2010年 04月 14日
家族と一緒に住んだ家 |
現実の生活の中では思い出すことも稀な風景が、突然夢に現れることがある。昨夜はソファーでうたた寝をしながら、昔家族と一緒に住んだ家を夢に見た。
昭和の中頃に祖父母が建てた家。それを昭和の後期に建て増しした、半分古くて半分新しいちぐはぐな外観の家。
庭には、祖父好みの盆栽やきれいに刈り込まれた植木とともに、父好みの野山を思わせる雑然とした植え込みが同居していた。祖父はひどく嫌がっていた。
玄関に向って左側は、くっつくようにして建った隣家。右側は水田。玄関から庭を経た正面にはりんご畑がひろがり、家の裏側には細い道を挟んで川が流れていた。
絵に描いたような田舎の風景、とまではいかなかったけれど十分に田舎だった。
春にはりんごの花が咲き、隣のたんぼ(まだ水が入っていない)で蓮華摘みをした。たんぼに水が入るとオタマジャクシを捕った。裸足でたんぼに入って水遊びをしていたらヒルにくっつかれたこともあった。目に鮮やかな若い稲葉。にぎやかなカエルの合唱が夜な夜な聞こえたものだ。暑い夏には蝉がうるさかった。蚊帳を吊って寝るのが楽しかった。夏の終わりが近づくと、虫の声が聞こえ始める。稲の刈りいれが終わると、またたんぼで遊んだ。稲の切り株が残っているから歩き難いんだけれど、それでも遊んだ。冬になると雪が降って、今度はたんぼに雪山を作ってミニスキーをつけて滑り降りて遊んだ。
家の庭にはぶどうの木と柿の木と杏の木と梅の木があった。季節毎に果物がとれて楽しかった。でも、人間が美味しいと思う実のなる木は虫も大好き。木には全部毛虫がついた。今でもはっきり覚えている。柿の木には黄緑色の小さいヤツ。杏と梅は黒くて大きくて毛むくじゃらのヤツ。ぶどうは黄緑色で毛がなくってつるんとした、でもとにかく大きいヤツ。ああ、書いているだけで鳥肌がたってくる。わたしと祖母はこういう虫が生理的に駄目だった。祖母なんか、虫が嫌いだから農家の嫁にはなりたくなかったと言っていた。わたしたちは虫を見つけるのがそれは上手かった。なんのことはない、これらの果樹は全部玄関に到達するための道筋にあったので、通るたびに心配がないか目を皿のようにして安全を確認してから下を走り抜けていたのである。
この家で、祖母と一緒に楽しく台所仕事をした。
この家で、母は病気になった。
この家で、いろんな喧嘩があった。
この家で、わたしは家族から離れて東京に行きたいと望んだ。
家族は誰もが若くて衝突も多かったから、決して和やかな良い思い出ばかりじゃないんだけれど、それでも今になると無性に懐かしく感じられる。祖母が台所で働いて、祖父が居間にどっしりと座っていた、この家がわたしの原風景なのだと思う。
わたしが東京にでてしばらくしてから、自治体の都合でこの家を立ち退かなければならなくなった。幸いあまり離れていない場所に新しい家を建てられることになった。慣れ親しんだ場所を離れ、家まで新しくなって、老いた祖父母が引越を境にボケ始めるんじゃないかと心配したけれど、幸い杞憂に終わった。新しい家は断熱効果が高くて、全体で温度調節できるようになっている。家の中のどこにいても同じように温かく同じように涼しい。南に大きく開いた窓が太陽の光を存分に取り込んで、温室のように心地良い。
それでも、やっぱり古い家がわたしの家なんだ。すきま風は入るし、冬なんか部屋毎に暖房していても、廊下にでると極寒だった家。トイレもお風呂の脱衣所も本当に寒かった家。建て増しした新しい方がなぜか雨漏りした、あの家。
ぶどうの棚の下をくぐって父の車が車庫に入った。わたしは車を降りて玄関の前で父と母が車を降りて来るのを待っている。
そのとき、夫が起こしに来た。
「玄関が閉まっているから鍵を開けてちょうだい」
声に出して、ようやく夢から覚めた。
昭和の中頃に祖父母が建てた家。それを昭和の後期に建て増しした、半分古くて半分新しいちぐはぐな外観の家。
庭には、祖父好みの盆栽やきれいに刈り込まれた植木とともに、父好みの野山を思わせる雑然とした植え込みが同居していた。祖父はひどく嫌がっていた。
玄関に向って左側は、くっつくようにして建った隣家。右側は水田。玄関から庭を経た正面にはりんご畑がひろがり、家の裏側には細い道を挟んで川が流れていた。
絵に描いたような田舎の風景、とまではいかなかったけれど十分に田舎だった。
春にはりんごの花が咲き、隣のたんぼ(まだ水が入っていない)で蓮華摘みをした。たんぼに水が入るとオタマジャクシを捕った。裸足でたんぼに入って水遊びをしていたらヒルにくっつかれたこともあった。目に鮮やかな若い稲葉。にぎやかなカエルの合唱が夜な夜な聞こえたものだ。暑い夏には蝉がうるさかった。蚊帳を吊って寝るのが楽しかった。夏の終わりが近づくと、虫の声が聞こえ始める。稲の刈りいれが終わると、またたんぼで遊んだ。稲の切り株が残っているから歩き難いんだけれど、それでも遊んだ。冬になると雪が降って、今度はたんぼに雪山を作ってミニスキーをつけて滑り降りて遊んだ。
家の庭にはぶどうの木と柿の木と杏の木と梅の木があった。季節毎に果物がとれて楽しかった。でも、人間が美味しいと思う実のなる木は虫も大好き。木には全部毛虫がついた。今でもはっきり覚えている。柿の木には黄緑色の小さいヤツ。杏と梅は黒くて大きくて毛むくじゃらのヤツ。ぶどうは黄緑色で毛がなくってつるんとした、でもとにかく大きいヤツ。ああ、書いているだけで鳥肌がたってくる。わたしと祖母はこういう虫が生理的に駄目だった。祖母なんか、虫が嫌いだから農家の嫁にはなりたくなかったと言っていた。わたしたちは虫を見つけるのがそれは上手かった。なんのことはない、これらの果樹は全部玄関に到達するための道筋にあったので、通るたびに心配がないか目を皿のようにして安全を確認してから下を走り抜けていたのである。
この家で、祖母と一緒に楽しく台所仕事をした。
この家で、母は病気になった。
この家で、いろんな喧嘩があった。
この家で、わたしは家族から離れて東京に行きたいと望んだ。
家族は誰もが若くて衝突も多かったから、決して和やかな良い思い出ばかりじゃないんだけれど、それでも今になると無性に懐かしく感じられる。祖母が台所で働いて、祖父が居間にどっしりと座っていた、この家がわたしの原風景なのだと思う。
わたしが東京にでてしばらくしてから、自治体の都合でこの家を立ち退かなければならなくなった。幸いあまり離れていない場所に新しい家を建てられることになった。慣れ親しんだ場所を離れ、家まで新しくなって、老いた祖父母が引越を境にボケ始めるんじゃないかと心配したけれど、幸い杞憂に終わった。新しい家は断熱効果が高くて、全体で温度調節できるようになっている。家の中のどこにいても同じように温かく同じように涼しい。南に大きく開いた窓が太陽の光を存分に取り込んで、温室のように心地良い。
それでも、やっぱり古い家がわたしの家なんだ。すきま風は入るし、冬なんか部屋毎に暖房していても、廊下にでると極寒だった家。トイレもお風呂の脱衣所も本当に寒かった家。建て増しした新しい方がなぜか雨漏りした、あの家。
ぶどうの棚の下をくぐって父の車が車庫に入った。わたしは車を降りて玄関の前で父と母が車を降りて来るのを待っている。
そのとき、夫が起こしに来た。
「玄関が閉まっているから鍵を開けてちょうだい」
声に出して、ようやく夢から覚めた。
by poirier_AAA
| 2010-04-14 18:24
| 思い出す
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