2010年 01月 08日
たかが卵、されど卵 |
ポルトガルに住む義父母は家で鶏を飼っている。(ついでに鳩もウサギも豚も羊もいる。)家で食べる鶏肉は当日義父が絞めた鶏であり、家で作るオムレツやゆで卵やお菓子には鶏小屋から失敬して来た卵を使う。
この年末、義父母はパリにやってきた。畑でとれた野菜や、厚さが4センチもあるような立派な干だらと共に、生みたて卵を10個ほどお土産に持って来てくれた。
この卵、10個あれば10個とも少しずつ様子が違って、スーパーの卵と比べると本当に個性的。太ったの、やせたの、小さいの、大きいの、妙に細長いのは黄身が2個入っていたりする。それでも全部に共通しているのは、黄身が異様に大きく、色が濃いこと。
よくお菓子の本なんかをみると、L玉でもM玉でも黄身の大きさは同じで、白身の量が違うだけです、なんて書いてあるけれど、とんでもない。義父母のところの卵の黄身は、外見の大きさに比例して大きくなる。逆に、L玉とM玉で白身の量は変わらない。L玉をほぐすと、巨大な黄身が割れてねっとりとした溶き卵になる。
新鮮で、限りなくオレンジ色に近い黄金色の大きな黄身、と来たら、卵かけご飯を食べたくなるのが人情じゃないだろうか?あとは、すき焼き。甘辛の肉に、このねっとりした黄身がまとわりつくことを考えただけで、頭がくらくらする。
大きさが不揃いだから、正確な計量を要求されるお菓子作りには不向きなのよ、と言うのは表向きの理由で、実はもったいなくてお菓子なんかに使いたくないというのが本心。おいしいお菓子より、美味しい卵かけご飯やすき焼き、落とし卵、半熟ゆで卵なんかが数倍うれしい。ノエル前からひっきりなしに焼いている焼き菓子用にはスーパーの卵を買って、義父母卵は宝物のように少しずつ楽しんで使っている。本当に新鮮な卵は、2週間経ってもまだまだ元気、黄身が盛り上がっている。
今朝もまた卵かけご飯を食べた。おいしい卵とお醤油、白いご飯だけでしみじみ美味しい。
(最近どうも食べ物のことばっかり書いている。それもこれも、水疱瘡の子どもと家に閉じこもっているからなのです。毎週のお楽しみのマルシェにも、水曜日から始まったソルドにも行けやしません。いまや食べる楽しみは生活の60%くらいを占める重要事項でございます。)
この年末、義父母はパリにやってきた。畑でとれた野菜や、厚さが4センチもあるような立派な干だらと共に、生みたて卵を10個ほどお土産に持って来てくれた。
この卵、10個あれば10個とも少しずつ様子が違って、スーパーの卵と比べると本当に個性的。太ったの、やせたの、小さいの、大きいの、妙に細長いのは黄身が2個入っていたりする。それでも全部に共通しているのは、黄身が異様に大きく、色が濃いこと。
よくお菓子の本なんかをみると、L玉でもM玉でも黄身の大きさは同じで、白身の量が違うだけです、なんて書いてあるけれど、とんでもない。義父母のところの卵の黄身は、外見の大きさに比例して大きくなる。逆に、L玉とM玉で白身の量は変わらない。L玉をほぐすと、巨大な黄身が割れてねっとりとした溶き卵になる。
新鮮で、限りなくオレンジ色に近い黄金色の大きな黄身、と来たら、卵かけご飯を食べたくなるのが人情じゃないだろうか?あとは、すき焼き。甘辛の肉に、このねっとりした黄身がまとわりつくことを考えただけで、頭がくらくらする。
大きさが不揃いだから、正確な計量を要求されるお菓子作りには不向きなのよ、と言うのは表向きの理由で、実はもったいなくてお菓子なんかに使いたくないというのが本心。おいしいお菓子より、美味しい卵かけご飯やすき焼き、落とし卵、半熟ゆで卵なんかが数倍うれしい。ノエル前からひっきりなしに焼いている焼き菓子用にはスーパーの卵を買って、義父母卵は宝物のように少しずつ楽しんで使っている。本当に新鮮な卵は、2週間経ってもまだまだ元気、黄身が盛り上がっている。
今朝もまた卵かけご飯を食べた。おいしい卵とお醤油、白いご飯だけでしみじみ美味しい。
(最近どうも食べ物のことばっかり書いている。それもこれも、水疱瘡の子どもと家に閉じこもっているからなのです。毎週のお楽しみのマルシェにも、水曜日から始まったソルドにも行けやしません。いまや食べる楽しみは生活の60%くらいを占める重要事項でございます。)
by poirier_AAA
| 2010-01-08 20:13
| 味わう
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