2017年 08月 29日
質実剛健な食卓 |
もしも料理に「質実剛健」という言葉が使えるとしたら、
テーブルの向こう側に座っているのが息子たちだが、 彼らは皿に山盛りのトマトを2回食べてから、 となりのスープを大きなスープ皿一杯食べる。
スープには、義母が思いついたものが片っぱしから入っている。 この日のミネストローネ(?)には少なくとも ジャガイモ、カボチャ、インゲン豆、ほうれんそう、ハヤトウリ、 ポロ葱、玉ねぎ、にんにく、が入っていると見た。 こういう超ヘビーなミネストローネに、腸詰の欠片が入っていることもある。
スープが済むと、今度は肉と付け合せの野菜が出てくる。 例えばある日はこんなものが出てきた。 羊肉の炭火焼。 一頭を解体して得た肉なので、いろいろな部位が混じっている。 各自、自分の好きな部分を選んで食べる。
これを、義母は6人分のつもりで用意するのである。 少食の人は一人もいない家族でも、これではさすがに余る。 そうすると義母はさめざめと嘆く。 あぁ、みんな全然食べてくれないのね。。。 (日本人が見れば、これだけ出たのにこれしか余らないんだと驚くであろ)
義母の料理こそまさにそれである。
飾り気はほぼない。
しかし素材には一切の偽りなし。(自宅産だから)
調理法にも秘密なし。
(煮るか炭火で焼くだけ。調味料は塩とオリーブオイルだけ)
さあ、食べてごらんなさいよ、どーん。
付加価値なんて必要なくて、身一つで勝負していくタイプ。
ゆえに向かうところ敵なし、恐るるところなしの、最強の食卓である。
ある夜の食卓。前菜のトマトと野菜スープ。
美食家のフランス人のなかには、
こういうのは料理とは呼ばない、と言う人もいるのだそうだ。
ただ素材の味だけ、焼いただけ。肝心のソースがない、と。
そう言いたくなるのもまぁわからないでもない。
義母の作るものが質実剛健な美味しさだとしたら、
フランス料理は繊細と洗練を極めた美味しさなわけで。
タイプが違いすぎる。
でも家庭で毎日食べるものとしてみれば、これ以上の贅沢はないだろうと思う。
ソースなんていらない、このままで十分と、少なくともうちの家族は思っている。
ただ、義両親の食卓がこんな感じなので、
我が家に義両親を招くときなどは、大変に困る。
だいたい、ハナから勝負がついているのだ。
素材も調理法もどう逆立ちしたって敵うわけがない。
わたしの料理なんて、チマチマした小手先のお遊びだ。
パリに戻ってからまだ肉を買っていない。
いただいてきた野菜中心、ときどきバカリャウという食生活が続いている。
肉料理を出せば「ポルトガルの肉は旨かったなぁ」と言われるに決まっている。
料理人としては悔しい。頑張っても頑張っても追いつけない。
でも、悔しいのだけれど、自分もまったく同じことを思っているわけで。
「まぁ、ポルトガルの肉とは比べものにならないけどさ。これも食べてよ」
学校が始まる頃には、そんなことを言いながら肉料理を出すことだろう。
(野菜はきっとまだ残っているはず)
by poirier_AAA
| 2017-08-29 17:56
| ポルトガル
|
Comments(2)
Commented
by
Mtonosama at 2017-08-30 05:45
ロールケールはできないと聞いて残念!
美味しい料理はなんといっても食べる人が美味しい、美味しい、といっていっぱい食べてくれることが一番ですよね。
現在、我が家には「美味しい」とはいわないまでも、あるもの全て人の分まで食べてしまう大食い人間が一人増えたので、ちょっとうれしいっていうか大変です。
美味しい料理はなんといっても食べる人が美味しい、美味しい、といっていっぱい食べてくれることが一番ですよね。
現在、我が家には「美味しい」とはいわないまでも、あるもの全て人の分まで食べてしまう大食い人間が一人増えたので、ちょっとうれしいっていうか大変です。
0
Commented
by
poirier_AAA at 2017-08-30 16:54
> Mtonosamaさん、こんにちは。
うふふ。
> ちょっとうれしいっていうか大変です
この気持ち、よくわかりますわ〜。
一体どれだけ作ったら足りるの?って感じですよね。
ポルトガルでの息子たちの食べっぷりを見て、もっと大きな鍋を買い足そうと決意しました。
うふふ。
> ちょっとうれしいっていうか大変です
この気持ち、よくわかりますわ〜。
一体どれだけ作ったら足りるの?って感じですよね。
ポルトガルでの息子たちの食べっぷりを見て、もっと大きな鍋を買い足そうと決意しました。