戻ってくる、なんて迷いなく考えてしまうのであります。習慣でしょうかね?
今年も、わが実家では迎え火をたいて、ご先祖様3人がお揃いでお出ましになっていることでしょう。わたしは遠くから心の中でお線香をあげます。
あの時もポルトガルに滞在中でした。ぬけるような青空を眺めながら、悲しくて悲しくてぼろぼろ泣いていたことを思い出します。
でも、祖母は大往生だったし、同じく大往生だった祖父と幼くして死んだ息子(私にとっては叔父さん)とふたたび一緒になれて、この世では叶わなかった家族団欒の時間をすごしているんじゃないかなぁ、などとも思います。
叔父は4歳で逝ったのだそうです。いま、うちの息子たちがちょうど4歳です。幼い部分をたくさん残しながらも、少年らしいたくましさも見えて来る、そんなかわいい盛りです。息子を亡くした時、祖母はどれだけ苦しい思いをしたことだろうと、母親になった今は胸が詰まる思いで考えます。
13日は、わたしの実家ではお墓までご先祖様を迎えにいきます。座敷にある仏壇をきれいに掃除して、果物や野菜などをお供えし、それから晩ご飯は天ぷらを食すのが恒例でした。毎年のように、祖母と一緒に「暑い時に天ぷらなんて、油の匂いだけでおなかいっぱいになっちゃうよね」などとブツブツ話しながら作業したものです。今思えば、あの天ぷらを揚げる作業も、お仏壇を丁寧に丁寧に掃除する過程も、祖母にとっては叔父への供養だったんだなぁと思います。
死後の世界があるとか、この世での行いを裁かれるとか、ほとんどまったく信じていないわたしではありますが、なぜかご先祖様のことになると、死んでから三途の川を渡ってあの世に行き、お盆には迎え火に誘われて戻ってくる、なんて迷いなく考えてしまうのであります。習慣でしょうかね?
今年も、わが実家では迎え火をたいて、ご先祖様3人がお揃いでお出ましになっていることでしょう。わたしは遠くから心の中でお線香をあげます。
by poirier_AAA
| 2010-08-13 17:19
| 思い出す
|
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