2014年 08月 20日
清潔な家 |
この夏は、
思うところあって、
例年より多くの人の家を訪ねて旧交をあたためた。
わたしより少し上の世代(60代以上)の家では、
田舎ということもあるんだと思う、
何十年前と変わらぬ質素な暮らし方をしている人が多くいる。
家庭菜園と家畜でほとんどの食事を賄いながら、
余計な物は持たないで、あるモノをうまく使って生きている人たちだ。
彼らの子どもの世代(わたしの属す世代)になると
日本もポルトガルもフランスも変わらない。
快適・便利・スピードが合い言葉の設備を備えている。
冷凍食品も半調理品も普通に利用するし、
物(食品を含む)を捨てることにも躊躇いがない。
もちろん人にもよるが、一般的にはそういう世代だ。
親の世代の家は、
家畜を飼っていることもあるし、
窓や入り口を開け放していることもあって
家の中でも蠅が我が物顔でとびまわっている。
そう聞くと、うわ〜いやだ、と思うでしょう。
確かに蠅はいやなものだけれど、
これが不思議なことに、
彼らの家は蠅が飛んでいても、ぴかぴかに清潔なのである。
もう圧倒的に説明不要の清潔さなのである。
見ればすぐにわかる。
古くて、使い込まれていて、くたびれているんだけれど、
床だけでなく、家具も床も壁もドアのノブも全部磨いてある。
来客があるときは、古いテーブルにさっとクロスをかける。
そのクロスは間違いなく清潔でアイロンがびしっとあてられている。
ふっと台所を見れば、調理の形跡などまったくない。
水回りも調理台のまわりも、全部綺麗に拭かれてピカピカだ。
これには実に背筋の伸びる思いがする。
それにくらべると、
わたしの世代の家は掃除されてはいても、
気合いの入り方が大分ゆるくなっているような感じを受ける。
気合いの入り方、というよりもむしろ
物に圧倒されてしまって手が行き届かない、と言うべきか。
必要を超えて持ってしまったもの、
こういうものがあればいいよね、という感覚で揃えられた
家具、台所、カーテンや装飾品、立派なテーブルセットにバーカウンター。
有り体に言うと使いこなせていないのだと思う。
そういう使われていない物のかもしだす澱んだ空気が、
上の世代の家ではほとんどない。
くたびれてはいても、今も全員現役の元気な「気」に溢れている。
貧しくて余計な物を持つゆとりがなかった世代とも言える。
でも、そこらへんの豪華な家の居間とはくらべものにならないくらい、
実に気持ちの良い居間(兼客間、兼食堂)なのだ。
かくありたし、と自分に向かって言ったことだ。
恥ずかしながら乱雑な家に平気で住み、
恥ずかしながら掃除道具より本に手が伸びてしまう主婦なのだけれど、
できることなら、
もし心の持ち様次第で変われるものならば、
こういう暮らし方のできる人になりたい。
物を持ち過ぎず、あるものをきちんと使いこなすこと。
自分も家族も気持ちがいいように家の健康に気を配ること。
いつ誰が訪ねて来ても
「よくいらっしゃいました」と笑顔で迎えられる
ゆとりのある家にすること。
ポルトガルから帰ると、いつも同じことを思う。
前にも同じようなことを書いた。
こうして書いても、喉元過ぎると背筋がぐんにゃり曲がってしまう、
ほんとうに、ほんとう〜に駄目なわたしなのだけれど、
今年も懲りることなく書いておくことにする。
思わないことは実現しないというから、
こうして思っている限り、いつか本当にそうなれるかもしれない。
希望は捨てないで足掻き続ける。
思うところあって、
例年より多くの人の家を訪ねて旧交をあたためた。
わたしより少し上の世代(60代以上)の家では、
田舎ということもあるんだと思う、
何十年前と変わらぬ質素な暮らし方をしている人が多くいる。
家庭菜園と家畜でほとんどの食事を賄いながら、
余計な物は持たないで、あるモノをうまく使って生きている人たちだ。
彼らの子どもの世代(わたしの属す世代)になると
日本もポルトガルもフランスも変わらない。
快適・便利・スピードが合い言葉の設備を備えている。
冷凍食品も半調理品も普通に利用するし、
物(食品を含む)を捨てることにも躊躇いがない。
もちろん人にもよるが、一般的にはそういう世代だ。
親の世代の家は、
家畜を飼っていることもあるし、
窓や入り口を開け放していることもあって
家の中でも蠅が我が物顔でとびまわっている。
そう聞くと、うわ〜いやだ、と思うでしょう。
確かに蠅はいやなものだけれど、
これが不思議なことに、
彼らの家は蠅が飛んでいても、ぴかぴかに清潔なのである。
もう圧倒的に説明不要の清潔さなのである。
見ればすぐにわかる。
古くて、使い込まれていて、くたびれているんだけれど、
床だけでなく、家具も床も壁もドアのノブも全部磨いてある。
来客があるときは、古いテーブルにさっとクロスをかける。
そのクロスは間違いなく清潔でアイロンがびしっとあてられている。
ふっと台所を見れば、調理の形跡などまったくない。
水回りも調理台のまわりも、全部綺麗に拭かれてピカピカだ。
これには実に背筋の伸びる思いがする。
それにくらべると、
わたしの世代の家は掃除されてはいても、
気合いの入り方が大分ゆるくなっているような感じを受ける。
気合いの入り方、というよりもむしろ
物に圧倒されてしまって手が行き届かない、と言うべきか。
必要を超えて持ってしまったもの、
こういうものがあればいいよね、という感覚で揃えられた
家具、台所、カーテンや装飾品、立派なテーブルセットにバーカウンター。
有り体に言うと使いこなせていないのだと思う。
そういう使われていない物のかもしだす澱んだ空気が、
上の世代の家ではほとんどない。
くたびれてはいても、今も全員現役の元気な「気」に溢れている。
貧しくて余計な物を持つゆとりがなかった世代とも言える。
でも、そこらへんの豪華な家の居間とはくらべものにならないくらい、
実に気持ちの良い居間(兼客間、兼食堂)なのだ。
かくありたし、と自分に向かって言ったことだ。
恥ずかしながら乱雑な家に平気で住み、
恥ずかしながら掃除道具より本に手が伸びてしまう主婦なのだけれど、
できることなら、
もし心の持ち様次第で変われるものならば、
こういう暮らし方のできる人になりたい。
物を持ち過ぎず、あるものをきちんと使いこなすこと。
自分も家族も気持ちがいいように家の健康に気を配ること。
いつ誰が訪ねて来ても
「よくいらっしゃいました」と笑顔で迎えられる
ゆとりのある家にすること。
ポルトガルから帰ると、いつも同じことを思う。
前にも同じようなことを書いた。
こうして書いても、喉元過ぎると背筋がぐんにゃり曲がってしまう、
ほんとうに、ほんとう〜に駄目なわたしなのだけれど、
今年も懲りることなく書いておくことにする。
思わないことは実現しないというから、
こうして思っている限り、いつか本当にそうなれるかもしれない。
希望は捨てないで足掻き続ける。
by poirier_AAA
| 2014-08-20 21:06
| ポルトガル
|
Comments(6)
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by
saheizi-inokori at 2014-08-20 21:40
同感だなあ。
生き方なんだよね。
私はもう無理かなあ。
生き方なんだよね。
私はもう無理かなあ。
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ayusham at 2014-08-21 01:55
義母の暮らしもそのような印象です。
彼女が私に家事や生活のアドバイスを口にすることはないのですが、ベッドメイキングをきちんとするだけで部屋がすっきりするわよ、と教えてもらったことがあります。
という訳で乱雑な家の中で、ベッドメイクだけなんとなくしています。いや、なんとなく過ぎるって...反省
彼女が私に家事や生活のアドバイスを口にすることはないのですが、ベッドメイキングをきちんとするだけで部屋がすっきりするわよ、と教えてもらったことがあります。
という訳で乱雑な家の中で、ベッドメイクだけなんとなくしています。いや、なんとなく過ぎるって...反省
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との
at 2014-08-21 08:26
x
そうですよね。
以前、ハンブルグに近い田舎町にホームステイしたとき、
家具や電化製品は古いのに、家はピカピカに磨きたてられ、
お庭に出れば、ベリー類が食べ放題でした。
私も持物を減らし(本も含め)、最低限のものだけで和める住まいを
心がけたいです。
以前、ハンブルグに近い田舎町にホームステイしたとき、
家具や電化製品は古いのに、家はピカピカに磨きたてられ、
お庭に出れば、ベリー類が食べ放題でした。
私も持物を減らし(本も含め)、最低限のものだけで和める住まいを
心がけたいです。
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poirier_AAA at 2014-08-21 17:23
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poirier_AAA at 2014-08-21 17:35
>ayushaさん、こんにちは。
ベッドメイキング、確かに大事ですよね。あと水回りの掃除とか。カルキがこびりついてなくて銀色がピカピカしていると、とりあえず印象はすごく良くなりますし。
義母は、わたしたちがパリに発つ朝、猛烈な勢いで家中の家具を磨いていました。こうやっていつも磨いているんだなと感心する一方で、あぁすごく寂しいんだなと思ったことでした。この年代の女性たちは、こうやって家事や手仕事をしながら、自分のいろんな気持ちと向かい合って(時にはねじ伏せて)来たのかもしれません。
ベッドメイキング、確かに大事ですよね。あと水回りの掃除とか。カルキがこびりついてなくて銀色がピカピカしていると、とりあえず印象はすごく良くなりますし。
義母は、わたしたちがパリに発つ朝、猛烈な勢いで家中の家具を磨いていました。こうやっていつも磨いているんだなと感心する一方で、あぁすごく寂しいんだなと思ったことでした。この年代の女性たちは、こうやって家事や手仕事をしながら、自分のいろんな気持ちと向かい合って(時にはねじ伏せて)来たのかもしれません。
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poirier_AAA at 2014-08-21 17:51
>とのさん、
ずいぶん前に「ドイツの主婦の家事のやり方」みたいな本を読んだことがあります。カーテンを洗う頻度や窓ガラスの綺麗さで主婦の熟練度がわかるというようなことが(うろおぼえなんですけど)書いてあって、ものすごく耳が痛かったです。
もの、減らしたいですね。
3週間家を離れてみると本当に生活に必要な物なんてそれほどないんだと実感するのですが、それでも元の生活にいったん戻ってしまうと捨てられなくなるのです。この秋はなんとかもう一段整理を進めたいのですが。。。。。
ずいぶん前に「ドイツの主婦の家事のやり方」みたいな本を読んだことがあります。カーテンを洗う頻度や窓ガラスの綺麗さで主婦の熟練度がわかるというようなことが(うろおぼえなんですけど)書いてあって、ものすごく耳が痛かったです。
もの、減らしたいですね。
3週間家を離れてみると本当に生活に必要な物なんてそれほどないんだと実感するのですが、それでも元の生活にいったん戻ってしまうと捨てられなくなるのです。この秋はなんとかもう一段整理を進めたいのですが。。。。。