2010年 04月 25日
到着後、日本ショック |
無事到着しました。追い風が強かったそうで、予定到着時間を早めての到着でした。
今回のフライト、火山灰の影響で何かいつもと様子が違うかもしれないと思っていましたが、そんな様子は全くありませんでした。空港も機内もいつもと変わらず落ち着いており、1週間前の騒ぎなど微塵も感じられません。
荷物を預けるカウンターにいた女性職員が、まだお客が少なかったためか、いろいろと話してくれました。いわく、あなたたちはラッキーよ。今日はもう普段どおりの空港でしょ。でもつい2日前(木曜日)までは出発ロビーは人で溢れていて、職員ですら通行に苦労したほどだったのよ。出先で足止めを食らった人たちが空港で寝起きして国に帰れる日を待ってたんだけれど、それでも今回はとても静かだったわ。夏のバカンスのときだと人出が多くてぴりぴりした雰囲気になったりするのに、今回はみな割合落ち着いて待っているの。印象的だったわよ。そんな話。
ようやく成田に降り立ち、それから乗り物を乗り継いで親の家まで移動する途中で、いくつもの「びっくり」がありました。毎年日本に来てはいても、やはり住んでいないと感覚はどんどんと離れていくようです。そんなわたしの「日本ショック」はこんなものです。
・どこもかしこも清潔(空港もトイレも道路も車内も、掃除が行き届いてゴミすら落ちていない。信じられない!!)
・日曜日なのに店が開いている(日曜祭日でも、店って開いているものなの!?)
・あのビルは何?(都心の風景が見慣れないものになってる)
・人が親切(こちらが頼んでないサービスまで提示してくれる。すごい!!)
・左側通行が気持ち悪い(車の来る方向、曲がり角などで混乱する)
・服の色彩感覚がちがう(いつのまにかあちら風のコーディネートに慣れてしまったようで)
・日本人団体客の顔が、みな同じに見える(みんな親戚みたいに似ているぞ)
・日本のお札の金銭的価値が感じられない(子ども銀行の紙幣みたいに感じる)
・日差しが強い(太陽の光が熱い。本当に熱い)
家族がいて帰る家があるから、街の様子や仕組みが変わったとしても何とか「故郷に帰った」と感じられるのでしょうが、そうでなかったら変化の早い日本を「故郷」と慕い続けることができるでしょうか?東京を遠望しながら、今日はそんな不安に襲われました。日本はどんな風に変わっていくんだろう、何が残っていくんだろう、そんな疑問も頭をよぎりました。
こどもはいろいろな乗り物に乗れて大満足、無邪気にしゃべり続けます。
「あ、タクシーがいた」
「あ、僕も見つけた」
「またタクシーだ」
「こっちにも、たっくさんタクシーがいるよ」
「すごいよママン、こんなにたくさんタクシーが並んでるよ」
(パリでは東京のように大量のタクシーをみることはありません)
とか
「あ〜あ、はやく日本に着いて欲しいよ」
(成田から都心に向う車内にて)
などなど、良く通る声で、静かな車内で、みんなにわかる日本語で、2人揃ってしゃべってくれるので、親は次は何を言い出すかと久しぶりの帰国の感慨にゆっくりひたることもできません。それでも、長い旅行なのによく頑張ってくれて、たいしたものだと思っています。
今回のフライト、火山灰の影響で何かいつもと様子が違うかもしれないと思っていましたが、そんな様子は全くありませんでした。空港も機内もいつもと変わらず落ち着いており、1週間前の騒ぎなど微塵も感じられません。
荷物を預けるカウンターにいた女性職員が、まだお客が少なかったためか、いろいろと話してくれました。いわく、あなたたちはラッキーよ。今日はもう普段どおりの空港でしょ。でもつい2日前(木曜日)までは出発ロビーは人で溢れていて、職員ですら通行に苦労したほどだったのよ。出先で足止めを食らった人たちが空港で寝起きして国に帰れる日を待ってたんだけれど、それでも今回はとても静かだったわ。夏のバカンスのときだと人出が多くてぴりぴりした雰囲気になったりするのに、今回はみな割合落ち着いて待っているの。印象的だったわよ。そんな話。
ようやく成田に降り立ち、それから乗り物を乗り継いで親の家まで移動する途中で、いくつもの「びっくり」がありました。毎年日本に来てはいても、やはり住んでいないと感覚はどんどんと離れていくようです。そんなわたしの「日本ショック」はこんなものです。
・どこもかしこも清潔(空港もトイレも道路も車内も、掃除が行き届いてゴミすら落ちていない。信じられない!!)
・日曜日なのに店が開いている(日曜祭日でも、店って開いているものなの!?)
・あのビルは何?(都心の風景が見慣れないものになってる)
・人が親切(こちらが頼んでないサービスまで提示してくれる。すごい!!)
・左側通行が気持ち悪い(車の来る方向、曲がり角などで混乱する)
・服の色彩感覚がちがう(いつのまにかあちら風のコーディネートに慣れてしまったようで)
・日本人団体客の顔が、みな同じに見える(みんな親戚みたいに似ているぞ)
・日本のお札の金銭的価値が感じられない(子ども銀行の紙幣みたいに感じる)
・日差しが強い(太陽の光が熱い。本当に熱い)
家族がいて帰る家があるから、街の様子や仕組みが変わったとしても何とか「故郷に帰った」と感じられるのでしょうが、そうでなかったら変化の早い日本を「故郷」と慕い続けることができるでしょうか?東京を遠望しながら、今日はそんな不安に襲われました。日本はどんな風に変わっていくんだろう、何が残っていくんだろう、そんな疑問も頭をよぎりました。
こどもはいろいろな乗り物に乗れて大満足、無邪気にしゃべり続けます。
「あ、タクシーがいた」
「あ、僕も見つけた」
「またタクシーだ」
「こっちにも、たっくさんタクシーがいるよ」
「すごいよママン、こんなにたくさんタクシーが並んでるよ」
(パリでは東京のように大量のタクシーをみることはありません)
とか
「あ〜あ、はやく日本に着いて欲しいよ」
(成田から都心に向う車内にて)
などなど、良く通る声で、静かな車内で、みんなにわかる日本語で、2人揃ってしゃべってくれるので、親は次は何を言い出すかと久しぶりの帰国の感慨にゆっくりひたることもできません。それでも、長い旅行なのによく頑張ってくれて、たいしたものだと思っています。
by poirier_AAA
| 2010-04-25 23:29
| 日本
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