2010年 04月 08日
歴史は続いている |
年のせいか、環境のせいか、歴史が気になってたまらない最近です。
歴史的な建築物には事欠かないヨーロッパですから、住人たちは100年前200年前という単位で時代のイメージをつかんでいます。長い歴史を経て現在がある、そう実感して生活している感じです。
ところが、振り返って我が身を見ると愕然としてしまいます。歴史に関する知識がほとんどないのです。学校の授業の「歴史」も出来た方ではなかったし、恥ずかしながら興味を持って考えたことがありません。おおよその時代の流れなどはわかっても、明治以降の歴史となるとちんぷんかんぷんです。
そもそも、一緒に生活していた身内の時代のことすらきちんと知りません。ほんの100年間のことなのに。祖父母は第二次世界大戦を成人して迎えた世代です。貧しかった、苦労したという話を聞いただけで、それが一体どんな貧しさで、どんな苦労だったのかまでは聞けませんでした。わたしが幼すぎたせいでもあり、その記憶が祖父母にとって思い出して楽しくなるような種類のものではなかったからです。両親の時代はまた違います。戦後の物のない生活の中で育った世代です。成人してからは高度成長期で家族を顧みずに猛烈に働いてきました。家族の求心力が薄れて、気がついたら親も子もきちんと向かい合うことができなくなっていた時代です。親の話をゆっくり聞く機会もありません。
いま思うのは、もっと家族ときちんと話をしておくべきだった、ということです。親の世代と話すチャンスはまだありますが、祖父母の話を聞くことはもうできません。昭和の初期、戦争にむかっていく時期、敗戦後の価値観の大転換、生活の変化など、彼らが何を感じてどう生きていたのか、聞いておきたかったと思うことがたくさんあります。
祖父母ともっと話をしていたら、彼らの祖父母の時代、つまり更に100年近く前の話も聞くことができたかもしれない。今から200年前なら江戸時代の末期です。祖父母が一緒に暮らした人の中には、江戸時代生まれの人がいたはずなのです。江戸時代がどんなだったか、明治に変わって生活にどんな変化があったか、具体的なコメントをしていたかもしれません。あるいは祖父母の祖父母の生活ぶりを知ることもできたかもしれません。
歴史は、書物や残された物から習い知ることがもっぱらですが、こんなふうに家族や共同体の中で語り継がれていく部分も多いのではないかと思います。残念ながら、日本ではこの100年のあいだにそれまでの記憶の一切を封印してしまうような大きな断絶がありました。価値観も変わりました。人と対話することが減り、人の価値が金銭的な価値に置き換えられることも多くなりました。家族が集うことを止め、年代を超えて人が集まる機会も少なくなりました。これでは、何も伝えていくことができません。
夫と知り合ってから夫の家族に頻繁に食事に招待されるようになり、どうしてこんなに家族や親戚と食事をしなきゃならないのだ、と最初は憤っていたわたしですが、今はこの習慣がとても大事なことだと思うようになりました。そのひとつの理由が、世代を超えて話が出来ることです。同じ史実を眺めても、実際にその時代を知っている人と若い世代では認識に大きな違いがあります。まったく視点の違う人とも意見を交換できる(喧嘩ではありません)機会があるのが、わたしにはとてもうらやましい。わたしも、もっと若い頃、日本で同じことをしておくべきだったと悔やまれてならないのです。
4月の末には一時帰国の予定です。
久しぶりに家族や友人と会うのも、日本の美味しいものを食べるのも楽しみですが、今年は親の思い出話にも耳を傾け、我が子のために家系図でも作ってみようかなぁなどと考えています。
歴史的な建築物には事欠かないヨーロッパですから、住人たちは100年前200年前という単位で時代のイメージをつかんでいます。長い歴史を経て現在がある、そう実感して生活している感じです。
ところが、振り返って我が身を見ると愕然としてしまいます。歴史に関する知識がほとんどないのです。学校の授業の「歴史」も出来た方ではなかったし、恥ずかしながら興味を持って考えたことがありません。おおよその時代の流れなどはわかっても、明治以降の歴史となるとちんぷんかんぷんです。
そもそも、一緒に生活していた身内の時代のことすらきちんと知りません。ほんの100年間のことなのに。祖父母は第二次世界大戦を成人して迎えた世代です。貧しかった、苦労したという話を聞いただけで、それが一体どんな貧しさで、どんな苦労だったのかまでは聞けませんでした。わたしが幼すぎたせいでもあり、その記憶が祖父母にとって思い出して楽しくなるような種類のものではなかったからです。両親の時代はまた違います。戦後の物のない生活の中で育った世代です。成人してからは高度成長期で家族を顧みずに猛烈に働いてきました。家族の求心力が薄れて、気がついたら親も子もきちんと向かい合うことができなくなっていた時代です。親の話をゆっくり聞く機会もありません。
いま思うのは、もっと家族ときちんと話をしておくべきだった、ということです。親の世代と話すチャンスはまだありますが、祖父母の話を聞くことはもうできません。昭和の初期、戦争にむかっていく時期、敗戦後の価値観の大転換、生活の変化など、彼らが何を感じてどう生きていたのか、聞いておきたかったと思うことがたくさんあります。
祖父母ともっと話をしていたら、彼らの祖父母の時代、つまり更に100年近く前の話も聞くことができたかもしれない。今から200年前なら江戸時代の末期です。祖父母が一緒に暮らした人の中には、江戸時代生まれの人がいたはずなのです。江戸時代がどんなだったか、明治に変わって生活にどんな変化があったか、具体的なコメントをしていたかもしれません。あるいは祖父母の祖父母の生活ぶりを知ることもできたかもしれません。
歴史は、書物や残された物から習い知ることがもっぱらですが、こんなふうに家族や共同体の中で語り継がれていく部分も多いのではないかと思います。残念ながら、日本ではこの100年のあいだにそれまでの記憶の一切を封印してしまうような大きな断絶がありました。価値観も変わりました。人と対話することが減り、人の価値が金銭的な価値に置き換えられることも多くなりました。家族が集うことを止め、年代を超えて人が集まる機会も少なくなりました。これでは、何も伝えていくことができません。
夫と知り合ってから夫の家族に頻繁に食事に招待されるようになり、どうしてこんなに家族や親戚と食事をしなきゃならないのだ、と最初は憤っていたわたしですが、今はこの習慣がとても大事なことだと思うようになりました。そのひとつの理由が、世代を超えて話が出来ることです。同じ史実を眺めても、実際にその時代を知っている人と若い世代では認識に大きな違いがあります。まったく視点の違う人とも意見を交換できる(喧嘩ではありません)機会があるのが、わたしにはとてもうらやましい。わたしも、もっと若い頃、日本で同じことをしておくべきだったと悔やまれてならないのです。
4月の末には一時帰国の予定です。
久しぶりに家族や友人と会うのも、日本の美味しいものを食べるのも楽しみですが、今年は親の思い出話にも耳を傾け、我が子のために家系図でも作ってみようかなぁなどと考えています。
by poirier_AAA
| 2010-04-08 20:20
| 歴史と文化を学ぶ
|
Comments(2)
Commented
by
spacesis
at 2010-04-09 20:42
x
この記事ですが、親や祖父母から色々な話を聞いておくことは
とても大切ですよ!
わたしは母が亡くなり、多かった叔父叔母がすべて鬼籍に入って初めて気づいたのです。
母方も父方も家系を知らない!と・・・・
それで慌てて探ろうとしたのですが、時すでに遅し。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-474.html
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-289.html
あつかましく記事のアドレスを載せますが、上記にこのこと、書いております。
「いつまでもあると思うな 親と金」です。
わたしの轍をふみませんようにくれぐれも踏みませんように^^
とても大切ですよ!
わたしは母が亡くなり、多かった叔父叔母がすべて鬼籍に入って初めて気づいたのです。
母方も父方も家系を知らない!と・・・・
それで慌てて探ろうとしたのですが、時すでに遅し。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-474.html
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-289.html
あつかましく記事のアドレスを載せますが、上記にこのこと、書いております。
「いつまでもあると思うな 親と金」です。
わたしの轍をふみませんようにくれぐれも踏みませんように^^
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Commented
by
poirier_AAA at 2010-04-10 07:19
spacesisさん、わたしも祖母を亡くした時に、これで祖母の代で話を聞ける人が誰もいなくなったと愕然としたのです。気がつくのが遅いんですよね。あと20年早く気がついていたら、祖母も元気でいろいろな話が聞けたはずだったのに。
我が家はどっちを向いてもお百姓の家系みたいなので、どこまでたどれるかな〜と思っています。でもちょっと楽しみでもあります。子どもが小さくなかったら、親戚&お墓&菩提寺巡りの大ツアーを敢行するんですけれどね。とりあえずは、ぼちぼち辿ってみます。
記事のアドレスを載せていただいてありがとうございました。
我が家はどっちを向いてもお百姓の家系みたいなので、どこまでたどれるかな〜と思っています。でもちょっと楽しみでもあります。子どもが小さくなかったら、親戚&お墓&菩提寺巡りの大ツアーを敢行するんですけれどね。とりあえずは、ぼちぼち辿ってみます。
記事のアドレスを載せていただいてありがとうございました。