2012年 10月 11日
こどもと記号 |
小学校1年生の息子たちは、いま毎日のようにフランス語の読み方を習っている。
フランス語は音節で読み方が決まっているので、とにかくこれを覚える。
とりあえず書いてある字を読めるようになること、これが1年生の課題。
2年生以降になると、今度は正しい綴りで書けるように訓練が始まる。
同じ発音でも綴りが違ったりするから、動詞の活用や文法の世界に入るのだ。
で、いまのところはアルファベットと音の組み合わせで遊んでいる感じ。
m という子音と i という母音がセットになるとミと読む、とか。
ほとんど遊びの延長なので、覚えなくっちゃという悲壮感もない。
新しい音を覚えると読める字が増える。面白くてたまらない。
日本語の平仮名も、目の前にあると読もうとする。
漢字は見た瞬間に無視することに決めて、平仮名だけ読む。
わたしが読んでいる本を横から眺めて、ぼくも読んでいい?と聞く。
でも「づかぬうちに」ってどういうこと?
づかぬ、ではなくて、気づかぬって書いてあるんだけどなぁ。
息子たちにとって、漢字はまだ現実の世界と接点を持っていないのだ。
ピアノのクラスではソルフェージュが始まった。
フランス語の文字の導入がゆっくり行われるように、
音楽の世界もゆっくりとゆっくりと展開している模様。
でも、こちらの記号にはまだ全然馴染んでいないの。
ミレドレミミミと口ではいいながら、ソミミファレレの音で歌うが如し。
音とドレミがあっていないよ、それじゃあ太郎を花子と呼んでいるようなものだよ
と説明しているんだけれど、その意味が通じないんだよねぇ。
ボクは好きなように上手に歌っているんだから邪魔しないでよ、と言う。
確かに音程は正しいよ。でも音の名前が違うんだけどなぁ。
息子6歳、音だけの世界に記号(文字や楽譜)が導入されつつある。
今まで全部耳で覚えて構築していた世界を、今度は記号によって眺め直す。
フランス語と日本語と、コトバの世界はまぁまぁ順調に進んでいる。
でも、音楽はまだまだピンときていないんだね。
ある音と音符が1対1で結びつくことがわからないんだろう。
世界と記号は1対1で結びついている。
それに気がついた時のヘレン・ケラーの衝撃を思う。
自分が幼かった時にはそんな衝撃を感じただろうか?
子どもたちは、うわぁ!という発見の喜びを味わっているのだろうか?
人は、生まれ落ちた時から言葉を聞いて覚えて使って育っていく。
そうして小学生になる辺りで言葉(音)を記号化して記録することを知る。
なんだか、2度目の誕生に付き合っているみたいだと思う。
まだ記号化された世界に完全に生まれ落ちていない、
わけもわからぬままに産道をくぐり抜けようとしている、
小さくて柔らかくて、しかし確かな2つの存在。
フランス語は音節で読み方が決まっているので、とにかくこれを覚える。
とりあえず書いてある字を読めるようになること、これが1年生の課題。
2年生以降になると、今度は正しい綴りで書けるように訓練が始まる。
同じ発音でも綴りが違ったりするから、動詞の活用や文法の世界に入るのだ。
で、いまのところはアルファベットと音の組み合わせで遊んでいる感じ。
m という子音と i という母音がセットになるとミと読む、とか。
ほとんど遊びの延長なので、覚えなくっちゃという悲壮感もない。
新しい音を覚えると読める字が増える。面白くてたまらない。
日本語の平仮名も、目の前にあると読もうとする。
漢字は見た瞬間に無視することに決めて、平仮名だけ読む。
わたしが読んでいる本を横から眺めて、ぼくも読んでいい?と聞く。
でも「づかぬうちに」ってどういうこと?
づかぬ、ではなくて、気づかぬって書いてあるんだけどなぁ。
息子たちにとって、漢字はまだ現実の世界と接点を持っていないのだ。
ピアノのクラスではソルフェージュが始まった。
フランス語の文字の導入がゆっくり行われるように、
音楽の世界もゆっくりとゆっくりと展開している模様。
でも、こちらの記号にはまだ全然馴染んでいないの。
ミレドレミミミと口ではいいながら、ソミミファレレの音で歌うが如し。
音とドレミがあっていないよ、それじゃあ太郎を花子と呼んでいるようなものだよ
と説明しているんだけれど、その意味が通じないんだよねぇ。
ボクは好きなように上手に歌っているんだから邪魔しないでよ、と言う。
確かに音程は正しいよ。でも音の名前が違うんだけどなぁ。
息子6歳、音だけの世界に記号(文字や楽譜)が導入されつつある。
今まで全部耳で覚えて構築していた世界を、今度は記号によって眺め直す。
フランス語と日本語と、コトバの世界はまぁまぁ順調に進んでいる。
でも、音楽はまだまだピンときていないんだね。
ある音と音符が1対1で結びつくことがわからないんだろう。
世界と記号は1対1で結びついている。
それに気がついた時のヘレン・ケラーの衝撃を思う。
自分が幼かった時にはそんな衝撃を感じただろうか?
子どもたちは、うわぁ!という発見の喜びを味わっているのだろうか?
人は、生まれ落ちた時から言葉を聞いて覚えて使って育っていく。
そうして小学生になる辺りで言葉(音)を記号化して記録することを知る。
なんだか、2度目の誕生に付き合っているみたいだと思う。
まだ記号化された世界に完全に生まれ落ちていない、
わけもわからぬままに産道をくぐり抜けようとしている、
小さくて柔らかくて、しかし確かな2つの存在。
by poirier_AAA
| 2012-10-11 20:53
| 子どもと暮らす
|
Comments(2)
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by
Mtonosama at 2012-10-12 06:37
2度目の誕生ですか。
思い返してみるとそんな感慨を持って息子たちの言葉に対応したことはなかったです。
で、よそのお子さんの言葉で漢字とのつきあいを垣間見させていただくんですけど、算数が一番好きという小学校3年の男の子。
「ぼくはね、漢字は足し算と同じだから好きだよ」
漢字はへんとつくりの足し算ですものね。
子どもの感性に気づくのが遅すぎた・・・・・
反省しきりであります。
思い返してみるとそんな感慨を持って息子たちの言葉に対応したことはなかったです。
で、よそのお子さんの言葉で漢字とのつきあいを垣間見させていただくんですけど、算数が一番好きという小学校3年の男の子。
「ぼくはね、漢字は足し算と同じだから好きだよ」
漢字はへんとつくりの足し算ですものね。
子どもの感性に気づくのが遅すぎた・・・・・
反省しきりであります。
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by
poirier_AAA at 2012-10-12 16:05
>mtonosamaさん、こんにちは。
わたしも、日本にいたらこんなふうに思わなかったかもしれません。日本語だったら、平仮名でとりあえずすぐに書けるようになりますものね(でも、実はその後ろに漢字と言う巨大な山があるんですけど)。フランス語は、読めるようになるのも書けるようになるのも時間がかかるので、一段階上るところをスローモーションで見ているみたいなんですよ。
算数と漢字が好きって、きっと想像力がある子なんですね。子どもの感性って、みずみずしくて眩しいなぁと思います。それを、できることなら芽を摘まないで伸ばしてやれたらいいんですけれど。
わたしも、日本にいたらこんなふうに思わなかったかもしれません。日本語だったら、平仮名でとりあえずすぐに書けるようになりますものね(でも、実はその後ろに漢字と言う巨大な山があるんですけど)。フランス語は、読めるようになるのも書けるようになるのも時間がかかるので、一段階上るところをスローモーションで見ているみたいなんですよ。
算数と漢字が好きって、きっと想像力がある子なんですね。子どもの感性って、みずみずしくて眩しいなぁと思います。それを、できることなら芽を摘まないで伸ばしてやれたらいいんですけれど。