2012年 01月 12日
子どもの風邪 |
今日からソルドが始まった。
水曜日で子どもが一緒だから思うようには回れないだろうとは思いながら、それでも子どもの衣類でも数枚仕入れられたらいいなぁと考えていた。
そういう時に限って、息子A、まさかの発熱。
お買い物の夢はあっけなく消えた。しゅん。
赤い顔で昏々と眠る息子と
相棒がいない生活は恐ろしく空虚だと嘆く息子を抱え、
今日は一日お籠もりであった。
ずっと家にいられるのに、細切れの時間しかない一日。
ふっと思い出してジャン=ルイ・フルニエの「Où on va papa?」を手にとった。
ブログを読み返したら、2年ほど前に読んでいた。(こちら)
強烈なまでに乾いた描写と、極限まで削った詩のような言葉。
剃刀のような鋭い言葉の奥から立ち昇る親の心。
それをあざ笑うがごとき現実。
いつでも読める本ではないけれど、手に取るとたちまち中に引きずりこまれる。
2年前に読んだ時、これを訳したい、と本気で思った。
その本書が、「どこ行くの、パパ?」という題で日本で出版されていたことを知る。
身の程をわきまえず、悔しい。羨ましい。
この作家はフランス語で読みたい、と思っている。
フランス語だからこそ、の味があるような気がする。
それを日本語に訳すことは、言ってみれば日本語とフランス語に対する挑戦で、
だから無性に自分を試してみたかったのだ。
世界の終わりを2度味わったと言う人の血を吐くような言葉を読みながら、
わたしは目の前のぬるま湯の現実を眺める。
柔らかい髪と熱い頬をなでながら、早く良くなれと祈る。
水曜日で子どもが一緒だから思うようには回れないだろうとは思いながら、それでも子どもの衣類でも数枚仕入れられたらいいなぁと考えていた。
そういう時に限って、息子A、まさかの発熱。
お買い物の夢はあっけなく消えた。しゅん。
赤い顔で昏々と眠る息子と
相棒がいない生活は恐ろしく空虚だと嘆く息子を抱え、
今日は一日お籠もりであった。
ずっと家にいられるのに、細切れの時間しかない一日。
ふっと思い出してジャン=ルイ・フルニエの「Où on va papa?」を手にとった。
ブログを読み返したら、2年ほど前に読んでいた。(こちら)
強烈なまでに乾いた描写と、極限まで削った詩のような言葉。
剃刀のような鋭い言葉の奥から立ち昇る親の心。
それをあざ笑うがごとき現実。
いつでも読める本ではないけれど、手に取るとたちまち中に引きずりこまれる。
2年前に読んだ時、これを訳したい、と本気で思った。
その本書が、「どこ行くの、パパ?」という題で日本で出版されていたことを知る。
身の程をわきまえず、悔しい。羨ましい。
この作家はフランス語で読みたい、と思っている。
フランス語だからこそ、の味があるような気がする。
それを日本語に訳すことは、言ってみれば日本語とフランス語に対する挑戦で、
だから無性に自分を試してみたかったのだ。
世界の終わりを2度味わったと言う人の血を吐くような言葉を読みながら、
わたしは目の前のぬるま湯の現実を眺める。
柔らかい髪と熱い頬をなでながら、早く良くなれと祈る。
by poirier_AAA
| 2012-01-12 07:26
| 子どもと暮らす
|
Comments(2)
Commented
by
saheizi-inokori at 2012-01-12 11:20
探してみようかな。
お大事に!
お大事に!
0
Commented
by
poirier_AAA at 2012-01-12 23:28