2011年 06月 07日
親の気持ち |
親なので、子どもに注意したり叱ったりは日常茶飯事です。
でも、当たり前だけれど、親だって怒りたくて怒っているわけじゃない。人の行動にあれこれと細かいことを言うのは疲れるし気分も悪いです。「いい加減にしなさい」と言うそのこころは、なぜ言ってもわからないのだという相手に対する苛立と、こんな不愉快な仕事は続けたくないよぉという泣き言の両方だと思います。
ときどき子ども相手に言ってしまいます。
あのね、あなたたちは今、ママンに怒られてイヤだなぁって思ってるでしょ。
ママンって口うるさくってイヤだなぁって思うこともあるよね。
でも、ママンがいろいろ言うのはあなたたちが大事だからだよ。
どうなっちゃってもいいやと思っている子なら、別に注意なんかしないの。
危ないことをしているなとわかっても、放っておきます。
でも、あなたたちのことが大事だから、
怪我をしたり、人に怪我をさせたり、
何かが出来なくて困ったり、そのせいで人に迷惑をかけてしまったら困るから、
だから、こうやって今、うるさく注意しているの。
ママンだけじゃないよ。先生もそう。他の大人もそう。
あなたたちの事を叱ったり、注意したり、いろいろと言ってくれる人は、
あなたたちのことを大事に思ってくれる人なんだよ。
だからそういう人たちの話はきちんと聞きなさい。
あなたたちが悪い子だから注意しているんじゃない。
怒るのが楽しいからしているわけでもない。
子どもが知らない事はたくさんあって、
やってはいけないこともわからないし、
いろいろな約束事も知らない。
だから大人は子どもが間違っていれば教えなきゃいけない。
子どもがきちんとわかるまで、何度でも繰り返して注意するんだよ。
知ってる?大人になったら、もう誰も何も言ってくれないよ。
間違ったことをしても、危ないことをしても、全部自分の責任なの。
だからね、
人にいろいろ言ってもらえるうちに、きちんと話を聞いておきなさい。
叱られるのは、それだけ大事にしてもらっているからだと思いなさい。
こういうのって自己弁護的だよなぁと思わないでもありません。でも、大人になったら自分のことは自分で責任をとるしかないというのは事実だし。それに特に親になってから思うのです。あぁもう誰もわたしを叱ってくれる人はいない、自分で自分を律するしかないんだ、と。あなたのここがおかしい、そんなことじゃいけないと真剣に怒ってくれる友人でも持てればいいけれど、そこまで相手に踏み込むことを良しとしない人もいる。だからつくづく、怒ってくれる人があるって幸せなことだったんだなぁと思うのです。
で、どうしてこんなことを書いているかというと、最近日本のニュースをみても全然怒れなくなってしまった自分に気がついたからなのでした。最初の2ヶ月少しは、ショックを受け、怒り、震え上がり、不安に苛まれ、興奮し、落ち込みと、それはそれは心が騒がしかった。それがどうです。民主党の菅降ろしのドタバタを眺め、青森県知事選の結果を知り、更に原発事故のショッキングな新事実を告げるニュースを読んでいる今、わたしの心はあんまり動かなくなってしまいました。もう、どんなことを聞いても驚かない、そのくらい怒りが鈍くなっています。
もちろん、日本に暮らす人たちのことは相変わらず思い続けているのです。自分の考えははっきりしているから、機会があれば迷わず意見も言うと思います。でも、もう日本という国(政府)に対しては怒る気をなくしちゃったかもね、という気がするのです。
人も国も、心配して怒ってもらえるうちが花なんじゃないでしょうか。
政治家なら国民やジャーナリストから煩いことを言われているのが良いんですよ。
それを、どこをどう間違えたか、苦言を呈する人の口にガムテープを貼り、自分のやっていることが見えないように目隠しをするような悪知恵ばっかり働かせているわけです。最後には自分の首を絞めることになるとも気がつかない。自分を省みることを忘れた大馬鹿者ですよ。
あぁそうか。相手がきちんとした大人だと思うから話がおかしくなる。大きくなるまでほとんど躾らしい躾を受けて来なかった子どもが、恥じることも知らず、悪いことをしていることすら気がつかないで、親から巻き上げた大金を手にやりたい放題をつくしている、それが今の日本なんです。なりばかり大きくて満足に躾を受けていない子どもが、大人の社会で通用するはずもありません。人と満足な関係も築くこともできなければ、交渉もできない。そもそも何かやってもらってもお礼を言うことすら知らない。傲慢で鼻持ちならない、育ちの悪い子どもです。
こういう子どもをどうやってまともにしたらいいのか、ここは大人が本気で知恵を搾り、本気で相手をしてやるしか立ち直らせる方法はありません。こんなものだろうと甘く見て適当なことをしていたら、相手はずる賢くするりと逃げ出して、鼻でこちらをせせら笑うことでしょう。それではいけない。相手をがっちりと捕まえて、わかるまで諭すのが大人の責任です。
ついさっきまでは、怒りのエネルギーがなくなってしまったらもう国なんて動かせないと無力感で一杯だったのに、躾の悪い大きな子どもなんだと考え始めたら、不思議なことにもう一踏ん張りせねばなるまいという気持ちになってきました。親子の関係と同じようにナショナリティも簡単には放棄できません。いえ、書類上は出来るんだろうけれど、悪いことがたくさんあっても心情的に相手を突き放せないのです。愛着もあれば思い出もある、自分に責任があることもちゃんとわかっているからです。いやになる、いい加減にしろ、愛想が尽きた、それが正直なところでも、自分の子ならやっぱり放っては置けませんよ。体力(怒り)が十分になくても、親としてはしょぼい体力と気力を振り絞ってどうにかしてやらなければいけないんです。
どんなに子ども(政治家)が馬鹿の限りを尽くそうと、親としては頑としてここは譲らないんだからね、という態度で臨むのです。これからは、政治家=出来の悪い、躾に失敗した子ども、良識ある国民=大人、ということでいきましょう。子どもがわからないことは、もうしつこく、しつこく、耳にタコができるくらい繰り返して話し聞かせるのです。子どもの屁理屈に負けちゃいけないのです。子どもがどんな揺さぶりをかけて来ようと、親は絶対に揺るがないで頑張るのです。人間としてですね、絶対にやっちゃいけないことってあるではありませんか。そこを妥協したらいかんと思うのです。
というわけで、書き出しと一転して、馬鹿息子だけど見捨てないで躾を続けるのが自分の努めだわな、という親の気持ちで今日は締めくくりたいと思います。
でも、当たり前だけれど、親だって怒りたくて怒っているわけじゃない。人の行動にあれこれと細かいことを言うのは疲れるし気分も悪いです。「いい加減にしなさい」と言うそのこころは、なぜ言ってもわからないのだという相手に対する苛立と、こんな不愉快な仕事は続けたくないよぉという泣き言の両方だと思います。
ときどき子ども相手に言ってしまいます。
あのね、あなたたちは今、ママンに怒られてイヤだなぁって思ってるでしょ。
ママンって口うるさくってイヤだなぁって思うこともあるよね。
でも、ママンがいろいろ言うのはあなたたちが大事だからだよ。
どうなっちゃってもいいやと思っている子なら、別に注意なんかしないの。
危ないことをしているなとわかっても、放っておきます。
でも、あなたたちのことが大事だから、
怪我をしたり、人に怪我をさせたり、
何かが出来なくて困ったり、そのせいで人に迷惑をかけてしまったら困るから、
だから、こうやって今、うるさく注意しているの。
ママンだけじゃないよ。先生もそう。他の大人もそう。
あなたたちの事を叱ったり、注意したり、いろいろと言ってくれる人は、
あなたたちのことを大事に思ってくれる人なんだよ。
だからそういう人たちの話はきちんと聞きなさい。
あなたたちが悪い子だから注意しているんじゃない。
怒るのが楽しいからしているわけでもない。
子どもが知らない事はたくさんあって、
やってはいけないこともわからないし、
いろいろな約束事も知らない。
だから大人は子どもが間違っていれば教えなきゃいけない。
子どもがきちんとわかるまで、何度でも繰り返して注意するんだよ。
知ってる?大人になったら、もう誰も何も言ってくれないよ。
間違ったことをしても、危ないことをしても、全部自分の責任なの。
だからね、
人にいろいろ言ってもらえるうちに、きちんと話を聞いておきなさい。
叱られるのは、それだけ大事にしてもらっているからだと思いなさい。
こういうのって自己弁護的だよなぁと思わないでもありません。でも、大人になったら自分のことは自分で責任をとるしかないというのは事実だし。それに特に親になってから思うのです。あぁもう誰もわたしを叱ってくれる人はいない、自分で自分を律するしかないんだ、と。あなたのここがおかしい、そんなことじゃいけないと真剣に怒ってくれる友人でも持てればいいけれど、そこまで相手に踏み込むことを良しとしない人もいる。だからつくづく、怒ってくれる人があるって幸せなことだったんだなぁと思うのです。
で、どうしてこんなことを書いているかというと、最近日本のニュースをみても全然怒れなくなってしまった自分に気がついたからなのでした。最初の2ヶ月少しは、ショックを受け、怒り、震え上がり、不安に苛まれ、興奮し、落ち込みと、それはそれは心が騒がしかった。それがどうです。民主党の菅降ろしのドタバタを眺め、青森県知事選の結果を知り、更に原発事故のショッキングな新事実を告げるニュースを読んでいる今、わたしの心はあんまり動かなくなってしまいました。もう、どんなことを聞いても驚かない、そのくらい怒りが鈍くなっています。
もちろん、日本に暮らす人たちのことは相変わらず思い続けているのです。自分の考えははっきりしているから、機会があれば迷わず意見も言うと思います。でも、もう日本という国(政府)に対しては怒る気をなくしちゃったかもね、という気がするのです。
人も国も、心配して怒ってもらえるうちが花なんじゃないでしょうか。
政治家なら国民やジャーナリストから煩いことを言われているのが良いんですよ。
それを、どこをどう間違えたか、苦言を呈する人の口にガムテープを貼り、自分のやっていることが見えないように目隠しをするような悪知恵ばっかり働かせているわけです。最後には自分の首を絞めることになるとも気がつかない。自分を省みることを忘れた大馬鹿者ですよ。
あぁそうか。相手がきちんとした大人だと思うから話がおかしくなる。大きくなるまでほとんど躾らしい躾を受けて来なかった子どもが、恥じることも知らず、悪いことをしていることすら気がつかないで、親から巻き上げた大金を手にやりたい放題をつくしている、それが今の日本なんです。なりばかり大きくて満足に躾を受けていない子どもが、大人の社会で通用するはずもありません。人と満足な関係も築くこともできなければ、交渉もできない。そもそも何かやってもらってもお礼を言うことすら知らない。傲慢で鼻持ちならない、育ちの悪い子どもです。
こういう子どもをどうやってまともにしたらいいのか、ここは大人が本気で知恵を搾り、本気で相手をしてやるしか立ち直らせる方法はありません。こんなものだろうと甘く見て適当なことをしていたら、相手はずる賢くするりと逃げ出して、鼻でこちらをせせら笑うことでしょう。それではいけない。相手をがっちりと捕まえて、わかるまで諭すのが大人の責任です。
ついさっきまでは、怒りのエネルギーがなくなってしまったらもう国なんて動かせないと無力感で一杯だったのに、躾の悪い大きな子どもなんだと考え始めたら、不思議なことにもう一踏ん張りせねばなるまいという気持ちになってきました。親子の関係と同じようにナショナリティも簡単には放棄できません。いえ、書類上は出来るんだろうけれど、悪いことがたくさんあっても心情的に相手を突き放せないのです。愛着もあれば思い出もある、自分に責任があることもちゃんとわかっているからです。いやになる、いい加減にしろ、愛想が尽きた、それが正直なところでも、自分の子ならやっぱり放っては置けませんよ。体力(怒り)が十分になくても、親としてはしょぼい体力と気力を振り絞ってどうにかしてやらなければいけないんです。
どんなに子ども(政治家)が馬鹿の限りを尽くそうと、親としては頑としてここは譲らないんだからね、という態度で臨むのです。これからは、政治家=出来の悪い、躾に失敗した子ども、良識ある国民=大人、ということでいきましょう。子どもがわからないことは、もうしつこく、しつこく、耳にタコができるくらい繰り返して話し聞かせるのです。子どもの屁理屈に負けちゃいけないのです。子どもがどんな揺さぶりをかけて来ようと、親は絶対に揺るがないで頑張るのです。人間としてですね、絶対にやっちゃいけないことってあるではありませんか。そこを妥協したらいかんと思うのです。
というわけで、書き出しと一転して、馬鹿息子だけど見捨てないで躾を続けるのが自分の努めだわな、という親の気持ちで今日は締めくくりたいと思います。
by poirier_AAA
| 2011-06-07 21:07
| 世情を考える
|
Comments(8)
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saheizi-inokori at 2011-06-07 21:52
悩み多き毎日、無力感に陥ることも多いけれど、でも止めないでおこうと思います。
文句を云うのは権利でも義務でもあるような気がします。
文句を云うのは権利でも義務でもあるような気がします。
0
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poirier_AAA at 2011-06-07 22:43
>saheiziさん、
正直に言うとあまりの酷さにしらんぷりしたいくらいの気持ちです。でも、それをしたら国だけでなくて自分も裏切ることになると思うんです。
大事だと思うなら放り出さない。ということで、止めないでおきましょう。
正直に言うとあまりの酷さにしらんぷりしたいくらいの気持ちです。でも、それをしたら国だけでなくて自分も裏切ることになると思うんです。
大事だと思うなら放り出さない。ということで、止めないでおきましょう。
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stanislowski at 2011-06-08 22:33
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poirier_AAA at 2011-06-09 02:04
>stanislowskiさん、こんにちは。
“立派なお母さん”ではないと思います(笑)。母親が立派だったかどうかは、少なくとも子どもたちが成人してみないとわかりませんよね。
日本に対して怒れなくなっているのは事実なんですが、それでもこれが自分の子どもかと考えると諦めて投げ出してる場合じゃないよねと思うのです。だから、ため息はついているけれど、放り出すつもりはないですよ。ご安心を!
“立派なお母さん”ではないと思います(笑)。母親が立派だったかどうかは、少なくとも子どもたちが成人してみないとわかりませんよね。
日本に対して怒れなくなっているのは事実なんですが、それでもこれが自分の子どもかと考えると諦めて投げ出してる場合じゃないよねと思うのです。だから、ため息はついているけれど、放り出すつもりはないですよ。ご安心を!
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kanafr at 2011-06-09 03:08
私も今の日本の状態を見て、毎日ため息ついています。
どうしてこうも次々と情けなくなります。
怒ってもらえるうちが花なんですが、その怒りがどういう訳かあの子供大人達には通じないって言うのが情けない。
しかもやる事子供並みなのに、しっかりお金勘定はできちゃうんですからね。
やる事子供並みなんだから、国民の税金をこれ以上無駄遣いしない意味でもお給料子供料金でいいんじゃないでしょうか。
どうしてこうも次々と情けなくなります。
怒ってもらえるうちが花なんですが、その怒りがどういう訳かあの子供大人達には通じないって言うのが情けない。
しかもやる事子供並みなのに、しっかりお金勘定はできちゃうんですからね。
やる事子供並みなんだから、国民の税金をこれ以上無駄遣いしない意味でもお給料子供料金でいいんじゃないでしょうか。
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mikttymama at 2011-06-09 11:49
日本にいる私ですら、日本政府という子どもをネグレクトしたくなっている始末。
ましてや、海外から冷静な視点でこちらを心配しておられる梨の木さんは尚更なのではないかと思います。
これが子どもでなく夫であったなら、即離婚したいところですが、子どもならば見捨てるわけにはまいりませんね。
賢く、怒り続けることが親としての務め。
怒るにも限りない愛情と体力がいるなぁ。
ましてや、海外から冷静な視点でこちらを心配しておられる梨の木さんは尚更なのではないかと思います。
これが子どもでなく夫であったなら、即離婚したいところですが、子どもならば見捨てるわけにはまいりませんね。
賢く、怒り続けることが親としての務め。
怒るにも限りない愛情と体力がいるなぁ。
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poirier_AAA at 2011-06-09 16:05
>kanafrさん、こんにちは。
本当に、怒りよりため息の日々ですね。ため息をつくのは良くないっていうのに。
どこで読んだのだったか忘れてしまったんですが、今の政治家を「三塁に生まれた人たち」と評している人がいました。昔の政治家は自分で打って塁に出て三塁まで進むことが出来た。いまの政治家は生まれた時から既に三塁に居て、だから自分はすごい選手だと思い込んでいるけれど、実際は自力では前に進めない、点を入れる力のない人たちだ、と。その自覚すらできない情けない人たちです。
怒りが通じない相手に、どうやったらわからせられるか、頭の使いどころだと思っています。
本当に、怒りよりため息の日々ですね。ため息をつくのは良くないっていうのに。
どこで読んだのだったか忘れてしまったんですが、今の政治家を「三塁に生まれた人たち」と評している人がいました。昔の政治家は自分で打って塁に出て三塁まで進むことが出来た。いまの政治家は生まれた時から既に三塁に居て、だから自分はすごい選手だと思い込んでいるけれど、実際は自力では前に進めない、点を入れる力のない人たちだ、と。その自覚すらできない情けない人たちです。
怒りが通じない相手に、どうやったらわからせられるか、頭の使いどころだと思っています。
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poirier_AAA at 2011-06-09 16:25
>mikttymamaさん、こんにちは。
「これが夫だったら即離婚」というところで、思わずフッと笑ってしまいました。ほんとにそうですよね。契約相手だったら迷わず切り捨てたと思います。このもどかしさは完全に血縁関係なんです。
日本中世界中にいる“出来の悪い子どもを心配する親”たちが、何としても踏ん張って「駄目なことは駄目だ」と言い続けるしかないだろうと今は思います。小さな子どもを叱るのだって体力がいるんですもの、こんな大きな傲慢で畏れを知らぬ、しかも屁理屈ばかり上手い子どもを相手にするのは生半可な仕事ではないでしょうね。でも、親としては逃げちゃならない。
だから、心ある親たちが力を合わせて、お互いをサポートしながら続けましょう。駄目なものは絶対に駄目、許せないことは許せない、譲歩はしないのです。
「これが夫だったら即離婚」というところで、思わずフッと笑ってしまいました。ほんとにそうですよね。契約相手だったら迷わず切り捨てたと思います。このもどかしさは完全に血縁関係なんです。
日本中世界中にいる“出来の悪い子どもを心配する親”たちが、何としても踏ん張って「駄目なことは駄目だ」と言い続けるしかないだろうと今は思います。小さな子どもを叱るのだって体力がいるんですもの、こんな大きな傲慢で畏れを知らぬ、しかも屁理屈ばかり上手い子どもを相手にするのは生半可な仕事ではないでしょうね。でも、親としては逃げちゃならない。
だから、心ある親たちが力を合わせて、お互いをサポートしながら続けましょう。駄目なものは絶対に駄目、許せないことは許せない、譲歩はしないのです。