2013年 10月 21日
文楽 |
パリで開催中の「秋の芸術祭」、
その一環として文楽の公演が行われました。
演目は「曾根崎心中」。
わたしは、恥ずかしながらこの年になるまで文楽を見たことがありません。
今回、この公演のポスターがメトロの構内などに貼られているのを見て、
その木の人形の佇まいの清々しさに心洗われる思いがしました。
是非1度自分の目で観てみたい、
そう思って出かけてきました。
開幕の合図とともにすり鉢型の客席の灯が消え、
その真っ暗闇の中に三味線奏者の姿がひとつ浮かび上がった瞬間、
別な世界に開けた、と感じました。(鶴澤清治によるプロローグ)
常ならば省略されてしまう「観音巡り」が映像とともに演じられ、
続いて「生玉社前の段」。
残念ながら舞台の近くの席ではなかったので、
人形の細かい所作まではとてもではないけれど判別できません。
そのかわり、義太夫と三味線を目の前で観ることができました。
文楽は、誰しも人形の動きに魅せられるものだと思うのですが、
そんな事情もあって、わたしはすっかり義太夫に目が釘付けでした。
いや、人形の所作はもちろん遠目に観ても美しいのです。
でも、あの人形もあの所作も、この義太夫あってこそ!
義太夫の声の自在さと表現力に感嘆しました。
そして太棹の音も良かった。
あぁどうして今まで浄瑠璃のすごさに気がつかなかったのだろう、
あぁいつか太棹を弾いてみたいものだ、
そんなことをずっと考えていました。
「天満屋の段」では、
お初が打ち掛けで徳兵衛を隠すところで、客席にしずかな笑いが広がりました。
また、九平次があらぬことを言い立て自分を貶めるのを縁の下で聞いた徳兵衛が
悔しさでいきり立つのを、お初が足の先で押しとどめる場面でも、
同じように静かな微笑みが広がりました。
ここは、日本人的にはお初の必死を切なく感じるところだと思うのですが、
文化が違うと女に庇われる情けない男と見えるのでしょうか。
曾根崎心中のクライマックスは道行き、最後の「天神森の段」です。
ここで切々と人の世の哀れ、不遇な2人の哀れが語られるわけですが、
義太夫の抑揚に感情をのせられないと、いささか長丁場に感じるかもしれません。
まわりで身じろぎする人が多いような感じがしました。
が、いよいよ心中の場面にさしかかると、客席の緊張もふたたび高まりました。
舞台が終わって拍手がまき起る中、
人形遣いが黒頭巾を脱ぐと、拍手が一層大きくなりました。
太夫と三味線も立ち上がり、舞台中央に出て頭を下げます。
不思議なことに、舞台に並んだ男の人達の顔を見ているうちに、
涙がじわりとこみ上げて来るような感動を覚えました。
いろいろな面を持つ日本人であり日本文化で、
昨今はとかくがっかりすることばかりが多かったのですが、
このときばかりは日本人であることを心から誇らしく思いました。
人形も音楽も人も、すべて清々しいという言葉がふさわしい、
素晴らしいものを見せてもらいました。
すっかり義太夫に魅せられてしまい、
家に帰ってから素浄瑠璃というのを見つけて聞いています。
浄瑠璃、いいです。ほんとにいい。今まで知らないでいたのが不思議なくらい。
(この三味線の鶴澤清治と口上の豊竹呂勢大夫が今回の公演に出演していました)
その一環として文楽の公演が行われました。
演目は「曾根崎心中」。
わたしは、恥ずかしながらこの年になるまで文楽を見たことがありません。
今回、この公演のポスターがメトロの構内などに貼られているのを見て、
その木の人形の佇まいの清々しさに心洗われる思いがしました。
是非1度自分の目で観てみたい、
そう思って出かけてきました。
開幕の合図とともにすり鉢型の客席の灯が消え、
その真っ暗闇の中に三味線奏者の姿がひとつ浮かび上がった瞬間、
別な世界に開けた、と感じました。(鶴澤清治によるプロローグ)
常ならば省略されてしまう「観音巡り」が映像とともに演じられ、
続いて「生玉社前の段」。
残念ながら舞台の近くの席ではなかったので、
人形の細かい所作まではとてもではないけれど判別できません。
そのかわり、義太夫と三味線を目の前で観ることができました。
文楽は、誰しも人形の動きに魅せられるものだと思うのですが、
そんな事情もあって、わたしはすっかり義太夫に目が釘付けでした。
いや、人形の所作はもちろん遠目に観ても美しいのです。
でも、あの人形もあの所作も、この義太夫あってこそ!
義太夫の声の自在さと表現力に感嘆しました。
そして太棹の音も良かった。
あぁどうして今まで浄瑠璃のすごさに気がつかなかったのだろう、
あぁいつか太棹を弾いてみたいものだ、
そんなことをずっと考えていました。
「天満屋の段」では、
お初が打ち掛けで徳兵衛を隠すところで、客席にしずかな笑いが広がりました。
また、九平次があらぬことを言い立て自分を貶めるのを縁の下で聞いた徳兵衛が
悔しさでいきり立つのを、お初が足の先で押しとどめる場面でも、
同じように静かな微笑みが広がりました。
ここは、日本人的にはお初の必死を切なく感じるところだと思うのですが、
文化が違うと女に庇われる情けない男と見えるのでしょうか。
曾根崎心中のクライマックスは道行き、最後の「天神森の段」です。
ここで切々と人の世の哀れ、不遇な2人の哀れが語られるわけですが、
義太夫の抑揚に感情をのせられないと、いささか長丁場に感じるかもしれません。
まわりで身じろぎする人が多いような感じがしました。
が、いよいよ心中の場面にさしかかると、客席の緊張もふたたび高まりました。
舞台が終わって拍手がまき起る中、
人形遣いが黒頭巾を脱ぐと、拍手が一層大きくなりました。
太夫と三味線も立ち上がり、舞台中央に出て頭を下げます。
不思議なことに、舞台に並んだ男の人達の顔を見ているうちに、
涙がじわりとこみ上げて来るような感動を覚えました。
いろいろな面を持つ日本人であり日本文化で、
昨今はとかくがっかりすることばかりが多かったのですが、
このときばかりは日本人であることを心から誇らしく思いました。
人形も音楽も人も、すべて清々しいという言葉がふさわしい、
素晴らしいものを見せてもらいました。
すっかり義太夫に魅せられてしまい、
家に帰ってから素浄瑠璃というのを見つけて聞いています。
浄瑠璃、いいです。ほんとにいい。今まで知らないでいたのが不思議なくらい。
(この三味線の鶴澤清治と口上の豊竹呂勢大夫が今回の公演に出演していました)
by poirier_AAA
| 2013-10-21 20:38
| 観る・鑑賞する
|
Comments(6)
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saheizi-inokori at 2013-10-21 21:54
文楽も追っかけたいのですが、、二度ほど行って圧倒されてそれきりです。
竹本住大夫の生きてるうちにとは思うのですがね。
竹本住大夫の生きてるうちにとは思うのですがね。
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poirier_AAA at 2013-10-21 23:51
>saheiziさん、こんにちは。
良かったです〜。もうあの日からそればっかり言ってます。
あんな凄い語りの技があったなんて。
男に生まれて浄瑠璃をしてみたかった、と思いました。あんな腹に響く声を出せたらいいでしょうねぇ。
良かったです〜。もうあの日からそればっかり言ってます。
あんな凄い語りの技があったなんて。
男に生まれて浄瑠璃をしてみたかった、と思いました。あんな腹に響く声を出せたらいいでしょうねぇ。
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milletti_naoko at 2013-10-22 02:34
梨の木さん、こうして日本の文化をすばらしい芸術家が外国で伝えてくれるというのはありがたいし、そういう機会に見られるなんて、本当によかったですね。映画でも笑うつぼが違うように、フランス人の反応が何だか違うなと、梨の木さんが注意深く観察されているのが、興味深いです。
わたしも一度日本の小さな劇場で、浄瑠璃を見たことがあるのですが、やっぱり授業で教わるのと、実際に舞台を見るのは違うなと思いました。すてきな経験をされましたね♪
わたしも一度日本の小さな劇場で、浄瑠璃を見たことがあるのですが、やっぱり授業で教わるのと、実際に舞台を見るのは違うなと思いました。すてきな経験をされましたね♪
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saheizi-inokori at 2013-10-22 09:40
今朝の朝日新聞にかなり大きくパリ公演のことが載っていました。
あえて伝統的なやり方を変えたのが成功だと(批判的コメントもありましたが)。
「寝床」じゃないですけれど旦那衆が義太夫などに夢中になったのもうべなるかなですか。
あえて伝統的なやり方を変えたのが成功だと(批判的コメントもありましたが)。
「寝床」じゃないですけれど旦那衆が義太夫などに夢中になったのもうべなるかなですか。
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poirier_AAA at 2013-10-22 16:40
>naokoさん、こんにちは。
フランス(特にパリ)には日本文化に通じた人も多くいるので、単に日本文化を外国に持って行ったというよりは、受け皿が整った場所で新しい挑戦をしてみたという方があっているかもしれませんね。お客の質も良く、いくつかの笑いのツボの違いをのぞけば、フランスで見ていることを忘れるような雰囲気でした。
授業と本物はやっぱり違いますよね〜。わたしは国語の授業は大好きでしたけれど、やっぱり教室でふむふむと仕入れた知識を一発で吹き飛ばしてしまうようなパワーが、本物の舞台には備わっていると思います。子どもだから無理だろうと言わず、子どもだからこそどんどん本物に触れさせた方がいいんじゃないかと思っているんですよ。
フランス(特にパリ)には日本文化に通じた人も多くいるので、単に日本文化を外国に持って行ったというよりは、受け皿が整った場所で新しい挑戦をしてみたという方があっているかもしれませんね。お客の質も良く、いくつかの笑いのツボの違いをのぞけば、フランスで見ていることを忘れるような雰囲気でした。
授業と本物はやっぱり違いますよね〜。わたしは国語の授業は大好きでしたけれど、やっぱり教室でふむふむと仕入れた知識を一発で吹き飛ばしてしまうようなパワーが、本物の舞台には備わっていると思います。子どもだから無理だろうと言わず、子どもだからこそどんどん本物に触れさせた方がいいんじゃないかと思っているんですよ。
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poirier_AAA at 2013-10-22 17:08
>saheiziさん、
わたしは伝統的な舞台と言うのを見たことがないので何ともいえませんが、今回映像を取り入れたのは悪くなかったと思います。
常ならば人形の舞台には腰板があって、そこを台として演じるわけですが、今回は腰板がなく、人形は舞台の奥行きまで使って動いていました。人形が宙に浮き、人形遣の足下も全部見える状態です。斬新でしたね。
ただ、わたしの隣に座ったマダムからは「本来なら」どういう舞台で見ることになるのか、と質問されました。客席の形状とか人形が動く舞台の形状が、いわゆる西洋式とは違うと思うのだけれど、と。斬新さはそれまでを知っているから斬新と思うわけで、何も比べる物がなければ「これが普通なのか」と思うでしょうね。いわゆる伝統的な文楽舞台を見たいと願う人もいたかもしれません。
わたしは伝統的な舞台と言うのを見たことがないので何ともいえませんが、今回映像を取り入れたのは悪くなかったと思います。
常ならば人形の舞台には腰板があって、そこを台として演じるわけですが、今回は腰板がなく、人形は舞台の奥行きまで使って動いていました。人形が宙に浮き、人形遣の足下も全部見える状態です。斬新でしたね。
ただ、わたしの隣に座ったマダムからは「本来なら」どういう舞台で見ることになるのか、と質問されました。客席の形状とか人形が動く舞台の形状が、いわゆる西洋式とは違うと思うのだけれど、と。斬新さはそれまでを知っているから斬新と思うわけで、何も比べる物がなければ「これが普通なのか」と思うでしょうね。いわゆる伝統的な文楽舞台を見たいと願う人もいたかもしれません。