2017年 09月 14日
父と息子とロバの話 |
一つ前の記事を書きながら、
前に子どもの教科書で読んだ話を思い出していた。
むかしむかしあるところに、
老いた父親とまだ年若い息子が住んでいた。
息子は容姿にコンプレックスがあって外にも出たがらない。
人が自分を見て笑うに決まっている、と言う。
それを聞いた父親は息子に言う。
なーに、人の言うことなんかまともに聞くことはないのさ。
あいつらは好き勝手で適当な批判をしているだけなんだから。
そんな会話があった後で、老父は息子を連れて市に行く。
ロバを引いて、息子と自分はその脇を歩いて。
それを見た人が指差して笑う。
バカだなぁ、せっかくロバがいるなら、どちらかが乗ればいいのに。
翌日は、息子がロバに乗り父親は徒歩で市に行った。
それを見た人が口々に言う。
老いた父親を歩かせて若い息子がロバに乗るとは、なんと恥さらしな!
その翌日、今度は父親がロバに乗り、息子が徒歩で行った。
人々はいう。
子どもは歩かせて自分だけロバに乗っても平気な父親なんだな。
さらにその翌日、今度は父子揃ってロバに乗って市に向かった。
人々は憤慨して言った。
あんな小さなロバに2人乗りするなんて!ロバがかわいそうじゃないか!
翌日、父子はロバを担いで市に向かった。
人々は指差しながら涙を流して笑った。
人間がロバを担いで歩くなんて、こんな愚か者は初めて見たよ!
ここで老父は息子に言ったのである。
ほらお前、よくわかっただろう。
何をしようが、人は必ず何かしら悪いところを見つけて批判するものなのさ。
そんなことをいちいち気にしているなんて、時間の無駄でしかないってことだ。
手元にテクストがないのでうろ覚えなのだが、大筋はこんな話だった。
トルコの民話のようなものだと思う。
ナスレディンという名の知恵者?が活躍する、
教訓話でもあり、とんち話でもあり、笑い話でもある。
フランス語ならこういった本で読むことができる。
わたしが義父に高いところに上って欲しくないと思ったのも、
義父がわたしに高いところで作業して欲しくないと思ったのも、
夫が義父やわたしを働かせたがらなかったのも、
もちろんお互いを心配してのことだったけれど、
体面を気にする気持ちも、ほんのすこしはあったかもしれない。
ひょっとしてお義父さんも夫も、男の沽券にかかわると感じていたとか?
かくいうわたしも「良くできた嫁」を演じようとしていたとか?
そんなことをあれこれニヤニヤしながら考えていて、
ひょいっとナスレディンのことを思い出したのだった。
by poirier_AAA
| 2017-09-14 17:30
| 日々の断片
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