2023年 11月 28日
会いたい |
思いがけないところで懐かしい名前と出会ってしまった。
20代の頃、あっちこっちのアマチュア・オーケストラに誘ってもらって参加していた時に知り合った人たちが、今もまだ現役でオケ活動を続けているようなのだ。その名前を見つけただけでなく、演奏している姿もちらりと写真で見ることができた。1人は髪が白くなっていたし、もう1人は頭頂部がすこしばかりさみしくなっていた。正面から顔が見えたわけじゃないけれど、すぐにわかった。楽器を構えた時のポーズ、その姿勢で見える横顔が、あの頃とちっとも変わっていなかったから。
あの頃の自分はまだ頭に卵の殻がついたままのひよっこで、自分に何ができるか興味津々で、怖いもの知らずで、そのうえ自分の収入は全部自分で使えるし自分の行動の責任さえとればいいんだしという若さゆえの傲慢さもあって、要するにふわふわきゃいきゃいと相当浮ついていたと思う。そういうわたしに愛想をつかすこともなく、なんだかんだと優しく接してくれた、ほんの少し年上のお兄さんやお姉さんたちだった。
覚えているのは夜の上野だ。上野公園の入り口にある東京文化会館、そのリハーサル室で平日の夜、あれは火曜日だったか木曜日だったか、毎週練習が入っていた。会社帰りに楽器を持って上野まで行って2時間くらいオーケストラで練習し、それが終わってから「ちょっと食べて帰りますか」という流れになる。楽屋口から外に出て、夜の上野公園を突っ切ることもあったし、線路に沿って歩くこともあった。そうして連れて行かれる先はなぜか常に中華料理屋だった。少ない時は2人、多い時は6人くらいで、そこでビールを頼んで多分料理も頼んで(記憶に残っていないくらいだからほどほどの味だったはず)、1時間くらいとりとめもない話で盛り上がり、それから上野駅まで歩いて解散する、そういう流れだった。あれがあの頃の大いなる日常の一コマだった。
一番良くしてくれたYさんは、冗談を言っても笑ってくれなそうな威厳のある顔つきをしているくせに実はものすごい恥ずかしがり屋で、それを悟らせまいと仏頂面をしているものだから逆にまわりが遠慮して寄ってこないという、とても不器用な人だった。人間関係には臆病なのに楽器を弾かせると別人の貫禄を見せる。アマチュアというのがもったいないくらいの巧さ。技巧は安定しているし音は大きくしっかりしているし、前に出るべきところではしっかり主張して躊躇わない。そんなギャップと落ち着いた温かさが魅力の大人の男性だった。
Fさんは痩せて小柄で物静かな女性で、パッと見は存在感が薄い人ように見える。そうと見せながら、実は誰よりもガッツがあって熱い。弾くのが難しいところも、弾けなくて悔しい!絶対に弾けるようになる!と根性で練習して弾けるようになってしまう。ブルックナーが大好きで、あんな弾き甲斐のない曲はつまらんとまわりがブーブー文句を言う中で、嬉々として単純な音をゴリゴリ弾きまくっていたという逸話もある。そんなエネルギーを持ちながら外見はあくまで淡白、ふふふっとひっそり笑って静かなのがFさんである。
Oさんはご夫婦揃って同じ楽器で参加していた。奥さんの方がわたしの大学のオーケストラの先輩。旦那さんは食べることが好きで料理も得意な人だったから、食べ物の話をするとまちがいなくものすごく盛り上がる、そんな食べ物話仲間でもあった。
もうひとりのYさんもいた。外見も雰囲気も女性にモテそうな、ちょっと苦みばしったクールな中年男性。普通だったらそのまま憧れの対象になっていたかもしれないけれど、仲間内では「またYさんはそんなにカッコつけちゃって〜」と常にからかわれ続け、渋く決めたいのに決められずに頭をかきながら苦笑する顔が印象に残っている。
懐かしい、懐かしい人たち。あれからしばらくしてわたしはオーケストラから離れてしまったし、ごたごたして連絡が途絶えてしまった。次に一時帰国したら練習会場に会いに行ってみようか。いっとき一緒にすごしたわたしのことを、彼らは覚えていてくれるだろうか?たとえ忘れられていたとしても構わない、顔だけそっと見に行きたい、そんな気持ちになっている。
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by poirier_AAA
| 2023-11-28 23:50
| 思い出す
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Comments(1)