2012年 02月 02日
カウフマンを聴く |
あらかじめ基本の枠が決まっているものには、それを扱う人によって様々に表情が変わる面白さがあると思う。演劇の世界がそうだし、落語も、舞踏も、音楽もそう。
オペラは、わたしにとっては声を楽しむものだ。歌い手の声が良ければ、演出が奇天烈でも、合唱が下手でも、オーケストラがしまらなくても、まぁいいよと思うことが出来る。でも逆に言うと、どんなに演出が素晴らしく豪華でも、歌手が聞かせてくれないとがっかりする。
数日前にテレビで放送されていた2009年ミュンヘン・フェスティバルの「ローエングリン」は、奇妙な演出にも負けない声が揃っていて、久しぶりに興奮した。
お話を知らない人のために乱暴に説明すると、これは西洋版「夕鶴」、与ひょうとおつうの逆転バージョンとでも言うのが一番近いだろうか。エルザという美しい姫の窮地に際し、美しい騎士が現れる。騎士は姫を守り、2人は結婚することになる。けれど、それにはひとつ条件がある。決して自分の正体を問うてはならない。エルザは約束する。しかし、そこに蛇の知恵を持つ悪役が登場する。オルトルートという悪女。彼女は巧みな言葉で婚礼直前のエルザの心に疑惑の芽を植え付けることに成功する。
婚礼が終わり、満ち足りた気持ちで向き合う2人だけれど、いつのまにかエルザの心の声が囁き始めるのだ、愛する人の正体を知りたいと思うのは当然ではないか?心の声はいつしか口から滑り出る。男は慌てる。そんなことを知りたがってはいけない。わたしたちが愛し合っていると言うことだけが大事なのだ。けれど女の問いはますます執拗になる。男の言葉はもう届かない。
こうして結婚は破綻する。騎士は問われるままに自分の名をローエングリンであると明かし、来たときと同じように川を漂い去って行く。
わたしが見たのは第3幕から。華やかな婚礼が終わって、エルザとローエングリンが新居で2人になる場面だ。この演出にまずびっくりした。お姫様と騎士の新居が、なんと白木の小屋のような、村の一軒家的な造りなのであった。
でも、演出の奇抜さも、歌手が歌い出すとともに気にならなくなった。ローエングリンを歌うのはヨナス・カウフマン。エルザがアニヤ・ハルテロス。2人とも声は文句なし。ローエングリンが愛の歌を歌う。エルザは抑えられない好奇心を無邪気に剥き出しにする。驚き、慌て、必死に説得しようとするローエングリン。でもエルザの声はどんどん大きくなって行く。ローエングリンの声が絶望に満ちる。
なんといってもカウフマンのローエングリンが素晴らしかったと思う。白鳥の騎士ローエングリン、燦然と輝くヒーローのはずなのだけれど、そこにいるのは神のようにすべてを超越したヒーローではなく、愛に苦悩する1人の男、人間的な孤高のヒーローなのだった。これまで見たり聴いたりしたローエングリンで、こんなふうに人間的な魅力に溢れたヒーロー像を見せてくれた舞台はなかったような気がする。声に感情がこもって雄弁だし、表情の演技も素晴らしい。ローエングリンに扮したカウフマンから目が離せなかった。
視聴はこちらから。(第3幕第3場、ローエングリンが名を明かす場面)
舞台稽古じゃなく、これが本番の衣装。ヒーローがTシャツにスウェット。この凄いギャップにも拘らず彼がだんだん格好よく見えてくる不思議。
2月中に再放送があるそうだ。今度はちゃんと録画して全部見なくては。
ローエングリンで、正直言ってタイトルロールに注目したことはあんまりなかった。これまで好きだったのは2幕。純真なエルザを悪女オルトルートが言葉巧みに誘惑する場面。オルトルート役の声が好きなのだ。そして、最後の結婚行進曲。厳かに進む行進曲の最後に、エルザの疑心を暗示するメロディーが現れる。悲劇を予兆する幕切れ。この心理劇がたまらない。
オペラは、歌手の力量によってスポットライトのあたる人物が変わることがあって、それが面白いと思う。カウフマンのローエングリンを聞くことがなかったら、わたしにとってのローエングリンは名ばかりのヒーローにすぎなかった。それがカウフマンのおかげで苦悩する男ローエングリンを知った。まさか白鳥の騎士に感情移入できる日がこようとは。
インタビューを見ると、とても真面目な人だという印象。
若くてハンサムなテノールだから、まわりの雑音も多いと思うけれど、
自分の声を大切にして、真摯に音楽と向き合って歌い続けて欲しい。
おまけで、こんなものまで見つけてしまった。口福ならぬ耳福とはこのことよ。
そしてこちらも。こんなドン・ホセならカルメンは捨てないだろうに。
オペラは、わたしにとっては声を楽しむものだ。歌い手の声が良ければ、演出が奇天烈でも、合唱が下手でも、オーケストラがしまらなくても、まぁいいよと思うことが出来る。でも逆に言うと、どんなに演出が素晴らしく豪華でも、歌手が聞かせてくれないとがっかりする。
数日前にテレビで放送されていた2009年ミュンヘン・フェスティバルの「ローエングリン」は、奇妙な演出にも負けない声が揃っていて、久しぶりに興奮した。
お話を知らない人のために乱暴に説明すると、これは西洋版「夕鶴」、与ひょうとおつうの逆転バージョンとでも言うのが一番近いだろうか。エルザという美しい姫の窮地に際し、美しい騎士が現れる。騎士は姫を守り、2人は結婚することになる。けれど、それにはひとつ条件がある。決して自分の正体を問うてはならない。エルザは約束する。しかし、そこに蛇の知恵を持つ悪役が登場する。オルトルートという悪女。彼女は巧みな言葉で婚礼直前のエルザの心に疑惑の芽を植え付けることに成功する。
婚礼が終わり、満ち足りた気持ちで向き合う2人だけれど、いつのまにかエルザの心の声が囁き始めるのだ、愛する人の正体を知りたいと思うのは当然ではないか?心の声はいつしか口から滑り出る。男は慌てる。そんなことを知りたがってはいけない。わたしたちが愛し合っていると言うことだけが大事なのだ。けれど女の問いはますます執拗になる。男の言葉はもう届かない。
こうして結婚は破綻する。騎士は問われるままに自分の名をローエングリンであると明かし、来たときと同じように川を漂い去って行く。
わたしが見たのは第3幕から。華やかな婚礼が終わって、エルザとローエングリンが新居で2人になる場面だ。この演出にまずびっくりした。お姫様と騎士の新居が、なんと白木の小屋のような、村の一軒家的な造りなのであった。
でも、演出の奇抜さも、歌手が歌い出すとともに気にならなくなった。ローエングリンを歌うのはヨナス・カウフマン。エルザがアニヤ・ハルテロス。2人とも声は文句なし。ローエングリンが愛の歌を歌う。エルザは抑えられない好奇心を無邪気に剥き出しにする。驚き、慌て、必死に説得しようとするローエングリン。でもエルザの声はどんどん大きくなって行く。ローエングリンの声が絶望に満ちる。
なんといってもカウフマンのローエングリンが素晴らしかったと思う。白鳥の騎士ローエングリン、燦然と輝くヒーローのはずなのだけれど、そこにいるのは神のようにすべてを超越したヒーローではなく、愛に苦悩する1人の男、人間的な孤高のヒーローなのだった。これまで見たり聴いたりしたローエングリンで、こんなふうに人間的な魅力に溢れたヒーロー像を見せてくれた舞台はなかったような気がする。声に感情がこもって雄弁だし、表情の演技も素晴らしい。ローエングリンに扮したカウフマンから目が離せなかった。
視聴はこちらから。(第3幕第3場、ローエングリンが名を明かす場面)
舞台稽古じゃなく、これが本番の衣装。ヒーローがTシャツにスウェット。この凄いギャップにも拘らず彼がだんだん格好よく見えてくる不思議。
2月中に再放送があるそうだ。今度はちゃんと録画して全部見なくては。
ローエングリンで、正直言ってタイトルロールに注目したことはあんまりなかった。これまで好きだったのは2幕。純真なエルザを悪女オルトルートが言葉巧みに誘惑する場面。オルトルート役の声が好きなのだ。そして、最後の結婚行進曲。厳かに進む行進曲の最後に、エルザの疑心を暗示するメロディーが現れる。悲劇を予兆する幕切れ。この心理劇がたまらない。
オペラは、歌手の力量によってスポットライトのあたる人物が変わることがあって、それが面白いと思う。カウフマンのローエングリンを聞くことがなかったら、わたしにとってのローエングリンは名ばかりのヒーローにすぎなかった。それがカウフマンのおかげで苦悩する男ローエングリンを知った。まさか白鳥の騎士に感情移入できる日がこようとは。
インタビューを見ると、とても真面目な人だという印象。
若くてハンサムなテノールだから、まわりの雑音も多いと思うけれど、
自分の声を大切にして、真摯に音楽と向き合って歌い続けて欲しい。
おまけで、こんなものまで見つけてしまった。口福ならぬ耳福とはこのことよ。
そしてこちらも。こんなドン・ホセならカルメンは捨てないだろうに。
by poirier_AAA
| 2012-02-02 20:31
| 聴く
|
Comments(0)