2011年 12月 03日
ヴェネツィア旅行記〜その5 |
ヴェネツィアと言えば、反射的にサン・マルコ広場を思い浮かべます。
観光客が少ない11月末であっても、やっぱりここは観光客でいっぱいです。サン・マルコ寺院の写真を撮ったり、歩き疲れた人がアクア・アルタ用の高床に腰掛けて休んでいたり、鳩を集めて写真を撮ったり。本当に広い場所なので、子どもが鳩を追いかけて走り回っても、人の邪魔になることがありません。わたしたちにとっては有難い場所でした。
(サン・マルコ広場からサン・マルコ寺院を臨む)
観光客が多すぎて歩き難いので、地元に住む人たちはなるべくサン・マルコ界隈を避けて歩くのだそうです。(この感覚、わたしたちがパリでシャンゼリゼとかオペラ周辺を避けるのとよく似ています)
子どもに引かれて毎日通ったサン・マルコ広場でしたが、わたしも嫌々付き合ったわけではありませんでした。むしろ、引き寄せられていました。
観光の中心だからとか、写真で見慣れているからというだけでないのです。
この広場こそ、ヴェネツィアそのもの、街の象徴だと思いました。
サン・マルコ広場は、ヴェネツィアの中では一番広い広場です。
そして、この広場横の船着き場、ここがいわば街の正面玄関なのです。
街の玄関が海に向かって開いている、これがヴェネツィアです。
この広場にはサン・マルコ寺院とドゥカーレ宮殿があります。
サン・マルコ寺院は、ヴェネツィアの守護聖人であるサン・マルコが祀られている精神的な拠り所。一方ドゥカーレ宮殿は、現実の生活を舵取りをする行政機関です。
つまり、ここはヴェネツィアの心臓部です(でした)。
この心臓の在り方が、またヴェネツィアらしいなぁと思うのです。
他の街だったら、観光の目玉である宮殿や建物は、誰か特定の為政者や家族の繁栄を象徴するものであることが多いでしょう。栄華を誇った王様の豊かな暮らしぶりを見ることはあっても、行政府、立法府、司法府、果ては牢獄までをずらりと見て歩く機会はほとんどありません。でも、ここヴェネツィアのドゥカーレ宮殿はそういう場所なのです。このドージェ(国家元首)のための宮殿は、特定の個人ではなく、ドージェを頂くヴェネツィアという共同体の経済や社会システムを象徴しているのです。 (ドゥカーレ宮殿。右側の柱頭にはヴェネツィアのシンボルの獅子像)
同じことは、サン・マルコ寺院についても言えるように思います。
普通、大聖堂などの建築の壮麗さを目にすると、宗教界の豊かさ、あるいはそれを支えた為政者の富を感じます。でも、ことこの寺院について言えば、これは宗教界の富ではなくて、やぱりヴェネツィアという街の富を感じてしまうのです。
聖マルコが守護聖人になった経緯も、なんだかとてもヴェネツィアらしい。
ヴェネツィアのもともとの守護聖人は聖テオドーロでした。
でも、身も蓋もない言い方をすれば「聖テオドーロって誰?」というくらい、聖人としての知名度(地位)は低い。
そこに現れたのが聖マルコの聖遺物です。
もともと、当時イスラム教圏だったアレキサンドリアの教会にあったものでした。それが2人のヴェネツィア人の船乗りによってヴェネツィアに運び込まれました。それなりの対価を払って譲り受けて来たという説もあれば、厄難に乗じて盗み出して来たという説もあります。聖遺物をみすみす手放す教会があるとも考えられませんから、譲り受けるにしてもほとんど強奪に近かったのかもしれません。いずれにしても、聖遺物はヴェネツィア人の手にわたりました。そして、イスラム圏を不浄な豚肉に守られて通り抜け、無事にヴェネツィアに運び込まれたのでした。
ヴェネツィア人は熱狂を持ってこの位の高い聖人を迎え入れました。
そして作られたのがこの寺院(大聖堂)です。
聖マルコを象徴するのが翼のあるライオンで、これがそのままヴェネツィアの旗印となりました。
サン・マルコ広場の海を望む場所に高い2本の柱が立っており、一方にはこの獅子像が、もう一方には聖テオドールが乗っています。 (獅子像と聖テオドール像。背景にはサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会と鐘楼)
ヴェニスの商人というと情け容赦のない金の亡者のようなイメージで、確かにそれがヨーロッパ人から見たヴェネツィア人の一面であったのかもしれません。けれども、決してそれだけではないだろう、金の亡者と言う以上に、非常に現実的で実際的な頭の持ち主だったのではないかと、このサン・マルコ広場を眺めていると思うのです。虚勢とか幻想とかに振り回されず、あくまでも冷静な人間観察に基づいて作られ運営された街なんじゃないだろうかと、わたしなぞは半ば羨望を込めて眺めてしまうのでした。
長くなってしまったので、肝心の寺院の話はまた次回に。
はて、いったい何時まで続くんだ、このシリーズ?ですよね。
もうちょっとだけお付き合い下さい。
観光客が少ない11月末であっても、やっぱりここは観光客でいっぱいです。サン・マルコ寺院の写真を撮ったり、歩き疲れた人がアクア・アルタ用の高床に腰掛けて休んでいたり、鳩を集めて写真を撮ったり。本当に広い場所なので、子どもが鳩を追いかけて走り回っても、人の邪魔になることがありません。わたしたちにとっては有難い場所でした。
観光客が多すぎて歩き難いので、地元に住む人たちはなるべくサン・マルコ界隈を避けて歩くのだそうです。(この感覚、わたしたちがパリでシャンゼリゼとかオペラ周辺を避けるのとよく似ています)
子どもに引かれて毎日通ったサン・マルコ広場でしたが、わたしも嫌々付き合ったわけではありませんでした。むしろ、引き寄せられていました。
観光の中心だからとか、写真で見慣れているからというだけでないのです。
この広場こそ、ヴェネツィアそのもの、街の象徴だと思いました。
サン・マルコ広場は、ヴェネツィアの中では一番広い広場です。
そして、この広場横の船着き場、ここがいわば街の正面玄関なのです。
街の玄関が海に向かって開いている、これがヴェネツィアです。
この広場にはサン・マルコ寺院とドゥカーレ宮殿があります。
サン・マルコ寺院は、ヴェネツィアの守護聖人であるサン・マルコが祀られている精神的な拠り所。一方ドゥカーレ宮殿は、現実の生活を舵取りをする行政機関です。
つまり、ここはヴェネツィアの心臓部です(でした)。
この心臓の在り方が、またヴェネツィアらしいなぁと思うのです。
他の街だったら、観光の目玉である宮殿や建物は、誰か特定の為政者や家族の繁栄を象徴するものであることが多いでしょう。栄華を誇った王様の豊かな暮らしぶりを見ることはあっても、行政府、立法府、司法府、果ては牢獄までをずらりと見て歩く機会はほとんどありません。でも、ここヴェネツィアのドゥカーレ宮殿はそういう場所なのです。このドージェ(国家元首)のための宮殿は、特定の個人ではなく、ドージェを頂くヴェネツィアという共同体の経済や社会システムを象徴しているのです。
同じことは、サン・マルコ寺院についても言えるように思います。
普通、大聖堂などの建築の壮麗さを目にすると、宗教界の豊かさ、あるいはそれを支えた為政者の富を感じます。でも、ことこの寺院について言えば、これは宗教界の富ではなくて、やぱりヴェネツィアという街の富を感じてしまうのです。
聖マルコが守護聖人になった経緯も、なんだかとてもヴェネツィアらしい。
ヴェネツィアのもともとの守護聖人は聖テオドーロでした。
でも、身も蓋もない言い方をすれば「聖テオドーロって誰?」というくらい、聖人としての知名度(地位)は低い。
そこに現れたのが聖マルコの聖遺物です。
もともと、当時イスラム教圏だったアレキサンドリアの教会にあったものでした。それが2人のヴェネツィア人の船乗りによってヴェネツィアに運び込まれました。それなりの対価を払って譲り受けて来たという説もあれば、厄難に乗じて盗み出して来たという説もあります。聖遺物をみすみす手放す教会があるとも考えられませんから、譲り受けるにしてもほとんど強奪に近かったのかもしれません。いずれにしても、聖遺物はヴェネツィア人の手にわたりました。そして、イスラム圏を不浄な豚肉に守られて通り抜け、無事にヴェネツィアに運び込まれたのでした。
ヴェネツィア人は熱狂を持ってこの位の高い聖人を迎え入れました。
そして作られたのがこの寺院(大聖堂)です。
聖マルコを象徴するのが翼のあるライオンで、これがそのままヴェネツィアの旗印となりました。
サン・マルコ広場の海を望む場所に高い2本の柱が立っており、一方にはこの獅子像が、もう一方には聖テオドールが乗っています。
ヴェニスの商人というと情け容赦のない金の亡者のようなイメージで、確かにそれがヨーロッパ人から見たヴェネツィア人の一面であったのかもしれません。けれども、決してそれだけではないだろう、金の亡者と言う以上に、非常に現実的で実際的な頭の持ち主だったのではないかと、このサン・マルコ広場を眺めていると思うのです。虚勢とか幻想とかに振り回されず、あくまでも冷静な人間観察に基づいて作られ運営された街なんじゃないだろうかと、わたしなぞは半ば羨望を込めて眺めてしまうのでした。
長くなってしまったので、肝心の寺院の話はまた次回に。
はて、いったい何時まで続くんだ、このシリーズ?ですよね。
もうちょっとだけお付き合い下さい。
by poirier_AAA
| 2011-12-03 20:59
| イタリア
|
Comments(8)
サンマルコ広場の上空をカモメが飛んでいるのも海への玄関口ならではですね。
リスボンも水辺に向かった広場がありましたよね。
カモメで思い出したのですが、コンスタンツに滞在していたとき、
ボーデン湖に面したバス通りにカモメが飛びこみ、車にぶつかった
のを見たことがあります。
ベネチアは車がいないから、鳥が交通事故にあうことはないですよね。
偉大なり、鳥の楽園ベネチア♪
リスボンも水辺に向かった広場がありましたよね。
カモメで思い出したのですが、コンスタンツに滞在していたとき、
ボーデン湖に面したバス通りにカモメが飛びこみ、車にぶつかった
のを見たことがあります。
ベネチアは車がいないから、鳥が交通事故にあうことはないですよね。
偉大なり、鳥の楽園ベネチア♪
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saheizi-inokori at 2011-12-04 17:08
人ごみのほとんどが観光客なんですか?浅草かな?あそこには広場は、あるにはあるなあ。
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poirier_AAA at 2011-12-05 17:09
>殿様、こんにちは。
この広場には鳩も雀もカモメも来ます。観光客の波の中を堂々と華麗に飛び回っていますよ。
今回は晴天続きで、青空にカモメの白が映えていました。そんなカモメの写真、たくさん撮ってしまいました。
この広場には鳩も雀もカモメも来ます。観光客の波の中を堂々と華麗に飛び回っていますよ。
今回は晴天続きで、青空にカモメの白が映えていました。そんなカモメの写真、たくさん撮ってしまいました。
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poirier_AAA at 2011-12-05 17:13
>saheiziさん、こんにちは。
ほとんどが観光客だと思います。(これで閑散期なり)
日本人って広場を作りたがりませんし、使い方も下手だなぁと思います。浅草も浅草寺の境内がなければ人のくつろげる場所がありませんし。広場の文化じゃないんでしょうね。どうしてこんなに違いがあるのか、不思議です。
ほとんどが観光客だと思います。(これで閑散期なり)
日本人って広場を作りたがりませんし、使い方も下手だなぁと思います。浅草も浅草寺の境内がなければ人のくつろげる場所がありませんし。広場の文化じゃないんでしょうね。どうしてこんなに違いがあるのか、不思議です。
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ayusham at 2011-12-05 18:54
彼は聖テオドーロだったんですね。多分住民に聞いても「潮干狩りをしてる人?」と答えると思います。知名度低過ぎです。
ヴェネツィアでは大事なお客様を迎える時はこの正面玄関からお迎えをします。夏にパパ(ローマ法王)が来られた時もここからでした。サルコジさんはジュデッカ止まりでしたが、混乱を避ける為とのことでした。
ヴェネツィアでは大事なお客様を迎える時はこの正面玄関からお迎えをします。夏にパパ(ローマ法王)が来られた時もここからでした。サルコジさんはジュデッカ止まりでしたが、混乱を避ける為とのことでした。
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poirier_AAA at 2011-12-05 19:11
>ayushamさん、こんにちは。
わたしもwikiの受け売りなので、本当かどうかはわかりません。遠くて細部がよく見えませんしね。確かに、釣りに行く人にも見えます。(聖テオドーロ、怒らないでね)
この広場、現役で使われてるのがいいですね。サルコジ閣下のことは‥‥一番良い場所に行かれなくて残念でしたね、とだけ。
ayushaさんに送ってもらった雨雲がこの週末は大活躍で、昨日は暗くて寒い日曜日でした。旅行中、あんなに晴れ続きだったなんて信じられない。本当に運が良かったと思います。
わたしもwikiの受け売りなので、本当かどうかはわかりません。遠くて細部がよく見えませんしね。確かに、釣りに行く人にも見えます。(聖テオドーロ、怒らないでね)
この広場、現役で使われてるのがいいですね。サルコジ閣下のことは‥‥一番良い場所に行かれなくて残念でしたね、とだけ。
ayushaさんに送ってもらった雨雲がこの週末は大活躍で、昨日は暗くて寒い日曜日でした。旅行中、あんなに晴れ続きだったなんて信じられない。本当に運が良かったと思います。
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ayusham at 2011-12-05 19:43
ははは釣吉三平に見えて来ました。このアニメ、日本では生まれる前だったので見たことないのですが、イタリアで大人気です。税関岬のてっぺんの像は見ましたか?私はあれが花笠音頭に見えてしょうがないんです。
梨の木さんは晴れ女確定です。もう、今日からゴルバチョフ帽を出しましたよ。
梨の木さんは晴れ女確定です。もう、今日からゴルバチョフ帽を出しましたよ。
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poirier_AAA at 2011-12-05 20:04
>ayushaさん、
釣り吉三平のことは名前だけは知っているけど、税関岬の像のことはしりません〜。イタリアでも日本のアニメは人気ですか。フランスも本屋には日本の漫画コーナーが別枠であるくらい大人気です。
わたしって晴れ女なの、と口に出した瞬間に天気運が全部飛び去っていくような気がするので、わたしは絶対自分ではそう思わないことにしました。あくまでも、うわぁ晴れてラッキーという謙虚な気持ちでいきたい。
ところで、ゴルバチョフ帽って可笑しすぎです。単語の意味がわからなくて、最初にゴルバチョフを思い浮かべて、そこに帽子をかぶせてみてようやく帽子の形状がわかりました。もう帽子とゴルバチョフの顔は切り離せません。困ったなぁ。
釣り吉三平のことは名前だけは知っているけど、税関岬の像のことはしりません〜。イタリアでも日本のアニメは人気ですか。フランスも本屋には日本の漫画コーナーが別枠であるくらい大人気です。
わたしって晴れ女なの、と口に出した瞬間に天気運が全部飛び去っていくような気がするので、わたしは絶対自分ではそう思わないことにしました。あくまでも、うわぁ晴れてラッキーという謙虚な気持ちでいきたい。
ところで、ゴルバチョフ帽って可笑しすぎです。単語の意味がわからなくて、最初にゴルバチョフを思い浮かべて、そこに帽子をかぶせてみてようやく帽子の形状がわかりました。もう帽子とゴルバチョフの顔は切り離せません。困ったなぁ。