2018年 01月 23日
水道屋、来たる |
年が明けてまだひと月もたたないけれど、
我が家にはもう2回も水道管工事の人がやってきた。
1回目は先週、浴室にある洗面台の蛇口を交換するためだった。
2回目は今日、トイレにある水道の蛇口を交換するためだった。
特に問題があったわけではなく、
管理会社の意向で20年以上たつ蛇口を替えることになったのである。
工事の案内はどちらも唐突にやってきた。
マダム、今日の何時に水道屋が来られそうなんですが、都合はいかがですか?
管理人マダムが電話をかけてくる。
1回目なんて打診されたのは水道屋到着の30分前だ。
えっ、えっ、えええっ!?これからですか?
アドレナリンを一気に噴き出して、わたしは慌てて準備に走る。
浴室やトイレの洗面台下の収納は、ともかく中身を全部移動する。
それから水道の元栓をしめる。
わがやの元栓は台所の冷蔵庫脇の壁の中にあるので、冷蔵庫も動かす。
が、冷蔵庫の移動スペースを作るためにはまず調理台を動さねばならぬ。
たかが蛇口ひとつ取り替えるだけでも、事前準備はたくさんある。
こういうとき、毎回思うのである。
あぁ、物を少なく持つというのは、こういう時に威力を発揮するのだな。
定期的に掃除や整理をしておけば、こういうときに役に立つのだな。
特にものすごく物が多いというわけでもないけれども、
洗面台の下なんかは、やはり細々としたものが多い。
余計なものまで抱え込んでいるか、最低限のものに絞っているかで、
慌て具合や仕事の大変さもずいぶん違うと思う。
同じように、たとえば冷蔵庫裏なんかもいつも掃除していたら、
水道屋がくるたびに「あぁここも汚れていたか」なんて思わなくて済む。
日頃やっていることが、
いざというときにものを言うのよねぇ。。。つくづく思う。
春は大掃除の季節である。
だんだん日が長くなって、
晴れているときは日差しがだいぶ強くなったと感じる。
春告鳥メルルの発声練習もときどき聞こえるようになった。
いまはまだ手がかじかんでしまうので掃除もしにくいけれど、
(かじかんだ手で掃除すると生傷だらけになる。。。)
あと1ヶ月もしたら絶好のお掃除シーズンになるだろう。
お雛様までには家中をすっかり綺麗にしたいものだ。
水道屋の来訪のおかげで、
来るべき大掃除に向けてやる気がじりじりっと高まって来た。
by poirier_AAA
| 2018-01-23 22:27
| 日々の断片
|
Comments(4)
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fusk-en25 at 2018-01-24 00:04
タイトルを見て。
ああ。また水漏れ?って思ったら。。
通常業務?でしたね。よかった。
その上次のことまで考えるなんて。。さーすが。
それにしても鬱陶しいですね。いつも同じことをぼやいてごめんなさい。
でも鬱陶しいもん。笑。
ああ。また水漏れ?って思ったら。。
通常業務?でしたね。よかった。
その上次のことまで考えるなんて。。さーすが。
それにしても鬱陶しいですね。いつも同じことをぼやいてごめんなさい。
でも鬱陶しいもん。笑。
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poirier_AAA at 2018-01-25 06:52
> fusk-en25さん、こんにちは。
そうなんです。今回は水漏れじゃなかったから、それでも気が楽でした。
こういうことがあるたびに、わたしの人生は泥縄式でできているなぁと思うんです。人が来るから家を綺麗にする。相手がいるから一所懸命になにかする。ということは、もし外からの刺激がなかったら、恐ろしい汚アパートに住んで着たきり雀で山姥のようになっていたかもしれない。。。なんて思って。いやぁ、周りに人がいて、ブログもあって、よかったなぁ〜と。
今日は久しぶりに雨が降らない1日でしたね。嬉しくて外を歩き回ってしまいました。
そうなんです。今回は水漏れじゃなかったから、それでも気が楽でした。
こういうことがあるたびに、わたしの人生は泥縄式でできているなぁと思うんです。人が来るから家を綺麗にする。相手がいるから一所懸命になにかする。ということは、もし外からの刺激がなかったら、恐ろしい汚アパートに住んで着たきり雀で山姥のようになっていたかもしれない。。。なんて思って。いやぁ、周りに人がいて、ブログもあって、よかったなぁ〜と。
今日は久しぶりに雨が降らない1日でしたね。嬉しくて外を歩き回ってしまいました。
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asama0629
at 2018-01-25 15:51
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梨の木さん、お久しぶりでお便りします。
二年ぶりに梨の木さんの文を続きから読みました。いつの間にか、「はっちゃけ母ちゃんの愉快な育児日記」から「ある東洋婦人の省察録」へ大きく変貌しつつあること、それがとても興味深く、楽しかったです。
「鬱陶しい」とおっしゃる「運命」交響曲ですが、カラヤンなどではなく、1960年夏ウィーンの芸術週間でオットー・クレンペラーとフィルハーモニア・オーケストラが演奏した録音をどうかお聴きください。聴き手がいつの間にか手あかまみれにしてしまったこの曲が、いかに偉大か、改めて思い起こさせてくれます。
それではどうぞお元気で。いつかまたお訪ねしたいです。
二年ぶりに梨の木さんの文を続きから読みました。いつの間にか、「はっちゃけ母ちゃんの愉快な育児日記」から「ある東洋婦人の省察録」へ大きく変貌しつつあること、それがとても興味深く、楽しかったです。
「鬱陶しい」とおっしゃる「運命」交響曲ですが、カラヤンなどではなく、1960年夏ウィーンの芸術週間でオットー・クレンペラーとフィルハーモニア・オーケストラが演奏した録音をどうかお聴きください。聴き手がいつの間にか手あかまみれにしてしまったこの曲が、いかに偉大か、改めて思い起こさせてくれます。
それではどうぞお元気で。いつかまたお訪ねしたいです。
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poirier_AAA at 2018-01-27 04:01
> asama0629さん、こんにちは。
たくさん読んでいただいたようで、ありがとうございます。
うふふ、自分ではわからないのですよ。自分が一体「はっちゃけ母ちゃん」に見えているのか「ある東洋婦人(はっちゃけ母ちゃんよりは落ち着いている?)」に見えているのか。こうして読んでくださっている方からイメージを教えてもらうのはおもしろいですね。自分が抱いている自分のイメージともまた違うのですよね。
「運命」はいまは鬱陶しく感じません。少し音楽から離れて、また違った目で音楽と向き合えるようになったと感じています。そうすると、かつては鬱陶しく感じた曲の良さがよく見えるようになりました。「運命」やチャイコフスキーの曲なんかはその最たるものですね。
60年のクレンペラー&フィルハーモニアですね。こんど探して聴いてみます。こんなふうに、指揮者と演奏年を指定して勧められるのは久しぶりで、ワクワクします。
たくさん読んでいただいたようで、ありがとうございます。
うふふ、自分ではわからないのですよ。自分が一体「はっちゃけ母ちゃん」に見えているのか「ある東洋婦人(はっちゃけ母ちゃんよりは落ち着いている?)」に見えているのか。こうして読んでくださっている方からイメージを教えてもらうのはおもしろいですね。自分が抱いている自分のイメージともまた違うのですよね。
「運命」はいまは鬱陶しく感じません。少し音楽から離れて、また違った目で音楽と向き合えるようになったと感じています。そうすると、かつては鬱陶しく感じた曲の良さがよく見えるようになりました。「運命」やチャイコフスキーの曲なんかはその最たるものですね。
60年のクレンペラー&フィルハーモニアですね。こんど探して聴いてみます。こんなふうに、指揮者と演奏年を指定して勧められるのは久しぶりで、ワクワクします。