2014年 10月 15日
物は、、、要らない |
夫と知り合い、夫の家族とも付き合いが始まった時、
とても困ったのはプレゼント選びが難しいことだった。
あの人には何を贈ったら喜ばれるだろう?
よく知らない相手に物を贈るのも、
何ごとにも好みがある相手に物を贈るのも、それぞれ難しいことだけれど、
義父母の場合は、わたしが体験したことのない難しさだった。
つまり、あんまり物の要らない人たちだったのである。
お化粧はしない(だから化粧品の類いは一切要らない)
服も必要な物は揃っている(服道楽も靴道楽も小物道楽もない)
本やCDやDVDの類いも要らない(畑仕事と社交だけで十分忙しい)
珍しい食べ物も要らない(自家製の食品が必要なだけある)
台所で使う小物であろうが、家の装飾品であろうが、
とにかく当面必要な物は全部あるので、他のものは要らない。
当時わたしは東京に暮らしていて、
たっぷりと「物」に囲まれた生活が普通だと思っていた。
そして、珍しいものや美しいものには絶対的な価値があると思っていた。
でも、義両親はそういう価値観からまったく外れたところに生きる人たちだった。
わたしにはそういう生き方がまったく想像できなくて、
ものすごく混乱した。
でも、それから10年以上経って、
花の都のパリに住んでいるにもかかわらず、
一昔前とはがらりと変わった「静か」な生活を送るようになって、
今のわたしは義両親とまったく同じことを思うようになった。
必要のない物は要らない。
あの、物がなければ生きていられない、とでもいうように、
毎日何かしら買って過ごしていた生活が、今は信じられない。
食べ物は家に帰ればあるから、買い食いはしなくなったし、
化粧品だろうが服だろうが、使う体は1つしかないので、余計には要らない。
ちょっと素敵!というだけでは財布のひもを緩めるには不十分だし、
新製品だからというのも、とびつく理由にはならない。
もう生活に必要な物はほとんどすべて家に揃っている。
わたしの財布は、毎夕パンを買うときくらいしか開かないのである。
唯一やめられないのは本を買うことだけれど、
あれこれ読んで来た結果フランス語でも好みがはっきりしてきたし、
なにより図書館も充実しているので、
もう渡仏当時のような無茶な買い方はしなくて済む。
欲がなくなるのは生命力が衰えて来たからだ、なんていう人もいるけれど、
余計なところに欲を持たなくて済むようになった分、
好きなことにぎゅううっと意識を向けられるようになって、
例えば読んでいる本が面白いと、もうそれだけで最高に嬉しく感じるし、
紫蘇の葉っぱのお裾分けをいただくと、その香りで天に昇ってしまう。
衣食住が足りていれば、あと必要なのは
体と心の健康、それに日常に潜む花火のような喜びだけかも、と思うのだ。
狭い台所の一角に鎮座する電動コルク抜きとカプセル式のコーヒーマシーン、
わたしは目障りで目障りでたまらない。
こんなものは必要ない、自分なら絶対に買わないのに、と思う。
でも、夫は大事な叔父さんから贈られた物だから手放せないよと言う。
こういうのが本当に困る。
とても困ったのはプレゼント選びが難しいことだった。
あの人には何を贈ったら喜ばれるだろう?
よく知らない相手に物を贈るのも、
何ごとにも好みがある相手に物を贈るのも、それぞれ難しいことだけれど、
義父母の場合は、わたしが体験したことのない難しさだった。
つまり、あんまり物の要らない人たちだったのである。
お化粧はしない(だから化粧品の類いは一切要らない)
服も必要な物は揃っている(服道楽も靴道楽も小物道楽もない)
本やCDやDVDの類いも要らない(畑仕事と社交だけで十分忙しい)
珍しい食べ物も要らない(自家製の食品が必要なだけある)
台所で使う小物であろうが、家の装飾品であろうが、
とにかく当面必要な物は全部あるので、他のものは要らない。
当時わたしは東京に暮らしていて、
たっぷりと「物」に囲まれた生活が普通だと思っていた。
そして、珍しいものや美しいものには絶対的な価値があると思っていた。
でも、義両親はそういう価値観からまったく外れたところに生きる人たちだった。
わたしにはそういう生き方がまったく想像できなくて、
ものすごく混乱した。
でも、それから10年以上経って、
花の都のパリに住んでいるにもかかわらず、
一昔前とはがらりと変わった「静か」な生活を送るようになって、
今のわたしは義両親とまったく同じことを思うようになった。
必要のない物は要らない。
あの、物がなければ生きていられない、とでもいうように、
毎日何かしら買って過ごしていた生活が、今は信じられない。
食べ物は家に帰ればあるから、買い食いはしなくなったし、
化粧品だろうが服だろうが、使う体は1つしかないので、余計には要らない。
ちょっと素敵!というだけでは財布のひもを緩めるには不十分だし、
新製品だからというのも、とびつく理由にはならない。
もう生活に必要な物はほとんどすべて家に揃っている。
わたしの財布は、毎夕パンを買うときくらいしか開かないのである。
唯一やめられないのは本を買うことだけれど、
あれこれ読んで来た結果フランス語でも好みがはっきりしてきたし、
なにより図書館も充実しているので、
もう渡仏当時のような無茶な買い方はしなくて済む。
欲がなくなるのは生命力が衰えて来たからだ、なんていう人もいるけれど、
余計なところに欲を持たなくて済むようになった分、
好きなことにぎゅううっと意識を向けられるようになって、
例えば読んでいる本が面白いと、もうそれだけで最高に嬉しく感じるし、
紫蘇の葉っぱのお裾分けをいただくと、その香りで天に昇ってしまう。
衣食住が足りていれば、あと必要なのは
体と心の健康、それに日常に潜む花火のような喜びだけかも、と思うのだ。
狭い台所の一角に鎮座する電動コルク抜きとカプセル式のコーヒーマシーン、
わたしは目障りで目障りでたまらない。
こんなものは必要ない、自分なら絶対に買わないのに、と思う。
でも、夫は大事な叔父さんから贈られた物だから手放せないよと言う。
こういうのが本当に困る。
by poirier_AAA
| 2014-10-15 17:58
| 日々の断片
|
Comments(10)
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saheizi-inokori at 2014-10-15 22:23
素晴らしいご主人とその一族なんですね。
私もそういう生活にあこがれつつもついつい買ってしまいます。
食うや食わずの頃のがつがつした気持ちが刷り込まれてしまったようです。
私もそういう生活にあこがれつつもついつい買ってしまいます。
食うや食わずの頃のがつがつした気持ちが刷り込まれてしまったようです。
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at 2014-10-15 22:30
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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haru_rara at 2014-10-16 00:49
我が家にも「ああ、これは本当に要らないよ!」と思うものがいくつもあります。
たとえばインスタントコーヒーの粉と水を入れてスイッチを押すと、ふんわり泡だったコーヒーが落ちてくる、というマシーン。
私も夫も、これ以上、ムダな電気を使いたくないし、そういう機械は好きではないのに、贈り物としていただいたので処分するのにためらうわけです。
見えるところに置いておきたくなくて仕舞い込んでしまったら、使い方も忘れてしまって。突然、訪れた贈り主に、そのマシーンを使ったコーヒーが出せませんでした。きっと「あれは使ってないのね」と思われただろうなあ。
自分の手でいれたほうが、はるかに豊かな気持になるんですけどね。
たとえばインスタントコーヒーの粉と水を入れてスイッチを押すと、ふんわり泡だったコーヒーが落ちてくる、というマシーン。
私も夫も、これ以上、ムダな電気を使いたくないし、そういう機械は好きではないのに、贈り物としていただいたので処分するのにためらうわけです。
見えるところに置いておきたくなくて仕舞い込んでしまったら、使い方も忘れてしまって。突然、訪れた贈り主に、そのマシーンを使ったコーヒーが出せませんでした。きっと「あれは使ってないのね」と思われただろうなあ。
自分の手でいれたほうが、はるかに豊かな気持になるんですけどね。
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fusk
at 2014-10-16 02:45
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電動コルク抜き?そんな物があるのか?と一瞬疑ったくらいびっくり。
私も余り物が必要でない性格で友達からは「イラン人」って言われたこともありますが。
反対に人の欲しがらない物。
海岸の小石や松ぼっくりはもう家に山ほどあるのに
また拾いたい。。。笑。
台所用品も以前は色々欲しがって。
使用頻度何回?などと家人に嫌みも言われたぐらいでしたが。
結局シンプルがいいと言うのに落ち着いて。
コーヒの豆碾きもなんども色々な機械を使ったあげく。
手回しが一番になりました。笑。
私も余り物が必要でない性格で友達からは「イラン人」って言われたこともありますが。
反対に人の欲しがらない物。
海岸の小石や松ぼっくりはもう家に山ほどあるのに
また拾いたい。。。笑。
台所用品も以前は色々欲しがって。
使用頻度何回?などと家人に嫌みも言われたぐらいでしたが。
結局シンプルがいいと言うのに落ち着いて。
コーヒの豆碾きもなんども色々な機械を使ったあげく。
手回しが一番になりました。笑。
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Mtonosama at 2014-10-16 10:23
私も最近まったく物欲がありません。
なんにも要らない。
まず、お金がないということは大きいけど。
でも、引越しのために整理してると、こんなもの買っていたっけ?
というものがゴロゴロ出てきます。
以前、物欲を発揮し過ぎていまは涸れたということでしょうか。
なんにも要らない。
まず、お金がないということは大きいけど。
でも、引越しのために整理してると、こんなもの買っていたっけ?
というものがゴロゴロ出てきます。
以前、物欲を発揮し過ぎていまは涸れたということでしょうか。
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poirier_AAA at 2014-10-16 16:12
>saheiziさん、こんにちは。
日本は戦後こそ貧しかったですが、70年代80年代と一気に豊かになって、生活も大きく変わりましたよね。ヨーロッパの変化はもう少しなだらかなので、慎ましい暮らしの習慣を続けるのも難しくなかったのだと思います。
会社員になった頃(その頃はもう給料は銀行振込でしたけど)、バブルの頃はまだ現金支給で、ボーナスの袋が立つ人もたくさんいたんだよ、と先輩が話していました。札束が立つって、どれだけたくさん入っていたんでしょう?すごい時代でしたよね。。。。
日本は戦後こそ貧しかったですが、70年代80年代と一気に豊かになって、生活も大きく変わりましたよね。ヨーロッパの変化はもう少しなだらかなので、慎ましい暮らしの習慣を続けるのも難しくなかったのだと思います。
会社員になった頃(その頃はもう給料は銀行振込でしたけど)、バブルの頃はまだ現金支給で、ボーナスの袋が立つ人もたくさんいたんだよ、と先輩が話していました。札束が立つって、どれだけたくさん入っていたんでしょう?すごい時代でしたよね。。。。
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poirier_AAA at 2014-10-16 16:21
>鍵コメさん、こんにちは。
そうそう、困るのは使い道が限られていて、それで出番が少ない道具なんですよね。しかも、そういう物に限って嵩張ったりして(笑)。
物のありすぎる時代、贈り主も頭を悩ませて選んでくれたのだと思います。自分たちのためにそういう物を買う人たちではありませんから。だから余計に申し訳ないような気がして。そろそろ贈るなら消耗品(花とか食べ物とか、形が残らないもの)がいいよね、とならないかなぁと夢見ているのです。
そうそう、困るのは使い道が限られていて、それで出番が少ない道具なんですよね。しかも、そういう物に限って嵩張ったりして(笑)。
物のありすぎる時代、贈り主も頭を悩ませて選んでくれたのだと思います。自分たちのためにそういう物を買う人たちではありませんから。だから余計に申し訳ないような気がして。そろそろ贈るなら消耗品(花とか食べ物とか、形が残らないもの)がいいよね、とならないかなぁと夢見ているのです。
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poirier_AAA at 2014-10-16 16:34
>haru_raraさん、こんにちは。
我が家の電動コルク抜きこそ「何でこんなものがあるんだ!」の筆頭だと思っていましたけれど、そのコーヒーメーカーも失礼ながら負けず劣らずですね(笑)。贈り主の気持ちは有難く思えど、どう考えても生活に役立つ品とは思えません(あ、コルク抜きは手の力がなくなったときに役立つかも)。
義両親ではないけれど、物は要らないんですよ〜という姿勢を常にアピールしていくしか方法はないのだろうなと思うのです。でも、そのアピールを見て「こんな便利なものがあることも知らないのね、可哀想に」とばかりに電気製品を買ってくれる人もいるので、、、、そこらへんが難しいです。
我が家の電動コルク抜きこそ「何でこんなものがあるんだ!」の筆頭だと思っていましたけれど、そのコーヒーメーカーも失礼ながら負けず劣らずですね(笑)。贈り主の気持ちは有難く思えど、どう考えても生活に役立つ品とは思えません(あ、コルク抜きは手の力がなくなったときに役立つかも)。
義両親ではないけれど、物は要らないんですよ〜という姿勢を常にアピールしていくしか方法はないのだろうなと思うのです。でも、そのアピールを見て「こんな便利なものがあることも知らないのね、可哀想に」とばかりに電気製品を買ってくれる人もいるので、、、、そこらへんが難しいです。
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poirier_AAA at 2014-10-16 17:01
>fuskさん、こんにちは。
電動コルク抜き、びっくりするでしょう?
最初見かけたのは親戚の家で、あんまりびっくりしたので大袈裟に反応してしまったのです。へぇ〜おもしろいものがあるのね!と。それがどうやら人の印象に残ってしまったようで、次の誕生日に贈られてしまったと言う。。。。身から出た錆ですね。
わたしも、コーヒーは手でガリガリやるのが好きです。自分で豆からひいたのを飲むか、それがなかったらフリーズドライのインスタントでいい。カプセルなんて中途半端すぎて全然楽しくないのです。
電動コルク抜き、びっくりするでしょう?
最初見かけたのは親戚の家で、あんまりびっくりしたので大袈裟に反応してしまったのです。へぇ〜おもしろいものがあるのね!と。それがどうやら人の印象に残ってしまったようで、次の誕生日に贈られてしまったと言う。。。。身から出た錆ですね。
わたしも、コーヒーは手でガリガリやるのが好きです。自分で豆からひいたのを飲むか、それがなかったらフリーズドライのインスタントでいい。カプセルなんて中途半端すぎて全然楽しくないのです。
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by
poirier_AAA at 2014-10-16 17:11
>Mtonosamaさん、こんにちは。
>以前、物欲を発揮し過ぎていまは涸れたということでしょうか。
これ、大当たりです。慈善団体に寄付した服だけで、たぶんハイシーズンの日本行きの航空券(家族分)が買えそうなくらいありましたから。わたしは何のためにここまで給料をつぎ込んでいたのかと、やりきれない気持ちになりました。涸れたというか、憑き物が落ちた感じでしょうか。
あと、自分名義のお給料がないとか、税金も住宅費もエンゲル係数も高くて可処分所得がごく限られるとかも、考え方を変えるのにいい転換点になったと思います。生活感がありすぎる話ですけど。
>以前、物欲を発揮し過ぎていまは涸れたということでしょうか。
これ、大当たりです。慈善団体に寄付した服だけで、たぶんハイシーズンの日本行きの航空券(家族分)が買えそうなくらいありましたから。わたしは何のためにここまで給料をつぎ込んでいたのかと、やりきれない気持ちになりました。涸れたというか、憑き物が落ちた感じでしょうか。
あと、自分名義のお給料がないとか、税金も住宅費もエンゲル係数も高くて可処分所得がごく限られるとかも、考え方を変えるのにいい転換点になったと思います。生活感がありすぎる話ですけど。