2010年 09月 30日
岩城宏之「フィルハーモニーの風景」 |
岩城宏之さん(1932ー2006)の書かれた文章が面白いという話を聞きつけ、遅ればせながら読んでみました。手に入れた岩波新書の帯には「ご要望にお応えして アンコール復刊」と印刷してあります。初刊が1990年、わたしの買った本は2008年の第19刷。たくさんの人に読まれたということがわかる一方で、1990年初版の本はよほどの売れ行きでない限り、もう絶版扱いなのかという驚きも感じました。
この本には、指揮者として長年世界中のオーケストラや音楽家と関わってきた岩城さんが見聞きし体験した、クラシック音楽界のトップクラスの逸話がごろごろ出てきます。最初の章が「ウィーン・フィルの秘密」、次が「ベルリン・フィルの表情」。
定期公演の指揮者を団員の投票で選ぶのが習慣のウィーン・フィルは、スポンサーの圧力に屈して意に染まない指揮者を押し付けられたりすると、その指揮者を相手にしようとしないとか、逆に自分たちが尊敬して止まない指揮者が来ると、団員総立ちで拍手で迎える、とか。
ベルリン・フィルと30年間つきあった指揮者カラヤンが、若い岩城さんに向って「ドライヴしてはいけない、オーケストラをキャリーしろ」とアドヴァイスしたとか。
面白くてさくさく読めてしまう話の中に、プロがプロたる由縁、その矜持や努力や厳しさがはっきりと伝わってくる言葉がちりばめられていて、本当に興味が尽きませんでした。
この調子で、いろいろな音楽家たちの一般聴衆には見えない姿が書かれているのかなぁと思いましたら、それが違うのです。ベルリン・フィルの話の最後の部分で「世界のどのオーケストラを客演する場合でも、一番最初の大事な打ち合わせは裏方のボスとする」とあり、それ以降は一気に裏方(ステージマネージャー、靴屋、楽器運搬業者、ホールなど)の話になります。
スポーツでも音楽でも、あるいは展覧会でもお祭りでもみんなそうだと思いますが、何かをお膳立てする裏方の仕事はとても大切です。お客の目には見えないけれど、例えばグラウンドの整備がきちんとできていなかったり、展覧会の照明や動線が悪かったり、あるいは肝心の道具や衣装の具合が悪かったりしたら、そのイヴェントの目玉は真価を発揮できなくなるのです。
オーケストラは大所帯です。古典中心ならば比較的編成も小さくて済みますが、例えばマーラーの交響曲などを演奏する場合にはステージが一杯になるほどの人数になります。この大所帯が気持ちよく演奏できるように、舞台上や楽屋やその他諸々の手配をするのがステージマネージャーの仕事です。いい演奏会をするためには欠かせない仕事でも、世間の目に触れることはない地味な仕事。オールスターのオーケストラの話の後にそんな裏方さんの話を続ける岩城さんの視点、わたしはちょっと嬉しく思いながら読みました。
岩城さんの本には、またハープ運搬業者の話も出てきます。詳しいことは是非本を手に取って読んでいただきたいのですが、たまたまハープ運搬を頼まれてしまった小さな運送屋さんが、工夫と経験を積んで「プロ」のハープ運搬屋さんになってしまった話はとても感動的です。と同時に、プロとは何か、仕事をするとはどういうことか、という基本的な姿勢をきちんと示しているお手本のような話だと思いました。
音楽家の裏話につられて手に取った一冊ですが、この本の視点は「プロとは何か」の一言に尽きると思います。演奏のプロがいれば指揮者のプロもいる。演奏者の靴を作るプロがいる。裏方のプロもいる。ハープを運ぶならこの人に頼まなきゃ、というプロがいる。扱っている仕事こそ違うものの、全員が徹底して自分の仕事に厳しいのです。彼らには、これだけ働いたんだから報酬はこれだけ欲しい、というような金銭に置き換えて仕事を測る尺度がないような気がします。あるのは、どうやったらより良くなるか、どうやったら自分を(お客を)より満足させられるか、どこまでやれるだろうか、という挑戦や試みです。あらら、ハヤブサを帰還させた科学者たちのことを話しているみたいですね。
この本はまた、文化を支援するとはどういうことかという点にも触れています。とても貴重な現場のプロからの発言です。日本の現状は、この本が出た当初の1990年頃とそれほど変わっていないのではないでしょうか。例えば、日本人はいいホールを作ることには熱心ですよね。確かにいいホールは貴重です。でも、言い方を変えればホールは入れ物でしかありません。入れ物として貸し出すことに徹することもできるし、あるいは専属の団体を作って双方の価値を高めあうというような使い方も出来ます。今のところ、日本のホールは収益性の高いお客に貸して利益を上げることで成り立っています。オーケストラはたまたま特定の日を借りてくれたお客に過ぎません。残念ながら、これではソフトは充実しないのですよね。練習室でしか練習できないオーケストラは、練習室用の音しか出せないのだと岩城さんは書いています。ここに支援の余地があるのです。というより、この部分で支援を受けられたらオーケストラにとっては何よりありがたいことだと思います。オーケストラもホールも時間をかけて唯一無二の存在に育ててみよう、そんな気の長い支援の仕方を知らない&できないのが日本人です。
クラシック畑の人の本ですけれど、この本は誰にでもお勧めできます。仕事なんてテキトーでいいんだよと割り切っている人にも、ちょっとお金があるからゴッホでも買っちゃおうかと考えている企業の経営者にも、是非読んでいただきたい。どうせやるならとことんやろうよ。そして、人なんて所詮この程度かもと悲観的になっている人にもお勧め。世界にも日本にも凄い人がいるもんです。この本に出てくる人たちを見ていると、人の善意とか心の方向性を信頼したくなるなぁと思います。そういう目でまわりを眺めている岩城さんのお人柄でしょうか。気持ちのいい本でした。
この本には、指揮者として長年世界中のオーケストラや音楽家と関わってきた岩城さんが見聞きし体験した、クラシック音楽界のトップクラスの逸話がごろごろ出てきます。最初の章が「ウィーン・フィルの秘密」、次が「ベルリン・フィルの表情」。
定期公演の指揮者を団員の投票で選ぶのが習慣のウィーン・フィルは、スポンサーの圧力に屈して意に染まない指揮者を押し付けられたりすると、その指揮者を相手にしようとしないとか、逆に自分たちが尊敬して止まない指揮者が来ると、団員総立ちで拍手で迎える、とか。
ベルリン・フィルと30年間つきあった指揮者カラヤンが、若い岩城さんに向って「ドライヴしてはいけない、オーケストラをキャリーしろ」とアドヴァイスしたとか。
面白くてさくさく読めてしまう話の中に、プロがプロたる由縁、その矜持や努力や厳しさがはっきりと伝わってくる言葉がちりばめられていて、本当に興味が尽きませんでした。
この調子で、いろいろな音楽家たちの一般聴衆には見えない姿が書かれているのかなぁと思いましたら、それが違うのです。ベルリン・フィルの話の最後の部分で「世界のどのオーケストラを客演する場合でも、一番最初の大事な打ち合わせは裏方のボスとする」とあり、それ以降は一気に裏方(ステージマネージャー、靴屋、楽器運搬業者、ホールなど)の話になります。
スポーツでも音楽でも、あるいは展覧会でもお祭りでもみんなそうだと思いますが、何かをお膳立てする裏方の仕事はとても大切です。お客の目には見えないけれど、例えばグラウンドの整備がきちんとできていなかったり、展覧会の照明や動線が悪かったり、あるいは肝心の道具や衣装の具合が悪かったりしたら、そのイヴェントの目玉は真価を発揮できなくなるのです。
オーケストラは大所帯です。古典中心ならば比較的編成も小さくて済みますが、例えばマーラーの交響曲などを演奏する場合にはステージが一杯になるほどの人数になります。この大所帯が気持ちよく演奏できるように、舞台上や楽屋やその他諸々の手配をするのがステージマネージャーの仕事です。いい演奏会をするためには欠かせない仕事でも、世間の目に触れることはない地味な仕事。オールスターのオーケストラの話の後にそんな裏方さんの話を続ける岩城さんの視点、わたしはちょっと嬉しく思いながら読みました。
岩城さんの本には、またハープ運搬業者の話も出てきます。詳しいことは是非本を手に取って読んでいただきたいのですが、たまたまハープ運搬を頼まれてしまった小さな運送屋さんが、工夫と経験を積んで「プロ」のハープ運搬屋さんになってしまった話はとても感動的です。と同時に、プロとは何か、仕事をするとはどういうことか、という基本的な姿勢をきちんと示しているお手本のような話だと思いました。
音楽家の裏話につられて手に取った一冊ですが、この本の視点は「プロとは何か」の一言に尽きると思います。演奏のプロがいれば指揮者のプロもいる。演奏者の靴を作るプロがいる。裏方のプロもいる。ハープを運ぶならこの人に頼まなきゃ、というプロがいる。扱っている仕事こそ違うものの、全員が徹底して自分の仕事に厳しいのです。彼らには、これだけ働いたんだから報酬はこれだけ欲しい、というような金銭に置き換えて仕事を測る尺度がないような気がします。あるのは、どうやったらより良くなるか、どうやったら自分を(お客を)より満足させられるか、どこまでやれるだろうか、という挑戦や試みです。あらら、ハヤブサを帰還させた科学者たちのことを話しているみたいですね。
この本はまた、文化を支援するとはどういうことかという点にも触れています。とても貴重な現場のプロからの発言です。日本の現状は、この本が出た当初の1990年頃とそれほど変わっていないのではないでしょうか。例えば、日本人はいいホールを作ることには熱心ですよね。確かにいいホールは貴重です。でも、言い方を変えればホールは入れ物でしかありません。入れ物として貸し出すことに徹することもできるし、あるいは専属の団体を作って双方の価値を高めあうというような使い方も出来ます。今のところ、日本のホールは収益性の高いお客に貸して利益を上げることで成り立っています。オーケストラはたまたま特定の日を借りてくれたお客に過ぎません。残念ながら、これではソフトは充実しないのですよね。練習室でしか練習できないオーケストラは、練習室用の音しか出せないのだと岩城さんは書いています。ここに支援の余地があるのです。というより、この部分で支援を受けられたらオーケストラにとっては何よりありがたいことだと思います。オーケストラもホールも時間をかけて唯一無二の存在に育ててみよう、そんな気の長い支援の仕方を知らない&できないのが日本人です。
クラシック畑の人の本ですけれど、この本は誰にでもお勧めできます。仕事なんてテキトーでいいんだよと割り切っている人にも、ちょっとお金があるからゴッホでも買っちゃおうかと考えている企業の経営者にも、是非読んでいただきたい。どうせやるならとことんやろうよ。そして、人なんて所詮この程度かもと悲観的になっている人にもお勧め。世界にも日本にも凄い人がいるもんです。この本に出てくる人たちを見ていると、人の善意とか心の方向性を信頼したくなるなぁと思います。そういう目でまわりを眺めている岩城さんのお人柄でしょうか。気持ちのいい本でした。
by poirier_AAA
| 2010-09-30 20:40
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