2017年 09月 21日
一息の長さ |
わたしは、
ひょっとすると自分で考えている以上に、
身体からの影響を受けているのかもしれないな、と思いました。
ポルトガルのとある民謡を聴いていたときのことです。
この人、どこで息継ぎしているの!?
びっくりするくらい長いフレーズが出てきたのです。
ここで息継ぎするだろう、いやこの次か?
待っても待っても息継ぎらしい切れ目が見つからず、
曲を聴いているだけで胸が苦しくなってきました。
人が一呼吸で歌える量や話せる量って、
その人の身体的条件で決まってしまうのだな、と思いました。
風邪でゼイゼイしているときは長いフレーズは話したくないですし、
逆に鍛えてあれば腹の底から長いフレーズを続けられることでしょう。
唐突ですが、文章を書くときわたしは必ず頭の中で音読して推敲します。
どうしても決まらないときは口から音を出して読んでみます。
変な話に聞こえるかもしれませんけれども、
音に出したときに耳障りでないように、
調子外れにならないように、無意識に調整しているのだと思います。
書いてある内容も大事だけれど、
読んだときに音のまとまりが落ち着いていることも大事なのです。
その延長線上にあることなのだと思いますが、
読んでいて、説明しがたい違和感を感じてしまう文章があります。
そういうときはたいて書き手の文章のリズム感が、
自分が気持ちよく感じるパターンと違っているのです。
短い文を連発する推理小説作家が苦手だなぁと感じたこともありますし、
元気でないときはプルーストの長い文を読むのが苦しいと感じます。
思考が、綿々と延々と続いていく音の連なりに耐えられなくなるのです。
ということは、です。
自分の身体の状態の如何で、
心地よいと感じるもの、心を開いて受け入れられるものが
自然と変わってくる、ということではありませんか?
人の主観や判断なんて案外あてにならないもののようです。
このポルトガルの民謡は、ある地方の踊りの音楽なのですが、
前に前にと進む、しかし息の長いフレーズにあわせて踊る人たちと、
4拍目を思い切り後ろにひっぱりながら深く息継ぎする曲で踊る人たちと、
メンタリティが違ってしまうのは当たり前のことだと思われたのでした。
これがその曲です。
ちょっと息継ぎに困りそうだと思いませんか?
えっ、そう感じるのってわたしだけ?
by poirier_AAA
| 2017-09-21 07:19
| 日々の断片
|
Comments(2)
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by
fusk-en25 at 2017-09-21 19:28
言葉のリズムと志賀直哉は書いているのですが。
リズムのない文章は読み難い。確かに。
知らない間に私も音読というか。
しょっちゅう文章を頭の中で組み立てては。繰り返して。。
その流れがサラサラと出てくる快感に浸りながら
まどろむ床の中でうたうたしています。
音の方は鈍いからか。この民謡はそうもしんどくは聞こえなかった。。
リズムのない文章は読み難い。確かに。
知らない間に私も音読というか。
しょっちゅう文章を頭の中で組み立てては。繰り返して。。
その流れがサラサラと出てくる快感に浸りながら
まどろむ床の中でうたうたしています。
音の方は鈍いからか。この民謡はそうもしんどくは聞こえなかった。。
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Commented
by
poirier_AAA at 2017-09-22 22:51
> fusk-en25さん、こんにちは。
知らない間に音読、しちゃいますよね。
それで気持ちよくない文章は「自分らしくない」みたいに感じてしまいます。
この「自分らしい」というのが何なのかな?と思うのですが。
知らない間に音読、しちゃいますよね。
それで気持ちよくない文章は「自分らしくない」みたいに感じてしまいます。
この「自分らしい」というのが何なのかな?と思うのですが。