2017年 07月 25日
気になるもの |
人の持っている本って、どうしてあんなに気になるのだろう?
メトロの中で本を広げて読んでいる人がいると、
何の本だろう?と知りたくてたまらなくなる。
読みかけの本に指を栞代わり挟んで乗り込んでくる人、降りていく人。
通り過ぎる時に、なんとか背表紙の題が読めないか、
運良くちらりと表紙が見えたりしないか、
思わずじーっと眺めてしまう。
土曜日に乗ったメトロで、
通路を挟んだ横の席に座っていた女性が、
膝の上にカバン、そのカバンの上に分厚い文庫本をのせていた。
表紙がはっきりと見えるように置かれていたので、すぐにわかった。
アルベール・コーエンの「Belle du Seigneur(邦題:選ばれた女)」だ。
ごくごく若い女性だった。
あるいは大学生くらいかもしれない。
縮れた褐色の髪を無造作に肩まで垂らし、
長い脚を組んで、スマートフォンで誰かにメッセージを送っている。
それがすむと、やおら本を取り上げて真面目に読み始めた。
手にはボールペンを持って、ところどころに線を引きながら読んでいる。
あぁここでも若い女性がこの本を読んでいる、と思った。
「Belle du Seigneur」は「失われた時を求めて」と並んで、
いつか読破してみたいと思っている本のうちの1冊である。
わたしには未だに高すぎる山で、ちょっと手が出せないでいる。
どちらも断片的に読むだけなら真似事くらいはできるのだけれども、
長い長い話をわくわくしながらサラサラ読みすすめるまでには至らない。
岩に必死でしがみついて、なんとか落ちないように頑張る感じだ。
それだと、読書を楽しむ、とはだいぶ違ってしまう。
この本をかなり嫌っている人もいる。
一方で、素晴らしい小説だと絶賛する人もいる。
両方のどちら劣らぬ熱のこもった言い分を聞くにつけ、
やはりいつかは自分で読んでみたいものだと思う。
忘れた頃に、いつもふわりと目の前に現れる「Belle du Seigneur」。
なんとはなしに赤い糸で結ばれているような気もする。
それがほんとの赤い糸なのか、ただの気のせいなのか、
判別する機会がいつか巡ってきますように。
by poirier_AAA
| 2017-07-25 22:48
| 日々の断片
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