2010年 12月 18日
江雪 |
人間、前回の記事のような日常些末な視点ばかりではいかんのです。
海外に住んでいると、つい日本の詩歌などが懐かしく恋しく思われるものです。文春文庫plusの「教科書でおぼえた名詩」という文庫本をついふらりと買ってしまいました。教科書から厳選された詩歌が、特に解説などもなくジャンル、作者別に並んでいるだけという単純明快な作りです。作者・題名検索だけでなく、うろおぼえ検索などという便利なものもついています。
個人的にはちょっと「やわ」な感じがする本ではありましたが、久しぶりに読んで、あらためて良さを実感した作品もいくつかありました。そんな再発見を体験できるのが、こういった本のいいところです。
わたしが一番感動したのが、こちらの漢詩でした。
江雪 柳宗元
千山鳥飛ぶこと絶え せんざんとりとぶことたえ
万径人蹤滅す ばんけいじんしょうめっす
孤舟蓑笠の翁 こしゅうさしゅうのおきな
独り寒江の雪に釣る ひとりかんこうのゆきにつる
ちょっと震えが走るくらい凄い、他とはスケールが違うでしょ、と思いました。
まず出てくるのが「千山」、それから「万径」です。これらは実際の数の問題ではなくて「見渡す限りすべての」というような意味です。山という山、道という道ですから、いったいどこから眺めているのかと思ってしまうほどの、ちょっと想像を絶する広がりがあります。
で、そんな広がりの中に「鳥の姿が一つも見えない」「人の踏んだ跡も見えない」と続きます。広がりが広がりだっただけに、ここではある種の絶対的な無を感じます。草木と風があるだけの、荒涼とした風景です。
そんなマクロな視点から一転、一気にズームで舟にいる翁の姿を捉えます。
他には生き物の気配のない草木だけの世界に、ただひとつの舟。ただ独りの翁。その背景にあるのは寒江と雪ばかり。
広いところから一気に焦点を絞り込んでいくところは、さながら大空を舞う鷲かなにかの目を通して大地を見ているような気分になります。
そして使われている漢字がまたドラマチックです。
「千」や「万」は圧倒的な量、
「絶」や「滅」、「孤」「独」は限りなく完全な無で、
「翁」「寒」あるいは「雪」という漢字には、人生の冬といった温かみのない枯れた風情が漂います。
左遷された作者の心境を詠んだ作品ということで、そう思って読むと作者の感じていた孤独感やわびしさがひしひしと伝わってきます。(左遷された先の住人にしてみれば、詩に虚偽ありと言いたかったかも。いささか大袈裟な田舎の描写です)でもこの詩は作者の個人的な感情を超えていると、わたしなどは思ってしまいます。この、猛禽類が遥か天空から地上の小動物めがけて舞い降りてくるようなスピード感。圧倒的な自然は、釣り糸を垂らしてしばし命を生きている翁までもあっさりとその営みの一部にとりこんでしまいます。詠まれている内容はどこまでも静かなくせに中にはエネルギーが満ちているというような、不思議な熱さを感じる詩だとわたしは思います。
甘い恋の詩より、青春の迷いに満ちた詩より、雅な短歌より、俳句や五言絶句のきっぱりと潔いところに無性に心惹かれる今日この頃です。
海外に住んでいると、つい日本の詩歌などが懐かしく恋しく思われるものです。文春文庫plusの「教科書でおぼえた名詩」という文庫本をついふらりと買ってしまいました。教科書から厳選された詩歌が、特に解説などもなくジャンル、作者別に並んでいるだけという単純明快な作りです。作者・題名検索だけでなく、うろおぼえ検索などという便利なものもついています。
個人的にはちょっと「やわ」な感じがする本ではありましたが、久しぶりに読んで、あらためて良さを実感した作品もいくつかありました。そんな再発見を体験できるのが、こういった本のいいところです。
わたしが一番感動したのが、こちらの漢詩でした。
江雪 柳宗元
千山鳥飛ぶこと絶え せんざんとりとぶことたえ
万径人蹤滅す ばんけいじんしょうめっす
孤舟蓑笠の翁 こしゅうさしゅうのおきな
独り寒江の雪に釣る ひとりかんこうのゆきにつる
ちょっと震えが走るくらい凄い、他とはスケールが違うでしょ、と思いました。
まず出てくるのが「千山」、それから「万径」です。これらは実際の数の問題ではなくて「見渡す限りすべての」というような意味です。山という山、道という道ですから、いったいどこから眺めているのかと思ってしまうほどの、ちょっと想像を絶する広がりがあります。
で、そんな広がりの中に「鳥の姿が一つも見えない」「人の踏んだ跡も見えない」と続きます。広がりが広がりだっただけに、ここではある種の絶対的な無を感じます。草木と風があるだけの、荒涼とした風景です。
そんなマクロな視点から一転、一気にズームで舟にいる翁の姿を捉えます。
他には生き物の気配のない草木だけの世界に、ただひとつの舟。ただ独りの翁。その背景にあるのは寒江と雪ばかり。
広いところから一気に焦点を絞り込んでいくところは、さながら大空を舞う鷲かなにかの目を通して大地を見ているような気分になります。
そして使われている漢字がまたドラマチックです。
「千」や「万」は圧倒的な量、
「絶」や「滅」、「孤」「独」は限りなく完全な無で、
「翁」「寒」あるいは「雪」という漢字には、人生の冬といった温かみのない枯れた風情が漂います。
左遷された作者の心境を詠んだ作品ということで、そう思って読むと作者の感じていた孤独感やわびしさがひしひしと伝わってきます。(左遷された先の住人にしてみれば、詩に虚偽ありと言いたかったかも。いささか大袈裟な田舎の描写です)でもこの詩は作者の個人的な感情を超えていると、わたしなどは思ってしまいます。この、猛禽類が遥か天空から地上の小動物めがけて舞い降りてくるようなスピード感。圧倒的な自然は、釣り糸を垂らしてしばし命を生きている翁までもあっさりとその営みの一部にとりこんでしまいます。詠まれている内容はどこまでも静かなくせに中にはエネルギーが満ちているというような、不思議な熱さを感じる詩だとわたしは思います。
甘い恋の詩より、青春の迷いに満ちた詩より、雅な短歌より、俳句や五言絶句のきっぱりと潔いところに無性に心惹かれる今日この頃です。
by poirier_AAA
| 2010-12-18 11:10
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