2015年 10月 01日
100年前 |
最近、よく祖母のことを思い出す。
懐かしい人、大事な人、背中を見せてもらった人としてだけでなく、
ちょうど100年くらい前に生まれて20世紀を生きた人、として。
まだ小さかった頃、
選挙の翌日になると学校でもその話になった。
うちのお母さんは誰に入れたんだよ、とか、
うちはこの党みたいだよ、とか。
わたしもそういう友達の会話に入りたかったので、
夕ご飯の席で家族の大人たちに聞いた。
みんなは誰に入れたの?
そうすると、祖母が必ずいうのだ。
そういうことは例え家族の間でも話さないんだよ。
例えばうちの大人が誰に入れたかわかったとしても、
外ではそのことは絶対に言ってはダメだからね。
どこで誰に聞かれているかわからないんだから。
この言葉は、折に触れて繰り返された記憶がある。
10代になって生意気になったわたしは、よくこう言い返した。
おばあちゃん、日本は民主主義の国なんだよ。
そりゃあ戦争の頃はそうだったかもしれないけど、
もうそんな時代じゃないんだから。
でも、そう言っても祖母は自分のやり方を貫き通したし、
わたしに対して自分を正当化するような言葉を連ねることもなかった。
最近思うのは、
祖母はよくわかっていたんじゃないか、ということである。
生まれてすぐに第一次世界大戦が始まり、
20代で第二次世界大戦を経験した。
10代後半の多感な頃から、
「お国のため」の合言葉のもとに戦争に突入していく20代を過ごし、
30代は幼い子どもを抱えて戦後の物のない時代を生きた。
祖母は言葉にしないまでも感じていたのじゃないだろうか。
日本人は根本的に何も変わっていない、と。
戦争が終わって急にやってきた民主主義や自由、平等なんて、
ただの言葉の遊びでしかない、と。
大人も子どもも無邪気にそれを信じているにすぎない、と。
社会のあり方や人の心の持ちようが変わったわけではないことを。
いい、と思った相手はとことんまで褒め称え、
神様かヒーローか、というほど崇めるくせに、
認めたくない相手、自分より弱い相手のことは、とことん貶める。
そういうことを「国(社会/仲間/みんな)のため」という理由で
正当化して行うことにためらいがない。
社会的地位の上下、経済状態による上下、
年齢、性別、果ては出身校、持ち物。
なにかにつけて序列をつけないではいられない癖。
そういう人の心の弱さや、それに社会が支配されていく怖さを、
ひょっとしたら祖母は若い頃にたくさん見たのかもしれない。
そういう中で生きる辛さを経験したかもしれない。
国は「民主主義」という美しい旗を(中身はどうであれ)掲げており、
そこに住む人は、
直接手を汚さなくとも簡単に人を制裁できるネットという手段を持っている。
道具立てが違うだけで、
状況は祖母の若い頃とまったく同じなんじゃないの?
そんなことをふっと考えてしまうこの頃なのだ。
懐かしい人、大事な人、背中を見せてもらった人としてだけでなく、
ちょうど100年くらい前に生まれて20世紀を生きた人、として。
まだ小さかった頃、
選挙の翌日になると学校でもその話になった。
うちのお母さんは誰に入れたんだよ、とか、
うちはこの党みたいだよ、とか。
わたしもそういう友達の会話に入りたかったので、
夕ご飯の席で家族の大人たちに聞いた。
みんなは誰に入れたの?
そうすると、祖母が必ずいうのだ。
そういうことは例え家族の間でも話さないんだよ。
例えばうちの大人が誰に入れたかわかったとしても、
外ではそのことは絶対に言ってはダメだからね。
どこで誰に聞かれているかわからないんだから。
この言葉は、折に触れて繰り返された記憶がある。
10代になって生意気になったわたしは、よくこう言い返した。
おばあちゃん、日本は民主主義の国なんだよ。
そりゃあ戦争の頃はそうだったかもしれないけど、
もうそんな時代じゃないんだから。
でも、そう言っても祖母は自分のやり方を貫き通したし、
わたしに対して自分を正当化するような言葉を連ねることもなかった。
最近思うのは、
祖母はよくわかっていたんじゃないか、ということである。
生まれてすぐに第一次世界大戦が始まり、
20代で第二次世界大戦を経験した。
10代後半の多感な頃から、
「お国のため」の合言葉のもとに戦争に突入していく20代を過ごし、
30代は幼い子どもを抱えて戦後の物のない時代を生きた。
祖母は言葉にしないまでも感じていたのじゃないだろうか。
日本人は根本的に何も変わっていない、と。
戦争が終わって急にやってきた民主主義や自由、平等なんて、
ただの言葉の遊びでしかない、と。
大人も子どもも無邪気にそれを信じているにすぎない、と。
社会のあり方や人の心の持ちようが変わったわけではないことを。
いい、と思った相手はとことんまで褒め称え、
神様かヒーローか、というほど崇めるくせに、
認めたくない相手、自分より弱い相手のことは、とことん貶める。
そういうことを「国(社会/仲間/みんな)のため」という理由で
正当化して行うことにためらいがない。
社会的地位の上下、経済状態による上下、
年齢、性別、果ては出身校、持ち物。
なにかにつけて序列をつけないではいられない癖。
そういう人の心の弱さや、それに社会が支配されていく怖さを、
ひょっとしたら祖母は若い頃にたくさん見たのかもしれない。
そういう中で生きる辛さを経験したかもしれない。
国は「民主主義」という美しい旗を(中身はどうであれ)掲げており、
そこに住む人は、
直接手を汚さなくとも簡単に人を制裁できるネットという手段を持っている。
道具立てが違うだけで、
状況は祖母の若い頃とまったく同じなんじゃないの?
そんなことをふっと考えてしまうこの頃なのだ。
by poirier_AAA
| 2015-10-01 23:11
| 世情を考える
|
Comments(14)
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fusk-en25 at 2015-10-02 00:01
昔々。選挙の前に家庭訪問があって
私は「入れる人が決まっているから」と返事した。
そうすると「それはご主人のお考えですか?」と聞かれて
もうのけぞるばかりにびっくりしたことがありましたね。
ちょっと話が違うかもしれないけれど。
意外と、政治家の所属に対して投票者はきちんと考えてない感じは受けます。
政策は党の方針で決まってしまうのに。
投票するときは、いい感じ。我が村の出身。会社が決めたとか?で入れてしまう。まさか夫の意見?はないかもしれないとしても。
後でそんな筈でなかったと言っても遅いのに。。
私は「入れる人が決まっているから」と返事した。
そうすると「それはご主人のお考えですか?」と聞かれて
もうのけぞるばかりにびっくりしたことがありましたね。
ちょっと話が違うかもしれないけれど。
意外と、政治家の所属に対して投票者はきちんと考えてない感じは受けます。
政策は党の方針で決まってしまうのに。
投票するときは、いい感じ。我が村の出身。会社が決めたとか?で入れてしまう。まさか夫の意見?はないかもしれないとしても。
後でそんな筈でなかったと言っても遅いのに。。
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Ich
at 2015-10-02 10:46
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梨の木さんの御祖母さまは多分私の母と同年・・、私も同じような言葉で育ち、100年の歴史は今も活きています。まさにおっしゃる通りですね。海外で強く生きていらっしゃりながら的確にこの国を見てくださっている・・・さすがです。
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poirier_AAA at 2015-10-02 17:34
>fuskさん、こんにちは。
あぁ、ありますね、そういう話。
「ご主人は?」とか「どなたか男性の方は?」、ひどいのになると「保護者(保証人)の方とお話ししたいのですが」とか、こっちはとっくに成人して独立しているのに何を言ってるのだ?と激しく困惑した覚えがあります。へんなの。
これまでの何十年まぁいいか〜こんなものか〜でやり過ごしてきたことのツケが、どんどん回ってきている気がします。
あぁ、ありますね、そういう話。
「ご主人は?」とか「どなたか男性の方は?」、ひどいのになると「保護者(保証人)の方とお話ししたいのですが」とか、こっちはとっくに成人して独立しているのに何を言ってるのだ?と激しく困惑した覚えがあります。へんなの。
これまでの何十年まぁいいか〜こんなものか〜でやり過ごしてきたことのツケが、どんどん回ってきている気がします。
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poirier_AAA at 2015-10-02 17:45
>Ichさん、こんにちは。
Ichさんのお母様も同じようなことをおっしゃっておいででしたか。
もちろん政治的な面では激動の時代でしたけれど、身近なところでは戦後家電がどんどん新しくなったりして、それに全部対応して生きた人たちです。その順応性の高さ、経験の量は現代人の比ではないだろうと思っています。
お母様、どうぞいつまでもお元気であられますように。
Ichさんのお母様も同じようなことをおっしゃっておいででしたか。
もちろん政治的な面では激動の時代でしたけれど、身近なところでは戦後家電がどんどん新しくなったりして、それに全部対応して生きた人たちです。その順応性の高さ、経験の量は現代人の比ではないだろうと思っています。
お母様、どうぞいつまでもお元気であられますように。
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fusk-en25 at 2015-10-02 18:01
ずいぶん今は変わったかもしれませんが
日本でなら、男の人と話さなければ前に進まなかった時代はありました。たかが銀行の窓口でさえ。。
それがフランスに来ると窓口の男の子(おっさんになっていても。。笑)は頼りなくて。
後ろにいる女の方と話したいってことになる。
中間?管理職の女の人はまた「怖い」くらいしっかりしてますね。
日本でなら、男の人と話さなければ前に進まなかった時代はありました。たかが銀行の窓口でさえ。。
それがフランスに来ると窓口の男の子(おっさんになっていても。。笑)は頼りなくて。
後ろにいる女の方と話したいってことになる。
中間?管理職の女の人はまた「怖い」くらいしっかりしてますね。
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poirier_AAA at 2015-10-02 18:52
>fuskさん、こんにちは。
あぁ、そうですね。
わたしが働いていた頃も、最終的に決断を下すポジションにいるのは、ほぼ間違いなく男性でしたね。今もその体質はさほど変わっているとも思えません。政治の様子なんかを見てもそう思います。
フランスでは、、、、わたしはなにか相談するときは男性に頼むことが多いです。男性の方が優しくしてくれますから(笑)。女の人の方が虫の居所の悪い率が高くないですか?
でも、こちらの女の人は肝が座っていると思います。何かあれば男性が助けてくれるなんて期待してないですよね。お互いに変な期待を抱き合わないで済む気楽さがあるなぁと感じます。
あぁ、そうですね。
わたしが働いていた頃も、最終的に決断を下すポジションにいるのは、ほぼ間違いなく男性でしたね。今もその体質はさほど変わっているとも思えません。政治の様子なんかを見てもそう思います。
フランスでは、、、、わたしはなにか相談するときは男性に頼むことが多いです。男性の方が優しくしてくれますから(笑)。女の人の方が虫の居所の悪い率が高くないですか?
でも、こちらの女の人は肝が座っていると思います。何かあれば男性が助けてくれるなんて期待してないですよね。お互いに変な期待を抱き合わないで済む気楽さがあるなぁと感じます。
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まじ
at 2015-10-02 19:56
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梨の木さん、こんにちは。
選挙の話、うちの実家でもそうでした。
誰に入れたかは公にはしないもの。という教えでした。
なので、フランスに来て、フランス人達がざっくばらんに話しているのが自然に思えるのが不思議でした。
日本の世にただよう競争心には半ば嫌気がさします。
もちろんフランスにもありますが、日本のそれは独特かなと思います。
日本に詳しいフランス人が、日本人の人生は一本の線みたいだと言っていました。何人いても、線は一本だと。
人生はボールみたいなもので、色んな方向に成長していけるものなのにと。
的を射てるなと思いました。
選挙の話、うちの実家でもそうでした。
誰に入れたかは公にはしないもの。という教えでした。
なので、フランスに来て、フランス人達がざっくばらんに話しているのが自然に思えるのが不思議でした。
日本の世にただよう競争心には半ば嫌気がさします。
もちろんフランスにもありますが、日本のそれは独特かなと思います。
日本に詳しいフランス人が、日本人の人生は一本の線みたいだと言っていました。何人いても、線は一本だと。
人生はボールみたいなもので、色んな方向に成長していけるものなのにと。
的を射てるなと思いました。
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poirier_AAA at 2015-10-03 17:32
>まじさん、こんにちは。
まじさんのところも同じでしたか。
うちが特殊なのかと実はずっと疑問に思っていたので、こういう話を聞かせていただくと興味深いです。
本当に、フランスにいると例えば食事の席などでも普通に政治の話題がでて、皆思うところをざっくばらんに語りますよね。それも意見が違う人同士でもそれができるのがいいです。生活に直接関係する話として政治や国のことを考えている人が多いように感じますね。日本はそれと比べると「誰かにやってもらえばいい」という感じが強いような?
日本は、もちろん自分の生まれ育った国ですから悪く言いたくない気持ちが強いのですけれど、、、、年々人の考え方が窮屈に偏屈になっていくようで、どうなってしまうのだろうと最近よく思うのです。
まじさんのところも同じでしたか。
うちが特殊なのかと実はずっと疑問に思っていたので、こういう話を聞かせていただくと興味深いです。
本当に、フランスにいると例えば食事の席などでも普通に政治の話題がでて、皆思うところをざっくばらんに語りますよね。それも意見が違う人同士でもそれができるのがいいです。生活に直接関係する話として政治や国のことを考えている人が多いように感じますね。日本はそれと比べると「誰かにやってもらえばいい」という感じが強いような?
日本は、もちろん自分の生まれ育った国ですから悪く言いたくない気持ちが強いのですけれど、、、、年々人の考え方が窮屈に偏屈になっていくようで、どうなってしまうのだろうと最近よく思うのです。
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kotoko_s at 2015-10-04 14:44
こんにちは。
私の祖父母(父方も母方も)も同じだったなと思い出していました。
(父方の祖父は早くに他界して会ったことはないのですが)
誰に投票するかということとは別に、実家では政治的な話題や社会の問題について、小学校の頃から両親とよく話していました。自分の生活が社会に直結しているという感覚は、身近な大人の生き方から学ぶものだなと思います。
個性を尊重する教育などと言いながら、ゆるみを許さない息の詰まるような今の日本。腹立たしいことがいっぱいありますよ。
私の祖父母(父方も母方も)も同じだったなと思い出していました。
(父方の祖父は早くに他界して会ったことはないのですが)
誰に投票するかということとは別に、実家では政治的な話題や社会の問題について、小学校の頃から両親とよく話していました。自分の生活が社会に直結しているという感覚は、身近な大人の生き方から学ぶものだなと思います。
個性を尊重する教育などと言いながら、ゆるみを許さない息の詰まるような今の日本。腹立たしいことがいっぱいありますよ。
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poirier_AAA at 2015-10-05 21:03
>kotokoさん、こんにちは。
>自分の生活が社会に直結しているという感覚は、身近な大人の生き方から学ぶものだなと思います。
本当にそうですね。なにかどこかがうまくない、どうしてこうなるのだろう、日常生活の中に潜む小さな疑問とかうまく説明できない居心地の悪さとかといったものが、実は社会のあり方の問題であることも多いのではないかと思います。そういう話を身近な大人とできるって、子どもにとってはとても大事なことですよね。
うちの子と同じ学校に通う日本人のお子さんが近々帰国するのですが、こちらはのびのびしていてすごく楽だったとお母さんが言っていました。日本だったらこんなふうにはさせてやれなかった、と。子どもも親もいろいろ大変でという具体的な話を聞いているうちに切なくなりましたよ。あの締め付け、結局誰のためになっているのでしょうね?
>自分の生活が社会に直結しているという感覚は、身近な大人の生き方から学ぶものだなと思います。
本当にそうですね。なにかどこかがうまくない、どうしてこうなるのだろう、日常生活の中に潜む小さな疑問とかうまく説明できない居心地の悪さとかといったものが、実は社会のあり方の問題であることも多いのではないかと思います。そういう話を身近な大人とできるって、子どもにとってはとても大事なことですよね。
うちの子と同じ学校に通う日本人のお子さんが近々帰国するのですが、こちらはのびのびしていてすごく楽だったとお母さんが言っていました。日本だったらこんなふうにはさせてやれなかった、と。子どもも親もいろいろ大変でという具体的な話を聞いているうちに切なくなりましたよ。あの締め付け、結局誰のためになっているのでしょうね?
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まじ
at 2015-10-05 21:35
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梨の木さん、再びこんにちは。
もちろん、母国を悪くはいいたくないですよね。自分が住んでいるところも。
でも、変なもので『やっぱ日本(フランス)はいいなー!』といわれると肯定と否定の気持ちが同時に生まれるんですよね。
その度に、水林章さんじゃないですが、どっちつかずになってしまったなぁと思うんです。
知らなくて良かったことを知ってしまったような。
自分の居場所をなくしてしまったような、なんとも切ない気持ちになります。
これが、外国人として生きるっていうことなのか。どこにいても人生ってのはこんなものなのか。いやはや、日々勉強です。
もちろん、母国を悪くはいいたくないですよね。自分が住んでいるところも。
でも、変なもので『やっぱ日本(フランス)はいいなー!』といわれると肯定と否定の気持ちが同時に生まれるんですよね。
その度に、水林章さんじゃないですが、どっちつかずになってしまったなぁと思うんです。
知らなくて良かったことを知ってしまったような。
自分の居場所をなくしてしまったような、なんとも切ない気持ちになります。
これが、外国人として生きるっていうことなのか。どこにいても人生ってのはこんなものなのか。いやはや、日々勉強です。
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poirier_AAA at 2015-10-05 23:07
>まじさん、こんにちは。
そう、どっちつかずのコウモリみたいな存在になってしまった感じです。どちらに行っても余所者扱いされてしまう。。
日本は大事な故郷だから悪く言われると「知らないくせに」と反論したくなるし、逆に日本人がフランスのことを悪しざまに批判したりすると「そんな、よく知りもしないくせに」と言いたくなる。かといって「いいところだよね〜」と絶賛されても内心ため息をつきたくなるしで、、、、悩ましいんですよね。
どこだってどんな人だってみな同じようなものだと思うのです。もの凄くいいところもあれば、それを帳消しにするくらい悪いところもある。そんなに簡単にどっちがいいなんて言えませんよ。それを責められると困ってしまって。
どっちつかずって切ないものですけど、どっちつかずになったおかげで見えるようになったこともあるので、わたしは今の自分の方が好きかな、と思っています。
そう、どっちつかずのコウモリみたいな存在になってしまった感じです。どちらに行っても余所者扱いされてしまう。。
日本は大事な故郷だから悪く言われると「知らないくせに」と反論したくなるし、逆に日本人がフランスのことを悪しざまに批判したりすると「そんな、よく知りもしないくせに」と言いたくなる。かといって「いいところだよね〜」と絶賛されても内心ため息をつきたくなるしで、、、、悩ましいんですよね。
どこだってどんな人だってみな同じようなものだと思うのです。もの凄くいいところもあれば、それを帳消しにするくらい悪いところもある。そんなに簡単にどっちがいいなんて言えませんよ。それを責められると困ってしまって。
どっちつかずって切ないものですけど、どっちつかずになったおかげで見えるようになったこともあるので、わたしは今の自分の方が好きかな、と思っています。
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fusk-en25 at 2015-10-06 05:51
どっちつかずな気分的なこともよく判るのですが。
どっちつかずと言うより。むしろ重複した思い。。
両方知ることができた。そのどっちがいいか悪いかでなく。
色々世の中にはあるのだと言う見方を本当はしなくてはならない気がします。
日本にいると日本人であることを疑いもせず生きていける。
当たり前なんですが。
その当たり前を外して、もう一度自分をかえりみる機会が与えられたのだと。同時に
「こうなのよ」と決めつけてモノをみないような習慣もついてくるのは切なさより救いになる気もするのです。。。
私は図々しい性格だから何人であるのは関係なく「私は私なんだ」で来てしまいましたが。。。笑。
どっちつかずと言うより。むしろ重複した思い。。
両方知ることができた。そのどっちがいいか悪いかでなく。
色々世の中にはあるのだと言う見方を本当はしなくてはならない気がします。
日本にいると日本人であることを疑いもせず生きていける。
当たり前なんですが。
その当たり前を外して、もう一度自分をかえりみる機会が与えられたのだと。同時に
「こうなのよ」と決めつけてモノをみないような習慣もついてくるのは切なさより救いになる気もするのです。。。
私は図々しい性格だから何人であるのは関係なく「私は私なんだ」で来てしまいましたが。。。笑。
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poirier_AAA at 2015-10-06 06:28
>fuskさん、こんばんは。
そうですね、重複というのはすごくぴったりきます。ミルフォイユみたいに幾層も分かち難く積みあがっている感じですね。
ただ、もちろん「わたしはわたし」でしかいられないのですけれど、その自分をそのままで受け取ってもらうことがとても難しいような気がするのです。ミルフォイユみたいな自分が一番自然なのに、日本に帰ると日本の層しか見てもらえない、他の層は異物扱いになってしまう。逆に夫の家族に混じるとわたしの日本の層が異物になってしまう。それで常にどこかに所在のなさを感じることはあります。(別にそれを理由に意地悪されるわけではなくて、自分の感覚の問題です)
そういえば、気がつくと層が重なった人にばかり強く惹かれています。タブッキもペソアも須賀敦子もそうだし、多和田葉子さんも水林章先生もそう。安心できるからでしょうかね。
そうですね、重複というのはすごくぴったりきます。ミルフォイユみたいに幾層も分かち難く積みあがっている感じですね。
ただ、もちろん「わたしはわたし」でしかいられないのですけれど、その自分をそのままで受け取ってもらうことがとても難しいような気がするのです。ミルフォイユみたいな自分が一番自然なのに、日本に帰ると日本の層しか見てもらえない、他の層は異物扱いになってしまう。逆に夫の家族に混じるとわたしの日本の層が異物になってしまう。それで常にどこかに所在のなさを感じることはあります。(別にそれを理由に意地悪されるわけではなくて、自分の感覚の問題です)
そういえば、気がつくと層が重なった人にばかり強く惹かれています。タブッキもペソアも須賀敦子もそうだし、多和田葉子さんも水林章先生もそう。安心できるからでしょうかね。