2010年 05月 25日
宮本常一「民俗学の旅」 |
しょっぱなから目を見張るような内容でした。
著者は民俗学者として有名な宮本常一さん。その生い立ち、出会い、フィールドワークの回想などが書かれています。民俗学者としての活動はもちろんおおいに興味をひかれるところですが、それより何より凄いと思ったのが宮本さんの家族です。
これが明治から大正にかけての日本人の平均的な姿であったとしたら、日本というのは庶民の底力に支えられて成っていたのだと確信します。小学校を出るか出ないか、大学に行くこともなく、ましてや遠いところで見聞を広げるような体験もそうそうできない、土地に根付き、質素に勤勉に生きて来た人たちです。物質的にも教育程度にしても比較にならないくらい恵まれているはずの現代人が、果たしてこれほど豊かな見識を持ちあわせているか? とてもそうは思えません。
例えば、小学校を卒業後しばらくして、著者は大阪の学校に行くことになります。そのとき、父親からこんなことを言われます。(以下、抜粋)
汽車に乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅へついたら人の乗り降りに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地がどんなところかわかる。
村でも町でも新しく訪ねて行ったところはかならず高いところへ上ってみよ。そして方向を知り、目立つものを見よ。‥目につくものをみ、家のあり方や田畑のあり方をみ、周囲の山々を見ておけ。
金があったら、その土地の名物や料理は食べておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかる。
時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。
金というものはもうけるのはそんなに難しくない。しかし使うのが難しい。
すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。
ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へもどってこい、親はいつでも待っている。
自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。
人の見残したものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いて行くことだ。(以上、抜粋)
これを語った父親自身は、家がまずしくてほとんど学校教育を受けなかったといいます。学校でも本でもなく、人から聞いた知識と自分が見聞して知ったことだけ、しかしとても博識だったそうです。
いま、これだけのことを子どもに言ってやれる親がいるでしょうか?学校に行け、勉強をせよ、試験に受かれ、いい就職口をみつけよ、それがごく普通の親の言うことなのでは?考えてみれば、それが何に結びついて行くのか、言っている方も言われた方もよくわかりません。
一方、著者の父の言葉は示唆に富んでいます。周りを見よ、観察せよ、考えよ、そこから見えてくるものがあると基本姿勢を示し、貧乏で苦労しつづけた人にもかかわらず、金は稼ぐことより上手く使うことが大事だと教えている。自立を促し、応援し、親の気持ちもきちんと伝えている。こんな闊達で自由なものの考え方を、当時の農村に住む人が持っていたのです。地に足をつけ、しっかりと知識を自分のものにして生きていた人だからこそ、こう言えたのかもしれません。
祖父母の昔語りを聞いているような、一種の懐かしさをも感じました。少し前の日本人はみな、多かれ少なかれ家庭で厳しく育てられ、学歴は低くともそれなりの基本的な知識を身につけて生きていたのではないでしょうか?
現代は、子どもは学業に専念できるし、大学や大学院だって海外留学だってごく現実的な選択肢としてあります。それを恵まれたことだと感じながらも、親たちが持つ実体験に基づいたいきいきした知識が自分たちには備わっていないことをひどく残念にも感じています。自分たちの土地を知り、植生を知ることは、外国語を覚えることに負けず劣らず大切なことです。知識を机上の記録や埋蔵物に終わらせず、ぐっと引き寄せて自分の生活の一部として取り込めるような、そんな学び方をしたいと強く思いました。
民俗学とタイトルにはありますが、およそ100年前の日本人がどんな生き方をしていたのかを生き生きと伝える回想録だと思います。興味深く読みながらも、背筋がのびるような気がしました。
著者は民俗学者として有名な宮本常一さん。その生い立ち、出会い、フィールドワークの回想などが書かれています。民俗学者としての活動はもちろんおおいに興味をひかれるところですが、それより何より凄いと思ったのが宮本さんの家族です。
これが明治から大正にかけての日本人の平均的な姿であったとしたら、日本というのは庶民の底力に支えられて成っていたのだと確信します。小学校を出るか出ないか、大学に行くこともなく、ましてや遠いところで見聞を広げるような体験もそうそうできない、土地に根付き、質素に勤勉に生きて来た人たちです。物質的にも教育程度にしても比較にならないくらい恵まれているはずの現代人が、果たしてこれほど豊かな見識を持ちあわせているか? とてもそうは思えません。
例えば、小学校を卒業後しばらくして、著者は大阪の学校に行くことになります。そのとき、父親からこんなことを言われます。(以下、抜粋)
汽車に乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅へついたら人の乗り降りに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地がどんなところかわかる。
村でも町でも新しく訪ねて行ったところはかならず高いところへ上ってみよ。そして方向を知り、目立つものを見よ。‥目につくものをみ、家のあり方や田畑のあり方をみ、周囲の山々を見ておけ。
金があったら、その土地の名物や料理は食べておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかる。
時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。
金というものはもうけるのはそんなに難しくない。しかし使うのが難しい。
すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。
ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へもどってこい、親はいつでも待っている。
自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。
人の見残したものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いて行くことだ。(以上、抜粋)
これを語った父親自身は、家がまずしくてほとんど学校教育を受けなかったといいます。学校でも本でもなく、人から聞いた知識と自分が見聞して知ったことだけ、しかしとても博識だったそうです。
いま、これだけのことを子どもに言ってやれる親がいるでしょうか?学校に行け、勉強をせよ、試験に受かれ、いい就職口をみつけよ、それがごく普通の親の言うことなのでは?考えてみれば、それが何に結びついて行くのか、言っている方も言われた方もよくわかりません。
一方、著者の父の言葉は示唆に富んでいます。周りを見よ、観察せよ、考えよ、そこから見えてくるものがあると基本姿勢を示し、貧乏で苦労しつづけた人にもかかわらず、金は稼ぐことより上手く使うことが大事だと教えている。自立を促し、応援し、親の気持ちもきちんと伝えている。こんな闊達で自由なものの考え方を、当時の農村に住む人が持っていたのです。地に足をつけ、しっかりと知識を自分のものにして生きていた人だからこそ、こう言えたのかもしれません。
祖父母の昔語りを聞いているような、一種の懐かしさをも感じました。少し前の日本人はみな、多かれ少なかれ家庭で厳しく育てられ、学歴は低くともそれなりの基本的な知識を身につけて生きていたのではないでしょうか?
現代は、子どもは学業に専念できるし、大学や大学院だって海外留学だってごく現実的な選択肢としてあります。それを恵まれたことだと感じながらも、親たちが持つ実体験に基づいたいきいきした知識が自分たちには備わっていないことをひどく残念にも感じています。自分たちの土地を知り、植生を知ることは、外国語を覚えることに負けず劣らず大切なことです。知識を机上の記録や埋蔵物に終わらせず、ぐっと引き寄せて自分の生活の一部として取り込めるような、そんな学び方をしたいと強く思いました。
民俗学とタイトルにはありますが、およそ100年前の日本人がどんな生き方をしていたのかを生き生きと伝える回想録だと思います。興味深く読みながらも、背筋がのびるような気がしました。
by poirier_AAA
| 2010-05-25 22:11
| 日本語を読む
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