2009年 11月 12日
おおきいおばあちゃん |
寝室のローチェストの上に、昨年亡くなった祖母の写真を飾っている。
昨日、体調が悪かったので寝室で休んでいるところに、息子が1人遊びに来た。優しいことを言ったりビズをしたりしながら、突然こんなことを言い出した。
「おおきいおばあちゃん、もう会えなくなっちゃったねぇ。寂しいねぇ。」
亡くなったということもきちんと話していないのに、この子は何か気づいている。
そうだね、寂しいね。でも、前のように会えなくても、おばあちゃんはいつでも見ていてくれるよ。
ふーん。おおきいおばあちゃん、どこにいるの?
○○(息子の名)がパパとママンのところに来る前にいたところだよ。いつか、みんなでまた会えるよ。
ふーん。すぐ?
すぐじゃない。もっとずーっと経ってから。
そんな会話をした。
物心ついたときから、いつか死ぬ、という恐怖が頭の中に巣食っている。今でも考え始めると絶叫したくなるくらい怖い。
それでも自分の親しんだ人たちが1人また1人と旅立っていくと、死は無になることではない、などと思いたくなる。死んでしまった人の肉体は戻らないけれど、彼らは存在の有り様を変えただけで、わたしたちが忘れない限り(忘れてしまっても)、いつでもそこにいるんじゃないだろうか。
死んでいく人がいて、新しく生を受けた子どもがいる。わたしたちの魂にとっては、今こうしてここに生きていることが陽炎のように儚い一瞬なのかもしれない。子どもに話したことは、わたしがこうであって欲しいと願っていることだ。死によって全てを失うのではなく、身体という不自由な鎧を脱ぎ捨てた魂が、自由になったことに喜びの声を上げながら天に昇っていくのならいい。魂の溜り場のようなところで、後からやってきた魂を迎え、「どうだった?」「いやー、今回は長く生きたからね。最後は身体が不自由になっちゃって大変だったよ」なんて話し合い、新しく生まれていく魂を「頑張って生きておいで」と見送るような、そんなシステムだったらいいな。
昨日、体調が悪かったので寝室で休んでいるところに、息子が1人遊びに来た。優しいことを言ったりビズをしたりしながら、突然こんなことを言い出した。
「おおきいおばあちゃん、もう会えなくなっちゃったねぇ。寂しいねぇ。」
亡くなったということもきちんと話していないのに、この子は何か気づいている。
そうだね、寂しいね。でも、前のように会えなくても、おばあちゃんはいつでも見ていてくれるよ。
ふーん。おおきいおばあちゃん、どこにいるの?
○○(息子の名)がパパとママンのところに来る前にいたところだよ。いつか、みんなでまた会えるよ。
ふーん。すぐ?
すぐじゃない。もっとずーっと経ってから。
そんな会話をした。
物心ついたときから、いつか死ぬ、という恐怖が頭の中に巣食っている。今でも考え始めると絶叫したくなるくらい怖い。
それでも自分の親しんだ人たちが1人また1人と旅立っていくと、死は無になることではない、などと思いたくなる。死んでしまった人の肉体は戻らないけれど、彼らは存在の有り様を変えただけで、わたしたちが忘れない限り(忘れてしまっても)、いつでもそこにいるんじゃないだろうか。
死んでいく人がいて、新しく生を受けた子どもがいる。わたしたちの魂にとっては、今こうしてここに生きていることが陽炎のように儚い一瞬なのかもしれない。子どもに話したことは、わたしがこうであって欲しいと願っていることだ。死によって全てを失うのではなく、身体という不自由な鎧を脱ぎ捨てた魂が、自由になったことに喜びの声を上げながら天に昇っていくのならいい。魂の溜り場のようなところで、後からやってきた魂を迎え、「どうだった?」「いやー、今回は長く生きたからね。最後は身体が不自由になっちゃって大変だったよ」なんて話し合い、新しく生まれていく魂を「頑張って生きておいで」と見送るような、そんなシステムだったらいいな。
by poirier_AAA
| 2009-11-12 22:09
| 子どもと暮らす
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