2012年 01月 05日
ある経験 |
水曜日、学校がお休みの子どもたちを連れて街に出ました。
いつもなら避けて通る繁華街の人ごみにいるとき、脇からひとりの女性が近づいて来ました。年の頃は60代。地味で小柄で、郊外から買い物に出て来たお母さんといった風情の白人女性でした。子ども連れで歩いているとよく道を聞かれるので、この人もそうなんだろうと思っていたところ、その女性、険しい目つきでわたしたち3人を下から上へと品定めするように眺めた後、
「なんなの、この中国人の○○××‥‥」
軽蔑し切った口調で吐き捨ててスタスタと去っていきました。
一瞬、何が起ったのかわかりませんでした。
次の瞬間体が動いていました。自分でもコントロールできない力が働いているような気がしました。子どもを両側に引き連れたまま、その女性を追いかけました。
マダム、マダム、何ですか。
あなたがさっき言ったことを繰り返しなさい。
あなたは何を言ったかわかっているんですか。
わたしたちがあなたに何か悪いことをしましたか。
あなたは、子どもを前にそういう言葉を使って恥ずかしいとは思いませんか。
頭に血が上って、完全に理性が吹っ飛んでいる自分がいました。
その自分が、身も知らぬ相手に向かって怒りをあらわにしていました。
その状態をどこかで自分の目が眺めているのだけれど、でもブレーキがかけられません。
相手の女性は、知らぬ存ぜぬ、あなたこそ何を言いがかりをつけているの、の一点張り。わたしを相手にするつもりは全然ないのです。
彼女はシラを切り通したまま、足早にその場を立ち去りました。
「ママン、どうして怒っているの?」
子どもたちが尋常ならぬ様子に驚いて聞いてくるけれど、わたしはあまりにも怒りが大きくて口がきけません。
そのままメトロに乗って、混み合ったメトロの中で見知らぬ女性ににっこりされて、ようやく怒りが静まり始めました。それとともに、どうしてあんなに我を忘れるほど怒ってしまったんだろうと思い返してみるゆとりも生まれました。
わたしたちの外見が人の憎悪の対象になった。
この一言に尽きます。「中国人(シノワ)」という言葉を使ったけれど、別に中国人でも日本人でも韓国人でも同じだったんだと思います。要するに、こちらの外見があきらかにアジア人だから、それを見て取ってあのような態度に出たのです。彼女にとっては、わたしたちがどういう人間でどういう背景があるかなど、どうでもいい。外見すなわち人間の価値なのです。
価値のない人間の怒りなど、彼女の耳には届きません。
不快な蚊の羽音くらいにしか思っていなかったに違いない。
それがわかるから、尚更怒りが静まらなかったのです。
わたしは常々、人は話し合わなければならない、話し合わなければ溝は埋まらないなどと考えていますが、こういう人の場合は話し合いに持ち込むことすらできません。
お互いをよく知らないことが溝を一層深くする、それはある意味本当だと思います。けれども、溝を少しでも埋めようと話をしようとしても、相手に聞く耳がなければ何にもなりません。溝というのはお互いが「埋めよう」と意識しない限り、お互いに橋が必要だと考えない限りはどうにもならないのです。
パリに住むようになってから5年、わたしはこういうあからさまな差別に曝されたことがありませんでした。今住んでいるところが常識的な人たちの多い落ち着いた場所だということもありますし、ある程度フランス語ができると相手の態度もずいぶん違うのです。だから、自分が視覚的な外国人であることをそれほど意識しないで生きて来られました。
でも、当然ながら差別はあるわけです。普段は隠れていて見えなくとも、なにかのキッカケでこんなふうに八つ当たりの対象にされる可能性が常にあります。今回は小柄な女性だったからわたしも立ち向かっていったけれど、これが大柄な男性複数が相手だったらと思うと怒りではなく恐怖を感じます。そして、同じことがアジア人の外見を持つ息子たちにも降り掛かるかもしれないと思うとたまらなくなるのです。
人種差別は許せない。
そう思う一方で、わたし自身も「あの程度の人に自分を差別されてたまるか」という自負を持っている点で、立派な差別主義者なのかもしれないとも思います。やってはならないことをわきまえていない人々、他人に敬意を持って接することのできない人を、わたしは激しく軽蔑するのです。
蔑んだり蔑まれたり。
こういう気持ちの良くない感情が存在するのがイヤです。
今考えても不愉快な経験でしたが、考えるキッカケになりました。
不快な感情にとらわれて大事な自分の生活を損なっても仕方ない。
わたしはいつものように大らかな気持ちで暮らすのです。
それにしても、
赤の他人に対して自分があれほど怒れるとは思いませんでした。
なんだか自分の中に別な人がいるみたいでした。
子どもはもっと戸惑っているだろうなぁ。今はそちらが気になります。
いつもなら避けて通る繁華街の人ごみにいるとき、脇からひとりの女性が近づいて来ました。年の頃は60代。地味で小柄で、郊外から買い物に出て来たお母さんといった風情の白人女性でした。子ども連れで歩いているとよく道を聞かれるので、この人もそうなんだろうと思っていたところ、その女性、険しい目つきでわたしたち3人を下から上へと品定めするように眺めた後、
「なんなの、この中国人の○○××‥‥」
軽蔑し切った口調で吐き捨ててスタスタと去っていきました。
一瞬、何が起ったのかわかりませんでした。
次の瞬間体が動いていました。自分でもコントロールできない力が働いているような気がしました。子どもを両側に引き連れたまま、その女性を追いかけました。
マダム、マダム、何ですか。
あなたがさっき言ったことを繰り返しなさい。
あなたは何を言ったかわかっているんですか。
わたしたちがあなたに何か悪いことをしましたか。
あなたは、子どもを前にそういう言葉を使って恥ずかしいとは思いませんか。
頭に血が上って、完全に理性が吹っ飛んでいる自分がいました。
その自分が、身も知らぬ相手に向かって怒りをあらわにしていました。
その状態をどこかで自分の目が眺めているのだけれど、でもブレーキがかけられません。
相手の女性は、知らぬ存ぜぬ、あなたこそ何を言いがかりをつけているの、の一点張り。わたしを相手にするつもりは全然ないのです。
彼女はシラを切り通したまま、足早にその場を立ち去りました。
「ママン、どうして怒っているの?」
子どもたちが尋常ならぬ様子に驚いて聞いてくるけれど、わたしはあまりにも怒りが大きくて口がきけません。
そのままメトロに乗って、混み合ったメトロの中で見知らぬ女性ににっこりされて、ようやく怒りが静まり始めました。それとともに、どうしてあんなに我を忘れるほど怒ってしまったんだろうと思い返してみるゆとりも生まれました。
わたしたちの外見が人の憎悪の対象になった。
この一言に尽きます。「中国人(シノワ)」という言葉を使ったけれど、別に中国人でも日本人でも韓国人でも同じだったんだと思います。要するに、こちらの外見があきらかにアジア人だから、それを見て取ってあのような態度に出たのです。彼女にとっては、わたしたちがどういう人間でどういう背景があるかなど、どうでもいい。外見すなわち人間の価値なのです。
価値のない人間の怒りなど、彼女の耳には届きません。
不快な蚊の羽音くらいにしか思っていなかったに違いない。
それがわかるから、尚更怒りが静まらなかったのです。
わたしは常々、人は話し合わなければならない、話し合わなければ溝は埋まらないなどと考えていますが、こういう人の場合は話し合いに持ち込むことすらできません。
お互いをよく知らないことが溝を一層深くする、それはある意味本当だと思います。けれども、溝を少しでも埋めようと話をしようとしても、相手に聞く耳がなければ何にもなりません。溝というのはお互いが「埋めよう」と意識しない限り、お互いに橋が必要だと考えない限りはどうにもならないのです。
パリに住むようになってから5年、わたしはこういうあからさまな差別に曝されたことがありませんでした。今住んでいるところが常識的な人たちの多い落ち着いた場所だということもありますし、ある程度フランス語ができると相手の態度もずいぶん違うのです。だから、自分が視覚的な外国人であることをそれほど意識しないで生きて来られました。
でも、当然ながら差別はあるわけです。普段は隠れていて見えなくとも、なにかのキッカケでこんなふうに八つ当たりの対象にされる可能性が常にあります。今回は小柄な女性だったからわたしも立ち向かっていったけれど、これが大柄な男性複数が相手だったらと思うと怒りではなく恐怖を感じます。そして、同じことがアジア人の外見を持つ息子たちにも降り掛かるかもしれないと思うとたまらなくなるのです。
人種差別は許せない。
そう思う一方で、わたし自身も「あの程度の人に自分を差別されてたまるか」という自負を持っている点で、立派な差別主義者なのかもしれないとも思います。やってはならないことをわきまえていない人々、他人に敬意を持って接することのできない人を、わたしは激しく軽蔑するのです。
蔑んだり蔑まれたり。
こういう気持ちの良くない感情が存在するのがイヤです。
今考えても不愉快な経験でしたが、考えるキッカケになりました。
不快な感情にとらわれて大事な自分の生活を損なっても仕方ない。
わたしはいつものように大らかな気持ちで暮らすのです。
それにしても、
赤の他人に対して自分があれほど怒れるとは思いませんでした。
なんだか自分の中に別な人がいるみたいでした。
子どもはもっと戸惑っているだろうなぁ。今はそちらが気になります。
by poirier_AAA
| 2012-01-05 19:30
| 日々の断片
|
Comments(12)
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mtonosama at 2012-01-05 20:30
いやな経験をなさいましたね。
私も学生の頃、署名活動をしていたら、いきなり唾をかけられたことがあります。
とてもショックで、泣きながら署名ボードを放り出して
泣きながら帰宅してしまいました(情けなさすぎる^_^;)
poiriei AAAさんがお子さんの手をひいて、その60代の女性の
ところへ抗議に行ったこと、すばらしいと思います。
そういう人ってこっちの言うことを聞いちゃいないんですね。
でも、しっかり意思表示できて立派でしたね。尊敬します。
18歳の頃の自分が本当に恥ずかしい……
私も学生の頃、署名活動をしていたら、いきなり唾をかけられたことがあります。
とてもショックで、泣きながら署名ボードを放り出して
泣きながら帰宅してしまいました(情けなさすぎる^_^;)
poiriei AAAさんがお子さんの手をひいて、その60代の女性の
ところへ抗議に行ったこと、すばらしいと思います。
そういう人ってこっちの言うことを聞いちゃいないんですね。
でも、しっかり意思表示できて立派でしたね。尊敬します。
18歳の頃の自分が本当に恥ずかしい……
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saheizi-inokori at 2012-01-05 21:37
怒ったのは正しいと思います。なぐりつけたって許されます。
私なんか臆病だからできないだけです。
白人のそういうところがほんとに腹が立つしきっと一緒にやっていけないだろうと思います。
理性ではない、それはいけないことだとわかっていても許せません。
私なんか臆病だからできないだけです。
白人のそういうところがほんとに腹が立つしきっと一緒にやっていけないだろうと思います。
理性ではない、それはいけないことだとわかっていても許せません。
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mikttymama at 2012-01-06 01:51
それはそれは、悔しい思いをされたことでしょうね。
アジア人に対しての差別、聞いたことはありますが小さな島国日本に住む自分にはあまり感じたことのないような感情だと思っていました。
梨の木さんのこちらの記事を読み、将来娘たちに降りかかるであろう福島差別のことが頭をよぎりました。
そこで梨の木さんのように、私も怒らねば。
なんと素晴らしい母でしょうか。
改めまして、あけましておめでとうございます。
staniさんから梨の木さんとのご縁を頂き、昨年も悪いことばかりではなかったなとありがたく感じております。
今年もどうぞ、宜しくお願い致します。
アジア人に対しての差別、聞いたことはありますが小さな島国日本に住む自分にはあまり感じたことのないような感情だと思っていました。
梨の木さんのこちらの記事を読み、将来娘たちに降りかかるであろう福島差別のことが頭をよぎりました。
そこで梨の木さんのように、私も怒らねば。
なんと素晴らしい母でしょうか。
改めまして、あけましておめでとうございます。
staniさんから梨の木さんとのご縁を頂き、昨年も悪いことばかりではなかったなとありがたく感じております。
今年もどうぞ、宜しくお願い致します。
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poirier_AAA at 2012-01-06 16:38
>mtonosamaさん、こんにちは。
新年早々気持ちのよくない話をお聞かせしてしまってすみません。あまりにも衝撃的な出来事だったものですから、自分の記録として残しておきたくなってしまいました。
殿様が唾をかけられたことも、わたしがシノワと侮蔑されたことも、結局のところは八つ当たりなんですよね。世の中には個人的な鬱憤や不満や不安を、自分よりも弱い立場の人を見つけて発散しようとする人が残念ながらいます。学校でのいじめの延長です。
わたしも、1人だったらムッとするだけでここまで反応しなかったかもしれません。理性で怒ったわけじゃなく、もう100%動物的な本能で体が動いていました。子どもを抱えた母クマは気が荒いとかいいますけど、それと同じでしたよ(笑)
新年早々気持ちのよくない話をお聞かせしてしまってすみません。あまりにも衝撃的な出来事だったものですから、自分の記録として残しておきたくなってしまいました。
殿様が唾をかけられたことも、わたしがシノワと侮蔑されたことも、結局のところは八つ当たりなんですよね。世の中には個人的な鬱憤や不満や不安を、自分よりも弱い立場の人を見つけて発散しようとする人が残念ながらいます。学校でのいじめの延長です。
わたしも、1人だったらムッとするだけでここまで反応しなかったかもしれません。理性で怒ったわけじゃなく、もう100%動物的な本能で体が動いていました。子どもを抱えた母クマは気が荒いとかいいますけど、それと同じでしたよ(笑)
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poirier_AAA at 2012-01-06 16:49
>saheiziさん、こんにちは。
はい、もう怒って当然、理は我にありと思ってます。
でも普段は相当な臆病者でなりをひそめて生きているものですから、自分が公衆の面前で大声を上げるようなことができたということに自分でショックを受けているのです。吃驚しましたよ。
今の世の中では白人は安泰なのですよね。それがどういうことなのか、彼らには自覚も意識もないんだと思います。傲慢なことですが、でもキッカケがない限り目が開かないことはあり、想像力の限界もあると思っています。わたしもこちらに来るまでは、自分は恵まれた環境に育ったとは実感できませんでした。
はい、もう怒って当然、理は我にありと思ってます。
でも普段は相当な臆病者でなりをひそめて生きているものですから、自分が公衆の面前で大声を上げるようなことができたということに自分でショックを受けているのです。吃驚しましたよ。
今の世の中では白人は安泰なのですよね。それがどういうことなのか、彼らには自覚も意識もないんだと思います。傲慢なことですが、でもキッカケがない限り目が開かないことはあり、想像力の限界もあると思っています。わたしもこちらに来るまでは、自分は恵まれた環境に育ったとは実感できませんでした。
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poirier_AAA at 2012-01-06 17:17
>mikttymamaさん、こんにちは。
せっかくおいでいただいたのに、イヤな話をお聞かせしてしまいましたね。
欧米でよくあるのは、いわゆる有色人種(一目見ただけで非白人とわかる人たち)に対する差別ですね。これは視覚的なものなので対象は逃れようがありません。
怒ったのは、やっぱり子どもと一緒だったからかなぁという気がしています。自分に対する言葉はある程度無視できても、子どもが理不尽な侮蔑の対象になるのは我慢できません。そして、子どもたちに自分を卑下して欲しくないですしね。
mikttymamaさん、こちらこそどうぞよろしくお願いします。
stanislowskiさんは縁結びの神様みたいですね。去年はmikttymamaさんともayushamさんとも縁を繋げてもらいました。
このご縁を大事にしたいと思っています。
せっかくおいでいただいたのに、イヤな話をお聞かせしてしまいましたね。
欧米でよくあるのは、いわゆる有色人種(一目見ただけで非白人とわかる人たち)に対する差別ですね。これは視覚的なものなので対象は逃れようがありません。
怒ったのは、やっぱり子どもと一緒だったからかなぁという気がしています。自分に対する言葉はある程度無視できても、子どもが理不尽な侮蔑の対象になるのは我慢できません。そして、子どもたちに自分を卑下して欲しくないですしね。
mikttymamaさん、こちらこそどうぞよろしくお願いします。
stanislowskiさんは縁結びの神様みたいですね。去年はmikttymamaさんともayushamさんとも縁を繋げてもらいました。
このご縁を大事にしたいと思っています。
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coco
at 2012-01-08 20:08
x
アメリの冒頭でもありますよね。“キライな事、子供の前
で侮辱される事”ってのが。
ボクちゃん達が大人になった時、そんなバカげた差別意識を
持った人が今よりももっともっと少なくなってる事を願う
ばかりです。。
私は人を差別する人を差別したい位です。生まれ持ったもの
に対してどうのこうのと言われるのも言うのも好きでは
ありません。これも冷静になってから思える事だとは
思うけれど、大切なものが欠乏した哀れな人間だと卑下
してやってください!!!!!
で侮辱される事”ってのが。
ボクちゃん達が大人になった時、そんなバカげた差別意識を
持った人が今よりももっともっと少なくなってる事を願う
ばかりです。。
私は人を差別する人を差別したい位です。生まれ持ったもの
に対してどうのこうのと言われるのも言うのも好きでは
ありません。これも冷静になってから思える事だとは
思うけれど、大切なものが欠乏した哀れな人間だと卑下
してやってください!!!!!
梨の木さん、ヨーロッパに住む日本人としての「洗礼」を受けましたね。
こういう出来事は本当に腹が立って心臓がドキドキし、終いには
哀しくなります。
わたしも、こちらに来た当時は日本人がいなかったもので、街を歩くと
通りすがりに
頭のてっぺんからつま先まで視線を滑らされ、通り過ぎてから更にじ~っと振り返って、一言
「シネーザ(中国女性)!」と吐き捨てるように言われたものです。
英国でも道の向こう側から「Go to the hell!」なんて指指しながら言われたことがありますが、
若い当時、怖くなって逃げ出してしまいました。
そういうことが度々あり、しばらくは街へ出るのが億劫になった時期がありました。
でも梨の木さん同様、考えるきっかけになりました。
「中国人」といわれて屈辱を感じた自分、じゃ、フランス人!とか、アメリカ人!とかだったらよかったのか?
(もちろんそんなことは外見からしてありえないけどw)
しかし、そういう自分の中に中国人に対する差別感はないのか、って考えることになりました。
こういう出来事は本当に腹が立って心臓がドキドキし、終いには
哀しくなります。
わたしも、こちらに来た当時は日本人がいなかったもので、街を歩くと
通りすがりに
頭のてっぺんからつま先まで視線を滑らされ、通り過ぎてから更にじ~っと振り返って、一言
「シネーザ(中国女性)!」と吐き捨てるように言われたものです。
英国でも道の向こう側から「Go to the hell!」なんて指指しながら言われたことがありますが、
若い当時、怖くなって逃げ出してしまいました。
そういうことが度々あり、しばらくは街へ出るのが億劫になった時期がありました。
でも梨の木さん同様、考えるきっかけになりました。
「中国人」といわれて屈辱を感じた自分、じゃ、フランス人!とか、アメリカ人!とかだったらよかったのか?
(もちろんそんなことは外見からしてありえないけどw)
しかし、そういう自分の中に中国人に対する差別感はないのか、って考えることになりました。
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spacesis
at 2012-01-09 22:16
x
すみません、書き足りなくて続投稿です。
外見が似ているし、中国人と日本人の区別がつかない人であればいたし方ないかな、
その人の中国人に対する侮蔑感と同じく、中国人と呼ばれて腹がたった自分の中の
無意識な差別感を見たような気がしてゾッとしたものです。
それまで「シネーザ」の小さな言葉にとても敏感だったわたしの耳は、
以来、「遠く」なったように思います。
「中国人ではありません、日本人です」との訂正も近年はすっかりしなくなりました。
残念なことに世の中から差別はなくならないと思うのです。
それは家庭、学校の教育課題であると思います。
少なくとも自分や子供たちには人にそういう体験を与える側の人間になりたくない、なって
欲しくないと思っています。
たくさんの人が人の身に自分をおいて考えられるようになってこそ、差別は薄れていくような気がします。
梨の木さん、こういう経験があってこそ、これから益々一人の人間として強くなりますよ。
そして、すっかり遅くなりましたが、今年もお付き合いくださいませ。
ご家族の皆様にもよろしく^^
外見が似ているし、中国人と日本人の区別がつかない人であればいたし方ないかな、
その人の中国人に対する侮蔑感と同じく、中国人と呼ばれて腹がたった自分の中の
無意識な差別感を見たような気がしてゾッとしたものです。
それまで「シネーザ」の小さな言葉にとても敏感だったわたしの耳は、
以来、「遠く」なったように思います。
「中国人ではありません、日本人です」との訂正も近年はすっかりしなくなりました。
残念なことに世の中から差別はなくならないと思うのです。
それは家庭、学校の教育課題であると思います。
少なくとも自分や子供たちには人にそういう体験を与える側の人間になりたくない、なって
欲しくないと思っています。
たくさんの人が人の身に自分をおいて考えられるようになってこそ、差別は薄れていくような気がします。
梨の木さん、こういう経験があってこそ、これから益々一人の人間として強くなりますよ。
そして、すっかり遅くなりましたが、今年もお付き合いくださいませ。
ご家族の皆様にもよろしく^^
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poirier_AAA at 2012-01-09 22:23
>cocoさん、
経済が苦しくなると外国人(移民)に対する風当たりも強くなると言われています。外国人というか、外国人風に見える人たち(有色人種)が対象になるんですよね。わたしなんて国籍は日本のままだから完全に移民なわけだけれど、フランスで生まれてフランス国籍を持っているのに外見で差別される人もたくさんいるわけで、そういう人たちはもっともっと苦しい思いをしているんじゃないかと思います。
こんなふうに堂々と差別して憚らない人を、わたしは物凄く軽蔑していますよ。でも、そう思う一方で差別って弱さだとも思うんです。人間は臆病者だから、とりあえず自分より弱い誰かを見下して安心しようという絶え間ない誘惑があるのかもしれない。自分も立場が変わったら同じことをしてしまうかもしれないという怖さがありますね。したくないとは思っているけれど。
経済が苦しくなると外国人(移民)に対する風当たりも強くなると言われています。外国人というか、外国人風に見える人たち(有色人種)が対象になるんですよね。わたしなんて国籍は日本のままだから完全に移民なわけだけれど、フランスで生まれてフランス国籍を持っているのに外見で差別される人もたくさんいるわけで、そういう人たちはもっともっと苦しい思いをしているんじゃないかと思います。
こんなふうに堂々と差別して憚らない人を、わたしは物凄く軽蔑していますよ。でも、そう思う一方で差別って弱さだとも思うんです。人間は臆病者だから、とりあえず自分より弱い誰かを見下して安心しようという絶え間ない誘惑があるのかもしれない。自分も立場が変わったら同じことをしてしまうかもしれないという怖さがありますね。したくないとは思っているけれど。
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poirier_AAA at 2012-01-09 23:13
>spacesisさん、こんにちは。
こちらこそ、今年もどうぞよろしくお願い致します。
はい、洗礼を受けてしまいました。シネーザとかシノワとか陰でこっそり囁かれることは慣れていましたが、ここまであからさまな嫌がらせは若い頃の初めての海外旅行以来だったので、ショックでしたね。
わたしもspacesisさんと同じことを考えていました。シネーザと言われて腹が立つ理由のひとつはシネーザと一緒にして欲しくないという自分の中の線引きがあるからなんです。それを差別というんじゃないかとハッとしたのです。
最近はシネーザ(シノワ)=黄色人種と聞こえるようになりました。でも、これがまた癇に障るのです。アジア人という言い方だってできるわけですからね。少なくともその方が特定の国の名前を使わないぶんだけニュートラルなんじゃないかと思うのです。
でも、幼稚園の子どもたちまで普通に「シノワ」という言葉を使います。つまり、親が家庭で彼らのような外見の人たちを「シノワ」と呼ぶと教えているか、あるいは無意識に使っているわけです。その無神経さが、容易に差別に結びついていくような気がしてなりません。
(続く)
こちらこそ、今年もどうぞよろしくお願い致します。
はい、洗礼を受けてしまいました。シネーザとかシノワとか陰でこっそり囁かれることは慣れていましたが、ここまであからさまな嫌がらせは若い頃の初めての海外旅行以来だったので、ショックでしたね。
わたしもspacesisさんと同じことを考えていました。シネーザと言われて腹が立つ理由のひとつはシネーザと一緒にして欲しくないという自分の中の線引きがあるからなんです。それを差別というんじゃないかとハッとしたのです。
最近はシネーザ(シノワ)=黄色人種と聞こえるようになりました。でも、これがまた癇に障るのです。アジア人という言い方だってできるわけですからね。少なくともその方が特定の国の名前を使わないぶんだけニュートラルなんじゃないかと思うのです。
でも、幼稚園の子どもたちまで普通に「シノワ」という言葉を使います。つまり、親が家庭で彼らのような外見の人たちを「シノワ」と呼ぶと教えているか、あるいは無意識に使っているわけです。その無神経さが、容易に差別に結びついていくような気がしてなりません。
(続く)
Commented
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poirier_AAA at 2012-01-09 23:40
>spacesisさん、続きです。
学校教育も大切でしょうが、やっぱり一番根っこにあるのは家庭教育だろうと最近思います。幼稚園の子どもたちを見ていると、その子の親がどんな風に育てているかがよく見えるのです。せめて自分の子どもたちだけは人にイヤな思いをさせないで生きられるように育てたいと思いますが、それにはまず親の私たちがいろいろなことを意識して考えるようでないとダメなんですよね。そう考えると背筋が伸びます。
あとは、文句を言っている暇があったらいい人間関係を作ることに熱心になろう、と。草の根運動みたいだけれど、親しくなって初めてお互いの立場が想像できるようになったりするものですから。
後味は確かに悪かったけれど、いろいろ考えあわせるとマイナスだけの経験ではなかったと思っているのです。(といって、こんな経験はしょっちゅうしたくはありませんけれど、笑)
学校教育も大切でしょうが、やっぱり一番根っこにあるのは家庭教育だろうと最近思います。幼稚園の子どもたちを見ていると、その子の親がどんな風に育てているかがよく見えるのです。せめて自分の子どもたちだけは人にイヤな思いをさせないで生きられるように育てたいと思いますが、それにはまず親の私たちがいろいろなことを意識して考えるようでないとダメなんですよね。そう考えると背筋が伸びます。
あとは、文句を言っている暇があったらいい人間関係を作ることに熱心になろう、と。草の根運動みたいだけれど、親しくなって初めてお互いの立場が想像できるようになったりするものですから。
後味は確かに悪かったけれど、いろいろ考えあわせるとマイナスだけの経験ではなかったと思っているのです。(といって、こんな経験はしょっちゅうしたくはありませんけれど、笑)