2010年 07月 26日
宴のあと |
昨日の日曜日は、我が家でお祝いの宴会をしました。7月に誕生日の人が2人、ちょうど昨日が結婚記念日だったカップルが1組、総勢で大人9人、幼児2人、赤ちゃん1人の宴会でした。
とりたててスペシャルな趣向を凝らしたわけでもないのに、疲れました。すべての後片付けを終え、部屋も掃除し、テーブルクロスも布巾類も全部洗って干して、ようやく日常モードに戻った月曜の昼さがり、体が疲れているのに引きずられて頭も思考拒否に陥っているような気がします。
何故こんなに疲れるのかなぁと考えてみるに、主たる原因は2つあるように思われます。ひとつめは、お客さまを迎えると決めた時からすべての食事を出し終わるまでの頭脳労働。ふたつめは、宴の後の肉体労働です。
メニューを考えるのが、多分未だに苦手なんだと思います。何が好きか、食べられないものはないか、当日は暑いか寒いか、メニューのバランスはどうか、どのくらい用意したらいいか、毎回あれこれと悩んでしまい、ここに一番時間がかかります。そして前日から当日にかけては、あらかじめ調理してすぐに出せるようにしておくもの、半分だけ調理して仕上げを直前にするもの、当日の何時から調理し始めるもの、というように段取りを考えつつ準備します。当日は、お客の到着時間や話の盛り上がり方などを見ながらタイミングを計って料理を出します。
忙しい時に限って人の邪魔をしたくなる子どもの相手をしつつ、夫を奴隷のようにあごでこき使って準備するお客到着直前は、わたしの緊張度とイライラがピークに達する瞬間だと言えます。ここからメインの料理を出すまでの間に、1日に可能な頭脳労働量の95%くらいは使い果たしてしまいます。デザートをだして、ようやく心置きなくおしゃべりに集中できる頃には、頭の中にちょうちょがひらひら舞っているいるような状態です。
そしてお客が引き上げた後は、頭のちょうちょはそのままに体だけ動かします。お皿の数だけでも50枚は下らないし、おまけに最高に神経を使うグラス類も飲んだ飲み物の数だけあるし、もう何も考えないで黙々と、ひたすら洗い続け、ひたすら拭き続けます。(食洗機がないのです)
昨日は、片付け終わったらちょうど真夜中でした。招待客に楽しんでもらえた満足感と、もはや抜け殻のようになった頭と全身の疲労感とで、飽和状態に陥りました。
今日は、緊張と飽和から解き放たれた弛緩の月曜日であります。
とりたててスペシャルな趣向を凝らしたわけでもないのに、疲れました。すべての後片付けを終え、部屋も掃除し、テーブルクロスも布巾類も全部洗って干して、ようやく日常モードに戻った月曜の昼さがり、体が疲れているのに引きずられて頭も思考拒否に陥っているような気がします。
何故こんなに疲れるのかなぁと考えてみるに、主たる原因は2つあるように思われます。ひとつめは、お客さまを迎えると決めた時からすべての食事を出し終わるまでの頭脳労働。ふたつめは、宴の後の肉体労働です。
メニューを考えるのが、多分未だに苦手なんだと思います。何が好きか、食べられないものはないか、当日は暑いか寒いか、メニューのバランスはどうか、どのくらい用意したらいいか、毎回あれこれと悩んでしまい、ここに一番時間がかかります。そして前日から当日にかけては、あらかじめ調理してすぐに出せるようにしておくもの、半分だけ調理して仕上げを直前にするもの、当日の何時から調理し始めるもの、というように段取りを考えつつ準備します。当日は、お客の到着時間や話の盛り上がり方などを見ながらタイミングを計って料理を出します。
忙しい時に限って人の邪魔をしたくなる子どもの相手をしつつ、夫を奴隷のようにあごでこき使って準備するお客到着直前は、わたしの緊張度とイライラがピークに達する瞬間だと言えます。ここからメインの料理を出すまでの間に、1日に可能な頭脳労働量の95%くらいは使い果たしてしまいます。デザートをだして、ようやく心置きなくおしゃべりに集中できる頃には、頭の中にちょうちょがひらひら舞っているいるような状態です。
そしてお客が引き上げた後は、頭のちょうちょはそのままに体だけ動かします。お皿の数だけでも50枚は下らないし、おまけに最高に神経を使うグラス類も飲んだ飲み物の数だけあるし、もう何も考えないで黙々と、ひたすら洗い続け、ひたすら拭き続けます。(食洗機がないのです)
昨日は、片付け終わったらちょうど真夜中でした。招待客に楽しんでもらえた満足感と、もはや抜け殻のようになった頭と全身の疲労感とで、飽和状態に陥りました。
今日は、緊張と飽和から解き放たれた弛緩の月曜日であります。
by poirier_AAA
| 2010-07-26 21:10
| 日々の断片
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