2011年 08月 17日
安全って何だ |
ポルトガルでの滞在先は田舎だったので、ほとんどすべての人が庭付き一戸建てに住んでいる。その庭の片隅には家庭菜園が作られていることが多くて、キャベツとかトマトとか果樹を植えている人が多い。トマトだけじゃなく、無花果やら桃やらみかんやらまで貰った。そんな自宅で穫れた作物をくれる時、みんな誇らしげに言う。
これは100%BIO(ビオ)だよ。
つまり農薬も使っていないから、これ以上安全なものはないよ、と言いたいのだ。
でも311以降ずいぶんいろいろなことを知ってしまったわたしは、内心でこうつぶやかないでいられないのだった。
本当に安全なんてものが、この地上に存在するんだろうか?
ポルトガルでは何人もの人から「日本の家族は大丈夫?」と心配してもらった。でも彼らが頭に思い浮かべているのは、あのすごい津波の映像とそれによって破壊されてしまった街の姿なのだと、少し話をしているうちにわかってきた。原発事故があったことは多分知っているんだろうけれど、映像の方がよほどショックが大きかったと見える。あるいは原発を持たない国だからこその余裕なんだろうか?
わたしの家族が住んでいるところは、確かにかなり揺れたけれど家が壊れるほどではなかったし、津波の被害もまったくありませんでした。
そう伝えると、一様にほっとして「よかった」と言われた。心配してくれてありがとうございます、とは言うけれど、「良かった」なんて簡単には言えないよ。自分の家族だけ心配していればそれでいいような、そんな程度の話ではないもの。そして、災害に追い討ちをかけるように原発事故が重くのしかかっているのだもの。
普段からユーモア混じりで言い難いこともズバズバ口に出してしまうフランス人ムッシューが、津波の凄さについて興奮して語っているポルトガル人マダムの隣で、笑みをたたえながらさらりと言った。
津波や地震では確かに日本は大変だったけど、その後の事故ではボクたちみんな同じ立場だよね。風や海が運んでくれるからさ。
そうなのだ。本当にそうなのだ。でも彼以外、そういう話を敢えてする人はいなかった。日本人のわたしがいる前ではしないようにしてくれているのか、それとも距離的に十分離れているから大丈夫と安心しているのか、そこのところはよくわからない。
3週間、ネット環境があまり良くなかったので、ブログをアップしてメールをチェックする以外は日本のニュースを追う余裕もなかった。久しぶりに腰を据えて3週間分の(主に原発関係の)ニュースをチェックするも、なんだか一時の勢いが無くなっているような困惑を覚える。
放射能に汚染されているかもしれない食品とどうつきあっていくか、家族の食事をどうするか、避難するべきかどうか、あるいは避難しないでどう生活していくか。それは極めて個人的な問題ではあるけれど、ここまで汚染が広がっている状況では個人でできることにも限界がある。そういう限界を見極めて対策を考えるのが自治体であり国の仕事であるはずなのに、そちらの動きは一体あるのやらないのやら。そうしてマスコミははやくも「これまで通り」の調子を取り戻している。
意識して気にしなければ、もう原発事故はなかったか、あるいはほとんど問題がなくなったかのようにすら見える。これが日本の空気に直接触れていない外側の人間から見た(いわゆるマスコミ通しての)印象。住んでいる人たちの間には、もっと微妙な空気が流れているのだろうけれど、それは外側には伝わって来ない。一国の将来を左右するような大変な話なはずなのに、すでに311の1ヶ月後のような熱さや求心力は失われて、個人的な問題として分断されてしまったような、つかみどころのなさも感じる。実際のところはどうなんだろう?
ポルトガルからパリにドライヴ中、車窓からこんなものが目に入って思わずパチリ。 フランスの肥沃な、緑溢れるのどかな大地に、猛毒を作り続ける発電所が普通にあることの怖さ。
これは100%BIO(ビオ)だよ。
つまり農薬も使っていないから、これ以上安全なものはないよ、と言いたいのだ。
でも311以降ずいぶんいろいろなことを知ってしまったわたしは、内心でこうつぶやかないでいられないのだった。
本当に安全なんてものが、この地上に存在するんだろうか?
ポルトガルでは何人もの人から「日本の家族は大丈夫?」と心配してもらった。でも彼らが頭に思い浮かべているのは、あのすごい津波の映像とそれによって破壊されてしまった街の姿なのだと、少し話をしているうちにわかってきた。原発事故があったことは多分知っているんだろうけれど、映像の方がよほどショックが大きかったと見える。あるいは原発を持たない国だからこその余裕なんだろうか?
わたしの家族が住んでいるところは、確かにかなり揺れたけれど家が壊れるほどではなかったし、津波の被害もまったくありませんでした。
そう伝えると、一様にほっとして「よかった」と言われた。心配してくれてありがとうございます、とは言うけれど、「良かった」なんて簡単には言えないよ。自分の家族だけ心配していればそれでいいような、そんな程度の話ではないもの。そして、災害に追い討ちをかけるように原発事故が重くのしかかっているのだもの。
普段からユーモア混じりで言い難いこともズバズバ口に出してしまうフランス人ムッシューが、津波の凄さについて興奮して語っているポルトガル人マダムの隣で、笑みをたたえながらさらりと言った。
津波や地震では確かに日本は大変だったけど、その後の事故ではボクたちみんな同じ立場だよね。風や海が運んでくれるからさ。
そうなのだ。本当にそうなのだ。でも彼以外、そういう話を敢えてする人はいなかった。日本人のわたしがいる前ではしないようにしてくれているのか、それとも距離的に十分離れているから大丈夫と安心しているのか、そこのところはよくわからない。
3週間、ネット環境があまり良くなかったので、ブログをアップしてメールをチェックする以外は日本のニュースを追う余裕もなかった。久しぶりに腰を据えて3週間分の(主に原発関係の)ニュースをチェックするも、なんだか一時の勢いが無くなっているような困惑を覚える。
放射能に汚染されているかもしれない食品とどうつきあっていくか、家族の食事をどうするか、避難するべきかどうか、あるいは避難しないでどう生活していくか。それは極めて個人的な問題ではあるけれど、ここまで汚染が広がっている状況では個人でできることにも限界がある。そういう限界を見極めて対策を考えるのが自治体であり国の仕事であるはずなのに、そちらの動きは一体あるのやらないのやら。そうしてマスコミははやくも「これまで通り」の調子を取り戻している。
意識して気にしなければ、もう原発事故はなかったか、あるいはほとんど問題がなくなったかのようにすら見える。これが日本の空気に直接触れていない外側の人間から見た(いわゆるマスコミ通しての)印象。住んでいる人たちの間には、もっと微妙な空気が流れているのだろうけれど、それは外側には伝わって来ない。一国の将来を左右するような大変な話なはずなのに、すでに311の1ヶ月後のような熱さや求心力は失われて、個人的な問題として分断されてしまったような、つかみどころのなさも感じる。実際のところはどうなんだろう?
ポルトガルからパリにドライヴ中、車窓からこんなものが目に入って思わずパチリ。
by poirier_AAA
| 2011-08-17 10:41
| 世情を考える
|
Comments(6)
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coco
at 2011-08-17 17:29
x
梨の木さん、根っこまで傷ついてますね・・私も同じです。
ポルトガルの片にこんな事言われて、普通なら“まぁ、
こんな離れた国の人までも心配してくれて”ってきっと
嬉しくなるところですが、私も辛らつに捉えてしまいます。
なにをのんきな事言ってるんだ、こちとらまだまだ落ち着か
ない日々を送ってるんだぜってね。
でも、だれがそれをわかってくれるでしょうか。。国内
さえもみんな既にそんな事故があったなんて忘れてしまった
かのような状態なのに。。初めに気をもんでいた通りになり
ましたね。。すべてがあっという間に“普通”に戻って
しまいましたよ。ごくごくわずかな人達を残して。
上の発言だけみるとさすがフランス人って感じはしますけれ
どねー。
ポルトガルの片にこんな事言われて、普通なら“まぁ、
こんな離れた国の人までも心配してくれて”ってきっと
嬉しくなるところですが、私も辛らつに捉えてしまいます。
なにをのんきな事言ってるんだ、こちとらまだまだ落ち着か
ない日々を送ってるんだぜってね。
でも、だれがそれをわかってくれるでしょうか。。国内
さえもみんな既にそんな事故があったなんて忘れてしまった
かのような状態なのに。。初めに気をもんでいた通りになり
ましたね。。すべてがあっという間に“普通”に戻って
しまいましたよ。ごくごくわずかな人達を残して。
上の発言だけみるとさすがフランス人って感じはしますけれ
どねー。
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poirier_AAA at 2011-08-17 20:46
>cocoさん、
多分、受け取った情報量の違いと切実さの違いなんだろうなぁと思いました。彼らだって、あの映像を見て震撼したのは確かなんです。ただ彼らにとっては人の国の問題であり、わたしにとっては故郷が今後どうなるのかという切実な問題で、しかも日本の現状についての知識は彼らとは比べものにならないから、同じ土台で話し合うこともできません。苛立ちも悲しみも不安も、どうやったら伝えられるだろうかと考えあぐね、結局多くを語れませんでした。
まだ半年も経っていないというのに、どんどん個人個人の傷と化して心の中にしまい込まれて表面に出て来なくなり、皆が表面上は“これまでどおり”の生活に戻っているような印象です。でも、胸にしまい込む前にどうしてもやっておかなければならないことがあるだろう、今考えて向かい合っておかないとこの後ずっと後悔することになるんじゃないかと思うんですよ。
多分、受け取った情報量の違いと切実さの違いなんだろうなぁと思いました。彼らだって、あの映像を見て震撼したのは確かなんです。ただ彼らにとっては人の国の問題であり、わたしにとっては故郷が今後どうなるのかという切実な問題で、しかも日本の現状についての知識は彼らとは比べものにならないから、同じ土台で話し合うこともできません。苛立ちも悲しみも不安も、どうやったら伝えられるだろうかと考えあぐね、結局多くを語れませんでした。
まだ半年も経っていないというのに、どんどん個人個人の傷と化して心の中にしまい込まれて表面に出て来なくなり、皆が表面上は“これまでどおり”の生活に戻っているような印象です。でも、胸にしまい込む前にどうしてもやっておかなければならないことがあるだろう、今考えて向かい合っておかないとこの後ずっと後悔することになるんじゃないかと思うんですよ。
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kanafr at 2011-08-18 06:57
どの国の人も捉え方は一緒なんですね。
日本だけの、福島だけの問題じゃない。しかも福島以前にフランスや中国、アメリカでガンガンやった核実験ですでに地球上のどこもかしこも汚染されているのに、全ての汚染の起こりは今や3・11に集約されたかのようになっているんですね。それで自分の所は安全と思いこみ、地球環境に対する考えも子どもの未来の事も何も深く考えず、やり方も思考も変えず、昨日と変わらない生活をする、他の事は見ないようにする、っていうのが人間の心理なんでしょうね。だから今日も自分の国には事故は起きない、同じ日本でも自分の所は、ストレステストをしたから大丈夫って思いこむ、イヤ思いこむように操作されたかなって思うんです。
日本だけの、福島だけの問題じゃない。しかも福島以前にフランスや中国、アメリカでガンガンやった核実験ですでに地球上のどこもかしこも汚染されているのに、全ての汚染の起こりは今や3・11に集約されたかのようになっているんですね。それで自分の所は安全と思いこみ、地球環境に対する考えも子どもの未来の事も何も深く考えず、やり方も思考も変えず、昨日と変わらない生活をする、他の事は見ないようにする、っていうのが人間の心理なんでしょうね。だから今日も自分の国には事故は起きない、同じ日本でも自分の所は、ストレステストをしたから大丈夫って思いこむ、イヤ思いこむように操作されたかなって思うんです。
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saheizi-inokori at 2011-08-18 09:16
北海道の泊原発が再稼働を始めました。
今までと違うのは目の前に避難者の生きる様や被曝者の様子がみえること。
それが風化を防ぐのではないでしょうか。
仕方がない、なかったことにしよう、は許されないです。
今までと違うのは目の前に避難者の生きる様や被曝者の様子がみえること。
それが風化を防ぐのではないでしょうか。
仕方がない、なかったことにしよう、は許されないです。
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poirier_AAA at 2011-08-18 21:25
>kanafrさん、こんにちは。
自分の頭の中で起っていることを考えてもそうなんですが、人間って安心を切望しているんだと思います。安心できない状態=非常時というのは短いからこそ対応できるので、それが長く続くとだんだんと心に歪みが生まれてきます。それが苦しくてたまらないから、少しでも安心材料を見つけて「いつもと同じ」「大丈夫」と思い込もうとする。それが多分人間の普通の反応なんでしょうね。
安全なんて、結局相対的なものでしかないのが現代なのかなと思いますよ。
自分の頭の中で起っていることを考えてもそうなんですが、人間って安心を切望しているんだと思います。安心できない状態=非常時というのは短いからこそ対応できるので、それが長く続くとだんだんと心に歪みが生まれてきます。それが苦しくてたまらないから、少しでも安心材料を見つけて「いつもと同じ」「大丈夫」と思い込もうとする。それが多分人間の普通の反応なんでしょうね。
安全なんて、結局相対的なものでしかないのが現代なのかなと思いますよ。
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poirier_AAA at 2011-08-18 21:36
>saheiziさん、こんにちは。
本当に見えているんでしょうか?見えているなら、どうしてこんなに簡単に再稼働に踏み切れるのだろうと思います。あんなことのあとでも、安全に運転できるかどうかだけが問題にされているのがもどかしいです。
本当に見えているんでしょうか?見えているなら、どうしてこんなに簡単に再稼働に踏み切れるのだろうと思います。あんなことのあとでも、安全に運転できるかどうかだけが問題にされているのがもどかしいです。