2014年 06月 17日
語呂合わせ |
ときどき、なにかの拍子にむかし覚えた呪文が蘇ることがある。
東京特許許可局(早口言葉)とか、
西向くサムライ(小の月の語呂合わせ)、
いい国つくろう鎌倉幕府(年号の語呂合わせ)とか、
ありをりはべりいまそがり、なんてものまで出て来る。
日本語のインプットが決定的に不足している環境にあって、
蓄えた日本語をときどき撹拌しては使えそうな言葉を探す毎日。
そんなときに、ひょっこり昔の呪文が飛び出すのだ。
ありをりはべりいまそがり、は古語文法で覚えた。
ラ行変格活用という特殊な活用をする動詞が4つ。
それが、あり、をり、はべり、いまそがり、なのである。
それを覚えていても現実生活ではほとんど役に立たないのだけれど、
音の調子がいいせいか、記憶に焼き付いてしまって忘れられないのである。
昔とった杵柄、といおうか、
三つ子の魂百まで、といおうか、
たぶんこの調子だと死ぬまで忘れないような気がする。
子どものころはこうやってたくさんの呪文を覚えたんだよな。
そんなことを考えたのは、
小学生の子どもたちが最近いきなり呪文を唱えるようになったからだ。
食事の仕度をしているところに息子Aがやって来て言うのだ。
ねぇママン、レコンジョンクションドゥコルディナシオンって知ってる?
はあ? なにその長い名前? もう一回言ってみて。
レコンジョンクションドゥコルディナシオンだよ。
でも一体オルニカーはどこにいるんだ?だよ。
火にかけた鍋3つを横目で見ながらタッタッタと包丁を使っていたわたし。
一瞬で判断できないような話は荷が重すぎる。
たのむ、後にして。
子どもが行ってしまってから静かに考えてみたら、はは〜ん、わかった。
レコンジョンクションドゥコルディナシオン
(Les conjonctions de coordination)
つまり等位接続詞(前後を等位で結ぶ接続詞)だ。
でも一体オルニカーはどこにいるんだ(Mais où est donc Ornicar)は、
つまりその等位接続詞を全部含んだフレーズなのである。
mais, ou, et, donc, or, ni, car、ね?
へぇ〜、フランスの子どもたちはこうやって覚えるんだ。面白い。
面白がって喜んでいたら、別な呪文も教えてくれた。
こんどは前置詞(les prépositions)バージョン。
A deux dents part pour Sur sans sous
chez devant-derrière avec Avant-après-contre.
(アドゥダンはお金を持たずにアヴァン・アプレ・コントルと一緒に
Surにあるドゥヴォン・デリエールの家に向かって発つ)
つまり以下の前置詞(の音)を全部カヴァーしている。
à, de, dans, par, pour, sur, sans, sous, chez, devant, derrière, avec,
avant, après, contre
へぇぇ〜、よく知ってるね。学校で教えてもらったの?
聞いてみたら、なんと全部漫画で覚えたんだそうだ。
小学生対象の漫画シリーズに「Ariol(アリオル)」というのがあって、
息子たちは去年の夏休みに夢中になって読んだのだけれど、
今年も夏が近づくにつれてまた読みたくなったみたい。
最近、図書館に行っては読んでいるのだった。
やっぱり、といおうか、
覚えるべきものがあるところには登場するのだ、語呂合わせ。
フランス人よ、キミたちもやっていたのか。
別にこの呪文を覚えたからと言って、
学生でもないわたしには何のメリットもないのだけれど、
息子たちが得意げに唱えているのを見ると、
年甲斐もなく自分も真似したくなってしまう単純さ。
3人そろって怪しい呪文をつぶやいては喜んでいる、変な親子なのである。
東京特許許可局(早口言葉)とか、
西向くサムライ(小の月の語呂合わせ)、
いい国つくろう鎌倉幕府(年号の語呂合わせ)とか、
ありをりはべりいまそがり、なんてものまで出て来る。
日本語のインプットが決定的に不足している環境にあって、
蓄えた日本語をときどき撹拌しては使えそうな言葉を探す毎日。
そんなときに、ひょっこり昔の呪文が飛び出すのだ。
ありをりはべりいまそがり、は古語文法で覚えた。
ラ行変格活用という特殊な活用をする動詞が4つ。
それが、あり、をり、はべり、いまそがり、なのである。
それを覚えていても現実生活ではほとんど役に立たないのだけれど、
音の調子がいいせいか、記憶に焼き付いてしまって忘れられないのである。
昔とった杵柄、といおうか、
三つ子の魂百まで、といおうか、
たぶんこの調子だと死ぬまで忘れないような気がする。
子どものころはこうやってたくさんの呪文を覚えたんだよな。
そんなことを考えたのは、
小学生の子どもたちが最近いきなり呪文を唱えるようになったからだ。
食事の仕度をしているところに息子Aがやって来て言うのだ。
ねぇママン、レコンジョンクションドゥコルディナシオンって知ってる?
はあ? なにその長い名前? もう一回言ってみて。
レコンジョンクションドゥコルディナシオンだよ。
でも一体オルニカーはどこにいるんだ?だよ。
火にかけた鍋3つを横目で見ながらタッタッタと包丁を使っていたわたし。
一瞬で判断できないような話は荷が重すぎる。
たのむ、後にして。
子どもが行ってしまってから静かに考えてみたら、はは〜ん、わかった。
レコンジョンクションドゥコルディナシオン
(Les conjonctions de coordination)
つまり等位接続詞(前後を等位で結ぶ接続詞)だ。
でも一体オルニカーはどこにいるんだ(Mais où est donc Ornicar)は、
つまりその等位接続詞を全部含んだフレーズなのである。
mais, ou, et, donc, or, ni, car、ね?
へぇ〜、フランスの子どもたちはこうやって覚えるんだ。面白い。
面白がって喜んでいたら、別な呪文も教えてくれた。
こんどは前置詞(les prépositions)バージョン。
A deux dents part pour Sur sans sous
chez devant-derrière avec Avant-après-contre.
(アドゥダンはお金を持たずにアヴァン・アプレ・コントルと一緒に
Surにあるドゥヴォン・デリエールの家に向かって発つ)
つまり以下の前置詞(の音)を全部カヴァーしている。
à, de, dans, par, pour, sur, sans, sous, chez, devant, derrière, avec,
avant, après, contre
へぇぇ〜、よく知ってるね。学校で教えてもらったの?
聞いてみたら、なんと全部漫画で覚えたんだそうだ。
小学生対象の漫画シリーズに「Ariol(アリオル)」というのがあって、
息子たちは去年の夏休みに夢中になって読んだのだけれど、
今年も夏が近づくにつれてまた読みたくなったみたい。
最近、図書館に行っては読んでいるのだった。
やっぱり、といおうか、
覚えるべきものがあるところには登場するのだ、語呂合わせ。
フランス人よ、キミたちもやっていたのか。
別にこの呪文を覚えたからと言って、
学生でもないわたしには何のメリットもないのだけれど、
息子たちが得意げに唱えているのを見ると、
年甲斐もなく自分も真似したくなってしまう単純さ。
3人そろって怪しい呪文をつぶやいては喜んでいる、変な親子なのである。
by poirier_AAA
| 2014-06-17 20:58
| 言葉を学ぶ
|
Comments(2)
Commented
by
saheizi-inokori at 2014-06-18 11:21
ちょっと違うけど、関さん、小学校の用務員の名前です。
リトマス試験紙はセキサン、赤は酸と覚えよと教わりました。
ずっと役に立ったような、、立たなかったような、だってリトマス試験紙を使ったことがないのですから。
リトマス試験紙はセキサン、赤は酸と覚えよと教わりました。
ずっと役に立ったような、、立たなかったような、だってリトマス試験紙を使ったことがないのですから。
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by
poirier_AAA at 2014-06-19 16:06
>saheiziさん、こんにちは。
リトマス試験紙は小学校で確かに何回か実物を使って実験した記憶がありますが、それっきりです。赤が酸と覚えたことは役に立ったのだろうか。。。。それよりも、そう言えば関さんという用務員さんがいたなあという思い出の方が、よほど嬉しい記憶になりそうですよね。
昔の記憶って、なぜか些細な部分が鮮やかで全体は朦朧としているのです。
リトマス試験紙は小学校で確かに何回か実物を使って実験した記憶がありますが、それっきりです。赤が酸と覚えたことは役に立ったのだろうか。。。。それよりも、そう言えば関さんという用務員さんがいたなあという思い出の方が、よほど嬉しい記憶になりそうですよね。
昔の記憶って、なぜか些細な部分が鮮やかで全体は朦朧としているのです。