2011年 09月 01日
雑感 |
今日、わたしはちょっと怒っているのです。
このところずっと「心の平安」を呪文のように唱えて静かに生活してきたのに、今日はまた怒りがふつふつと沸き上がってきて、心が騒いで落ち着きません。
放射能を避けるため、福島から山形に一時的に避難されたご家族のお母さんが、こんなことを書いておられました。
窓を開けて寝たら、部屋へ入ってきた風と、たくさんの蝉の声に起こされました。
幸せ過ぎて、娘たちの寝顔を見ながら泣きました。
何も気にせず窓を開けられる幸せと引き換えにした、夫との暮らし。
このご家族は、母子だけが移動し、お父さんだけ福島に残って働いておられます。何も気にせずに窓を開けられた、ただそれだけで幸福で涙が出てくるような張りつめた生活を、3月以降ずっと続けて来られたご家族です。
安心して窓を開けられない生活、子どもに外遊びをさせられない場所での生活、食べ物を1つ買うために、散々悩まなければならない生活、子どもの健康のために家族が離れて暮らさなければならない社会、そういうものがどれだけ不自然で非人間的なことか。一体この異常な状態を、日本という社会はきちんと理解しているんだろうか、そう考え始めたら、悲しくて情けなくて、無性に腹が立ちました。
人間は自然のごく小さな一部分にすぎません。わたしたちすべて、自然に生かしてもらっている。
安全に設計したから大丈夫だとか、耐震チェックをしたから大丈夫だとか、このくらいの放射線量なら健康にただちに被害はないだとか、人はいろいろなことを言ってきました。人を相手になら、人はどんな嘘でもつけます。ごまかしだっていえます。誤摩化して、適当なことを言って、相手がころりと騙されてくれたらこっちのもの。そんないい加減なことばかり続けてきました。でも、人は騙せても自然は騙せません。口ばっかりの安全の化けの皮は、大地がちょいと揺れれば簡単に剥がれてしまう。生物であるわたしたちは、外界から何かしらの影響を受ければ、それに対して体が反応するように出来ている。放射能を浴びれば、浴びた量だけ体が反応するのです。人間なんぞがいくら表面を厚塗りして取り繕ったところで、駄目なものは駄目、自然の営みに反するものは必ず破綻します。
あれだけのことがあって、たくさんの日本人が「ああ、あんな生活を続けてきたツケがまわってきたんだ。なんとかしなきゃ」と感じたはずなのに、企業も政治も、未だにこれまでのベクトルを変えようとしない、その心の硬直ぶりが情けないのです。頑に現実を見ようとしない、その弱腰ぶりに腹が立ってたまらないのです。一人一人を見たら素晴らしい人がたくさんいるのに、どうして団体になると人間性をなくしてしまうんですか?日本人って。
今日はまた、沖縄で市販された腐葉土から高い放射線量が検出されたというニュースを目にしました。大丈夫なはずはないと思っていたのです。結局うやむやになって、どんどんと消費者の目の届かないところに入り込んでいくんでしょう。それで本当にいいのかという真剣な議論もほとんど交わされないままに、事はどんどんと先に進んでいきます。
結局のところ、あれだけの経験をしても日本は何も変わらなかったのか。
もう自らを変える力もなくしてしまったのか。
日本人はここまで地に落ちたか。
そういう気持ちでいっぱいなのです。
横っ面を張り倒せば気がつくというなら、何度でも手が真っ赤に腫れ上がるくらい叩きます。でも、問題は張り倒しても届かないくらい遠い世界に、相手が足を踏み入れてしまっているかもしれないということです。もうとりかえしがつかないところまで来てしまっているのだろうか?そうなのか?考え始めると他の事が手に付かなくなるくらい不安が大きくなります。
日本よ、日本よ、お前はどこに行く?
お前の明るい未来って何だ?
怒って、悲しんで、それから祈ります。
今日は暗い話になってしまって申し訳ありません。
追伸:そうそう、今日こんなに情けない気持ちになった原因の1つ。新首相がどぜうを例えに使ったため、マスコミがどぜうの取材に行ったという話を読んだこと。マスコミがこんなに“お花畑”的発想で仕事していられるなんて、大きな自然災害も原発事故もあったけど日本ってすっごく、すっごく平和な国なのねぇ。
このところずっと「心の平安」を呪文のように唱えて静かに生活してきたのに、今日はまた怒りがふつふつと沸き上がってきて、心が騒いで落ち着きません。
放射能を避けるため、福島から山形に一時的に避難されたご家族のお母さんが、こんなことを書いておられました。
窓を開けて寝たら、部屋へ入ってきた風と、たくさんの蝉の声に起こされました。
幸せ過ぎて、娘たちの寝顔を見ながら泣きました。
何も気にせず窓を開けられる幸せと引き換えにした、夫との暮らし。
このご家族は、母子だけが移動し、お父さんだけ福島に残って働いておられます。何も気にせずに窓を開けられた、ただそれだけで幸福で涙が出てくるような張りつめた生活を、3月以降ずっと続けて来られたご家族です。
安心して窓を開けられない生活、子どもに外遊びをさせられない場所での生活、食べ物を1つ買うために、散々悩まなければならない生活、子どもの健康のために家族が離れて暮らさなければならない社会、そういうものがどれだけ不自然で非人間的なことか。一体この異常な状態を、日本という社会はきちんと理解しているんだろうか、そう考え始めたら、悲しくて情けなくて、無性に腹が立ちました。
人間は自然のごく小さな一部分にすぎません。わたしたちすべて、自然に生かしてもらっている。
安全に設計したから大丈夫だとか、耐震チェックをしたから大丈夫だとか、このくらいの放射線量なら健康にただちに被害はないだとか、人はいろいろなことを言ってきました。人を相手になら、人はどんな嘘でもつけます。ごまかしだっていえます。誤摩化して、適当なことを言って、相手がころりと騙されてくれたらこっちのもの。そんないい加減なことばかり続けてきました。でも、人は騙せても自然は騙せません。口ばっかりの安全の化けの皮は、大地がちょいと揺れれば簡単に剥がれてしまう。生物であるわたしたちは、外界から何かしらの影響を受ければ、それに対して体が反応するように出来ている。放射能を浴びれば、浴びた量だけ体が反応するのです。人間なんぞがいくら表面を厚塗りして取り繕ったところで、駄目なものは駄目、自然の営みに反するものは必ず破綻します。
あれだけのことがあって、たくさんの日本人が「ああ、あんな生活を続けてきたツケがまわってきたんだ。なんとかしなきゃ」と感じたはずなのに、企業も政治も、未だにこれまでのベクトルを変えようとしない、その心の硬直ぶりが情けないのです。頑に現実を見ようとしない、その弱腰ぶりに腹が立ってたまらないのです。一人一人を見たら素晴らしい人がたくさんいるのに、どうして団体になると人間性をなくしてしまうんですか?日本人って。
今日はまた、沖縄で市販された腐葉土から高い放射線量が検出されたというニュースを目にしました。大丈夫なはずはないと思っていたのです。結局うやむやになって、どんどんと消費者の目の届かないところに入り込んでいくんでしょう。それで本当にいいのかという真剣な議論もほとんど交わされないままに、事はどんどんと先に進んでいきます。
結局のところ、あれだけの経験をしても日本は何も変わらなかったのか。
もう自らを変える力もなくしてしまったのか。
日本人はここまで地に落ちたか。
そういう気持ちでいっぱいなのです。
横っ面を張り倒せば気がつくというなら、何度でも手が真っ赤に腫れ上がるくらい叩きます。でも、問題は張り倒しても届かないくらい遠い世界に、相手が足を踏み入れてしまっているかもしれないということです。もうとりかえしがつかないところまで来てしまっているのだろうか?そうなのか?考え始めると他の事が手に付かなくなるくらい不安が大きくなります。
日本よ、日本よ、お前はどこに行く?
お前の明るい未来って何だ?
怒って、悲しんで、それから祈ります。
今日は暗い話になってしまって申し訳ありません。
追伸:そうそう、今日こんなに情けない気持ちになった原因の1つ。新首相がどぜうを例えに使ったため、マスコミがどぜうの取材に行ったという話を読んだこと。マスコミがこんなに“お花畑”的発想で仕事していられるなんて、大きな自然災害も原発事故もあったけど日本ってすっごく、すっごく平和な国なのねぇ。
by poirier_AAA
| 2011-09-01 21:41
| 世情を考える
|
Comments(4)
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by
saheizi-inokori at 2011-09-02 10:51
どんどん忘れたがっているのです。
なかったことにしたいと、気持は分かるけれど、許せるものではないです。
なかったことにしたいと、気持は分かるけれど、許せるものではないです。
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by
poirier_AAA at 2011-09-02 18:41
>saheiziさん、こんにちは。
わたし自身にも、なかったことにしてすっかり忘れて生活したいという気持ちがあって、それが忘れちゃいけないという気持ちをしきりと和らげようとするのです。自分がそうだから、人のことに余計腹が立つのかもしれません。
わたし自身にも、なかったことにしてすっかり忘れて生活したいという気持ちがあって、それが忘れちゃいけないという気持ちをしきりと和らげようとするのです。自分がそうだから、人のことに余計腹が立つのかもしれません。
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by
coco
at 2011-09-03 18:59
x
そうそう、お花畑が大好きなのですよ。だってどんな
場面でも好かれる言葉は“臭い物には蓋をしろ”
“長いものには巻かれろ”“出る杭は打たれる”
ですもん。子供でも知ってる言葉ですよね。
知ってる、でも見ないフリをして大切な事は考えない
ようにする。そうすれば何の問題もないって事です・・・
この、福島のお母さんの言葉にギューっと苦しくなって
しましました。切実な母の気持ちですよね。
子供たちにつけばっかり払わせてるこの世界は本当に
どうなっていくんでしょうか??
野田と言えば、増税(消費税&復興税)に関して
こんな事言ってました。
私達の子供たちにばかりつけを払わせるような事は
いかがなものかと思います。
だって・・・おいおい、まずお金ですか?
場面でも好かれる言葉は“臭い物には蓋をしろ”
“長いものには巻かれろ”“出る杭は打たれる”
ですもん。子供でも知ってる言葉ですよね。
知ってる、でも見ないフリをして大切な事は考えない
ようにする。そうすれば何の問題もないって事です・・・
この、福島のお母さんの言葉にギューっと苦しくなって
しましました。切実な母の気持ちですよね。
子供たちにつけばっかり払わせてるこの世界は本当に
どうなっていくんでしょうか??
野田と言えば、増税(消費税&復興税)に関して
こんな事言ってました。
私達の子供たちにばかりつけを払わせるような事は
いかがなものかと思います。
だって・・・おいおい、まずお金ですか?
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by
poirier_AAA at 2011-09-04 01:01
>cocoさん、こんにちは。
意図しているのかしていないのか、自覚しているのか無感覚なのか全く想像がつきませんが、日本のマスコミのやり方って本当に人を馬鹿にしていると思います。考え始めると、腹が立って腹が立ってたまりません。
子どもを大切にしない国(甘やかすってことではありませんよ)では、大人だって将来に対する希望が持てないんじゃないでしょうか。日本はどんどんとそういう国になっているような気がします。政治家は全く気がついていないようですけれど。
意図しているのかしていないのか、自覚しているのか無感覚なのか全く想像がつきませんが、日本のマスコミのやり方って本当に人を馬鹿にしていると思います。考え始めると、腹が立って腹が立ってたまりません。
子どもを大切にしない国(甘やかすってことではありませんよ)では、大人だって将来に対する希望が持てないんじゃないでしょうか。日本はどんどんとそういう国になっているような気がします。政治家は全く気がついていないようですけれど。